国際主義労働者全国協議会(NCIW)第23回総会への問題提起

二一世紀革命への出発

かけはし2011.11.14号

川端康夫

1 ジャスミン革命―二一世紀革命の出発


 昨年(二〇一〇年)秋の総会は次のように提起した。
 「国際的金融資本の自由横行を基礎とする世界構造と対抗すること、その任務は一国的な枠組みの、今やまさに明白な限界を越える世界的な変革ということに他ならない。グローバルな世界の変革―その視点が二一世紀での左翼的な最大の核心点である」。
 今年の世界の動きはまさに、以上の視点をさらに補強する姿で動いてきた。世界は、資本主義のさらなる「世界化」への突進への中で、一方で権力主義的独裁化への道、他方でテロリズム型対抗運動の創成という脱出路の見えない時代を導いてきた。
 同時に資本主義は、グローバリゼーションの下で、まさに世界的意味での「有効需要」の限界にさしかかり、大資本は世界的低賃金労働力の場を求めて移動しつつ、さらなる輸出競争を国際的に煽ることとなった。今や、低賃金労働の圧力は、まさにアメリカ社会を先頭にして世界の社会全体をのみ込みつつある。EUはその圧力に直面して解体か存続かをめぐる熾烈な論争の場へと転化しつつあるし、アジアは輸出競争主義に根本的にとらわれ、それを超える将来社会の展望をもち得ない事態となっている。現事態は世界的な「不況局面」あるいは「恐慌局面」的な時代的特徴とも見ることができる。
 この事実が、権力主義的抑圧への民主主義的な対抗運動を引き出してきたのである。ジャスミン革命と呼ばれるアフリカ・アラブ世界を出発とした動きは、社会的展望が明らかではないままながら、まさに「民主主義」運動として拡大した。ムバラク政権の崩壊後、軍事政権の暫定統治が続いてきたエジプトで民衆と軍の激闘が始まり、予定された議会選挙の行方が不透明となったことに見るように、一方では中東の混迷は引き続いている。しかしジャスミン革命の位置は低められることはない。ジャスミン革命はどこに向かうだろうか―断定的なことは言えない。しかし、何ごとかの始まりであることは確かである。
 それに引き続く形で、アメリカ本国で大衆運動が爆発し始め、そしてそれは一挙に世界化し始めた。さまざまなスローガンが混在するが、中心は「格差是正」である。
 ジャスミン革命、資本主義諸国の反格差運動の台頭は、明らかに二〇世紀後期を特色づけた多国籍資本の横行とそれを支える独裁主義的、権力主義的政治状況への、二一世紀的な反逆、革命の始まりである。

