われわれの沖縄闘争路線の再構築のために(上)

本土復帰闘争と沖縄労農自治政府をめざす戦略

平井純一

総括にあたっての基本的視座

 「『復帰』から十五年めの今日、沖縄の本土並み一体化は良きにつけ、悪しきにつけ進み、沖縄の独自性の喪失への警告が発せられて久しくなります。昨年十一月に行われた県知事選における西銘の圧勝も少なからぬ動揺を私達に与えたのではないでしょうか。
 しかし、明治の琉球処分以降のヤマトによる徹底的な皇室化攻撃も、沖縄の独自性と誇りを抹殺することはできませんでした。沖縄人民の誇りうる抵抗闘争は、反戦地主をはじめ私達の中に根強く継承されていると思います。沖縄の歴史をこれ以上ヤマトからの受動的なものにしていいわけがありません。沖縄の歴史、運命は、私達自身の手によって切り拓いていくものです。その本来の姿に沖縄を変革していく為にも今年の私達の闘いは重要な意義をもっているでしょう」(沖縄研究会報『沖縄の解放』七一号、一九八七年一月)。
 一九七二年の「本土復帰」以後十五年、沖縄では反戦地主の所有する米軍用地に十年間強制使用の攻撃がかけられ、天皇一族三代の訪問による「本土化」の最終的完成がもくろまれている。それがアメリカ帝国主義の東アジア・太平洋に向けた最大の核戦略出撃基地としての沖縄の位置を固定化し、沖縄を天皇制日本国家の一員へと統合し、「戦後」を総決算する“突きつけ”であることは敢えて説明を要しないだろう。
 いま改めて「本土復帰」とはなんだったのか、という問いかけが沖縄の活動家層のなかで自らの“生き方”をかけたものとして真剣に行われはじめている。政府による巨額の「開発」投資とビル、道路などの建設ラッシュ、本土資本による沖縄地場産業の統合と解体、「復帰」運動を担った沖縄革新勢力の本土への組織的系列化と衰退―こうした事態は必然的に沖縄の「本土」政府への依存を強め、「保守化」といわれる現象が加速度的に進行している。
 そのなかで、沖縄の闘う労農人民、知識人たちは「本土化」に抵抗し、こうした現実を変革する立脚点を、「本土」(ヤマト)国家と沖縄との関係を歴史的に対象化し、「ヤマト」による侵略と統合の論理に立ちむかう沖縄独自の立場をさぐっていく作業を展開している。それは、沖縄の反戦平和運動や「復帰」闘争の検証と総括を自らに鋭く問うものとならざるをえない。「日本人」(ヤマトンチュー)ではない「沖縄人」としての自己規定のなかにそうした思想的営為が集中的に表現されている。
 沖縄労農人民の「復帰」運動総括のための踏み込みは、六〇年代後半から七〇年代前半にかけて激烈に闘われた本土沖縄闘争の根本的な総括をわれわれに迫るものである。
 ベトナム―安保―沖縄闘争として展開された七〇年を前後する戦闘的青年学生運動は、沖縄闘争の路線的方向性をめぐる鋭い政治論争を伴うものであった。当時、わが同盟は故関義雄同志を先頭にのべ数十人のメンバーを沖縄に派遣し、第四インター日本支部在沖縄臨時組織委員会、学生インター沖縄現闘団としての闘いを展開するとともに「本土」においても極東解放革命の戦略的立場からする沖縄反帝労農自治政府のための闘いとして、沖縄「本土復帰」闘争と連帯した労働者人民の運動を築き上げていくために全力で闘った。
 われわれは、社会党や共産党の「即時無条件全面返還」論や、急進主義諸派の「返還粉砕」論、中核派の「奪還」論を批判し、沖縄闘争の路線的確立を目指そうとした。しかしいま、復帰以後の本土沖縄闘争の低迷と衰退、とりわけわが同盟における本土沖縄闘争の事実上の不在の現実は厳しい自己総括を否応なしに突きつけるものである。
 七二年の「本土復帰」以後、われわれが沖縄の闘いを沖縄県委員会に全面的に委ね、「本土」での“沖縄闘争離れ”を時とともに加速させていったことは、もちろん七〇年前後におけるわが「沖縄闘争論」の路線的総括のみによってすまされる問題ではない。それは広く、女性差別問題によってその破産を浮き彫りにされた“われわれの七〇年代”全般に関わるものである。しかしいま、日本帝国主義国家の「国際化」と「戦後総決算」にかかわる重要課題として沖縄問題をとらえかえす必要が差し迫ったものとなり、天皇訪沖阻止に向けた大衆闘争の組織化に入っていかねばならない時にあたって、わが沖縄闘争路線の総括作業と新しい現実に対応した方針を確定していくための作業は絶対に避けて通れない任務となっている。
 以下の文章はそのため準備的試論である。

