寄稿 群馬の森「記憶 反省そして友好の追悼碑」建立の経緯(上)
市民の取組み 議会も動かす
歴史否定のヘイト集団許すな
荒木田 進
政治の過ちを
繰り返さない
戦後50年を迎えるにあったって、戦後50年の日本の政治の過ちを繰り返さないために、一人の市民としてやれることをしようと、「戦後50年を問う群馬市民行動委員会」が、1995年3月に発足した。この委員会は、①政党や宗教に関係なく、平和と民主主義を求め高めることを願う市民の集まりとする②従って一つの思想や規約・規範を押し付けない③議論だけでなく、行動も展開するなどの原則で行動し、特に、群馬県内の中国人・朝鮮人の強制連行・強制労働の調査活動を行った。
この行動を基礎に、戦後今日まで放置されて来た群馬県内で犠牲になった朝鮮人強制連行犠牲者を追悼し、強制連行・強制労働の事実を伝え、正しい歴史認識を広め、アジア諸国民衆との友好・連帯を進めることを目指して、1998年9月に、朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会が結成された。
建てる会は、賛同金を1000万円を目標に集めるとともに、追悼碑は、お墓ではなく、近代的な構造物とすることなどを決めるとともに、追悼碑を建立する場所の第1候補として、戦時中の陸軍岩鼻火薬廠の跡地であり、沼田上川田の火薬廠地下工場と深い関係にある県立群馬の森公園を用地として提供してもらうことを県に要請することを決定し、県知事に要請した。
しかし、この段階では県側は「都市公園法」の制約があり困難だという見解を示していた。そのため、2001年3月境野貞夫県議を紹介議員として会の運営委員14人が請願者となって、群馬県議会に追悼碑の建立地として県有地の提供を要請する「戦時中における労務動員朝鮮人犠牲者の追悼碑建立に関する請願」を提出した。
この請願は5月県議会で全会一致で趣旨採択される。これを受け、高山副知事が、追悼碑建設用地として、群馬の森を提供することを言明、追悼碑の形状、その具体的な内容について県保健福祉部を窓口として折衝が始まる。
なおこの間、強制連行に関わった企業に追悼碑建立の趣旨の理解と資金カンパを要請する訪問活動を行った。残念ながら、富士重工、JR東日本からは協力できないと拒否回答があった。大成建設、間組、鹿島建設からは意思表示が行われなかった。
市民作成の
碑文の原案
群馬県との交渉にあたって提出した碑文の原案は、次の通りである。
「20世紀の初頭、我が国は朝鮮を植民地として36年間支配してきた。この間、土地を奪い、言葉を奪い、名前も日本名に変えさせ、神社参拝を強制するなどの苦痛を強要した。
アジア太平洋戦争の拡大に伴い、労働力不足を補うために多くの朝鮮人が徴用されていた。戦争の長期化と敗色を深める中で、さらに労働力の補充のため、我が国は朝鮮から強制的に連行する政策を採用した。
こうして日本に強制連行された人々は百万人をはるかに超えた。朝鮮人労働者は満足な食事も、衣服も与えられず、昼夜を分かたぬ過酷な労働と悲惨な生活環境による病気あるいは事故、空襲などにより、無念にも異郷の地に命を落とした。群馬県内にも軍需工場・地下工場・飛行場・発電所・諸鉱山などに数千人の強制連行労働者が投入され多数の犠牲者を生むに至った。
21世紀を迎えた今、私たちは我が国が朝鮮人に対し、このような図り知れない損害を与えた事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と繰り返さない決意を表明する。
私たちは過ちを忘れることなく、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考える。ここに強制連行による犠牲者を心より追悼するためにこの碑を建立する。この碑に込められた私たちの願いを若い世代に引き継ぎ、さらに理解を深め、アジアの平和をと友好の発展を願うものである」。
「強制連行」使用
県は頑強に拒否
これに対して、10月28日に群馬県は回答を寄せ、申請団体は申請団体名を「朝鮮人・中国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会」から「労務動員朝鮮人犠牲者追悼碑を建てる会」と変えてほしい。「強制連行」という言葉は外務省とも相談したが、募集、官斡旋、徴用とあって、どこからどこまでを強制連行というのか線引きが困難だ。記録もなく、入国の時期、人数、規模、入国の経緯も明確でない。政府としては、強制連行としての把握をしていないという見解だ。
碑文の原案については、「強制連行」という用語は外務省とも相談したが政府が認知しないので認められない。村山・小渕談話の範囲で表現してほしい。そして、碑文原案の前半の歴史経過を全文カットした文案を例示した。これらに対して碑文についての心残りはあるが、これは今後の運動で克服する課題として、完成後の追悼碑の維持管理団体として、「記憶、反省そして友好の追悼碑を守る会」を設立して、会則を整備することとし、碑文も細部の表現も含めて合意し、追悼碑は「記憶 反省 そして友好の碑」として2004年4月に完成し、4月24日、追悼碑前で盛大な除幕式が行われた。
