われわれの沖縄闘争路線の再構築のために(下)

「日本民族主義」の主体的克服こそが鍵である

平井純一

自衛隊沖縄派兵をめぐる論争

 一九七二年五・一五の「本土復帰」以後、自衛隊が沖縄に派兵され、米軍とともに東アジアの核戦略拠点を防衛する任務につくことになった。この自衛隊の沖縄派兵に対して沖縄の人民は、新たな「日本軍」を拒否する多様な抵抗の闘いをくりひろげていった。
 沖縄戦において「天皇の軍隊」に住民を虐殺され、その後も二十数年にわたる苛酷な米軍政支配の下で生命と権利を奪われてきた体験を持つ沖縄人民は、この新しい「日本軍」の登場に対して大衆的な反対運動をつくり出そうとしていた。
 自衛隊員の住民登録拒否、自衛隊員の夜間入学拒否、自衛隊員に対する商品販売拒否、タクシーの乗車拒否、民間アパートへの入居拒否など自衛隊員に対する様々なボイコット運動が、復帰協・県労協によって取り組まれようとした。この自衛隊沖縄派兵に関わる沖縄人民の自衛隊ボイコット運動に対してどのような態度をとるべきなのかをめぐる論争が、当時のわが同盟沖縄県組織を真っ二つにするかたちで激しく展開されたのである。
 第一の立場は、「帝国主義軍隊の解体」と労働者・農民・下級兵士の統一戦線を築き上げていくマルクス・レーニン・トロツキーの原則に立って、「住民登録拒否、隊員子弟入学拒否などの方針は、兵士と人民との間に政治的対立と分断をつくり出し、兵士の政治的・社会的権利を認めない、戦略的に間違った運動である」とするものであった。
 「住民登録拒否」などのスローガンは、下級兵士をブルジョア軍隊の側に追いやり、労働者人民に対する兵士の不信感を増幅させるものとなる、われわれはたとえ圧倒的に孤立し、少数派になろうとも大衆の絶対平和主義に党として戦略的に妥協することはできない、というのが第一の立場であった。
 第二の立場は、日本帝国主義の反革命的軍事政策と衝突する沖縄人民の「平和主義的」要求と行動は無条件に進歩的であり、住民登録阻止や入居阻止などの主張は、日常的な生活防衛闘争の表現であって、「住民登録阻止・入居阻止等々のスローガンにもとづく運動は誤っているから支持しない」という態度は、沖縄人民の「平和主義」に対する最後通牒主義である、とするものであった。
 この二つの立場の対立は非和解的であり、その結果わが同盟は、「復帰」後の沖縄現地における最大の焦点となっていた反自衛隊闘争にたいする実践的参加をかちとれなかったのである。
 立川への自衛隊移駐にあたっての「住民登録拒否」戦術の是非をもふくめて展開されたこの論争は、「隊を敵とし、兵を友とせよ」とする立場の確認によってしめくくられることとなる。そこでは、「住民登録拒否」戦術をめぐって次のように提起されていた。
 「住民登録拒否という戦術は誤りである、とわれわれは主張する。なぜならばこの戦術は、個々の兵士が人民として生活する権利を否定する戦術である。……この戦術は、兵士個々人と大衆闘争を離反させるものであり、その結果として兵士を反革命軍隊に追い込むか、あるいは兵士を脱柵させる役に立つだけであって、兵営に階級闘争をつくり出すためには妨害の役割しか果たさない戦術である」。
 沖縄についてはどうか。
 「われわれは、自衛隊沖縄派兵に反対する沖縄人民の闘争が、住民登録拒否の戦術でたたかわれる根拠を理解し、その大衆闘争に積極的に参加し、ともにスクラムを組みながら、しかも沖縄人民にたいしてねばり強い説得をこころみなければならない。『諸君は沖縄独立のためにではなく、日本帝国主義打倒のためにたたかっているのだ。だとすれば、このたたかいは住民登録拒否の戦術から兵士の獲得の戦術へ、また自衛隊の軍事行動にたいする実力阻止の戦術へ飛躍しなければならないのだ……』」「ここでわれわれがもっとも注意しなければならないのは、最後通牒主義におちいることを避けながら、確実に破綻せざるを得ない住民登録拒否闘争が次の一層展望のある闘争に発展できる契機をこの闘争のなかからつかみとることであった。そしてこのような対応をなしうるのは、住民登録拒否闘争無条件追随の立場に立つ人々ではないこともまた明らかである」(本紙三二七号、一九七三年十二月十一日)。
 こうして、わが同盟は日本社会主義革命に向けた「兵士獲得」の戦術を反軍・反自衛隊闘争の基軸に据える立場から、沖縄人民の「絶対平和主義的」反自衛隊闘争への大衆運動主義的追随を誤りであるとする立場をとったのである。この方針は沖縄における組織内論争において基本的に第一の立場を支持することを意味していた。