「極東帝国主義支配体制」論

 一九六八年十一月、初の公選主席として当選した「革新共闘」屋良朝苗の登場から、一九七一年五・六月にいたる沖縄「本土復帰」闘争の中でわが同盟が提起した政治的主張は、以下の四点を骨子とするものであった。
 第一は、沖縄米軍基地がアメリカ帝国主義の戦後アジア革命に対抗する反革命的包囲網の前線拠点として形成され、この沖縄と韓国のアメリカ帝国主義の「軍事植民地」としての役割を前提にしてはじめて戦後日本の「平和主義的・経済主義的」復興と繁栄が可能であったこと。すなわち、戦後日本帝国主義の存在基盤を、アメリカ帝国主義を「一元的基軸」とし韓国、沖縄の巨大な基地郡と軍事的支配を最前線とした「極東帝国主義支配体制」のなかで捉えようとしたことである。この点を最も尖鋭な形で主張したのは関義雄同志であった。
 「戦後の日本資本主義はアメリカ帝国主義の軍事力によってアジア革命から防衛されていたからこそその存在が可能であったのだということがはっきりする。アメリカ帝国主義のアジア反共反革命軍事力が南朝鮮軍事基地国家、沖縄軍事基地島によって軍事的に防衛されてきたということである」。
 「ここで明確になることは戦後の日本は植民地をもたない、海外侵略もしない一国的に存在している平和的な“日本資本主義”ではなかったということである。アジア太平洋戦争以降、アジア大陸に労働者国家が成立しているというアジア情勢の中に“日本”という国家は本質的に存在することができなかったのである。日本という“国家”の本質は『韓国』『沖縄』軍事基地島そして本土をその成立の基礎にしていたのである」。
 「このような見地から極東アジアの政治構造を分析するならば、本土『日本』の戦後の政治、経済、社会構造すべては、『沖縄』『韓国』反共反革命軍事構造の実体のうえに成立してきたという結論が出てくる。本土『日本』の戦後の高度経済成長とそれに基礎を置く大幅賃上げは、南朝鮮人民、沖縄人民の生命の犠牲、悲惨な生活の上に成立しているということ、本土のブルジョアジー、プロレタリアートはともに客観的に、南朝鮮人民、沖縄人民を政治的に支配・抑圧してきたということである。われわれはこの見地から『南朝鮮』『沖縄』は一九四五年以降、今日にいたるまで日本帝国主義の“軍事植民地”でもあったと主張する」(「沖縄解放闘争の現段階と展望」一九七〇年四月、『第四インターナショナル』誌7号)。
 「極東解放革命」とする当時のわが同盟の綱領的立場はこうしてベトナム・インドシナ革命の勝利的進撃が切りひらいた戦後アジアにおける帝国主義支配体制の危機の中で韓国、沖縄、日本本土によって構成される「有機的一体」としての「極東帝国主義」体制を打倒する最前線に沖縄「本土復帰」闘争が存在していることを強調したのである。

