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「狼をさがして」を観て
SM

 シアター・イメージフォーラムで「狼をさがして」(監督 金美禮、2020年、韓国、1時間14分、原題 동아시아반일무장전선 東アジア反日武装戦線、英題 East Asia Anti-Japan Armed Front、ナレーション 藤井たけし)を観た。
 『狼煙(のろし)を見よ 東アジア反日武装戦線”狼“部隊』(著者 松下竜一、発行所 株式会社河出書房新社)と『明けの星を見上げて――大道寺将司(だいどうじ・まさし)獄中書簡集――』(著者 大道寺将司、発行所 (株)れんが書房新社)を読み終えてから、映画を観た感想を書こうと思っていたが「方針」を変更した。

植民地支配及び
侵略戦争の責任
 「狼をさがして」は「いうなれば東アジア反日武装戦線の転生を描いた映画」(藤井たけし「狼(おおかみ)たちはいかに生き続けるのか」、『アナキズム』紙・第14号4面、編集・発行 アナキズム紙編集委員会)だ。
 「狼をさがして」は2つのことを考えさせる。私たちは日本がおこなった侵略戦争と植民地支配の責任をとらなければならない。責任を取ることの1つは、天皇制と日本軍国主義を完全に解体することだ。自衛隊や安保や政治警察などもちろん廃止しなければならない。天皇制国家日本は、アジア太平洋で2000万人以上の人びとを殺りくし310万人以上の日本の人びとを死においやった。それなのに日本(日本人多数派)は、侵略戦争と植民地支配の責任を真剣にとろうとはしていない。マスコミはいまだに天皇制を賛美し続けている。「人を殺(あや)めたことのある人間と、殺めたことのない人間との間には絶対的な壁がある」。そういうふうには彼らは全然考えないようだ。
 「当時、連続爆破事件の脅威を煽る警察とマスメディアのキャンペーンの中で、闘争の根拠よりも爆弾戦術だけが大々的に非難され、若者たちは冷血のテロリストたちとして断罪された」(足立正生[映画監督・脚本家]「今も狼は生きているのか? 70年代の爆弾闘争の提起した問いと『狼をさがして』が直面させるもの」、『キネマ旬報』2021年4月上旬号 No.1862、60ページ、発行 株式会社キネマ旬報社)。だが、友野重雄さん(浴田由紀子さんの支援者)は映画の中で語っている。「東アジア反日武装戦線が人を殺(あや)めてしまったことは間違いだが、その志には大いに共感出来る。自分がやるべきことをやってもらったという感じだ」(投書者の記憶による)。
 太田昌国さんは書いている。「後日、共同通信の配信によって各地の地域紙に掲載された辺見庸氏の手になる追悼文「奇しき生、奇しき死――大道寺将司とテロの時代」を読んだ。一節に、「事件関与をのぞき、それだけをのぞき、かれが『高潔』といってよいほどの人格のもちぬしだったこととあった」(「お前たちの死は 地に休むことができない *2017年7月5日」、『悼 大道寺将司君 Literatura de Cordel②』13ページ、著者 太田昌国、発行 編集室インディアス)。金美禮(キム・ミレ)監督は浴田由紀子(さんについて語る。「想像していた以上に印象の良い方でした。笑顔が明るくて、笑いに暖かみが感じられました。こういう表現はなんですが、まるで少女のような方でした」(聞き手=荒井晴彦+稲川方人 編集部「狼をさがして キム・ミレ 人と人が出会うときにはそもそも「反日」は存在しないのです 連合赤軍以後、70年代中期に爆弾闘争を展開した反日武装戦線の軌跡を追った『狼をさがして』。韓国人監督の真摯な姿勢の背景を聴く」、『映画芸術』2021年春号 第475号008ページ、発行 編集プロダクション映芸)。