本土復帰闘争の評価の転換

 沖縄反自衛隊闘争をめぐる路線対立と、わが同盟が集約的に採用した立場は、反軍―反自衛隊闘争の原則をめぐるもののみであったわけではない。その背後には、「本土復帰」を貫徹した「沖縄民族主義」に対する批判的評価が存在していた。
 たとえば「復帰」を前にした一九七二年二月の第十一回中央委員会決議では「現局面における実践的任務」の第一の項目に「彼ら(沖縄における活動家)の政治意識を沖縄『民族主義』的・沖縄『共同体』的な孤立性と抑圧から解放するために全力をつくすこと」(本紙二六六号、七二年三月二十一日)と述べている。もちろんわれわれは、「沖縄本土復帰闘争総体の絶対平和主義意識、沖縄県民第一主義意識(沖縄民族主義的意識)をわれわれの直接的な解体打倒の対象としない……沖縄本土復帰闘争総体その政治・社会的性格と共に尊重し、ブルジョア改良主義的沖縄復帰闘争総体をわれわれの統一戦線の対象とし、われわれの直接の大衆的組織活動の対象とする」(本紙二七八号、七二年七月二十一日)とも語っているのであるが、こうした「ブルジョア改良主義」としての「沖縄民族主義」に対する態度の中に、「住民登録拒否」や「自衛官の民間アパート入居阻止」戦術をめぐる対立がはらまれていた、というべきである。
 いずれにせよ、沖縄人民の自衛隊拒否闘争を、根深い「絶対平和主義」「沖縄民族主義」の現れと断じた上で、それを「統一戦線」の対象とするか否かをめぐって問題の土俵が設定されていた。
 本土の「国民平和主義的」大衆闘争が無条件に獲得されるべき反帝国主義的質をもつものと幾度となく強調されていた沖縄本土復帰闘争が、いかに「進歩的」性格をもつものであると評価されての上でのことであれ、「絶対平和主義的」「ブルジョア改良主義的」「沖縄民族主義的」なのであったと結論を下されたとき、日本帝国主義国家の沖縄統合支配をめぐる固有の「沖縄民族」的抵抗のたたかいの積極的・攻勢的意義づけが後景に退けられていったことは、全く当然であったと言わなければならない。
 自衛隊派兵阻止闘争をめぐる対立の集約以後、われわれの沖縄における闘いの基軸は本土における大衆運動との結合・合流を主要な問題意識とし、日本の戦術的労働者運動の一翼としての沖縄大衆闘争の組織化、日本社会主義革命の一部を構成するものとしての沖縄反基地闘争の形成をめざして、官公労を中心とする労働組合運動へと活動の中心を移行させようとしてきた。それは、本土においては「沖縄闘争」という闘いの領域からわが同盟が離れていく結果として現れたのである。