完成した「記憶 反省 そして友好」の追悼碑には、碑文が刻まれた。
碑文 追悼碑建立にあたって
20世紀の一時期、わが国は朝鮮を植民地として支配した。また、先の大戦の最中、政府の労務動員計画により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、事故や過労などで尊いいのちを失った人も少なくなかった。
21世紀を迎えた今、私たちは、かってわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。
過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する。この碑に込められた私たちの思いを次の世代に引き継ぎ、さらなるアジアの平和と友好の発展を願うものである、
2004年4月24日
『記憶 反省そして友好』の追悼碑を建てる会
この追悼碑は、建てる会から守る会に名を変え、この碑の管理団体になり、期限がつけられた10年間群馬の森の一角に位置し、毎年追悼行事などを行うなどして、追悼碑を守る会に守られてきた。10年間はあくまで区切りであり、当然群馬の森公園にふさわしい構造物として、当然10年目に再延長されるものと誰もが考え、年が過ぎてきた。もちろん管理者である群馬県から、撤去を求められることもなかった。しかし、許可された10年を前に、右翼、ヘイト団体の追悼碑撤去運動が始まることになる。
襲いかかる右翼、ヘイト団体の出現
群馬の森に設置された『記憶 反省そして友好』の碑は、10年間の設置許可を得て、建てる会から変わった市民団体「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を守る会が、管理を続けてきた。2014年の1月末の設置期限を前に「追悼碑を守る会」が延長を申請したところ県側はこれを保留した。これは、外国人の排除、特に韓国、朝鮮人への差別・ヘイト行動を激化するネット右翼・在特会などのヘイト団体の追悼碑を撤去せよという攻撃メールが県に集中し始めてからだ。
県は延長許可を保留したままこれらのメールをもとに、設置許可への違反がなかったかを守る会に事情聴取を始める。それまで、10年間にほとんど県から「追悼碑を守る会」の管理が不適切だとの指摘もしなかったことと比べこの事情聴取はヘイト団体の攻撃に影響を受け始めたことを示している。
県に届けられた抗議メールは、2012年まで毎年開いていた追悼碑前での追悼集会を報じる朝鮮新報から抜き出されたものであった。特に、朝鮮新報が、5月15日付で、同年4月21日に開催された追悼式の記事を報じたのを契機としている。このことを契機として群馬県職員は追悼式における発言を知ることとなるがこれをもって政治的発言として問題にすることはなかった。
さらに、ネット右翼のそよ風は安倍政府の歴史修正主義を推し進める自由民主党が多数を占める群馬県議会に2014年5月に追悼碑の設置許可取り消しを求める請願を提出。自民党は建てる会が群馬県との合意に基づき提出した『記憶 反省そして友好の碑』を群馬の森に建てる請願については10年前には全員賛成をして、その請願を採択しておきながら、今回は態度を一転し、歴史修正主義・ヘイト攻撃に満ちたこのそよ風の請願を賛成多数で成立させたのだ。3本の請願を一括採択する際行われた審議においての自民党の意見は、右翼・ヘイト団体と変わることなく、強制連行などの発言をし、許可条件違反の政治集会を繰り返したことによって、『記憶 反省そして友好の碑』は政治的中立性を失い、群馬の森公園に設置される根拠を失ったとするものであった。
ヘイト集団
に県が屈服
この後、群馬県は、延長申請に対して取っていた保留の態度を一変し、主に2つの理由を挙げ、許可を更新せず撤去を求めてきた。その理由について県は除幕式や追悼式で政治的発言が行われ一部内容を政治行事とするもので、政治的行事及び管理を禁じた許可条件に違反する行為でありこの結果追悼碑の設置目的が、日韓、日朝の友好の推進に有意義だという当初の目的から外れまた政治的発言が行われた結果、本件追悼碑は存在自体が論争の対象となり、街宣活動、抗議活動など紛争の原因となった。したがって、本件追悼碑は、都市公園の効用を喪失したと断定し追悼碑の撤去の処分を決めたのだ。
この結果、2014年11月追悼碑を守る会が原告になり、この不許可処分は、その判断の基礎に、重大な事実誤認や明白な評価の誤りがありまた判断過程に重大な誤りがあるから裁量権を逸脱、乱用したものであり、同時に原告の表現の自由を侵害するものであるから、取り消しは免れないとして前橋地裁に提訴をした。
高裁もまた
行政を容認
