沖縄「本土復帰」闘争とは何だったのか

豊原嘉明

「沖縄独立」から「本土復帰」へ

 戦後沖縄における沖縄人民の政治意識は、最初から「本土復帰」にあったわけではない。
 戦争ですべてを灰にした沖縄住民は、その生活をアメリカ軍の収容所から始めなければならず、生活のすべてをアメリカに負っていた。その間に米軍は、好き勝手に広大な軍事基地を囲い込んだが、沖縄人民は、米軍に何一つ抵抗することはできなかった。
 また、一九四七年には、沖縄でも「沖縄民主同盟」「沖縄人民党」「社会党」などが結成されるが、その政治基調は「沖縄独立」である。のちに復帰運動の重要な位置を占める人民党でさえ「解放軍としての米軍に協力した民主沖縄の建設」と言っているのである。
 沖縄において「日本復帰運動」が行われるのは、一九五〇年アメリカ政府による対日講和政策が発表され米軍の永久支配方針が確定してからである。直接的には、奄美大島の復帰運動に触発されて、沖縄社会大衆・人民両党が中心になり「日本復帰促進期成会」等が結成され署名運動が展開された。沖縄本島で二十歳以上の住民七二・一%、宮古群島で八八・五%の署名を集めたが、それ以上の運動の発展は見られなかった。「期成会」の主張は「同一民族が同一政治体制下におかれることは人類社会の自然の姿である」としているが、この時期でも独立やアメリカの信託統治を主張している政党が議会の中にも存在している。もちろんこれは、戦前の日本政府の政策及び旧日本軍の行為を忘れることができないからである。

本格的復帰運動の開始

 本格的な復帰運動が成立するのは、米軍政による人権無視、言論弾圧、新たな軍事基地建設のための土地強制収用そしてそれらをハネ返した島ぐるみ闘争の後である。
 朝鮮戦争で、アジアにおける反革命として本格的に登場したアメリカ帝国主義は、その一大軍事拠点として、沖縄に本格的基地建設を開始した。それは、沖縄人民にとっても暗黒の時代であった。米軍は、対日平和条約(一九五二年四月二十八日発効)第三条によって沖縄支配の合法的根拠として、軍事基地の維持拡大政策を強行していった。
 例えば、基地建設に来ていた本土土建業者と沖縄人労働者の間で争議が起るとそれを弾圧し、本土なみの労働三法の成立さえ許さなかった。またこの時期“銃剣とブルドーザー”による土地強奪が各地で行われた。その他、多くのデッチ上げ事件や、政治弾圧が行われている。
 まさにこの時期は、アメリカ帝国主義が、アジアにおける反革命体制の確立を急いだ時期である。その軍事拠点として沖縄が位置づけられ、沖縄におけるアメリカの政策は米軍基地の維持強化がすべてに優先された。それは当然にも、沖縄人民の要求と衝突しその民主的権利を抑圧した。
 一方沖縄人民にとっては「民主主義のアメリカ」という幻想が崩れ去り“異民族支配”を強く感じ始める時期であった。
 それはやがて、沖縄人民の反撃となってあらわれた。まず米軍の暴力的土地接収に対する農民の抵抗から始まり、一九五六年六月、沖縄の米軍基地の永久使用をもくろむプライス勧告が、アメリカ議会に出されるいたって、人口が八十万の島で一日の集会に十五万人が参加するという島ぐるみ闘争となって爆発した。
 この闘いは、かならずしも当初の目的を達成できないまま終息するのだが、やがてそれは復帰運動につながっていった。

本土復帰と基地撤去の要求

 一九六〇年、沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)が結成され、大衆的な復帰運動が確立していった。では、なぜ沖縄人民が祖国(日本)復帰という道を選んだのか。
 戦後の沖縄にとって抑圧の根元が米軍基地であり、抑圧者は、その基地の維持だけを目的とする異民族たるアメリカであると自覚された。しかし単独で闘うには、沖縄人民にとって米軍やアメリカは、あまりにも巨大に見えた。一方、本土(ヤマト)はもはや戦前の大日本帝国ではなく、平和憲法をもつ民主国家に生まれ変わり、その下で戦後の復興と発展をとげている祖国と認識された。したがって平和憲法下の民主国家日本に帰れば、当然民主的権利は保障され、基地もなくすことができる。そう考えたのである。
 沖縄教職員会を中心に結成された復帰協はこの基調を全面的に体現するものとして結成され、当面の具体的要求として「布令布告の撤廃、日本の諸法規の適用」「主席公選」「国会への沖縄代表参加」などを掲げた。しかしそこには「基地撤去」はなかった。またこのころから、民主的であるはずの日本政府も、アメリカと共に沖縄の米軍基地防衛に乗り出してくるのである。
 しかし、復帰運動の発展は、ベトナム革命の進展と相まって、「基地撤去要求」を前面に掲げ、米軍基地そのものへと向けられていった。
 六〇年アイゼンハワー来沖に対する復帰要求のデモも、六五年佐藤沖縄訪問に対する抗議行動、米国人による事件・事故に対する抗議行動等々、発展して行く復帰運動に対して、ベトナム革命によって泥沼へ引き込まれて行く米軍はもはや沖縄においても、単独で人民の闘いをおさえることはできなくなっていた。それを決定的にしたのが、六七年の教公二法の実力阻止闘争である。
 この法案は、復帰協の中心勢力である教職員会の政治活動を規制し、復帰協の解体をもくろむものであった。自主的に集まったデモ隊は、警官隊を逆にゴボウ抜きにし、議会を占拠して廃棄にしてしまった。この時米軍は指一本動かすことはできなかった。