国民平和主義への徹底した批判

 第二に、以上の観点からして、沖縄の「本土復帰」闘争は、韓国や沖縄の「軍事植民地」としての存在の上に成立してきた日本の「平和と民主主義」=「国民平和主義」を鋭く告発し、その解体を迫るものであることが強力に主張されたことである。
 「極東反帝解放革命とする綱領的立場は、日本人民にとって、朝鮮および沖縄を政治植民地として形成されてきた日本工業経済社会の帝国主義的性格と構造にたいする無条件的な綱領的敵対の立場であり、朝鮮および沖縄人民にたいする政治、軍事的抑圧の構造にたいする無条件的な闘争の立場であり、ただこの綱領的立場だけがあらゆる色合いの改良主義にたいしてもっとも尖鋭に対立する。極東解放革命とする綱領的立場によって政治的に武装されることなく、日本労働者階級のもっぱら国民的な急進性のみに依拠することによっては、人民戦線左派の政治的枠を突破しえないだろう」(酒井与七同志の一九六九年八月同盟三大会に対する報告―国際革命文庫『アジア革命と極東解放革命』所収)。
 「アジアにおいて歴史的かつ現実的に抑圧民族でありつづけているのは日本民族のみに限定されていること、したがってこの根本的自覚に立ち、具体的な抑圧民族性を徹底的に解体しぬくことこそが必要である。つまり日本抑圧民族性の二つの表現、意識的民族排外主義及び受動的平和主義の既成の根深いヘゲモニーにたいして、これを徹底的に打倒しかつ反帝国主義、国際主義のヘゲモニーを持続的に打ち樹てることなしにわれわれは勝利をうることができない」(同盟第四回大会決議―一九七〇年八月、『第四インターナショナル』誌8号)。
 わが同盟は、こうした「国民平和主義」幻想の積極的解体の視点に立って、「沖縄奪還」の路線を克服し、「返還・奪還」論への批判的立場を確立していこうとした。
 「ブルジョア本土の大衆運動が『沖縄核つき返還反対』と叫ぶのは絶対に反動である。何故なら、このスローガンが依拠している国民的平和主義こそ沖縄の分断を帝国主義的基礎とするものだからである。これは、沖縄闘争によって否定され解体されるべき当のものに依拠している。……本土大衆運動が『沖縄奪還』と叫ぶのは政治的に無内容であるか、もしくは反動的であるかのいずれかである。われわれは何度でも繰りかえし主張するが、本土大衆運動総体を特徴づけるものは国民的平和主義である―そして『沖縄奪還』とこのなかでこれにむかって叫ぶことは、国民的平和主義の本土大衆運動に沖縄を獲得させよという以外の何事かを意味しているだろうか?」(酒井与七「沖縄本土復帰闘争と四月沖縄闘争」本紙一八七・八合併号、一九六九年五月二〇日)。

本土復帰闘争とアジア革命

 第三の主張点は、米軍政支配の下で持続されてきた沖縄の「本土復帰」闘争が、屋良公選主席の登場、六九年二・四ゼネストの企図、そして全軍労労働者の闘いをつうじて米日帝国主義の東アジアにおける支配体制を根底から揺るがす段階に入った、ということであった。それゆえ「本土復帰」闘争は、イデオロギー的には「日本民族主義」的な外皮を保ちながら、客観的に極東の軍事構造をゆるがす巨大な反帝国主義闘争として前進しており、「本土」の労農人民はこの沖縄人民の「本土復帰」闘争を無条件に支持・防衛しなければならないことが訴えられたのである。
 「沖縄人民の基地撤去闘争・自治権獲得闘争・復帰闘争は、アジアそして中心的には極東最大の軍事基地とそれを政治的に保障するアメリカ帝国主義の施政権を根底的に打倒し、かつ、この沖縄人民を犠牲にすることによって存在しえた繁栄せる戦後日本帝国主義の総体を告発し、本土革命を組織せんとする永久的社会革命である」(関義雄「極東アジア解放革命」、『国際革命通信』2号、一九六九年四月)。
 「沖縄本土復帰闘争が拒絶しようとしているのは、沖縄民衆の方に重荷として苛酷にのしかかる極東帝国主義国家構造の軍事政治的拠点たる米軍事基地郡そのものに最終的に帰着することは明白である。これはアメリカ合衆国が主導する極東軍事政治構造の軍事戦略拠点の解体を意味している。…沖縄・本土・そして朝鮮人民を反帝国主義極東解放革命に密接にむすびつける闘争が、沖縄本土復帰闘争によって現実的かつ実践的に提起されている」(酒井与七「沖縄本土復帰闘争と四月沖縄闘争」前掲)。
 沖縄人民の米軍政と基地に対する「反軍事植民地闘争」としての「本土復帰」闘争の東アジアの米日帝国主義支配体制に切り込む反帝国主義的意味を断固として支持しようとしたわれわれは、したがって様々の「反復帰」派や「返還粉砕」派に対する批判を以下の観点で展開したのであった。
 「われわれはアジア革命・極東解放革命派は、在沖米軍基地群とそれを保持しようとする政治体制を解体打倒しようとする沖縄労農人民の激烈な諸闘争の展開、すなわちそれ自体において直接的にアジア革命の一環たる闘争を最大限に勝利的に日本本土にもちこむために闘いぬこうとするものである。…『沖縄返還』粉砕主義者は、アジア反革命の直接的な軍事拠点たる在沖米軍事基地群とこれにたいする沖縄労農人民の激烈な闘争展開を『平和な』日本国民国家の体系内にもちこむことに反対であり、かくして自らの帝国主義的平和主義が最終的に破壊せしめられることに恐怖しているのである」と(酒井与七「『沖縄返還粉砕』派と日帝復活反対主義」本紙二四二号、七一年七月二十一日)。

