「沖縄イニシアチブ」論争によせて

沖縄から出された基地容認と日本への従属と統合の論理
知識人を総動員した論争に

国富建治

 「沖縄タイムス」紙上で、「沖縄イニシアチブ」論争が続いている。論議に加わった比嘉良彦(元社会大衆党書記長、現県政参与)によれば「5月の連休以後は、『沖縄イニシアチブ』なくては日も夜も明けぬありさま」(6月6日)ということになる。「沖縄タイムス」での論争に先立って、朝日新聞で5月15日から17日まで三回にわたって「沖縄イニシアチブ」の提案が紹介された。また六月に入ってからもう一つの沖縄の主要新聞である「琉球新報」でも論議が始まった。
 6月17日までのところ、「沖縄タイムス」紙上でこの論議に加わったのは「沖縄イニシアチブ」提言者の一人である高良倉吉自身とさきほどの比嘉をふくめて12人になる。うち「本土」からは太田昌国(民族問題研究者)一人であり、沖縄の知識人を総動員した論争の様相を呈している。もっとも「論争」といっても、提起者の高良、大城両人と、事実上は稲嶺県政のブレーンとして高良らに近い立場にありながら巧妙に賛否の表明を避けている比嘉良彦を除けば、圧倒的多数の論者が「沖縄イニシアチブ」の考え方に正面から批判を加えているのだが。

