沖縄報告 辺野古新基地計画はすでに破綻(10月11日発行)

岸田は埋立工事を中止し県との協議を
沖縄 K・S 10月3日

10.2全県各地でブルーアクション

 緊急事態宣言が9月末をもって終了した沖縄県で、10月2日の第一土曜日、オール沖縄会議が呼びかけて、辺野古ゲート前と海上および市町村の各地で一斉に、辺野古新基地に反対する抗議行動が行われた。行動の名称は「ブルーアクション」。参加者は、辺野古の海の色を象徴するブルーの衣服、帽子、タオル、マスクなどを身に着け集まった。コロナの前には、毎月第一土曜日は「県民大行動」として辺野古ゲート前に数百人から千人が集まっていたが、新たな統一行動として、オンライン発信の「ブルーアクション」がスタートした。
 辺野古ゲート前には、高里鈴代さんをはじめ共同代表、沖縄選出の国会議員を含め150人以上が集まった。集会の様子はオンライン発信された。
 海上では、抗議船4隻、カヌー8艇がK8護岸近くのフロートで抗議の声をあげた。初めて辺野古の浜から長島までの往復を自分で漕いだというカヌーメンバーAさんによると、行き帰りにウミガメに出会ったという。
 各市町村の街頭ではそれぞれスタンディングが取り組まれた。那覇市では、県民広場前に約30人、泊高橋前に約10人、安里十字路に約30人が集まり、翁長雄志知事のあとを継いで県議になった翁長雄治さん、南部の土砂を辺野古埋立に使わせない取り組みを精力的に進めるガマフヤ―の具志堅さんも参加した。その他の地域でも、名護市50人、沖縄市100人、うるま市70人、浦添市30人以上、豊見城市30人、糸満市30人以上、南風原町20人余、南城市約25人、八重瀬町約15人、北中城村10人以上などと行われた。
 規模とエネルギーはまだ以前ほど大きくはないが、全県各地で一斉に数百人が街頭に出て、辺野古新基地反対!埋立ストップ!の声をあげた。これからも沖縄は闘い続ける。

防衛局が美謝川切替工事の着工

 自民党の総裁が菅から岸田に代わっても「辺野古唯一」の日本政府の方針に変わりはない。沖縄防衛局は10月1日、沖縄県との協議を打ち切り美謝川の水路切替工事に着手した。新基地建設に伴い河口部が埋め立てられるため水路の切り替えをめぐって、沖縄県は①実施設計や環境保全措置に関する事項、②森林伐採に関する事項の2つで、防衛局との協議を続けてきた。ところが、防衛局は協議を一方的に打ち切り工事に着工したのである。
 玉城知事は「まことに遺憾。協議が整うまで工事に入るべきではない」と強く批判した。日本政府は沖縄県知事の言葉に謙虚に耳を傾けよ。沖縄県が高々人口150万人の小さな県だと軽く見てはならない。沖縄県は本来日本政府と対等の権利を有しているのだ。沖縄県の権利を尊重せよ。玉城知事の指示に従え。
 ヘリ基地反対協はキャンプ・シュワブ第2ゲート前で、美謝川切替工事の着工に抗議する集会を開き、約60人が駆け付けた。平和市民連絡会の北上田毅さんは、「協議を一方的にやめて工事に着工したことは許されない。そもそも、埋立変更申請の知事の許可が得られる見通しがない」と述べて、防衛局による工事着工を強く非難した。
 破綻することが分かっている辺野古・大浦湾の埋め立てを日本政府・沖縄防衛局は中止することができない。一度決めた国策は何があっても継続する惰性と無責任に染まった政権をかえなければならない。自公政府に終止符を! 沖縄県民の意思を尊重する新たな政府を!

