8・5ヒロシマ平和集会の講演から(2021年9月6日発行)
生物多様性・脱軍備をキーワードに社会変革を
湯浅一郎さん(ピースデポ代表)
前号(8月30日付)に掲載した「8・6ヒロシマ平和への集い」で湯浅一郎さんが行った記念講演の要旨を紹介します。(本紙編集部)
「新型コロナウイルス(COVID―19)の世界的感染が止まらない。世界の感染者は2億人を超えた。40人に1人が感染している。東京都は、4回目の緊急事態宣言の中で、東京オリンピックを強行し、政府が、市民の安全と安心を最優先するという立場の欺瞞性が浮き彫りになっている。コロナ禍は1つの感染症としての意味にとどまらず、現代文明や人間社会全体のありようを問う重大事であり、私は、コロナ事態としてとらえたい。今、コロナ事態という鏡を通して、利潤追求と効率性を第1とした経済システムの脆弱性、コロナ禍による社会的差別の助長など様々な構造的問題がより鮮明に見えている。例えば、新型コロナウイルスの前で、軍事力は、国連などでも主張されている「人間の安全保障」に全く役に立たず、核兵器を初めとした「軍事力で平和を担保する」という思想は全く説得力を失っている。「軍事力は平和を担保する」どころか、保健医療に財源を投入すべき時に、それをはるかに上回る桁違いの財源が軍事力に投入されていることの矛盾が浮き彫りになっている。
一方で、生物多様性の観点から、人類文明の在り方が根本的に問われている。そして2020年は、2010年に策定した生物多様性に関する「愛知目標」の目標年であり、2030年、2050年に向けた「ポスト愛知目標」を定める重要な年であった。愛知目標とは?=2010年10月に名古屋で開催された生物多様性条約第10回締約国会議で、2020年までに「生物多様性の損失を止めるために効果的かつ緊急な行動を実施する」べく合意された国際公約。2019年5月、IPBESが世界初となる「生物多様性と生態系サービスに関する地球規模評価報告書」発表。そこには例えば、「世界中に約800万種と推定される動植物について、今後、数十年のうちに、約100万種が絶滅する危機にある」と衝撃的なことが書かれている。
コロナ禍は、生物多様性を減少し続ける人間活動の結果
IPBES(「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学―政策プラットフォーム)の2019年報告書「政策決定者向け要約」には、生物多様性の低下が感染症の危機を広げており、コロナ禍のような事態が起きることが懸念されている記述あり。即ち、「開墾や生息地の分断、または多くの細菌性病原体に急速な抗生物質耐性の発現を引き起こす抗生物質の過剰投与といった人間活動によって、野生動物、家畜、植物や人の新たな感染症が増える可能性がある」とされる。またIPBESを主導する共同議長ジョセフ・セッツルら4人の専門家は、コロナ禍が拡がる2020年4月27日付けの短い論文で、「これはほんの始まりにすぎない。将来のパンデミックの可能性は非常に大きい。人に感染することが知られているタイプの未確認のウイルス170万種が、哺乳類や水鳥にまだ存在していると考えられている。これらのいずれかが次の「疾患X」になる可能性があり、それらは、COVID―19よりもさらに破壊的で致命的な可能性がある」としている。生物多様性の減少が、COVID―19とは異なる感染症を含めウイルス感染の確率を高めている可能性があるとしている。コロナ事態は、生物多様性を急激に低下させ続ける人類に対する自然からの深刻な警告である。人類に対して自然がお灸をすえていると言ってもいい。2020年に、当面の生物多様性の減少を食い止める方策を決めようとしていた重要な年に、コロナ事態が発生した事実は重い。
浪費型文明を見直し、社会変革を進めるしかない
人類が利潤追求と効率性を最優先させる経済活動を拡大させ、際限のない開発を続けることで、生物多様性の低下を引き起こしていることがコロナ事態のような感染症の発生要因なのではないか。これは、仮説にすぎないが、われわれは、これを深刻に受け止めるべきである。先に見たIPBES専門家論文は、それを以下のように指摘している。「気候変動や生物多様性危機と同様に、近年のパンデミックは人間活動、とりわけいかなるコストをかけても経済成長を評価するパラダイムに基づいた、世界の金融および経済システムの直接的な結果である」。
そう考えると、自然を征服の対象と捉え、科学技術の発展を背景に無制限に開発を推し進めてきた現代文明こそが、生物多様性の減少を急激に進行させ、コロナ事態を引き起こしたことになる。この文脈においては、コロナ事態によって見える現代文明の脆弱性が問題なのではない。それとは逆に現代文明こそがコロナ事態のような感染症を引き起こしたのであり、同様の事態を繰り返さないためには、現代文明のありようそのものを改めるしかないことになる。
先に紹介した専門家4人の論文は、次のようにも提言している。
「恐らく最も重要なこととして、絶滅の危機にある動植物を守るためにも、社会変革すなわちすべてのセクターにわたる社会的・環境的責任を増進させ、目標や価値観を含め、技術的、経済的および社会的要素に関連するシステム全体を根本的に再編成する必要がある」。
今後に向けて
「ポスト愛知目標」や生物多様性保全の推進をめざした生物多様性国家戦略に照らしてあらゆる国策、公共政策を見直すべきである。
例えば、辺野古新基地建設、原発の再稼働や新増設。とりわけ上関原発予定地の海の価値を守らずして、何が生物多様性国家戦略か?
18世紀の産業革命に端を発し、科学技術の進歩を背景に、資本主義的社会経済システムを運用し、特に1970年代初めからは石油漬け文明とでもいうべき時代が続いた。
その中で、人類は生物多様性を急激に低下させ、地球規模での気候変動を左右するに至った。
1970年代の石油危機からほぼ半世紀を経て、その弊害が気候危機という形で表面化してきたのと同時にコロナ事態に遭遇したことの意味は重い。
今は、産業革命以降の人類の歩みを省察すべきときである。時代は文明の転換期の渦中にある。転換は、いつごろから始まっていたのか? 少なくとも、1960年代後半から始まっていると考えられる。
例えば、呉の海岸生物調査から見える1960年代後半からの生物多様性の急激な低下は、それを示唆している。1965年を境とした急激な生物種数の低下が起きている。また、もう少し長くみれば、19世紀の後半から、そこに入っていったとみることもできるかもしれない。リヒトホーフェンが、瀬戸内海の風景を見て、絶賛したのち、「かくも長い間保たれて来たこの状態が今後も長く続かんことを私は祈る。その最大の敵は、文明と以前知らなかった欲望の出現とである」と懸念を示した時、彼の脳裏には、文明の暴走により、将来、自然が、社会が壊されていくことへの不安を感じていたに違いない」。
その際、一人の人間の人生全体は、その転換の中の一端を担うことになる。自分史をその観点から見つめなおしてみることには重要な意義がある。
一例として、私的なことを振り返る。
1971年春、女川原発阻止闘争に関わり始める。
1975年から(~2009年)広島県呉市を拠点に瀬戸内海汚染にかかわる研究へ。
1977年―松枯れ農薬空散問題を契機に芸南火電反対運動に。
1984年、トマホーク配備を契機として反核、反基地運動に。
この半世紀強に経験したことは、文明の転換期における世界規模の変遷の一部をとらえているはず。そこで感じ、行動し、取り組んだことを見直す中で、社会のありようを変革していくうえで、貴重な指針が含まれていると思う。われわれ一人一人のかけがえのない人生の中で経験してきたことを活かしながら、社会を変えていく取り組みを共に歩みたい。
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