沖縄報告 5.15沖縄の本土復帰50年にあたって

県民の意思を尊重する政府を

沖縄 K・S 5月8日

 今年は、1972年5月15日の沖縄の本土復帰から50周年にあたる。月日の流れるのは早いものだ。米軍による直接占領の27年を上回り、その倍近くの時間が流れたことになる。「極東の要石(The Keystone of Fareast)」として軍事要塞化された沖縄は復帰後、施政権を回復した日本政府により、米軍・自衛隊による日米軍事一体化の島嶼として一層がんじがらめの軍事拠点とされている。

1.国交相が埋立変更不承認の県に対し「是正の指示」
 
 4月28日、日本政府は沖縄県に対し「是正の指示」を出した。「是正の指示」といっても何のことかすぐには分からないだろう。むしろ、何か沖縄県行政の「偏向」を正すよう指示しているという印象があるかも知れないが、実は、辺野古埋立設計変更申請を承認せよ、国に従え、と県に命じているのである。
 大浦湾の埋め立て予定海域に、強度がマヨネーズ並みといわれる軟弱地盤が最深90mにおよぶ個所を含み広範囲に存在している。埋立はこの軟弱地盤の改良工事を成功裡に行わない限り完成しない。そこで、辺野古側の埋立・護岸造成・土砂投入をすすめながら、防衛省・沖縄防衛局は2020年4月、大浦湾側の大規模地盤改良工事を柱とする埋立設計変更申請を沖縄県に提出した。公有水面に係る埋立工事に関して沖縄県が許認可権を有するからである。

埋立設計変更「不承認」は沖縄県の正当な権限

 2021年11月、沖縄県は防衛省の埋立変更申請を不承認処分とした。その理由は、①90mにおよぶ大規模地盤改良工事は国内外で施工実績がなく成功が見込めない、②軟弱地盤の調査が不十分、③無理な工事の強行が辺野古・大浦湾の環境を深刻に破壊する、④知事の承認を得てからも工期は10年以上の長期にわたり、普天間飛行場の運用停止という喫緊の課題を解決するものとならない、⑤何より、2019年の県民投票で示された辺野古埋立反対!という県民の総意に反するもので埋立を直ちに中止すべき、などであった。
 行政不服審査制度を利用した防衛相からの審査請求を受けて、国交相は4月8日、沖縄県の「不承認処分」が「行政権の乱用」にあたるという理由で取り消し、4月20日までに「承認」するよう勧告を行った。旧態依然とした中央集権行政。もちろん県は埋立設計変更を承認する訳がない。

日本政府―沖縄の上下関係を通じた構造的支配

 すると、国交相は4月28日、法的拘束力のない「勧告」から、法的拘束力の生じる「是正の指示」に切り替えて、沖縄県に対し変更申請を承認するよう迫ってきたのである。期限は5月16日。5月15日には沖縄と東京で、日本政府と沖縄県の共催で沖縄の本土復帰50周年記念式典が予定されている。日本政府が政権の権威発揚のため沖縄を利用するのはこの日かぎり、翌16日からは強権発動という訳だ。サンフランシスコ条約の発効で日本が独立を取り戻した時、米軍の直接占領下に置かれ続けた沖縄を象徴する4・28に「是正の指示」を出し、復帰しても軍事植民地状態に置かれ続ける沖縄の5・15の翌日を期限とするとはどういうことか。まことに岸田内閣の政治家と官僚たちの沖縄に対する態度はヒジュルー(冷たい)、露骨な悪意に満ちている。
 国交相の「是正の指示」に対し、沖縄県の玉城デニー知事は総務省の国地方係争処理委員会へ審査を申し出、「違法な国の関与」を取りやめるよう主張する予定とのことである。今後、県と政府の争いの舞台は司法の場に移ることになるが、その結果は目に見えている。中央政府による合法的沖縄支配の構造が出来上がっているのだ。しかし、闘いを止めるわけにはいかない。埋立をストップし辺野古新基地建設を白紙撤回させるまで闘いは続く。

2.復帰50年―沖縄の現実と県民意識


共同通信社の復帰50年県民意識調査

 共同通信社は復帰50年を前に実施した県民世論調査の結果を4月下旬に発表した。県内125地点から選んだ18歳以上の男女1500人に郵送で調査票を送り、905人の有効回答を得たという。設問は計30問。設問と回答のいくつかは次の通りである。じっくり目を通していただきたい。