米軍によるPFAS汚染に抗議

 米軍基地は県民生活を脅かす元凶である。一等地の陸地の占拠に加えて、広大な空海域の占有、航空機・ヘリコプターの墜落・不時着・部品の落下事故、深夜にまでおよぶ航空機の騒音、ジェット燃料・枯葉剤など有毒物質の流出、軍人軍属によるさまざまな犯罪、等々。加えて現在、有機フッ素化合物であるPFAS(PFOA、PFOSなどの総称)による河川・地下水・飲料水の汚染が大問題となっている。
 「PFAS汚染から市民の生命を守る連絡会」は9月29日、参議院議員の伊波洋一さん、高良鉄美さん、連絡会の共同代表のひとり・桜井国俊さんはじめ、80人が参加して、嘉手納の沖縄防衛局に対する要請行動を行った。要求項目は、①米海兵隊のPFAS汚染水の公共下水道への排出に抗議し謝罪を求める、②日本政府が米軍に肩代わりして莫大な費用を負担することに抗議する、③米軍基地への立入り調査を要求する、である。
 10月2日の新聞報道によると、普天間飛行場、嘉手納基地だけでなく、米海兵隊キャンプ・ハンセンのある金武町でも、昨年6月、水道水から国が定めた暫定指針値(1リットル当たり50ナノグラム)を超えるPFASが検出されていたことが明らかになった。
 毒水を排出する行為の責任が米軍にあるにも関わらず、米軍は「発生源は不明」として責任を認めようとしない。普天間飛行場の格納庫の地下貯水槽に残っている汚水について、日本政府が処分しその費用9200万円を負担することを日米が合意した。またもや米軍の責任逃れと日本政府の際限のない米軍追従。
 沖国大の佐藤学教授は琉球新報のインタビューで、「日本という国は米国と対等の主権国家ではなく、尻ぬぐいをする立場。安保が大事という話で判断が止まってしまっている。米国が憲法を越えた存在として日本のトップにいるという構図が国民の骨の髄までしみ込んでいる」と述べた。
 約20年前、神奈川の相模原補給廠のPCB廃棄物問題の際、最終的に、米国政府(米軍)の責任で、米国の経費負担で処理されたという。20年前神奈川でできたあたりまえのことが現在沖縄でどうしてできないのか。

沖縄は日本という船の舳先


 「船はその舳先が最も大きく揺れる。その舳先に立って四囲を見渡すと、航路の安全も危険もよくわかる。日本列島を一隻の船にたとえるなら、沖縄はその船の舳先。そこからはこの国の進むべき進路がよくわかる」と三木健さん(八重山郷土歴史研究家)が述べているという。進むべき航路を見失ってしまった日本の進路を沖縄から正していこう。

1944年10・10空襲から77年

今振り返り学ぶことは何か

米機動艦隊による無差別爆撃

 実質的な沖縄戦のはじまりとなった1944年10・10空襲から77年が過ぎた。サイパン・テニアンが陥落し、日本軍は全滅、沖縄戦と同様の凄惨な地上戦で民間人も多大な被害を受けて、東条英機内閣は退陣。日本はもう戦争どころではなかった。ところが、天皇は「官民一体戦力を物心両面に充実し以って皇運を扶翼すべし」(8月23日の地方長官会議)と発言し、率先して戦争を継続していった。そして、10・10空襲に至る。
 10・10空襲はアイスバーグ作戦の一環だった。アイスバーグ作戦は米軍にとって、続く九州、日本本土への上陸作戦に用いる拠点確保のための戦いであり、そのため沖縄を完全に制圧しようとしたのである。
 沖縄近海に接近した米軍艦隊から午前6時前、最初の攻撃機が飛び立った。日本軍は全く気づかなかった。「警戒警報はおろか、空襲警報のサイレンも一度も鳴らなかった」。住民も寝耳に水。「今日の演習はいつもより激しいなあと話しあっていた」「日本空軍の演習とばかり思い、屋根の上に登って見物した」などという証言が多い。
 動員した米艦隊は空母7隻、駆逐艦58隻などからなる高速機動部隊。出撃した米軍機の延べ出撃回数は、1396機。米軍機の攻撃は5波にわたった。第1波は飛行場と航空施設。読谷飛行場、嘉手納飛行場、小禄飛行場、など。第2波が飛行場と港湾、船舶、港湾施設。第3波は、那覇、渡久地、名護、運天、与那原、泡瀬などの港湾施設と市街地。そして第4、5波は主に那覇を集中的に狙って行われた。
 飛行場、港、軍施設さらに各地の人家が炎上、とくに那覇の被害が大きく、1万1010戸が全焼ないし全壊、那覇は廃墟となった。死傷者は軍民合わせて668人の死者を含み約1500人。那覇では、床下に防空壕を掘ったところがかなりあったようで、焼夷弾のために家が燃え逃げ場を失った人々が壕の中で焼け死んだ。米軍の無差別空襲である。10・10空襲のあと、住む家がない、食べ物がない、着るものがないという戦争の苦しみが始まった。