2 反資本主義の闘いの位置

 東アジアでも民主主義への流れは、権力主義的政治構造が強く保持されてきた政治的枠組みと対立し、それを乗り越えようとする動きを持続的に支えるものだ。
 独裁型から民主主義型に次第に姿を変えてきたASEAN諸国や韓国、台湾などの流れは今さらに一歩進むことを求められる段階となっている。そして軍事政権としてのミャンマー、共産党一党支配としてのベトナムと中国もまたその流れから独立することはできない。この地域における変化の底流は、まさに拡大する低所得労働者層の登場と社会的格差、他方での貧困の社会的な再形成ということである。中国社会が示している社会格差の拡大はアジア総体としても圧倒的流れとなりつつある。
 そうした民主主義要求は当然にも反資本主義の性格を本質的に内包している。よりわれわれ的に言えば、まさに永続革命的構造なのである。言い換えれば、反資本主義の要求は民主主義要求を基礎とするものとなる必要性がある。
 賃金問題を例にとれば、賃金格差は国内的であると同時に、国際的問題である。低賃金労働力を求めて国際移動を繰り返し続ける資本の動向は今や経済常識である。そこで、企業は多国籍化しなければならず、低賃金労働を求めて移動するのは当たり前であるが故に、企業の多国籍化を認めかつ同時に企業を国内に維持するためには国内でのコストの引き下げが絶対的条件であるという見解がまかり通る。企業論理の優先に対抗する要求は民主主義的な、企業優先性の否定、民衆生活の保護と防衛の論理で立てられる必要がある。しかもそれは、一国的問題でとどまるはずがない。
 国際賃金格差利用を規制しようとすること、あるいは賃金の国際格差をなくすようにすることなどの闘いはさらに必要度を高めていくだろう。それはまず第一に国際金融資本の自由行動を規制することなしには始まらない。資本移動への国際規制は現状ではゼロである。税もかからない。
 その構造で、浜矩子同志社大学教授は円高の持続を説明する。つまり、「長年、日本は超低金利状態の下に置かれてきた。その環境下で、円キャリートレードが円の海外展開のための格好の手段として機能した局面があった。事実上ゼロ金利状態の日本なら、資金コストも事実上ゼロである。おおむねタダの借金をして、そのタダ金を海外で運用すれば、金利分がほぼ全面的に自分の収入になる。こんな状態でカネ余りの日本から金欠のアメリカに資金が出ていった。新興諸国や高金利発展途上国にも、日本から金が出ていく。こうして、ジャパン、マネーが世界中に行き渡る」。(「通貨」を知れば世界が読める・PHPビジネス新書)。その差額が東日本大震災と津波に直撃された日本円の値下がりへの動きを凌駕している、と。

3 東アジアにおける連邦主義

 レーニンの強調した連邦主義は表層以外ではまったく実践されなかった。とりわけ東アジアにおいては中国の毛沢東、それを基本的に継承した鄧小平の、「強大な中国」という立場の影響が大きい。鄧小平は、「諸民族の自治は認める、だが、自決は認めない」と遺言した。だが現在の中国で「自治」があるとは到底言えないだろう。そして「自決」は「反革命」である。
 以上のように昨年総会は述べたが、その上で中国は、鄧小平の遺言時期から二〇年を過ぎようとしている現在、自己の将来方向という点において重要な時期を迎えつつあるように見える。最近の動きの最大問題の一つとして、南シナ海問題がある。紅軍海軍部隊が南シナ海でベトナムやフィリピンなどへの高姿勢にある。そしてそこでは、現指導部の対米やASEAN、あるいは周辺諸国への気配りに対する、意図的な対抗的動きと感じさせることもなくはないのだ。
 東アジアにおいては、ASEANプラス3という形で総体的に独自の「経済圏」ブロックを目指そうという動きが強かった。もちろんアメリカとの関係をどうするか、南太平洋・オーストラリア・ニュージーランドなどアンザック圏をどうするかという問題があり、そしてアメリカ・オバマ政権はTPPという枠組みを対抗的に利用するために動き出した。TPPはFTAの一種だが、究極の自由貿易を目指すFTAとされ、参加諸国の自由化例外化は認められないとされる。浜教授はTPPは新たな鎖国主義的、ブロック主義的行動であるという見解である(前掲書)。
 そうした中でもASEANは経済共同体化へ進んでいるように見える。ASEANプラス3という東アジア経済圏の構想、展望もその延長にあるだろう。そうであれば、南シナ海問題は国際協調で解決するという方向となるわけだ。そこでの可能性としては、統治権の共同性などの解決方策も出されることとなるかもしれない。だが中国は当事者間交渉という枠組みを対置し、しかもその交渉力の背後に軍事力を後置するかの対応である。しかしそこには中国自身が自らの将来をいかに展望するのかという重大問題が潜在しているのだ。
 中国の南沙や西沙への対応で痛感するのは、中国共産党が東アジアの諸民族、諸国家を将来的にどう位置づけているのかの不透明さである。そして、チベットやウイグルに対する独自性の全面否定対応を堅持する以外の方策を持とうとしていないが故に、中国共産党の現状からは、将来において東アジアにおける諸民族、諸国家の対等共同性という民主主義性、つまりレーニン主義的な意味での連邦主義が提出されてくるとは思われないということがある。
 この意味で、毛沢東イズムを継承する中国は、内外的に権力主義的、覇権主義的な危険性を潜めている。
 東アジアの将来構造をいかに展望するか―それはまさしく今後の重大な課題であるが、資本移動への規制を含めた民主主義、それを基礎とする共同性、共同体を意識の枠組みとして考えなければならない。そして、その枠組みは当然にも中国やベトナム、そして北朝鮮における独裁主義的一党主義の克服、一国主義的思考を全面的に克服していく過程を含むのである。

