投稿 見過ごされる「突然死」の兆候(10月4日発行)

悲劇を引き起こさないために

桐丘 進

 4カ月の失業期間を経て今年4月、私は新しい仕事に就いた。その報告がてら、久しぶりに前の職場を訪れた。その時、現場の長から衝撃的な話を聞いた。後輩のAが急死したというのだ。享年50歳。わずか2週間前の出来事だった。
 以下に記すのは、旧職場の労働慣行から考えられるAの死の原因についてである。かつての同僚からの情報は最低限のもので、文中には事実も推測も混じっている。

職場集会に必ず欠席


 Aは私と同様、高校を卒業して新卒枠で就職した。大卒者は営業や管理部門に入るが、高卒は現場つまり工場の生産ラインに配属されるのが一般的で、そこには厳しい職人の世界=絶対服従の徒弟関係が待っている。Aは過酷な生産現場の中心部ではなく、その周縁部の部署に所属した。そして30年間、同じ仕事を続けてきた。
 労組はユニオンショップで正規社員は必ず加入する。地域の同種同規模企業を上から組織した完全な御用労組である。年に6回の集会と1回の定期大会をかろうじて維持・開催している。Aは賃上げや一時金の可否を決める集会には不参加を決め込んでいたが、年に一度の大会だけは参加していた。おそらく動員費が出るからだろう。問答無用で高額な組合費を天引きされている一般組合員にとって、支払い分を少しでも回収しようと考えるのは当然である。
 ミスが許されない作業と、閉鎖的な労働環境に嫌気がさし、若い後輩たちは職場に根づかず、次々と辞めていった。職場体験をすれば本社勤務を希望し、結局Aの仕事を引き継げる後進は育たなかった。
 Aは数年前に脳疾患を患い、救急搬送されたことがある。夜、突然激しい頭痛に襲われ、救急車で地元の小さな脳神経科に運ばれたが、すぐに大病院を紹介された。

定期的な有給で通院


 以降、新宿にあるB大学病院に3カ月に一度の割合で通院していた。それ以外に有給休暇を使うことはなかった。Aの休みには直属の上司である管理職Cが彼の仕事を引き受け、Cの仕事は、また別の社員が肩代わりをする。つまり一人の「休暇取得」でその業務を他者が代行し、社員の間で役割が回転していくのである。90年代から2000年代に続く景気低迷を受けた徹底的な合理化=人員削減の余波が、まだ続いている。
 その日の朝、Aは片方の足が動かず、寝床から起き上がれなかったという。家族は救急車を呼び、会社にも「しばらく休むことになるかもしれない」旨を電話で連絡をした。ちょうど朝礼の時間で、同僚らは彼の容態を心配すると同時に、仕事の担当が変わると戦々恐々としたことだろう。
 救急車が到着したものの、受入れ先の病院が見つからず40分間も自宅前に待機していたという。今年4月と言えば、まさにコロナ禍で病床がひっ迫している最中だ。最終的に通院している新宿のB大病院が受け入れを決めた。しかし自宅と病院は、都心をはさんで東西の正反対に位置していた。救急車は出発したが、秋葉原付近を走行中の車内で容態が急変、帰らぬ人となった。
 終わりの見えない感染拡大で、医師たちが異口同音に発信する「助かる命も助けられない」というメッセージの本質とは、まさにこういうことなのだ。もし救急車がすぐに近隣の救急病院へと出発したら、Aは命を落とすことはなかったかも知れない。

ストレスと喫煙習慣


 Aの勤務状況はどうだったのか。前職で私とAは、生産工程上密接な関係があった。Aは私の隣の部屋でパソコンや大型の処理機を操作し、一枚の壁を隔ててお互いが頻繁に行き来していた。
 「禁煙・分煙」志向が行き届いた現在、企業は社屋の空いたスペースに喫煙所などを設け、タバコを吸う者はそこに集まる。排煙装置がなければ、壁の小さな窓を開けている程度で、臭いがこびりついている。
 反面、タバコを吸わない者には明確な休憩時間が取りづらくなっている。喫煙者にとって「喫煙」は大義名分で、ある意味「合法的な」休憩行為となる。ちなみに知人の大手燃料商社では、賃貸ビルは全面禁煙。吸いたければ近隣の公園まで出かける。会社は公園までの往復の時間(非生産時間)を認めているから、非喫煙者に「差別的な優遇」と批判されても仕方がない。
 神経を使う細かい作業に従事していたAは、電子機器に囲まれた窓のない密室で、たった一人で働いていた。喫煙室はその部屋の隣にあり、彼は頻繁にタバコを吸っていた。残業も平均で40時間を超えていただろう。休みの日には競馬、パチンコ、スロット。たまに彼女とのドライブ。休み明けのロッカー室では、誰が馬券を当てたか、いくら儲けたかの話題で盛り上がる。Aの昼食はコンビニで買ったカップ麺一個。昼休みのベルとともに毎日、給湯室にお湯を入れに顔を出していた。

