投稿 石垣島、与那国島訪問記
急ピッチで進む基地建設=石垣
基地開設7年の矛盾=与那国
住民無視、影響放置の体質不変
尾形 淳(南西諸島への自衛隊配備に反対する大阪の会会員)
台風11号と12号の合間を縫って、私たちは石垣島の基地建設現場と与那国島の基地を訪れた。台風12号が接近していたにもかかわらず、幸いにも基地を巡っている間は時折晴れ間も覗く穏やかな天気だった。そして、私たちを案内してくださった基地反対派の人たちがこもごも語っていたのは、住民に当初説明していた基地の計画案を無視して強引に進められている基地建設の実態であり、基地開設後の矛盾であり、基地交付金使用の不明瞭さであった。
石垣島
弾薬庫から200メートル先には住宅が、1キロ先には学校が
9月9日の朝、海上保安庁の巡視船の係留地に向かう。石垣島海上保安部は尖閣諸島を管轄下に置き、台湾、中国本土を望む日本の国境警備の最前線である。定員は700人、全国最大規模になる。
係留されている海上保安庁の巡視船の数、大きさは私の想像をはるかに超えるものだった。海上保安庁の最大級の巡視船「あさづき」6500トンをはじめとして、1000トン級の巡視船10隻近くが並ぶ光景は壮観である。まだ米軍艦の入港はないそうだが、必要とあればいつでも米海軍の拠点港とされるのは間違いないだろう。
この石垣港から北に10キロ程先に沖縄県の最高峰於茂登(おもと)岳があり、その麓に陸上自衛隊の石垣島駐屯地が建設されている。基地の規模は46ヘクタール、警備部隊、地対艦・地対空ミサイル部隊、600人の自衛隊員の駐留が予定されている。
石垣港から基地に向かって87号線が真っ直ぐ伸びている。片側一車線、車が頻繁に通り、道路の両脇には民家が立ち並んでいる。もちろん、軍需物資を港から基地へ運ぶ最短ルートになる。まだこの道路を軍需物資輸送に利用するかどうかは正式には決まっていないそうだが、この道路を弾薬が通ることになり、事故が起きたらと想像すると背筋が寒くなる。
途中、少し小高くなったところから、基地の工事現場を遠望できる場所がある。赤土がむき出しになった地面から十数本のクレーンが林立している。この基地には弾薬庫が4つ建設されるのだが、基地の南東200メートルの所には住宅地が、そして東1キロ程の場所には小学校がある。
また、於茂登岳には国の天然記念物カンムリワシの営巣地がある。工事の騒音、工事による水場の消失による減少が危惧されている。
工事現場は薄いシートですべて覆われている。従って、工事現場を直接見ることはできない。その一枚一枚に騒音防止と記されているのだが、その薄いシートで騒音を防げるわけはない。しかし、人の目から、反対派の住民の目から、工事現場を隠すことはできる。
どうも、当初の計画案にはなかった施設が数多く建設されているらしい。もちろん、その際には計画変更案を出し、行政の認可を得なければならない。しかし、そのような届は一切なされてはいない。市役所にいくら工事現場への立ち入り調査を要請しても重い腰を上げることはない。
また、激しく雨が降ると工事現場からは大量の赤土が流出する。赤土の流出は厳しく規制され、防止措置も義務づけられている。しかし、工事はお構いなしに進められている。反対派住民の激しい抗議に、行政も赤土が基地外に流出している場所にはやって来た。しかし、いくら住民が抗議しても、流出の原因を調べるために基地内に入ることはなかった。
一度だけ、超党派の国会議員団が調査に来たそうである。国会議員には国政調査権がある。
当然、工事現場に入ることはできる。しかし、彼らもいくら住民が要望しても、基地の奥深くまで入ることはせず、従って赤土の流出現場へも、当初の計画外の施設建設現場へも近づくことはせず帰っていった。
午後1時、昼休みが終わると、重機を載せた大型トラック、生コン車が列をなして工事現場に入っていく。そして、ショベルカーが何台も動き回り、目隠しの幕をはるかに越すクレーンが一斉に動き出し、工事現場は騒音の坩堝と化していった。



与那国島
珊瑚の海を壊す基地の温排水、不明朗に支出される基地交付金
日本最西端の地、与那国島に自衛隊の駐屯地が開設されたのは2016年4月、沿岸監視部隊と移動警戒隊であり、19年6月には移動警戒隊の車載式レーダーが配備された。自衛隊の配備を巡っては島を二分する激しい争いになった。最後は住民投票で決着をつけられたのだが、島には深い分断が残った。
島の中央部の小高い丘の上には対空レーダー群が並んでいる。このレーダー群は与那国水道を通る中国艦船を監視するのが任務であり、対馬、津軽、宗谷の3海峡監視部隊と同等の任務を持っている。防衛省は23年度を目標に車載型のネットワーク電子戦システム(NEWS)を配備する検討を始めている。
与那国島は29平方キロメートル弱の小さな島である。基地の面積は25ヘクタール、島の面積の1パーセント近くを占めている。人口は約1700人、自衛隊員は160人であり、その家族を含めると200人を超している。