目的は手段を
正当化するか
 もう1つは、目的は手段を正当化するのかということだ。
 1974年8月30日・金曜日、三菱重工本社ビルが爆破される(ダイヤモンド作戦)。「死者8名、重軽傷者386名(三菱幹部は1人もいない)の大惨事となる」(明石アキラ BIG RED ONE 主宰「なぜ誰も『東アジア反日武装戦線“狼〟』を映画化しないのか」、『映画芸術』2021年春号 第475号031ページ、発行 編集プロダクション映芸)。「人を殺すことを意図したわけではないから、彼らは呆然自失になりながら、声明文では『現場にいたのは日帝本国人だから、死んで当然』と居直った。殺戮行為は許し難い犯罪であり、それを肯定した声明文も、後日かれら自身が認めたように、あまりに大きな過ちだった。この事件は、同じ頃に起こった新左翼党派間の殺し合い(内ゲバ)や連合赤軍の同志殺しと相まって、社会を震撼させた。「社会革命」の美名の下になされた行為が、凄惨な暴力の行使に行き着いた実例として、人びとの心に刻まれた」(「死」を見つめ続けた獄中42年――「東アジア反日武装戦線」死刑囚・大道寺将司が病死 *2017年5月30日」、『悼 大道寺将司君 Literatura de Cordel②』7ページ、著者 太田昌国、発行 編集室インディアス)。
 太田昌国さんはのべる。「……『彼らの意図は純粋であった』という言い方がよくある。そのことは……わたしも疑うことはない。しかし、意図が純粋であったということを言って、その後どういう言葉を続ければいいのかが、われわれには問われる」(太田昌国 評論家 「2017年8月11日・東京琉球館での講演 ヒューマニズムとテロル 大道寺将司さんを追悼する」、『映画芸術』2021年春号 第475号036ページ、発行 編集プロダクション映芸)。「人間が形成し得る社会について、高い理想主義や美しい夢を掲げる者には、資本制社会を象徴する端的な論理=弱肉強食を信奉する者とは異なる次元の論理と倫理が求められる……」。
 「……『国家』や『権力』を疑うことなく、自分たちがそれを掌握すればすべては解決するという、俗流党派左翼の物言いがいかに虚妄であるかを知っている……」(「映画『狼をさがして』が照らす現在」、『アナキズム』紙・第13号1面、編集・発行 アナキズム紙編集委員会)。
 太田昌国さんはのべる。「……帝政ロシアの時代にはナロードニキという一群の人たちがいました」。「彼らはあまりにも帝政の軛が巨大であるので、もう象徴的な最高責任者を個人テロでやるしかないというような形での皇帝暗殺の試みが何度もなされたわけです。セルゲイ大公をねらったカリヤ―エフという人も爆弾を持って、その大公の馬車が通る時間を推し量って待ち伏せする。しかし実際に来たセルゲイのそばには、幼い子が座っていた。それはセルゲイの甥と姪なのですが、それを見てカリヤ―エフは、爆弾を投げつけるのをやめてしまう。組織に戻ると、なぜ組織決定を覆したのだと、批判する人もいれば、カリヤ―エフの『子どもたちがいたから』ということばを聞いて納得するメンバーもいた。そういう問答が続くというのが、サヴィンコフという人が書いた本の中に出てくるわけです」。
 「それに題材をとって、フランスの作家のカミュは、『正義の人びと』という戯曲を書くわけです。そうするとここでは、カリヤ―エフたちが考えた政治的目的からすれば、ツァーリの体制を支える最高責任者の一人としてのセルゲイを殺すことは絶対的な正義、しかし、実際、現場に行ってみたら、そこには、罪を問うには幼すぎる2人の幼子がいた。巻き添えにすることはできないという選択をしたカリヤ―エフの在り方をどう考えるか」。
 「ショーロホフに『静かなるドン』という長編小説がある。それはソビエト革命が成って以降の、正規軍となった赤軍とそれに対抗する反革命軍との闘いが描かれた作品である。その中の描写にたとえば、赤軍兵士たちの間で、自分が直面した、自分が殺してしまった相手は『勤労者だった……その男の手にさわると、それがまるで靴の底みたいなんだ……固くてね……まめがいっぱい出来てた……真っ黒い掌、ひびだらけなんだ……掌じゅう擦り傷だらけでな』と表現できるような人間だった。そうすると、同じ勤労者を〈敵〉として殺してしまったことへの胸の痛みを訴える者に対して、ゴリゴリの共産党員の兵士が出てきて、『どうやってみたところで、叩き直せやしない』と答える。ある人物を殺したことを、こういう論理で正当化する、そういう会話が出てくる」。
 「……革命の目的は『制度』の変革であるのに、或る時代の『制度』の中で特定の役割を演じている/演じさせられている『個人』を殺すことを自己目的化してしまったら、その先にどんな展望があるのか……」(太田昌国 評論家「2017年8月11日・東京琉球館での講演 ヒューマニズムとテロル 大道寺将司さんを追悼する」、『映画芸術』2021年春号 第475号037ページ、発行 編集プロダクション映芸)。
 「……1979年の中米ニカラグアの革命の後に、死刑制度が即刻廃止された例があります。ニカラグアの独裁政権も一族支配で、1930年代から続くソモサという政権でした。そこでは政権の中枢部の人間や、軍隊や警察に巣食う幹部の連中は、とんでもないことをやった。長年かかって、独裁体制を打倒する革命が成就した。その時、解放運動の指導者の一人が拷問した元の軍人や警官を前に、革命が勝利した後ですよ、『自分の復讐は君たちを死刑にもしない、虐待もしないということだ』と言って、死刑制度を廃止するわけです。最高刑懲役30年、軽い罪の人は塀のない、開放刑務所に入れるという施策を革命直後にやるわけです」。「……これは、僕は希望の証だと思っています」(太田昌国 評論家「2017年8月11日・東京琉球館での講演 ヒューマニズムとテロル 大道寺将司さんを追悼する」、『映画芸術』2021年春号 第475号039ページ~040ページ、発行 編集プロダクション映芸)。
 革命(人間解放)とヒューマニズムをいかに両立させるのか。それが問題だ。