「第二の琉球処分」との闘い

 すでに小手先だけの政策修正では、沖縄人民の闘いをつぶすことはできなくなっていた。日米政府は「沖縄基地の自由な使用を保障する施政権返還」を打ち出してきた。その一方で日本政府は、沖縄に露骨な介入を始めてきた。このころから沖縄人民の口に「第二の琉球処分」という言葉がのぼりはじめた。
 しかし、基地の存在そのものが、抑圧の根元であることを知っている沖縄人民は、基地への闘いを強化していく。沖縄各地で基地撤去闘争が展開され始めた六八年、B52が嘉手納基地に常駐を始め、基地撤去闘争の火に油をそそいだ。また六六年四月には、全軍労が基地の中から決起し、実質的な二十四時間全面ストを、当時組合員数を大幅に上まわる参加で打ち抜いた。全軍労のストは、基地撤去闘争の高揚に触発されたものではあったが、その要求は、大幅賃上げと権利要求であった。しかし米軍にとっては、戦時中に基地が機能しないというはかり知れない脅威となった。
 六八年十一月のB52の離陸失敗大爆発をきっかけに、B52撤去闘争は、六九年二・四ゼネストへ昇りつめていく。
 それは、非常に短い期間でまさにゼネラルストライキと呼べる規模と準備で組織されていった。全軍労を中核に十万人の大衆で嘉手納基地を包囲する体制が組まれ、労働者だけでなく、商店街組合や農民・漁民、はては全村休業での参加も予定された。基地の機能を完全にマヒさせるこの闘争は、沖縄人民の闘いを、沖縄の米軍基地の反革命性そのものを問題とする闘いへと押し上げる可能性を持っていたであろう。
 ところが“平和憲法下の民主的国家日本へ帰ることによって沖縄の民主的権利も保障される”というすでに色あせてしまった幻想で組織された平和主義的復帰協指導部と屋良革新主席によって、決定的瞬間に沖縄人民の闘いはうち切られたのである。
 たしかに、二・四ゼネストの中止によって、沖縄人民の復帰闘争のエネルギーは解体されることはなかったが、以後全軍労の闘いは、徹底的に孤立させられ、米軍の好きなように首を切られていくのである。
 また、このゼネストの切り崩しを図ったのは、米軍ではなく日本政府だったのであり、日本政府を助け、協力して潰したのは、総評と同盟だったのである。
 六九年、佐藤・ニクソン共同声明によって「七二年返還」が決まったあとも沖縄人民の闘いはつづいた。それは、七一年の返還協定粉砕ゼネストの総決起集会に八万人の結集を勝ち取っていた。
 しかしそれは、およそゼネストと呼べるものではなかった。第一闘いの中心組織である官公労がスト権を確立していないのである。さらに総決起集会も、基地を包囲するものではなく、那覇市内で行われているのである。これはまさに、二・四ゼネスト以後の闘いが、屋良主席が沖縄国会に提出した建議書で言う“平和憲法のもとで日本国民としての諸権利を完全に回復できる「即時無条件且つ全面返還」”として闘われたことの象徴である。再び「基地撤去」の闘いは、後方に退いたのだ。

日本政府との闘い

 沖縄人民の闘いは、十一月の沖縄国会闘争以後急速に衰退して行く。
 たしかに七二年以降復帰を勝ち取り、一定の民主主義と地方自治を手にしたが、沖縄人民にとって抑圧と矛盾の根元だった巨大な米軍基地は、手付かずで残った。そして沖縄人民の前に出て来たのは、日本政府であった。
 それでは、復帰以後の抑圧と矛盾をおさえ込んでいるのはなんであろうか。それは日本政府による莫大な“金”のつぎ込みである。復帰以後十五年の間に日本政府から沖縄に流れた金は、どんなに少なく見積っても三兆円を下ることはない。さらに最近では、「日の丸・君が代」あるいは天皇を使っての民族主義への取り込み策動が強化されている。
 それでは、沖縄人民の闘いはなくなってしまったのだろうか、特に基地に対する闘いは、復帰の前年に結成された反戦地主会が基地に取り上げられた土地の返還を要求して闘いつづけている。さらにそれを取り巻いて一坪反戦地主会の闘いの輪が広がっているのである。また今年の六月には、あの二・四当日をほうふつさせる様な同じ豪雨の中で、二万人による嘉手納基地の包囲ができたのである。

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