ハンセン病家族国賠訴訟(上)

「らい予防法」と「皇国防衛」
あらためて国の加害責任問う
隔離収容の差別構造解体へ

寄稿 磯崎 繁

偏見・差別を一掃しよう

 戦後なお残ったらい予防法によるハンセン病患者に対する国家の加害は一九九六年廃止まで続いた。このハンセン病患者絶対隔離の加害について一九九八年熊本地裁にハンセン病患者本人を原告とするハンセン病違憲国賠訴訟が起こされ、この後東京、岡山の患者たちも続いた。
 最も早く進行した熊本地裁判決はらい予防法が違憲であることを認め、さらに国の加害責任、患者原告への賠償を認めた。患者原告と弁護団は直ちに国に控訴をしないように求め、国もこれを認め、二〇〇一年に判決は確定する。この結果政府は内閣総理大臣談話で元患者への補償や立法措置を講じたり、名誉回復、福祉増進のための措置、患者、元患者の抱えている様々な問題について、話し合い,問題の解決を図るための協議の場を設けるなどの方針を示し、衆参の超党派議員のもとで、二〇〇八年にハンセン病補償法、ハンセン病問題の解決の促進に関する法律(基本法)の制定等が実現してきた。しかし、これらの取り組みにもかかわらず、社会にはハンセン病に対する偏見差別は根強く残り、元患者ばかりでなく、その家族たちは差別偏見に今も苦しめられている。
 熊本判決は、元患者への国家の加害が違憲であることを認めたのであり、その後成立した基本法などに家族の被害は抜け落ちていた。家族は、その多くが元患者から切り離されて、その被害を声に出して訴えられないほど社会的に孤立していたため、国の加害の実態さえ、明らかにできなかったのだ。しかし、らい予防法廃止、ハンセン病違憲国賠訴訟の勝利などを通して、家族も国から受けた加害を明らかにし、ハンセン病元患者に対して成立している法律や施策の改正を通して家族への謝罪や補償を勝ち取り、差別と偏見のない社会を作るために立ち上がろうという機運が生まれ、二〇一六年全国から元患者の親、兄弟、子供など五六一人が熊本地裁に提訴したのだ。ただ、提訴に加わっても本名を明らかにできないほど今も厳しい差別、偏見の中にいる家族原告の方たちがいる。
 家族国賠訴訟は昨年一二月一二日に結審し、今年六月二八日午後二時熊本地裁で判決が出される。(実は五月三一日の判決予定が延期された)
 それを前に私は、今年三月と五月に行われたハンセン病家族原告、弁護団、そしてともに闘う市民による国会行動に参加した。ハンセン病家族にも差別、偏見に基づく国の加害が及んだことを認める判決が出ることを確信し、直ちに控訴せず、患者家族に謝罪し、ハンセン病補償法やハンセン病問題の促進に関する法律(基本法)を改正し、それらの法律の中に患者家族も対象として含めるようにすべての国会議員に求める国会ローラー行動だ。チームに分かれ各議員を回ったり、各党とのヒヤリングの機会を持ったり、家族原告から差別偏見に苦しめられた事実を聞く中で、私たち自身が今なおハンセン病の元患者、そして家族に向けられた偏見差別の構造に向き合い共に闘わない限り、ハンセン病患者をらい予防法によって隔離強制した差別の構造はなくならないということを強く感じた。
 ハンセン病家族裁判の勝利と問題解決のために全国的に次のようなことが計画されている
6月20日 国会議員会館で議員懇談会総会で国会議員への働きかけ
6月21日 らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日
6月27日 熊本での判決前夜集会
6月28日 熊本地裁門前集会・熊本地裁判決言い渡し、その後の報告集会、
7月2日 国会議員会館での議員懇談会総会で控訴断念の働きかけ、東京星稜会館での判決報告集会

 判決での勝利を勝ち取った後、大日本帝国が作りあげたらい予防法による国民浄化の差別構造を完全に壊す闘いが始まる。国民一人一人がこの構造から脱却しようとしない限り、 私たちを加害者として取り込んでそれは残り続ける。ハンセン病元患者、そして患者家族の皆さんとともに、偏見と差別を一掃するために共に声を上げよう。
なお、らい予防法による偏見差別迫害の構造がどのように作りあげられ残存してきたのかをこの後に紹介する。

