沖縄報告 全選挙区で自民対オール沖縄の対決
全4区で辺野古埋立反対候補の当選を
沖縄 K・S 10月24日
野党4党・市民共闘を押し上げよう
安倍・菅政治を継承する岸田内閣と野党四党(立憲・共産・社民・れいわ)・市民共闘とのかつてない対決が全国各地で激しく展開されている。不人気な菅から岸田に選挙向けに大急ぎで看板をすげかえた自公政権をどれだけ追いつめることができるか。
自公政治により踏みつけられ奪われ続けてきた勤労者大衆の大軍が、諸悪の根源たる自公政治に終止符を打つためにどの程度の規模とエネルギーで動きだすのか。全国各地でさまざまに現れているその動きを最大限に引き出し表現することが大事だ。
支配体制の危機には同時にその危機を救済しようとする勢力が第三極をよそおいながら登場してくるものだ。衰退する自民党を長らく支え続けた公明党、自公政権がゆらぎ始めるとともに政権を強く批判しながら登場をはかる維新の会、反「共産党」に固執して野党の分断を図る連合指導部と国民民主党。今回の総選挙で、自民党対野党4党という対立図式の中間にあるこれら体制補完勢力の動きが活発であるのは、自民党支配体制の没落の進行のあらわれに他ならない。
自民党は政治の表舞台から退場せよ。補完勢力にも用はない。戦後政治をひっくりかえす新しい日本の第一歩を踏み出すために、野党4党・市民共闘を押し上げよう。
7年間継続したオール沖縄のうねり
沖縄は4つの小選挙区がある。第1区は、那覇市と久米島、慶良間諸島や南北大東島などの周辺離島である。
第2区は、宜野湾市、浦添市、嘉手納町、読谷村、北谷町などの沖縄島中部地域で、キャンプ・キンザー、米海兵隊普天間飛行場、嘉手納基地、キャンプ・瑞慶覧を抱える。
第3区は、名護・沖縄・うるまの3市と国頭、大宜味、本部、金武などやんばるの町村および伊江・伊是名・伊平屋の各島からなり、米海兵隊のキャンプ・ハンセン、キャンプ・シュワブおよび辺野古新基地建設、北部訓練場、伊江島訓練場などを抱える。
第4区は、沖縄島南部の糸満・豊見城・南城の各市、南風原・与那原・八重瀬の各町、石垣市・宮古島市と竹富町、与那国町、多良間村からなり、自衛隊ミサイル基地配備の現場にあたる。
2014年の県知事選挙のあと実施された12月総選挙では、全4区で辺野古新基地反対を掲げたオール沖縄の候補が当選した。翁長知事の誕生と全4区の勝利を契機に、沖縄にはもうこれ以上基地はいらない!辺野古新基地反対!の沖縄の民意が定着し、翁長知事の急逝に伴う2018年知事選での玉城デニーさんの当選、2019年県民投票での投票総数の70%を越える埋立ストップ!の意思表示、などと受け継がれてきた。
過去7年間続いて来たオール沖縄のうねりを今度もまた大きく示そう。沖縄県全体で、4年前から有権者は約2万人増えた。過去2回、55%前後の投票率であったが、県民の政治的関心が投票率を押し上げるかどうか。全県各地の島ぐるみのメンバーは全4区の勝利のために全力で奮闘している。
選挙の対立構造は4区とも自民党対オール沖縄である。オール沖縄の立候補者は第1区=赤嶺政賢(共産)、第2区=新垣邦男(社民)、第3区=屋良朝博(立民)、第4区=金城徹(立民)。沖縄防衛局による辺野古埋立・サンゴ移植の既成事実化の進展に伴い、県民の間に諦めが広がるのか。さらに、金秀グループがオール沖縄から脱退したマイナスの影響がどれだけ広がるか。10月21日付の琉球新報によると、「1、2区でオール沖縄に勢い」、3区で「競っている」、4区は自民候補が「わずかに先行」となっている。
南城市、八重瀬町で総決起大会
全4区で勝つには、前回選挙で唯一自民候補が当選し、今回も自民候補が先行しているとされる4区がカギを握る。
10月24日(日)午後5時から、南城市大里イオン前交差点で、今こそ政権交代を!金城トオル南城市総決起大会が開かれ、約60人が参加した。
