理不尽な米軍の沖縄駐留に終止符を

沖縄報告 12月6日
ピープルズ・パワーで国政の根幹の転換へ

沖縄 K・S

辺野古埋立中止・新基地建設撤回を閣議決定せよ!

 日本社会は今深刻な危機の中にある。コロナ感染の拡大の中で、医療の脆弱、経済の行き詰まり、中小零細経営の危機・倒産、非正規を中心とした失業の増大、貧困の拡大などに加えて、年金の切り下げ、社会保険料をはじめ各種増税などが行われている。今の政治はおかしい、と考えている国民は多いだろう。国の政治の根幹を転換しなければならない。戦後七五年続いてきた米国への従属と米軍に一体化した軍事優先の国策を転換し、国民大衆の民生優先へ方向転換しなければならない。そのための最優先課題が辺野古埋立の中止・新基地建設計画の白紙撤回だ。

11.27

那覇地裁が県の訴えを却下

埋立承認撤回を取り消した国の違法行為を追認


 「三権分立」は教科書の中にだけあるもので、実際は、裁判所は行政の下請け、裁判官は政府の一員にすぎない。大飯原発の再稼働を禁止した福井地裁のような裁判官の自立した判決が出るのはまれだ。
 一昨年、玉城デニー知事が行った辺野古埋立承認の撤回に対し、国土交通相が取り消しの裁決を行った。国交相の裁決は違法であるとしてその取り消しを求めて県が提訴した抗告訴訟で、那覇地裁(山口和宏裁判長)は一一月二七日、「訴えは法律上の争訟に該当せず、県は取り消し訴訟を提起する適格性なし」として却下する判決を下した。この判決は、国に対する地方自治体の合法的な争いの道を閉ざすものだ。
 玉城知事は「弁論なしの判決は誠に残念。判決には納得できない」と述べた。行政法の専門家からも「紛争を解決しなければならない裁判所が審理を避け、役割を放棄した」などの声が上がった。県民ぐるみの民意と県の地方自治を踏みにじる国の行政の横暴と裁判所の追従、という現状をどう打ち破れば良いのか。ピープルズ・パワー、国民が立ち上がり政治を変える以外にない。

米シンクタンクが辺野古の完成困難視


 米国のシンクタンク・戦略国際問題研究所(CSIS)が先月、辺野古の新基地建設について「完成する可能性が低いと思われる」と困難視する報告書を出したことが明らかになった。一一月二七日付の新報、一一月三〇日付のタイムスの両紙に報道されている。
 タイムスの米国特約記者・平安名純代さんによると、報告書を執筆したマーク・カンシアン上級顧問は「建設に伴う技術的困難、経費膨張、工期延長、地元の反対などで、最終的には日本政府が計画を中止、あるいは縮小するのではないか」と予測し、「その場合には、私見だが、米空軍嘉手納基地統合案を検討する可能性が高いだろう」との見解を示した。カンシアン上級顧問は元海兵隊大佐で、国防総省や米行政管理予算局に勤務したという。報告書は一一月一六日に公表された。
 一二月二日の沖縄県議会で、比嘉瑞己県議の質問に対し答弁に立った謝花喜一郎副知事は「バイデン新政権が発足すれば、新型コロナの状況を見ながら、玉城知事の訪米を行い、沖縄の米軍基地問題の解決を直訴したい」と述べた。辺野古・大浦湾に基地はできない、造ってはならないという県内外の声をいっそう高めて、戦後七五年続く理不尽な米軍の沖縄駐留にストップをかけよう。

