桜井建男さんの死を悼む

芝工大全学闘  J・Y

 9月5日20時過ぎに、古い友人である静岡の桜井建男君が亡くなってしまった。
 彼との最初の出会いは、1968年10月21日、新宿米軍ジェット燃料輸送阻止闘争の裁判闘争の法廷であった。
 米軍ジェット燃料は当時、ベトナム戦争に向けての航空燃料をタンク車で在日米軍立川基地に輸送するため、深夜に新宿駅を通過していた。しかし1967年8月8日、新宿駅構内で別の貨物列車と衝突し、大炎上したのである。まさにベトナム戦争の現実が目の前に、都民の目の前に現れたのである。
 当然、当時闘われていたベトナム戦争反対の機運は一気に日本でも拡大するきっかけにもなった。
 1968年10月21日の国際反戦デーの闘いの目標は当然この危険極まりない米軍航空燃料の輸送を止めること、在日米軍基地からベトナム侵略の航空機を飛び立たせない闘いにすること。それこそがベトナム解放に向けて戦うベトナム民族解放戦線とベトナム人民の闘いを支援し、共にアメリカ帝国主義からアジアとベトナムの解放に向けた戦線の一翼となることを目指す闘いであった。
 10月21日、第4インター系学生組織の社青同国際主義派は、多くの市民と中核派、ML派と共に夕方から新宿駅占拠闘争に参加した。この時学生組織、反戦青年委員会、そして共に闘う市民は2万人といわれている。
 この闘争に対し事前に噂されていた騒擾罪が適用され、700人以上の学生、市民が現場あるいは事後に逮捕された。

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 桜井君は当時、東洋大学哲学科闘争委員会で、校内闘争と反戦闘争を闘っていた。この日、東洋大学の学生、約60人と共に新宿駅構内に突入し、彼は現場逮捕されたのである。私も芝工大自治会の仲間を指揮したとして、1969年2月に事後逮捕された。
 この騒擾罪裁判が彼との初めての出会いであり、それから桜井君との長い付き合いが始まった。国際主義派の仲間は法廷の中では少数派であったので、法廷で彼と情報交換し、話ができるのが楽しみでもあった。
 不当な訴訟指揮に抗議し、拘置所の中でハンストをしたり、法廷で騒ぎ、共に退廷させられたこともあった。
 1970年2月頃共に保釈され、お互いに別々の戦線での闘いに向かい、桜井君が静岡に移住してからも家族ぐるみの交流が続いていた。
 この裁判の被告は市民2人を含めて22人であり、裁判は1969年5月頃から始まり、1982年9月に最高裁判決がでるまで、約13年間の長期裁判闘争であった。桜井君と私は幸いにも執行猶予付き判決であった。
 おまけは新宿駅占拠闘争で、駅、車両が破壊されたことを理由に、国鉄が民事訴訟をおこし、国鉄解体後、国鉄清算事業団に引き継がれたのであるが、最後には約5000万円の支払いを被告に求めてきた。
 この時も2人でよく対策を電話で話した。給料差し押さえまで、ちらつかせる相手に、何とか処理したのであるが、静岡で働きながら闘いつづける、桜井君にも重大問題であったろう。

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 桜井君を訪ねて静岡の自宅を訪問し、海釣りに誘われたことがあった。
 ところがこの日はボラが大発生し、ボラしか釣れない。普段は食べないであろうボラを持ち帰り、焼いたり、煮物にしたり、刺身にしたり、おおいに接待してくれた。静岡丸子宿の美味しい、とろろ料理を共に食べに行くこともあった。
 静岡で市民運動の先頭になって戦う彼と出会うことは少なくなったが、安倍政権の戦争法制反対の国会前闘争で出会うこともあったり、東京での反原発集会でも何度か出会うことができた。
 1960年代後半、反乱の時代の反戦闘争を共に戦った仲間が、いなくなるのは本当につらいことである。歳をとるとは、孤独になっていくことでもあると、つくづく感じさせられた。
 よく闘いぬいた桜井建男君! 本当にお疲れ様でした。ありがとう!   
 2021年9月16日  

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