はじめにあいさつに立った瑞慶覧長敏南城市長は「安倍・菅政権の9年間で賃金も下がり教育費も減ったのに、増えたのは防衛費だけだ。まともな政治を取り戻そう」とアピールした。
参議院・沖縄の風の伊波洋一さんは「安倍・菅政権は沖縄の声を一切聞かなかった。7年前と同じように、4区すべてで勝利しよう」と訴えた。同じく、沖縄の風の高良鉄美さんは「政権交代で、沖縄の民意を尊重する政治を実現しよう。政権交代すれば辺野古は止まる」と檄を飛ばした。
照屋義実副知事は「全4区の勝利でオール沖縄がゆるぎないことを示そう」と述べた。
金城徹さんは自身の政治活動を振り返りながら、「翁長知事と共に保守の立場で、辺野古反対の主張を貫いてきた。子どもたちは沖縄の未来。負の遺産を残してはいけない」と力いっぱい呼びかけた。
25日(月)には、ひやみかちうまんちゅの会の主催で、八重瀬町総決起集会が開かれ、「金城トオルの勝利で政権交代を!」と訴えた。約50人が集まった。
25日から辺野古現地行動の再開
コロナ感染が徐々に下火になるに伴い、オール沖縄会議は10月22日、「抗議活動を10月25日(月)より再開する」との通達を出した。これまでも各参加団体による自主的な監視・抗議行動が続けられてきたが、全体的にさらに一段階レベルアップした抗議行動が展開されることになる。毎月第1土曜日のブルーアクションは、辺野古ゲート前と抗議船・カヌーによる海上行動など現地と県内外の各地を結んで繰り広げられる。琉球セメント安和桟橋・本部塩川港の現場も活気を取り戻すだろう。
県内外から辺野古現地に結集する態勢をつくり上げよう。
カヌーチームTさんの報告
10・23(土)
辺野古・大浦湾
抗議船2隻、カヌー6艇
松田ぬ浜はナギ状態に近い。今年4月15日海上保安庁のGB(硬質ゴムボート)に激突されて6カ月が過ぎた。まだ整形外科に通っている。首の痛みは30%ほど残っている。右足の裏の感覚がなく、まるで下駄を履いているようだ。
今日は5人のメンバーとカヌーを漕げたことが非常に嬉しい。久しぶりの海は新鮮で潮風は心地よい。松田ぬ浜から自走でK8護岸まで行った。まだまだ漕ぐ力は衰えていない感じで一安心だ。赤土をダンプカーに移し替える光景は変わっていない。このようにして少しずつ自然を破壊していく。
その後6人のカヌーメンバーは平和丸に乗り移りK9護岸に向かった。フロート手前で2時間あまり待機し、赤土満載のランプウェイ台船が護岸に入って来たタイミングでフロートをこえて阻止行動を行った。すぐに拘束されるが、辺野古の第一線でのこの行動は大きな意味を持っていると私は思っている。
私はフロートの中には入らなかった。今度GBと激突したらとても首がもたない。
世界的にも貴重な海を破壊する行為はとても正視できない。仕事だからと自分を正当化している人たちがいることは事実だが、単に自分をごまかしているだけじゃないだろうか。
県内市町村の中国での戦争体験記を読む(57)
日本軍の戦時暴力の赤裸々な描写
中国侵略の日本軍には、県内各地からも多くの青年たちが動員されて命を落とし、また、戦争の実態を目撃し体験した。今号では、中国で負傷して沖縄に帰って来ていたが、1942年に朝鮮に渡った具志川の大城さんの証言を取り上げる。引用は原文通り、省略は……で示した。
『具志川市史』第5巻「戦争編
戦時体験Ⅱ」(2005年)
大城 清
21歳のとき具志川尋常高等小学校で徴兵検査を受け、現役で熊本へ行きました。輜重(しちょう)兵として訓練を受け、昭和十三(1938)年に応召されて中国へ行き、私たち輸送部隊は弾丸や食糧を運んだ。迫撃砲でやられけがをして熊本に帰されました。傷はうまいこと急所をはずれていて、肩からのどをやられたけど運がよかったんでしょう、療養して元気になった。
沖縄に帰ってきて今度はマラリアに罹り、毛も抜けていました。沖縄は仕事もないし、戦争から帰ってきても何もできない。