4 輸出至上主義から共同開発、内需充実への移行―東アジアでの課題

 東アジアは輸出至上主義型の大波にのみ込まれている。これは低賃金構造を定着させ、かつ経済格差を促進させている。グローバリゼーションの大元、アメリカ経済はどうか。膨大な低賃金労働者層を抱え込んだ構造であり、EUや日本もその道をたどる道筋の中にある。そして今や輸出元となっている東アジアは今後その構造が拡大深化するにつれて貧困労働者層の蓄積と経済格差の拡大に直面して行くであろう。
 したがって東アジア総体を呑み込みつつある「輸出主導主義」からの脱却が東アジアの将来像の前提条件となり、同時にそれは前述した民主主義要求と結びつく。輸出主導主義を越える展望は、東アジアにおける経済的共同体の形成にあるであろう。
 TPP概念か、東アジア共同体概念かという枠組みの大別が日本政治、そして東アジア政治に突きつけられている。政権党の民主党内部の小沢・反小沢の違いの底流もこうした流れの反映であろう。ASEANの中軸にあるシンガポールは、意識的に使い分けているようだが、他の諸国とりわけ日本の場合、現在は混乱そのものである。問題設定が現実に追いついていない。より正しくは現実をいかなる方向に切り替えていくのかが少しも設定されていない。方向性を示そうとした鳩山は現実の官僚集団に阻止された。それを反路線的に引き継いだ菅は何も具体的な実施方式を示せなかった。より具体的には菅のTTP迎合路線はまた、現実の東アジアと日本の状況と衝突したのである。
 東アジア共同体形成は、いわば東アジア自身の「内需拡大」の展望と一体でなければならない。共同開発が出発となるように需要と投資が組まれなければならない。同時に共同体化のためには、労働賃金の平準化を目指す取り組みが底辺になければならない。資本の「渡り鳥」性格を押さえ込むこと、そのためには低賃金労働を確保せんとする資本移動への規制が必要である。
 民主主義と経済共同開発の東アジア形成に向かう共同意識、その政治的表現―それが現実的・意識的に追求されなければならない。
 「民族国家としての日本は、将来アジア経済共同体の中に発展解消すると私は考える」(一九九五年十月七日、森嶋通夫『日本の選択』岩波同時代ライブラリー、はしがき)。森嶋通夫ロンドン大学名誉教授は数年前になくなったが、バブル崩壊以降の日本の将来像を東アジア経済共同体という展望に求め、中国、天津の南開大学での講演など活発な活動を行った。教授の活動はアジアの左翼にとっても大きな示唆を与えるものだ。
 EUは成立まで五〇年かかったが、東アジアでの新たな枠組みでの共同性の実現にも相応の時間がかかるであろう。またEUは長年の敵対国フランスとドイツの共同事業への意欲が鍵となったが、東アジアではASEANプラス3の構造の延長線にあることは間違いなかろう。だが、民主主義化という「革命要因」を内包するが故に、平穏のままに進むとも思えない。だからこそ、展望の意識化、政治化が求められる。東アジア規模の政治的な連合、ブロック形成が必要なのだ。
 中国における社会主義的民主主義への転換を含む東アジアでの新たな革命の道筋、それこそが東アジアでの二一世紀の左翼運動の道筋となろう。(以上、総会報告を大幅に圧縮)