11.30

平和丸による海上監視行動


 この時期、季節の変わり目で荒天の日が多い。一一月三〇日月曜日、北東の風が強く吹き波とうねりもあることからカヌーの行動は中止となったが、抗議船による監視行動を行うため、カヌーメンバーを含め総勢五人で午前八時、現場へ向かった。オイルフェンスに沿って長島方面に進む途中、二度ウミガメに遭遇した(帰りは一度)。埋め立て工事現場では、数十人の作業員が各所で護岸のかさ上げ作業を行っている。生コン車の到着を待つ圧送機のアームが二本、高く上がっている。K8護岸では、いつもなら土砂を積んだ台船からダンプへ土砂の積み替えが忙しく行われているところだが、台船もダンプもまだ見えない。平和丸は、K8護岸前のオイルフェンスにロープをとり、監視を続けた。
 四人乗りの海保のボートが近づいてきて、互いにあいさつを交わしたあと、抗議船とのやり取りが行われる。
海保「波風が強いですので、カヌーは気を付けてください」。
平和丸「カヌーは出ません。船は平和丸一隻です」。
海保「大浦湾には行かれますか」。
平和丸「行きません。この場で監視と抗議を続けます」。
海保「では、気を付けてください」。
平和丸「この海を一緒に守りましょう」。
 平和丸からは、スピーカーを通して「沖縄を返せ」などが何曲も流された後、水中写真家で船長の牧志治さんが「海保、警備船、作業員の皆さん。私はヘリ基地反対協の抗議船の船長を務める牧志です」と切り出し、次のように訴えた。

牧志治さんの訴え(要旨)

 私たちの行く手を阻むこのオイルフェンスは違法に設置されたものです。申請書のどこにも記載はありません。K8護岸で土砂の積み下ろしをすることも違法です。県の許可を得ずに防衛局が勝手にやっています。辺野古・大浦湾の生物多様性を考えてみてください。IUCN(国際自然保護連合)は四回も環境保護の勧告を日本政府に行いましたが、日本政府は無視しています。五六〇〇にのぼる多様な種の中の二〇〇余りの固有種はここだけに生息する生物です。埋立が行われれば、死に絶え、地球上からいなくなります。埋立工事そのものが、沖縄県の承認撤回によって違法なものです。県民ぐるみで埋立に反対しています。皆さんも心の中では、埋立に反対していることでしょう。民主主義の現代の時代に、民意を顧みない政治が行われていいのでしょうか。工事を止めなければなりません。

沖縄短信

辺野古意見書、最終的に1万7857件


辺野古埋立変更申請の九月の縦覧を通じて提出された意見書は、点検の結果、一万七八五七件に上った。受け付けられた数は一万九〇四二件であったが、送り主が重複するもの、住所・氏名の未記載、外国語表記などを除いたという。外国語表記でも日本語訳が添付された意見書は四五件あり、有効とされた。一一月二七日、沖縄県が発表した。

沖縄県ヘイト条例制定へ

 一二月三日の県議会で、県子ども生活福祉部の名渡山晶子部長は、「人権を侵害する不当な差別的言動は許されない」と、ヘイトスピーチ規制条例の制定を目指す決意をはじめて明言した。

熊野鉱山の操業中止命令

 魂魄の塔の西横、平和創造の森公園の沖縄戦跡国定公園内で採石のための森林の伐採が行われていた熊野鉱山で、自然公園法に基づく届け出がないとして、県は開発工事の中止を指示した。工事は現在止まっている。

県内市町村の中国での戦争体験記を読む(40)
日本軍の戦時暴力の赤裸々な描写

 中国侵略の日本軍には、県内各地からも多くの青年たちが動員されて命を落とし、また、戦争の実態を目撃し記録した。県内各地の市町村史の戦争体験記録にはそうした証言が数多く掲載されており、日本軍による戦争の姿を赤裸々に描いている。引用は原文通り、省略は……で示し、補足は〔 〕に入れた。また、適宜行替えをした。

東風平町史『戦争体験記』(1999年発行)