この数字は島の経済のみならず、島の政治に占める自衛隊の存在の大きさを暗示しているだろう。基地開設から6年が過ぎ、基地の存在が生み出す直接、間接の影響、矛盾が生じ始めているようである。
9日の朝、宿舎を出た私たちは北部の海岸沿いの道を一周する形で自衛隊の駐屯地を目指す。駐屯地を見た後は空港に行くので、島一周の観光旅行とも言えないこともない。
車は海沿いの低い丘陵地帯の狭い道を海沿いに進む。丘と言っても道からの高低差は2~3メートルぐらいである。その道の両脇をうねって続く丘の斜面には、沖縄島とは少し形は違っているのだが、沖縄地方特有の大小の墓地が連なっている。浦野の墓地群である。
車は墓のある緩やかな傾斜地を細い道に従って登ったり下ったりして進んでいく。車が高みに上ると墓の連なりが見え、次の高みに至るとまた墓の群れが海に向かって連なっている。何百年と続けられてきた祖納(そない)地区の人たちの埋葬の跡である。この墓地からは太陽が昇る東の海が、そして太陽の沈む西の海も臨むことができる。この地は生命の誕生から死に至る回路であり、生と死の交わる場所なのだという。
海岸沿いの丘陵地帯をさらに進むとテキサスゲート(馬が牧場外に出ないように道路につけられた溝)があり、ゲート内は半野生化した在来種の与那国馬の放牧地で、ここからは道路も馬優先になる。与那国馬は小型の在来種の馬の中でもとりわけ小さいようだが、スタイルはいい。
道には至る所に馬糞があり、馬糞を避けて車を走らせることはできない。いくつもの馬群が琉球芝や雑草の広場を行き来し、草を食んでいる。そして、所々にアダンの群落が点在している。アダンは馬の絶好の食糧だそうで、草の生えた平地は馬がアダンを食い尽くした跡である。驚いたことに暴風雨を避けるために、与那国馬は棘のある厚手の葉が密生したアダンの茂みに入り込むのだという。
島の東から西へ、標高200メートル前後の山々が貫いている。その山の稜線に沿って、ドーム型や鉄塔型のレーダー群が連なっている。自衛隊の対空レーダー群等である。その西端は久部良(くぶら)集落に迫り、久部良小中学校まで400メートル程である。自衛隊も行政も電磁波障害はないと言っているが、真相は分からない。
島の最西端、つまり、日本の最西端のすぐ近くに自衛隊の与那国駐屯地はある。ここは南牧場の中にある。与那国馬の群れには、それぞれテリトリーがある。駐屯地建設でテリトリーを奪われた馬群と他の馬群との激しいテリトリー争いがあったという。
もちろん、基地の影響があったのは馬だけではない。基地は巨大レーダーの運用を始め、膨大な電力を消費する。その電力は自家発電で賄われ、膨大な温排水が生み出される。その温排水は珊瑚の海に放出される。温排水が排出されている海は、以前は綺麗な海で絶好のダイビングポイントだった。しかし、今では泥の舞う海となりダイバーは誰も近づかなくなったという。
そして、基地交付金使用の不明瞭さがある。確かに、学校給食は無料になり、箱物はできた。しかし、今後の運営費はどうなるのか、交付金はどのように使われているのか、一切明らかになっていないという。町の通常予算と違うので、町議会でも明らかにされてはいないのだ。
島を車で回ると、ここでも、億ションと噂される自衛隊員の家族の宿舎がある。一方で、建設されてから何十年も修理されずに、コンクリートの壁がはげた住宅群がある。与那国町の町営住宅である。億ションではなくても、基地交付金の一部を使えば、いくらでも町営住宅を建設できる。巷では、学校から帰って億ションに帰る自衛隊員の子どもを見ながら、町営住宅に帰る子供の精神的なショックを思いやる声もあるという。
そして、自衛隊の秘密主義である。自衛隊員の配置転換は秘密裏に行われる。配転された自衛隊員の子どもは、ある日突然学校に来なくなる。学校も自衛隊に問い合わせることで、始めてその事実を知る。お別れ会も、別れのあいさつもなく、友達がいなくなった子供たちの気持ちはどうなのか。通常、学校では4月の生徒数で教員の配置が決まる。学期途中での急な生徒数の増減は、校長の大きな悩みになっている。人口1700人の島では、おいそれと非常勤講師の手配はできないからだ。
与那国島の西端からは台湾を遠望できる。しかし、見えるのは年間10日ほどだそうであり、この日は西表島は確認することはできたが、台湾を見ることはできなかった。
基地が開設されて6年が経ち、当初の反対闘争の熱気はないようである。しかし、温排水問題をはじめ、基地開設による矛盾は徐々に広がってきている。
私たちを案内してくださった方はそれらの矛盾を正していくことに、今後の反基地闘争の展望を見出しいるようだった。そして、与那国島の発展のためには、島の規模に見合った台湾との人的、経済的な交流を実現することだと熱く語り、その活動への若者の参加に期待を託していた。


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