日本国家の戦略に貢献する

 では「沖縄イニシアチブ」とは何か。このレポートは今年の三月に那覇市内で開かれた、アジア各国の研究者が文化・経済・安全保障について意見交換するアジアパシフィックアジェンダプロジェクト「沖縄フォーラム」(主催:日本国際交流センター)で、琉球大学の高良倉吉、大城常夫、真栄城守定の三教授が共同提唱したものである(レポートは「沖縄タイムス」紙上で5月3日から11日にかけて七回にわたって連載された)。
 このレポートの問題意識は「わが国がアジア太平洋地域に属する責任ある主体としての役割をより発揮し、同時にまた、グローバルパワーとして独自の貢献を果たす存在となるためには、沖縄の再評価とその活用方法に関する問題を避けて通ることはできない」というものである。つまり「わが国」がアジア太平洋に向けたグローバルパワーになるために「沖縄」はどのような役割を果たさなければならないのか、ということにつきる。すなわちそこでは沖縄が自らの将来を決する上で「日本の国家戦略」が不動の前提になっている。なぜなら、本土復帰を通じて沖縄の住民が「自らの所属すべき国家が日本であることを選択した」からだというのだ。
 もちろん、沖縄の歴史的経験に根ざす「日本」と沖縄との特別な関係、すなわちヤマトとの関係での沖縄の「歴史意識」というべきものの存在を提唱者は否定するわけではない。しかし彼らは「歴史に対して過度の説明責任を求めたがる論理」を否定し、「現在に生きる者」として「『歴史問題』を沖縄だけの問題とするのではなく、それを日本全体のために、ひいてはアジア太平洋地域や世界のためにどう普遍化するか、その努力がわれわれに求められている」と主張する。「地域感情」を「グローバリズム」に向けて止揚せよ、というこの主張が、日本国への沖縄の自発的な統合を最終的に完結させるものであることは容易に見てとれる。
 この立場は、沖縄の米軍基地をあけすけに容認する論理に帰結する。「私たち三人は、アジア太平洋地域において、ひいては国際社会に対して日米同盟が果たす安全保障上の役割を評価する立場に立つものであり、この同盟が必要とする限り沖縄のアメリカ軍基地の存在を認めている。つまり、安全保障の面で沖縄はわが国の中で最も貢献度の高い地域として存在する、との認識を共有している」というのだ。
 その上に立って彼ら三人は、「平和や安定を阻害する要因に対し、国連を介するぎりぎりの選択肢としての軍事力の行使は必要である」という認識から、「現在におけるアメリカ軍基地の問題は、それが存在することの是非を問う問題としてあるのではなく、その効果的な運用と住民生活の安定をいかに矛盾なく調整できるかという問題としてあることになる」とまで極言し、在沖縄米軍基地の是非は「問題としてもはや存在しない」ことにしてしまったのである。「基地の告発者」としてではなく「安全保障に大きく貢献する地域」として「基地の運用のあり方」を「点検」する当事者でなければならない、というのが三人の主張だ。
 ここで彼らが持ち出すのが、「21世紀の日本の国家像」を構築する「共同事業者」としての沖縄のイメージであり、それを表現するものが彼らが沖縄に建立することを提案する二つの碑文「ここに日本尽き、アジア始まる」「ここにアジア尽き、日本始まる」である。
 この碑文のコピーは共同通信の伊高浩昭が指摘したようにヨーロッパの西端、大西洋に突き出たポルトガルのロカ岬にある「ここに陸尽き海始まる」を模したものだが、そこに「日本」とは区別されたアジア諸国の一員としての交流の経験を、あくまで「日本アイデンティティー」の下に吸収して、そこから「グローバルパワー・日本」としてアジアに向かう先端部としての位置を沖縄に付与する意図が込められていることは明白である。
 「海始まる」ロカ岬の彼方には、五百年以上前のコロンブスの到達に始まる西欧の侵略と植民地支配・先住民族の大虐殺の対象にされたアメリカ大陸があった。「アジア始まる」のアジアとは、旧日本帝国主義の軍事的侵略の対象とされたアジアであり、いままた「グローバルパワー」としての日本が生き残るための覇権の対象としてのアジアである。
日米安保体制に積極的貢献
 今回の提言者の中心である高良倉吉は、戦後(1947年)生まれの気鋭の沖縄の歴史学者として、注目を浴びてきた人物だった。高良はNHKの大河ドラマ「琉球の風」の監修者であり、岩波新書『琉球王国』の著者として、歴史的な「琉球アイデンティティー」の掘り起こしにつとめてきた。その彼は二年前に刊行された『沖縄の自己検証~鼎談・「情念」から「論理」へ~』(ひるぎ社・沖縄文庫)の中で、今回の「沖縄イニシアチブ」の共同提言者の一人である真栄城守定、そして現副知事の牧野浩隆(当時琉球銀行常勤監査役)と鼎談を行い、「沖縄には問題提起能力はあったが、問題解決能力が欠落していた」ことを繰り返し強調し、「良質のマキャベリズム」を持って「沖縄自身が日本の中の沖縄を主体的に経営する覚悟」を訴えていた。
 彼の言う「良質のマキャベリズム」や「問題解決能力」は、今や日米安保同盟の最大の「貢献」者としての沖縄の位置を積極的に押し出して、進んでその先兵になるところにまで到達したのである。
 高良は「自らの歴史・文化に誇りを持ち、マイノリティーとして扱われた痛みを具有し、戦争を憎み平和を愛する強い決意を抱き、そしてまた、そのような経験を多くの人々にメッセージとして伝えたいとの願望を持つ地域であること」を「普遍的」に語ることが、沖縄が日本のみならずアジアに対して「財産」として持つ「ソフトパワー」なのだと語る。
 そして沖縄はこの「ソフトパワー」を通じて、将来の日本の国家像を作りだすための貢献をせよと訴えているわけだが、その前提になるのは最大の侵略的「ハードパワー」である米軍基地の受容なのだ。ここには「沖縄から平和の発信を」というサミット向けの日本政府のキャッチフレーズの忠実な模写がある。
 新川明(ジャーナリスト・元沖縄タイムス社長)は、この「提言」について「日本国の先兵になることを日本国政府に誓い、沖縄人には大政翼賛を督励するスローガンでしかない」と批判した。松島泰勝(島嶼研究家)は共同提言の三人を、沖縄側からする近世以来の日本国家への「同化主義者」の系列に位置づけた。保坂広志(琉球大教員)は「提言」について「新たな国家像―神話作りに励む政治的祝詞(カルト)」と規定している。新崎盛暉(沖縄大学教員)は「現状追認論者のことば遊び・観念論」と断罪した。仲里効(季刊『EDGE』編集長)は高良を「沖縄の歴史と経験とは逆立した『新しい日本』へ亡命した国家主義者」としている。
 これらはいずれも「提言」の本質を鋭く批判的に言い当てている。「沖縄イニシアチブ」とは、その言葉と裏腹に「日本国家のイニシアチブ」ないしは「ガイドライン安保イニシアチブ」を沖縄に受容させる役割しか果たさないからである。
 共同提言者の一人、大城常夫は「日本の一県としての認識がなければ、沖縄の21世紀像、国家像、連邦制・沖縄特別自治区・地方分権の拡大などの地域像、安全保障問題、基地や振興策問題をともに議論できるはずはない。その意味で、批判者はまず帰属問題への態度を表明すべきである」と述べている。同時に彼は米軍がアジア・太平洋の「安全の保証人」であり、「地域の均衡維持者」であることを強調し、ロシアや中国やアジア諸国も在日米軍基地の役割を評価していることを自らの立論の根拠としている。
 しかし、沖縄がどこに「帰属」するのかという問題と、日米安保体制や在日米軍基地の役割を積極的に肯定することは全く別の話である。沖縄が「日本の一員」であることを承認するとしても、そのことと日米安保や在日米軍基地の存在の受容を直結させるのは余りにも短絡である。
 彼らの主張は、昨年の新平和祈念資料館展示改ざん問題で明るみに出た、沖縄の戦争・戦後体験に根づいた歴史意識を解体しようとする動きと一体であり、歴史学者の高良倉吉がこの展示改ざん問題で完全に沈黙するばかりか、むしろ稲嶺による歴史改ざんの側に立ったことは、彼の意向が稲嶺県政の動向に密着したものであることを示している。