日本軍は首里城地下の司令部壕建設へ

 軍の弾薬、燃料や備蓄食糧、港に陸揚げされたばかりの住民の食料などが大量に燃え灰となった。離島航路の船舶もすべて撃沈。県の経済活動はマヒ。軍の損害は、航空機51機、船舶155隻、弾薬100万発、軍用食糧米30万俵、など甚大であった。
 大本営発表による戦況では、勝ち続けていたはずの日本軍。10・10空襲を通じて県民は、日本軍が敗退し後退してきたこと、いよいよ沖縄に戦争が近づいたことを知ることになった。このとき、那覇市安里の養蚕試験場にあった32軍司令部も焼けて、首里城地下に人工壕を掘ることになった。また、辻の遊郭も焼けた。1940年に270件、1000人以上いたとされる女性たちは、その後、日本軍慰安婦として戦場に動員されていった。
 10・10空襲は沖縄戦の悲劇の始まりであった。
 第32軍は10月10日に軍首脳部を集めて大掛かりな図上演習を予定していて、米軍が出撃体制を整えていた9日夜は那覇の料亭に各地の軍司令官たちを集めて宴会を開いていた。日米両軍の力の対比をこれほどはっきりと示すものはない。日本は戦争を続けるべきではなかったのだ。
 ところが、10・10空襲の後、沖縄の全島要塞化に拍車がかかった。「軍官民共生共死の一体化」方針のもと、小学生から女性、老人まで根こそぎ動員で陣地構築が進められ、沖縄戦に突入していった。

「人道の原則と国際法」を共通の価値観に

 10・10空襲に対して、日本政府は1944年12月11日、中立国のスペインおよびスイス政府の駐米大使館を通じて、「米軍機は、学校や病院、寺院、住居などのような那覇市街の非軍事的目標にやみくもに攻撃を加え、灰燼(かいじん)に帰せしめた。同時に無差別爆撃と低空からの機銃掃射により多数の民間人を殺害した。日本政府は、非軍事的目標や罪のない民間人に対するこのような意図的な攻撃が、今日、諸国家間で承認されている人道の原則と国際法に対するきわめて重大な違反であることを認め、抗議する」と、非難した。
 それに対し、米国は、この攻撃は、米国政府がこれまで主張してきた見解から国際法違反とみなすものの、それを認めれば、米国人捕虜を危険にさらし、戦争犯罪人とされる可能性がある、抗議文にある空襲の実態がどれほど正確か確認できない、などの理由から、黙殺する決定を下した。以上、大田昌秀『那覇10・10大空襲―日米資料で明かす全容』(久米書房、1984年)より。
 民間人の大量殺傷をともなう、あるいは目的とする戦略爆撃は、ドイツ軍によるスペインのゲルニカ爆撃が最初で、日本軍による南京や重慶への爆撃、米軍による沖縄爆撃や東京大空襲、広島、長崎の原爆投下で極限と化した。
 日本政府が「人道の原則と国際法」を基準にした米国批判を行っていたとは驚きだ。問題は2つある。①「人道の原則と国際法」は、他国に対してだけでなく、自国に対しても同様に適応される。中国侵略・アジア侵略の日本軍が「人道の原則と国際法」を守ったのか。日本こそ自己点検をしなければならない。
 ②日本政府が「人道の原則と国際法」に基づいて米国に対し公式に抗議をした例を他に知らない。戦後、米国により国体(天皇制)を救ってもらった日本の支配層は、歴史上他に例をみないほど、米国に追従し従属する国と化した。軍事力を武器に米国が行ってきたさまざまな人権侵害・国際法違反の行いに同調ないし容認しているのが戦後の日本政府だ。しかし、「人道の原則と国際法」こそは国を越えた共通の価値観とならなければならない。

2021.10.2 オール沖縄会議主催のブルーアクション
2021.9.22 琉球セメント安和桟橋入口ゲート
2021.9.29 沖縄防衛局。PFAS汚染から市民の生命を守る連絡会が呼びかけた集会に60人
2021.9.8 本部町健堅。彦山丸犠牲者を忘れない花壇で取材する韓国KBS

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