天皇制タブーへの
挑戦は不可欠だ
 補足。①なぜ日本人は東アジア反日武装戦線について映画化しないのか。「ひとえに『狼』が戦争責任を問い、御召列車の爆破による昭和天皇の暗殺=『虹作戦』を企てたからだ。たとえ未遂であろうと、天皇暗殺を描くことは日本映画における最大の禁忌(タブー)であるのだ」(伊藤彰彦[日本映画史家・プロデューサー]「日本映画と東アジア反日武装戦線 『為政者たちへのテロル』と日本の映画人たち、そして『狼をさがして』」、『キネマ旬報』2021年4月上旬号 No.1862、64ページ~65ページ、発行 株式会社キネマ旬報社)。伊藤彰彦さんはそうのべている。日本映画はこれでいいのか。
 ②この映画を観て私は、ねぶた祭りは「大和政権が東北地方を征服したことを祝っているのだ」(竹田賢一[音楽家・批評家]「ぼくはこれまでたまたま爆弾で人を殺めたことはない 現代ミャンマーの抗議デモ〈と〉東アジア反日武装戦線、その狭間で」、『キネマ旬報』2021年4月上旬号 No.1862、63ページ、発行 株式会社キネマ旬報社)ということを初めて知った。
 ③この映画には8・15の反「靖国」デモの映像が出て来た。2015年のものらしい。「天皇制に反対する人びと」の映画も観てみたい。「反天連や反天連と共闘してきた人びと」の映画も観てみたい。私はそう思う。
 ④『映画芸術』2021年春号 第475号に掲載されている太田昌国さんの「2017年8月11日・東京琉球館での講演 ヒューマニズムとテロル 大道寺将司さんを追悼する」は、レイバーネット日本からの転載で、ほとんど同じ内容のものが「ヒューマニズムとテロル――大道寺将司さんを追悼する 2017年8月11日・東京琉球館」として『悼 大道寺将司君 Literatura de Cordel②』(著者 太田昌国、発行 編集室インディアス、発行日 初版2018年6月30日・重版2019年8月15日)にも掲載されている。
(2021年5月23日)

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