問2 沖縄県は5月15日で日本復帰から50年を迎えます。あなたは、沖縄が日本に復帰して良かったと思いますか、思いませんか。
 良かったと思う 94%
 良かったとは思わない 5%
問3 あなたは、復帰後の沖縄県の歩みに満足していますか、満足していませんか。
 満足している 41%
 満足していない 55%
問5 (満足していないと答えた)もっとも大きな理由は何ですか。
 米軍基地の整理縮小が進んでいない 40%
 日本国憲法の下でも人権が尊重されない状況が続いている 23%
 期待したほど経済が発展していない 20%
 子どもの貧困が深刻なままだ 13%
問7 あなたはうちなーんちゅ(沖縄人)であることと日本人であることのどちらを強く意識しますか。
 うちなーんちゅ 37%
 どちらかといえば、うちなーんちゅ 34%
 どちらかといえば、日本人 14%
 日本人 13%
問18 沖縄県には在日米軍専用施設の約70%が集中しています。あなたは、沖縄県にある米軍基地をどうするべきだと思いますか。
 全面撤去するべきだ 14%
 大きく減らすべきだ 58%
 現状のままでよい 26%
問23 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設をめぐっては2019年、沖縄県の県民投票で反対が多数を占めましたが、政府は移設に向けて埋立工事をしています。あなたは、政府の姿勢を支持しますか、支持しませんか。
 支持する 30%
 支持しない 67%

継続する軍事基地の重圧と県民の変わることのない反基地意識

 復帰して50年。県の人口は復帰前の90万人から145万人に増え、国内外の観光客数はコロナ前に年間1000万人に達するまでに拡大した。県出身者の文化・スポーツ・芸能分野における活躍は目覚ましい。社会インフラ整備はかなり進んだといえるが、沖縄島の約15%を占める米陸・海・空・海兵四軍の広大な基地(米軍関係者数にして約5万人)の存在により、限界がある。
 加えて、自衛隊が各地で基地建設を進めてきた。産業構造は第一次産業と第三次産業に偏っており、就職口の狭さ、所得の低さ、教育・育児など社会福祉の貧困が継続している。過去50年間の米軍人軍属関係者の犯罪数は殺人・強盗・放火・強姦を含む6019件。嘉手納・普天間両飛行場の深夜・早朝におよぶ騒音、PFAS(有機フッ素化合物)をはじめ環境汚染が絶えない。
 こういった復帰50年の現実の中で、県民意識は一言でいうと、「復帰して良かった」が、復帰後の現実は①広大な米軍基地、②人権侵害、③経済不振、④子供の貧困のため、満足できない、米軍基地は全面撤去ないし大幅削減し辺野古の埋立は中止すべし、とまとめることができよう。
 また、日本人意識よりはるかにうちなーんちゅ意識の方が強いことは、県民の大多数が「復帰して良かった」と回答したことと矛盾があるのではないかと感じる人がいるかも知れない。県民は、復帰により沖縄が日本の一部になったと考えているのであり、沖縄人をやめて日本人になったと考えていない。
 帰属意識はあくまでウチナー(沖縄)であり、沖縄独自の歴史・伝統・文化・習慣に誇りを持つウチナーンチュ(沖縄人)なのである。今年10月30日には那覇市で、世界中のウチナーンチュ40万人の代表が集まり「第7回世界ウチナーンチュ大会」が開催されるが、沖縄の独自性と自尊心を大々的に確認する場になるだろう。

日本の中に沖縄というもう一つの国(のタマゴ)がある

 では、日本―沖縄の関係性とはいったい何なのか。
 日本は、19世紀中盤まで琉球から経済的利益を奪うことに力を注いだが、帝国主義が世界を覆う19世半ば以降、軍事利用が主な目的となった。東アジアに占める沖縄の地理的位置が強調され、皇民化教育、徴兵、軍事基地建設、不沈空母化、沖縄戦、米軍占領、全島核基地化、自衛隊派兵、米軍の駐留継続、ミサイル基地網造成と連なる過去100年以上にわたる軍事利用が今日まで続いている。
 沖縄県久米島出身の評論家・佐藤優さんは「大日本帝国は滅びましたが、現代の日本も、均質な国民国家ではなく、沖縄という外部領域を持つ『帝国』であるという視点が必要です」(『大世界史』文春新書)と述べている。その通りだ。日本は「沖縄という外部領域」と日本本土からなる複合国家なのである。薩摩の琉球侵攻と明治の琉球併合により、琉球・沖縄という「異国」が日本の中に取り込まれ同化されないまま存在している。おそらく将来にわたって同化されることはないだろう。
 日本という国の中に、沖縄というもう一つの国(のタマゴ)があると考えれば分かりやすい。やがてヒナがかえり成長して政治的覚醒を遂げれば「沖縄自治共和国」という新しい国となり、日本本土との連邦制を求めることになるのではないかと私は思う。というのは、日本の国の中に留まりながら日本本土の東京政府に支配されず自立した対等の沖縄を考えれば、自然とこのようにイメージされるからである。
 今回の県民意識調査にも現れた、復帰後の現実に対する県民の不満(基地、人権侵害、経済、貧困)は、突き詰めれば根はひとつ、広大な米軍基地の存在から発生しているといってよい。基地のあり方をめぐる日本政府と沖縄県民との対立は、翁長知事が安倍首相・菅官房長官との対話で「沖縄には民主主義が適用されないのか」と嘆いたように、日本政府が「軍事は国の専管事項」と主張してハナから沖縄の異議申し立てをすべて無視してきた。国―地方の支配・従属関係の上で地方自治の割合を例えば3割から5割に拡大すれば解決されるという類の問題ではないところに、基地問題・軍事外交問題の深刻さがある。道は二つに一つ、国が国家権力の力で沖縄県民を押しつぶすか、県民の意思を尊重する政府をつくるかのどちらかしかない。