新たな展望のための闘いを

 しかし、メディアの言説空間におけるバッシングとも言えるほどの批判の集中にもかかわらず、今や稲嶺県政のブレーンになった比嘉良彦が述べるように高良らの「提言」が「沖縄のサイレントマジョリティーの本音を顕現したもの」という評価も無視できない。そのことは、6月11日投票の県議選での稲嶺野党の後退という現実に端的に示されているし、新たな基地押しつけとサミット・フィーバーの中で、作家の目取真俊がいらだちをあらわにして語っている「従属と変節」(「沖縄タイムス」4月4日、「思潮2000」)の進行ともかかわっている。
 1995年9月の米海兵隊員による少女へ性暴力事件以後、米軍基地の縮小・撤去を求めた「第三次島ぐるみ闘争」の高揚は、96年9月の県民投票直後の橋本―大田会談によって当時の大田昌秀沖縄県知事が米軍用地強制使用手続きとしての「公告・縦覧」を受け入れることによって、そのダイナミズムを失っていった。1997年4月の米軍用地特別措置法の成立という強行手段による反戦地主、一坪反戦地主の闘いの封殺は、こうした「島ぐるみ」の闘いの衰退の結果であった。
 1997年12月の名護市民投票でヘリ基地建設反対の声が多数を占めたにもかかわらず、翌98年2月の名護市長選で保守派が推す岸本市長が当選したこと、そして同年11月の県知事選で大田三選がならず、自民党などが全力で支援した稲嶺保守県政が登場したことは、95年以後の沖縄反米軍基地闘争の一サイクルが基本的に終焉したことを示すものだった。普天間飛行場に代わる最新鋭の米軍基地建設を岸本市長が受け入れた名護市で市長リコール運動が中途挫折せざるをえなかったこと、そして6月11日投票の沖縄県議選で稲嶺与党が議席を増加させたこと(選挙後に与党となった公明党をふくめて稲嶺与党は改選前の48議席中26議席から30議席へ増加)は、沖縄反基地闘争の今後の展望についての深刻な討論を要請している。
 3月30日の沖縄県議会で、右翼団体の提出した「一坪反戦地主排除」の陳情書が採択され、共産党をふくむ「革新」の側がそれに全く無対応だったことは、サミットとからめた振興策による政府の攻勢に対して、旧来の沖縄「革新」が守勢に終始していることを示している。
 目取真の言う「従属と変節」の強要である「日本イニシアチブ」「安保イニシアチブ」とどう対抗するのか――それは私たちの課題でもある。サミットと名護市への新たな米軍基地建設に対する闘いの中で、われわれは沖縄の人びとの連携を新たに作り直し、「安保と基地」の既成事実化の論理に切り込む、反撃の糸口をつかんでいかなければならない。サミットに対するさまざまな民衆レベルでの対抗サミットの企画と7・20嘉手納基地包囲「人間の鎖」行動の成功は、その出発点である。
 (6月25日) (国富建治)
(この文章は「ピープルズプラン研究」Vol3―No3に掲載予定の文章に加筆修正したものである。)

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