反帝労農自治政府めざす戦略

 第四の主張点は、この「本土復帰」闘争支持と不可分の連関を持つものとして、沖縄労農人民の日本国家に対する「自治権・自決権」を無条件に防衛・承認し、沖縄「反帝労農自治政府」のために闘うとしたことである。
 「われわれの沖縄闘争の出発点は、沖縄の本土復帰闘争そのものにあり、本土の大衆運動を沖縄本土復帰闘争の側に獲得してゆくことである。沖縄がどのように本土に復帰すべきか―それは沖縄民衆の意志と決定にしたがってであり、沖縄民衆の意志と要求を米・日帝国主義に強制するべく闘いぬこうとしなければならない」(酒井与七「沖縄本土復帰闘争と四月沖縄闘争」前掲)。
 この立場は、「日本国家の沖縄労農人民にたいする帝国主義的統合支配の企図にたいして非妥協的かつ非和解的に闘いぬく以外にありえないこと、日本国民国家の沖縄統治権主張にたいする綱領的対置は、沖縄労農人民の無条件の自決権・自己決定権・自己権力以外にありえないこと」(「沖縄闘争の現局面と展望」本紙二一六号、七〇年八月五日)として表現された。
 この「自治・自決権」と「労農自治政府」の主張は、日本と沖縄の歴史的、政治的関係からする基本的原則としてのみではなく、あるいは「民族・植民地問題」にかんする原則の一般的適用としてではなく、沖縄本土復帰闘争の局面規定と密接に連関して提起されていたのであった。
 われわれは、米軍政に対する一九五〇年代後半の「島ぐるみ」闘争から始まって、自らの諸権利を要求し、ついに六八年の屋良革新主席の当選と六九年二・四ゼネストの企図にまでのぼりつめた沖縄民衆の「本土復帰」闘争を、沖縄における「ブルジョア民主主義革命」段階と規定するとともに、全軍労労働者のストライキを先頭とする基地撤去闘争の全島的発展と、屋良政府・復帰協指導部をも乗り越えて進む闘いの力学をブルジョア民主主義革命から永久革命への飛躍へととらえた。
 この沖縄「永久革命」は、必然的に新たな沖縄の統治支配にのり出した日本帝国主義国家を自らの戦場にひきずりこみ、「本土」の労農人民との結合を通して、米日帝国主義の打倒―極東解放革命へと発展することなくして自己完結しえない。
 施政権返還を通じて、日本帝国主義国家権力の支配を沖縄に及ぼし、「復帰」を逆手にとって米軍基地機能の安定化を図るニクソンと佐藤政府の展望に対して、沖縄の労農人民は闘いのなかでかちとった諸権利の日本国法律(教公二法、国公、地公法など)の適用によるはく奪を許さず、日本国家権力に対する自らの自治・自決を「二重権力」的に実現せねばならない。「返還」を前後する攻防の中で、沖縄労農人民は復帰協をのりこえ自己を「反帝労農闘争評議会」に組織し、そこに基礎を置いた「労農自治政府」をつうじてこの「二重権力」を体現するとともに、本土労農人民を米日帝国主義に対する権力闘争へと動員する拠点を築き上げていかねばならない。
 こうしたまさに「権力闘争」としての局面規定に導かれながら、わが同盟の「労農自治政府」論は成立していたのであった。

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