私の母親はハワイに移住してヒロ市に住んでいました。復員した後、ハワイから手紙がきたんです。戦争状態じゃないけど、手紙がきたってことは非常に不思議でした。差出人はヒロ婦人会と書いてあり、これにお母さんからの手紙が入っていた。ハワイには飛行機も軍艦もいっぱいあって大変な軍事力があるから、戦争になったら沖縄は危ないから早くどこかへ逃げなさいと書いてありました。
どうすればいいか考えているうちに、泡瀬の小渡良忠さんから朝鮮に行こうと誘いがあった。朝鮮の三菱カーバイト電力で戦争物資を作っていたんです。……カーバイトは莫大な原料で、電気炉で作る時には非常に熱い。朝鮮人はあの暑さに弱いが、沖縄の人は暑さに強い。戦争帰りの元気になった人は、沖縄から連れてくるようにと、三菱の上からの命令で、良忠さんは私のところに来ていたのです。待っていましたと言って、すぐ行ったんです。
昭和十七年の暮れに三男の清純が生まれてすぐだったと思います。家族を残して単身で渡りました。十名ぐらい一緒に行きました。……朝鮮には終戦まで三年間いました。順川(スンチョン)にある工場で何万人と作業していました。……
工場では軍から、さんざんカーバイトを持って来いとか、硫酸も出せと言われていた。朝鮮人はこの戦争は日本が負けるから働かなくてもいいといって、なるべく仕事をさぼって工場を困らせるようなことをやっていました。
私は2万キロの電気炉がある2号電力機を任せられ、組長になったのでやりづらかったです。ただ、朝鮮と沖縄は兄弟だから一緒にやろうと言ってやったんです。私は電気炉に付きっきりでしたので、「大城さんは偉い偉い」と朝鮮人に言われた。私以外の連中は、カーバイトを砕いて石油缶みたいなものに詰めていました。
日本人は朝鮮人を「ヨボ、ヨボ」と言って、朝鮮と沖縄は同じ未開国といって軽蔑していました。それだから、朝鮮人は沖縄と朝鮮は同じだ、兄弟だと思っていたらしいです。社長から同僚の朝鮮人にも酒を飲ませなさいとたくさんお金をもらいました。鹿児島出身の二人の組長はそういうことはやっていなかったが、私は飲みにいこうと誘って飲ませてあげたこともあります。……
負けたあとすぐソ連軍がきた。三菱の工場では、作業員だから乱暴なこともできないし、工場を壊すこともできない。……従業員が寝泊まりしている寮を貸せというんです。……ソ連兵が200人ぐらい来ていました。手まね足まねで私たちがここに住むからお前たちは出て行けというんです。……私たちはしょうがないから別のところにテント小屋を造って住んでいました。……
工場の組長は三名いて、1号と3号の電力機の組長は鹿児島県出身でしたが、朝鮮人が二人の組長の手を両方から引っ張って立たして、向こう側に20名ぐらいの朝鮮人が並んで、「はじめ」と言ったら、頭を下げて走って行き、組長の胸にぶつけ、胸を砕くんです。三人ぐらいでは砕けて血を吐いていた。殺されたのは、組長の二人だけで、死体を板にのせて家まで連れていきました。それを見て私は沖縄には帰れないと思いました。
そのあと、私の部下が家に来たので、今日は私の番だ、やられるんだと思っていたら、「馬鹿をいうんじゃない、あんたを殺す必要ない」と言われた。殺された二人の組長は、さんざん従業員をいじめていたので仕返しされたんです。私はそんなことはしなかったから助かりました。……
沖縄は久場崎に着いてインヌミヤードゥイ(当時の美里村、現在の沖縄市高原に設けられた米軍の引揚者収容所)に一晩泊って、トラックで各部落に帰された。……家はどうなっているだろうと帰ってきたら、家がないんです。瓦葺の家を全部壊され、屋敷は道路になっていました。家族は屋敷の奥の畑にテント小屋を造って住んでいました。
週刊かけはし
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