嘉 数勇 「満蒙開拓青少年義勇隊」

 昭和十三年、満蒙開拓青少年義勇隊募集があった。趣旨は「青少年が満州に渡り、大陸の新天地で農業を通じ心身の鍛錬にはげみ、成長してから満州開拓の中堅人物となることは、青少年の身を立てるためでもあり、日本国と兄弟国である満州国と双方の発展に役立ち、ひいては東洋平和のいしずえを築く」という事であった。
開拓団の資格は、年齢は数え年十六才から十九才までで、尋常小学校の過程を終えた者、但し、職歴はその如何を問わず、健康な者であれば良いという事だった。私は四男だったからどうせ成長したら、どこか行かなくてはいけない立場にあった。家には畑が少なく、農家で身を立てる自信がなかった。それで意を決して、未知の世界、満蒙開拓青少年義勇隊に希望したわけである。
資格審査では、内臓疾患以外はほとんど採用された。希望者が少なかったからであろう。
満州に渡る前に、内原訓練所という所で三か月の訓練があった。その訓練は正しく言えば、満蒙開拓青少年義勇隊内原訓練所といっていた。茨城県東茨城郡下中妻村字内原にあった。……指導員は軍隊帰りの兵隊だった。従って、開拓義勇隊といっても兵隊同様の厳しい訓練である。一週間に二回位は畑に行っていたが、六時に起床し、駆け足で半時間汗を流して、その後朝食をとった。それから軍事訓練、農業実習といったような日課だった。……
食事事情は、非常時といっても米に麦を混ぜてのご飯だった。沖縄で毎日、芋と野菜の汁を食べていた私にはご馳走に思えた。しかし、大和人の中にはおいしくないといって愚痴をこぼすのもいた。私は義勇隊に入ってから、身長も体重も増えていた。……
三か月の訓練も終えていよいよあこがれの満州へ旅立つ時が来た。朝鮮の釜山からおよそ一週間かけて満州の黒河省嫩江〔ノンジャン〕に着いた。現在の地図帳ではよく分からないがソ満国境に近い北安(ペイアン)近辺のようである。
後で分かった事だが、義勇隊の本当のねらいは、ソ連軍が満州に攻めてきたとき、義勇隊が戦っている間に一般の開拓団を後方に逃がしてやるという、いわゆる開拓団の防波堤の役目であった。そのため、義勇隊には全員支那(中国)から分捕った銃を持たされ、絶えず戦争の訓練がなされていた。義勇隊の配置もあの広大なソ満国境付近に点在していたのである。
満州の農地は広い。耕作はトラクターで行われ、植え付けから収穫まで機械と畜力で行われていた。(当時の沖縄はほとんどスコップと鋤を使って人力で農耕していた)。農作物はジャガイモ、大豆、白菜等すべて自給していた。
一年に一回しかとれないから土壌は肥えて、大豆等一本の木の幹が人の腕ぐらいになっていた。人間が大豆畑に入ってもわからない程であった。葉が揺れるから人がいるんだなという程であった。大豆の実も一本の木から1200粒まで数えたことがあったが、これ以上あったかもしれない。……
先に述べたようにソ満国境の義勇隊の規律は軍人同様であった。そのためか、隊員の中には北満の辺ぴな土地から逃亡する者も出た。二、三日も歩かないと駅にたどり着くことのできないところからである。沖縄県人の中にもいた。……同じ沖縄県人として、彼の無謀な逃亡に心配していたが、彼は無事沖縄に辿り着き、さる戦禍もしのぎ今でも元気でいる。……
昭和十九年の終わり頃、私たち補充兵にも召集令状が来た。……入隊は満州警備隊に当たっている関東軍にだった。……その頃、海上は米潜水艦がいたるところに出没し、海上も大変危険な状態にあった。そういう状況判断でだったのか急きょわが部隊はフィリピン行きが中止になり、台湾派遣ということになった。……
台湾では、空襲はあったが地上戦がなかったのでわが大隊はほとんど元気に戦争終結を迎えた。そして帰還できた。
思えば人の運命は不思議なものである。入隊しないで満州の義勇隊にいたら、ソ連の捕虜となって飢えと寒さに苦しめられていたであろう。捕虜にされなくとも満州の馬賊に殺されていたかもしれない。また、台湾派遣の最中、三隻の船に分乗し、他の二隻までが〔海の〕藻くずとなった。そんな中を私は生き延びた。これを運命のいたずらというものであろうか。……

週刊かけはし

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