「隔離絶滅」の政策


草津温泉はハンセン病の治療にも効果があるとして、全国からハンセン病患者やその家族が集まって来る。長く旅館に滞在し、定住するハンセン病患者は、明治の産業発展とともに草津温泉が繁栄する中でさらに増加する。しかし、一般の湯治客がハンセン病患者との混浴を嫌い、新興の温泉経営者らは、混浴を事業の弊害とみなし、温泉街からの患者の排除を画策するようになる。草津温泉中心地域の旅館が県などに働きかけ、ハンセン病患者の移転圧力が強まり、ハンセン病者たちは、東に下った谷の地区に部落を作り移住し、湯治ができる旅館、そこで生活できる商店などがある湯澤地区を作り上げ、二二一世帯、八〇三人を数える患者自治の療養村を作り上げる。しかし、ここに社会防衛、民族浄化などの国家管理を目指し、ハンセン病患者を隔離の上、施設内で絶滅させるらい予防法の成立が迫る。
これに力を奮ったのが、大日本帝国の財政運営の基礎を作った渋沢栄一と医師光田健輔だ。渋沢は一九〇四年当時福祉をやるとして、養育院院長であった。そして光田は養育院の医師であった。この年、渋沢栄一は光田の意見を入れ、東京市にらい病院建設を建議し、否定される。
明治三五年(一九〇五年)渋沢栄一の提唱で三井、岩崎、安田、住友などの財閥、各界人士、マスコミなどを集めて、らい予防相談会が開かれる。ここで養育院の医師となった光田健輔が講演し,らい患者の隔離を急ぐように講演する。これに内務省衛生局長が、政府にらい予防法案があると応じる。
一九三〇年には、光田健輔が、渋沢栄一の力を利用し、政財界から一〇人あまりと内務省職員を集め、新しい施設を草津に作り、湯沢地区の患者を施設内に隔離することを決める。これは、渋沢栄一にとって以前に実家のある埼玉と群馬の政財界人から受けた相談を実現したことになる。
らい予防協会の初代会長となった渋沢栄一はこの年他界するが医師光田、内務省、財界のトライアングルで一九三一年には、「国立らい療養所患者懲戒検束規定」として認可交付し、さらに法律五十八号らい予防法を公布した。これによってハンセン病者の治療、救済ではなく、戦争、侵略を実行できる社会防衛ための全員隔離の絶滅策がとられていくことになる。
ここで渋沢栄一が、らい予防法に基づくハンセン病患者強制隔離の収容所建設に力を尽くしたことへの意味をとらえておきたい。国家財政や会社経営などで国家の発展の礎を築いた偉人として、一万円札の顔になるようだが、渋沢栄一の果たした役割は、日本の帝国化の過程を国家財政ばかりでなく、秩序維持の面でもその仕組みを作ったというところにもあった。一九一〇年朝鮮を日本に併合した後、帝国化のための資金を朝鮮の民衆から絞り取るだけでなく、過酷な労働現場に朝鮮人労働者を半ば強制的に配置していったことも忘れてはならない。
さらに渋沢の権威を利用した医師光田健輔は、渋沢栄一がらい予防協会会頭のまま死去する寸前初めて建設された国立らい療養所長島愛生園園長となり、その後全国に広がる国立らい療養所を「日本のアウシュビッツ」と言われるほどハンセン病患者に対する加害の場として運営していく中心になった。彼は戦後、社会の民主化が進む中でも、大日本帝国を支え、民族浄化の隔離を支えたこのらい予防法の廃止にもそれを阻止するために立ち向い、一九五一年に国立療養所の三園長の一人として、国会で次のように証言した。「らい患者ははげしく探索すればいくらでも出てくるが、現在の法律では徹底した収容はできない。したがって、本人の意志に反してでも収容できるような法律・強権が必要である。また、家族内感染を防ぐには断種が有効である。勝手に逃走しないよう、逃走罪という罰則も作ってもらいたい」。これに加え、旧らいの父として文化勲章まで授与されたのである。
さて一九三一年らい予防法にもどろう。国立療養所を隔離収容の場として、すべてのハンセン病者を隔離し、絶滅させる方向に進む。そのためにはまず、ハンセン病患者が多く住み部落を作っている地区を強制収用によって消滅させることであった。この対象となったのは、熊本県本妙寺周辺に喜捨などを求めて集まったハンセン病患者が集住してできたハンセン病者部落であった。そしてそれに続くのが、草津湯澤地区にハンセン病患者が作り上げた自由療養村だった。
一九四〇年加藤清正の墓所がある熊本県本妙寺周辺に作られたらい部落は熊本県警の執行により、住民は強制収容され、壊滅する。本妙寺で強制収容された三七人の患者はすでに開設された草津楽泉園に送られ婦人と子供を除く男子は草津国立栗生ハンセン病療養所楽泉園に設置された重監房に投獄された。
続いて群馬県による湯澤地区のハンセン病患者の楽泉園への収容交渉が始まる。一九三二年長島愛生園に次ぐ第二の国立ハンセン病療養所にされていた。群馬県はできるだけ穏便に解決したいという一方で強硬手段をとれるように準備するという方針で交渉に臨み、湯沢地区の代表を県側の代表委員は「貴様らの生殺与与奪の権はわが手にあり」と脅かした。この威嚇の中粘り強く交渉を続けたが、一九四二年に湯澤地区住民は、らい予防法による楽泉園への隔離を受け入れることになる。そして、その後、国の加害による死ぬまでらい差別と暴力に脅かされる隔離の生活が始まる。     (つづく)

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