この判決は2018年4月、前橋地裁で行われた。塩田直哉裁判長は、原告側と県が話し合った上で強制連行の文言を使って発言したのは「政治的」だとして設置条件に違反すると判示した。ただ、政治的な行事によって「追悼碑」が都市公園の施設としてふさわしくなくなったと県が撤去処分を決めたことについては、直後に混乱などが起きていないことなどから認めず、県の不許可処分を裁量権を逸脱して違法だとして、その処分を取り消す判決を出した。
判決文の中で、裁量権を逸脱した点については群馬県が、右翼・ヘイト団体のメール攻撃に影響され、守る会に事情聴取を進め、さらに群馬県に自民党議員を紹介議員として出された追悼碑の撤去を求める請願が成立するや否や「守る会」に追悼碑撤去を言い渡した点を詳細に検討して裁量権を逸脱して違法であることの理由を述べている。
「原告・追悼碑を守る会が本件許可条件に違反したことにより、本件追悼碑が都市公園の効用を全うする機能を喪失し、公園施設に該当しなくなったかについて」として2004年、05年、06年と毎年追悼式が開催され、05年、06年に政治的発言が行われているにもかかわらず、2011年5月に朝鮮新報に追悼式の記事が出るまで群馬県への抗議の電話やメールが寄せられることはなかった。したがって、強制連行などの政治的発言が直ちに、公園の効用を喪失させたということはできない。また、群馬県の職員が朝鮮新報の記事を平成24年に確認していても追悼碑を守る会に対して、事実確認を全く行わなかった。これは県が政治的発言が行われたとしても都市公園としての効用を直ちに喪失することを考えていなかったことを示していると判示している。さらにその後押し寄せたヘイト団体の抗議電話やメールそして直接の抗議行動についても検討を進める。「抗議団体の抗議活動や街宣活動の内容は、追悼碑の内容が真実でないから撤去すべきだというものであり、群馬県も追悼碑の内容自体は正当だと認めているのだから、むしろ抗議に押し寄せた団体に対してその内容は正当だと説明すべきものだったと指摘している。また2012年11月4日、ヘイト団体らが、高崎駅前で追悼碑撤去の宣伝を行い、さらに群馬の森に行き、公園職員と小競り合いになりさらに警察と小競り合いになったことに触れているが、群馬県は、これについて何の調査もしておらず、公園の利用に影響を及ぼす証拠として取り上げられないと述べている。
とにかく前橋地裁判決は、追悼碑の価値を認め、ヘイト団体の抗議行動と請願行動の影響を受けた群馬県の追悼碑撤去の行政処分から追悼碑に寄せる市民の心を守る判決となった。
しかし、この判決に対して群馬県は控訴し、東京高等裁判所の高橋穣裁判官は6回の口頭弁論の後、2021年8月26日、群馬県の追悼碑の撤去の処分は、裁量権を乱用する違法な処分だとして群馬県の追悼碑撤去処分を取り消した前橋地裁の判決を覆し、群馬県の主張を認め行政に迎合し、県の主張を全面的に認める判決をした。
判決の中で過去3回の追悼式で参加者が強制連行という言葉を使ったことを挙げ、これらが政治的発言にあたり、本件追悼碑を管理する被控訴人自身が、その碑文に記された事実の歴史認識に関する主義主張を訴えるための行事を行ったものといえる。このような被控訴人の行為により、本件追悼碑は政治的争点に係る一方の主義主張と密接に関係する存在とみられるようになり、中立的な性格を失うに至ったから、公園施設として存立する上での前提を失うとともに、設置の効用(日韓、日朝の相互の理解と信頼を深め、友好を促進すために有意義であり、歴史と文化を基調とする本公園にふさわしいもの)も損なわれたということができるから、追悼碑撤去を認めることが相当とした。
この判決は、地裁判決が裁量権の乱用に事実に基づいた検討を加えた上で判示した部分をそっくり切り取り、群馬県の主張をそのまま結論とするものである。少なくとも地裁に差し戻すのならまだしも一度は、否定された群馬県の主張をそのまま判決としたのである。これは、行政に対して、司法を従属させるという司法の独立を自ら投げ捨てたものということができる。この裁判は、追悼碑を守る会が、最高裁に上告して争いは続くことになる。
天皇制大日本帝国が拡大発展する中で植民地とされた朝鮮から帝国本国に強制連行された韓国・朝鮮人労働者がいかに人権を否定され悲惨で過酷な労働に従事させられ、アジア・太平洋戦争の時を過ごしたかを知っている日本の労働者、市民によって二度とこのような歴史を繰り返さないために、事実を調査し、その被害を明らかにし、その被害の賠償をその当時の国や雇用した企業に請求する運動が進められてきた。朝鮮人追悼碑に刻まれた思いは、そのような人たちの思いである。そして、その思いは、歴史研究としても深められ、敗戦によってその拡大は停止したが、いまだ反省が明らかにされていない大日本帝国の植民地政策の誤りを記憶し、反省し、その上で友好を広げ、平和をアジアに広げていく思いである。
(次号に、朝鮮人強制連行はどのように行われたのか。群馬県での強制連行労働現場の実態を掲載する。編集部)
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