「国民平和主義解体」論の清算

 われわれは、六〇年代後半から七〇年代初頭にいたる沖縄闘争の取り組みと、「復帰」以後の“沖縄離れ”を今日の時点でいかに総括すべきであろうか。いまだ部分的な問題意識にすぎないのであるが、わが同盟の日本帝国主義国家と対決する階級的政治闘争の路線全体に関わる問題として幾つか提起しておきたい。
 第一は、「極東解放革命」戦略の上に立てられた沖縄「本土復帰闘争」をめぐるわれわれの分析が、ベトナム革命と本土急進主義大衆闘争をつなぐ結節環としての沖縄「反軍事植民地闘争」という視角からきわめて一面的に、かつ政治力学主義的に展開されていた点でもある。もちろん、日本国家と沖縄との歴史的な差別支配の関係や、沖縄の独自の社会的構造が全く無視されていたわけではなかった。しかし、それらも米日帝国主義に対する沖縄「本土復帰」闘争の本質的に反帝国主義的・攻勢的な性格を説明していく観点から提起され、今や「島ぐるみ」の復帰闘争が単独で「権力闘争」の局面に突入し、ベトナム・インドシナ革命にひきつづく東アジアの革命の戦端を切りひらいた、として主張された。
 いわば沖縄闘争は、本土に「反帝国主義的大衆運動」を“持ち込む”ための材料として過大な意味附与をされたという面を持っていた。これが「本土復帰闘争」への追随や、その裏返しとしての「復帰」闘争終えん後の「絶対平和主義」規定を生み出した基礎にあったものである。そこにはらまれていた大きな問題は、われわれ自身「本土大衆闘争」の沖縄人民への利用主義的関わりの枠内にあった、として批判されるべき質を有していたということである。
 第二は、「極東解放革命」論の見直しの過程で、本土「国民平和主義」の解体、という同盟四回大会(一九七〇年)の立場が清算されたことにかかわる問題である。「極東解放革命」戦略の重要な構成要素は、本土大衆運動の根深い一国主義的・平和主義的あり方を克服することなくして東アジアの革命とスクラムを組むべき階級闘争の質は形成されない、というものであった。この「国民平和主義の解体」論は、同盟第六回大会(一九七三年)で、典型的な急進主義的最後通牒主義として克服すべき対象である、とされた。
 しかし、「国民平和主義解体論」の清算の仕方の中に、大衆運動追随主義のもう一つの表現が存在していたのではないか、と私は考える。
 政治闘争、すなわち大衆の政治的組織化は、大衆の日常的意識の変革、イデオロギー的変革の過程でもある。政治闘争はそれに参加する人びとのイデオロギー闘争の場でもある。政治闘争をつうじて労働者大衆は日常的生活意識を自己変革し、階級主体としての形成をかちとっていくのである。プロレタリアートの前衛は政治変革を“強制”し、それとともに自己自身を前衛として不断に再生していかねばならない。
 とりわけ帝国主義本国におけるプロレタリアートの政治闘争は、支配階級によって幾重にも積み重ねられた差別・分断のイデオロギー的統合支配を喰いやぶっていく自己変革の闘いを通じることなくしては成立しえない。「抑圧民族」としての自己の位置の自覚はその出発点をなすものである。かかる政治闘争における自己変革と主体形成のためのイデオロギー闘争を媒介とすることぬきに、被抑圧民族や被差別諸階層との真実の階級的団結をつくり出すことはできない。
 「沖縄民族主義」の存在の確認は、その対極にある「日本民族主義=ヤマト民族主義」との闘いを当然にも要求するものであった。しかし、「沖縄民族主義」の克服されるべき「絶対平和主義」的性格をくりかえし強調したわれわれは、沖縄からの不信と疑惑の対象である「ヤマト民族主義」=「国民平和主義」との闘いを素通りして、「日本社会主義革命の一部としての沖縄反基地闘争」とする立場から本土の大衆闘争と沖縄人民の闘いとの合流・「一体化」をもっぱら提起したのである。