「休憩時間」の実態とは


 労基法では「労働が6時間を超え8時間までは、途中に45分の休憩を入れなければならない」とされている。ところが今や「休憩」は、労働者各々の「意思」に任されている。
 私が労働者になったおよそ40年前。定時のベルが鳴ると管理職が休憩を兼ねた夜食の注文取りを行い、近くの店に出前を配達させた。労働者は職場の自分の机の上で、黙々と店屋物を食べた。空腹だけは満たされるが、食べ終わればすぐに仕事を再開する。他部署には、外へ出かけて立ち食いそばを食べる者もいたが、同じ職場内では、単独行動はしにくい雰囲気がまん延していた。本来は職場を離れ、労働から解放されなければ「休憩」とは言えないはずだ。
 出前の注文は遠い昔の光景となった。営業や事務の現場では、自席で菓子パンや缶飲料で作業の手を休めずに食事をとるのが当たり前になっている。「残業で遅くなるのが嫌だから、休憩を取らずに仕事を続け、一秒でも早く家に帰る」という心理はある。「休憩をとっても取らなくても深残業になる」とすれば、休憩と早じまいを両立する方法が、「仕事をしながら夕食を取る」行為なのだろう。

労災認定での厚労省の動き


 厚生労働省は労災認定基準を20年ぶりに「改正」したと9月、各種メディアが伝えた。
 「過労死を含む脳・心臓疾患の労災認定基準を2001年以来、20年ぶりに改正し、全国の労働局長に通知した。新たな基準では、残業時間がいわゆる『過労死ライン』に達していなくても、勤務が不規則であるなど労働時間以外の負荷がある場合は(それらが総合的に判断されて)認定されやすくなる」(9月15日・東京新聞朝刊)。退社から出社までの時間の間隔(インターバル)や、労働時間以外の心理的負荷=ストレスの度合いも考慮されることになった。
 だがこうした小手先の改定で、どれほどの労働者が救われるかは未知数である。本人がタイムカードの他に実質残業時間を自主的に記録することはもちろん、同僚や友人や家族が当事者の言動なり精神状態を注意深く観察することが必要だ。
 私は在職中からAの健康状態を気にかけていた。本人に警告しても反発されるだろうから、他の後輩たちに「毎日毎日、タバコにカップ麺に残業だ。あいつは長生きしないぞ」などと注意を喚起していた。脳の疾患で通院中であれば、過重労働には細心の注意が必要だったはずだ。限られた情報だが、今回のAの突然死は、「過労死であり、労災である」との疑念が拭えない。

「自分にしかできない仕事」


 Aと私は、会社の方針や待遇の悪さについて、喫煙室でよく雑談をした。AはQC活動や研修に精を出す出世主義的な後輩の態度に、いつも腹を立てていた。そういう人物を敬遠していた点は私と共通しているが、Aは乱暴な言葉で卑屈になったり、投げやりな態度をとることが多かった。自分が長く携わってきた仕事が、それゆえに自分だけの経験主義的な技術によって、新興の教育プログラムから除外される不満もあったのだろう。
 絶対的自信がある「自分にしかできない仕事」で望まぬ配転から除外されても、それは自らを縛る両刃の剣にもなる。原則的には同じ仕事ができる社員を複数人準備しておくことが、人員配置の義務的な措置である。
 「定年まで勤めるより退職金が上がる時期があるんだってよ。俺はその時に必ず辞めるからね」と宣言するのが、Aの口癖だった。私はその規定については半信半疑だったので、明確な発言は避けていた。Aはそれを本当に実行するつもりだったのだろうか。在職中にもう少し話し合えばよかったかも知れない。無念の思いが消えることはない。

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