日本国家と沖縄の緊張関係

 第三に、「復帰」後、帝国主義としての日本国家と沖縄との関係の歴史的・現実的対象化を欠如させてしまったことである。明治天皇制国家による琉球処分と沖縄への差別・統合支配の貫徹、第二次大戦における「国体護持」のための島ぐるみ戦と、その中での日本軍による住民虐殺や「集団自決」の強要、さらには「天皇メッセージ」をも要因として沖縄の米軍政支配への売り渡し――こうした日本帝国主義による沖縄への一貫した犠牲の強要と「本土」との差別・分断は、近代日本国家の下で沖縄が明確に「国内植民地」として位置づけられてきたことを物語るものである。
 沖縄民族主義は、決して郷土意識や県民意識一般に解消されるものではなく、「本土」=ヤマトとの関係における沖縄の被支配・被抑圧構造に歴史的根拠を持つものであると言わねばならない。たとえば「天皇制」と沖縄との関係一つをとってみてもそれは了解されることである。
 沖縄「本土復帰」闘争は、確かに「日の丸」を掲げ、米軍政支配からの離脱と日本との「一体化」を求める運動としてくりひろげられた。しかし、それは「日本国家」との緊張関係をはらんだ沖縄人民の民族的自己意識の解消を意味したわけではない。この「本土復帰」闘争が、現実に「返還」が日程にのぼっていくなかで「反復帰」派を生み出していったことは、その明確なあかしであった。確かに「復帰」後、「反復帰」派は大衆的に一つの政治潮流として登場しえず「沖縄独立」論も公然たる政治表現をとることはなかった。しかし、そのことと沖縄民族主義にいかなる政治的・社会的基盤も存在しないと断定することは全く別のことがらである。
 現に、復帰後十五年を経て、日本帝国主義の「一体化」攻撃の確実な進行の中で、沖縄労農人民が自らを「ヤマト」に対する「沖縄人」として自己規定し、「日の丸・君が代」を先端とする「日本国家の一員」としての最終的統合に対する反撃を模索している現実は、この「沖縄民族主義」が容易に解消されるものではないことを明確に示している。
 沖縄民族主義の結晶化は、米軍基地の再編強化と日米帝国主義による沖縄の前線軍事拠点化、それを支える日本帝国主義による沖縄の「民族共同体」国家への包囲攻撃の進行の中で、まさに現実的根拠をもっていると言わなければならない。本土=「ヤマト」における階級的闘いの衰退は沖縄人民の抵抗の拠点としての「沖縄人意識」を浮上させる役割を果たしている。
 「本土」=「ヤマト」の労働者人民は、自らの「ヤマト民族主義」の克服のために闘い、沖縄労農人民と連帯していく連動をつくりあげていく中で、日本帝国主義国家による「沖縄民族主義」の解体を許さないことを自ら宣言していかなければならない。それは、沖縄人民と日本労農人民が共同して日本帝国主義を打倒していく団結を作り出していくための不可欠の前提となるものである。
 その場合、沖縄労農人民が日本帝国主義国家に対する「自決・自治」の要求を掲げるとしたならば、われわれがそれを断固として承認することは言うまでもないことである。くりかえすまでもなく、「自決」の承認は沖縄労農人民に日本国家からの「分離・独立」を煽動するもではない。われわれは、日本帝国主義による沖縄への「一体化」に反対する沖縄人民の闘いと連帯する運動をめざす。その中で、日本と沖縄の歴史的抑圧・差別の構造をあらためて対象化し、「沖縄は日本のものだ」とする「日本民族主義」の主体的克服をつうじて、日本帝国主義を打倒する共同の闘いを沖縄人民によびかけていくのである。
 こうして、われわれは「極東解放革命」戦略を見直していく過程で、「極東解放革命」論の中に萌芽としてはらまれていた日本帝国主義国家と社会への歴史的批判にかかわる積極的要素をも清算してしまった、と総括しなければならない。これは“われわれの七〇年代”を切開していく上でも必要なことである。
 われわれはいまあらためて、日本帝国主義国家の労働者人民に対する支配と統合の構造をあらゆる側面からえぐり出していくことに挑戦していかなければならないと考えている。「戦後政治の総決算」のイデオロギー的基軸をなす天皇を頂点とした新国家主義の浮上は、われわれにその課題への実践的着手を待ったなしでつきつけている。この点で「沖縄問題」のとらえ返しは重要な一面を照らし出すことになるだろう。沖縄闘争の再構築は、フィリピン、韓国の労農人民と共同の戦列につく上で、避けて通れない任務ともなっているのである。
 なお、わが沖縄闘争論を総括していく上で未だ触れていない部分も多い。例えば富村順一氏の支援運動がそうである。後日を期したい。また「復帰」以後の沖縄現地での闘いとわが同盟の関わりについても言及していない。これについても突っ込んだ分析が必要である。

週刊かけはし

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