出版されなかった上原康助さんの『沖縄独立の志』(仮題)

 復帰前の国政参加選挙(1970年)から社会党の国会議員として活躍した元全軍労委員長の上原康助さんは、1997~8年に、『沖縄独立の志』(仮題)と題する本の原稿をしたため「日本政府が納得する独立には一国二制度を選択するのが最も現実的だ」と述べていたことが明らかになった。復帰前後の大衆集会では、上原さんの熱のこもった演説に何度も耳を傾けたものだ。
 米海兵隊員3人による卑劣な少女暴行事件があった1995年は、8万5000人の参加した県民大会が開かれ日米政府に対する県民の怒りがふつふつと燃え上がっていた時期であった。5月7日付の地元紙の報道によると、上原さんは、米軍基地を完全撤去するゼロオプションではなく日米安保を認めたうえで米軍基地の半減を目指すハーフオプションを提唱したとのことだ。20年以上にわたり国会議員を務めた政治家がいかなる形にせよ「沖縄独立」を口にするには勇気が必要であったことだろう。結局、本は出版されなかった。
 上原さんの構想は、「独立」をタイトルとしているが内実は「自治権拡大」であり、「基地を無くしたい」県民の意思が尊重される保証はない。なぜなら、沖縄の自己決定権が明確でないからである。軍事に関する自己決定権を持つためには、中央政府と沖縄との関係を上下関係から対等の横の関係へと変えなければ解決しない。日本というひとつの国でそういうことが可能なのか。もちろん可能だ。
 沖縄はかつて数百年にわたり琉球という独立した国であった。世界の情勢も変化していく。各地の民族自決権・自治権をめぐる闘いも進展していく。日本が明治以来の中央集権国家を止め、中央政府と沖縄が対等の関係になって沖縄の自治・自決権を全面的に認める国に発展しさえすればよいのである。いわば21世紀の新しいこの国のかたちをつくるために、沖縄県民がさらに自覚を深め、日本国民も国民的規模で意識を変えていく。それが次の50年の課題である。

3.「南西諸島の非武装地帯化」による日中の戦略的平和共存


ウクライナ政府のツイッターが想起させた天皇制日本の暴力

 ウクライナ政府はツイッターの公式アカウントに、ロシアのプーチン政権を現代のファシズムと非難し、「ファシズムとナチズムは1945年に敗北した」と述べて、昭和天皇とドイツのヒトラーやイタリアのムソリーニの顔写真を並べた動画を投稿していたが、4月25日までに、「友好的な日本の人々を怒らせる意図はなかった」と謝罪し写真を削除した。日本政府も「不適切で極めて遺憾」と述べ削除を要請していたことを認めた。しかし、ドイツ政府が削除を求めたという話は聞かない。なぜなら、ドイツは歴史の真実を直視しナチズムとヒトラーの犯罪の追及と根絶にとことん国を挙げて取り組んできたからである。
 大日本帝国と天皇がドイツのヒトラー、イタリアのムソリーニと三国同盟を結び、アジアを舞台に侵略と暴力の限りを尽くしたことは歴史的な事実だ。違いは、ヒトラーは自殺しナチス・ドイツは終焉したが、天皇は戦後日本の支配者となった米国により命を救われ、日本国の象徴に収まったことだ。大日本帝国の最大の戦犯・天皇が新しい憲法の下で日本国の象徴に収まったことにより、日本の犯した国内外における数々の犯罪の真相究明と処罰・謝罪を追及する動きはなおざりになり、うやむやに放置されることになった。戦犯と財閥と軍隊は復活し、戦前の政治につながりのある多くの政治家・官僚・学者・言論人が表舞台に登場し活動した。
 台湾から鹿児島の間に浮かぶ与那国、石垣、宮古、沖縄、奄美の島々は、元々「琉球列島」と呼ばれていたが、明治の天皇制政府により「南西諸島」と命名された。そして、「帝国の南門」として南方侵略の拠点とされ、日本のアジア侵略戦争の最後の戦場とされた。大日本帝国において、沖縄は「門」にすぎなかったのであり、沖縄戦で「帝国」を守る防波堤とされ廃墟となった。歴史は繰り返す。いま、ミサイル基地を軸にした「南西諸島の軍事要塞化」が急ピッチで進んでいる。

平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書

 「二度と沖縄を戦場にしてはならない」という危機意識から「基地のない平和な沖縄」を求める県民の希求は強い。5月7日、玉城知事は記者会見で、復帰50年の「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」を発表した。地元両紙の5月8日付紙面に、その全文が掲載されている。ぜひ一読されたい。
 新たな建議書は、次の5章からなる。
1.復帰時における沖縄と「復帰措置に関する建議書」
2.本土復帰後50年の振り返り
3.いまだ残る課題
4.沖縄の未来に向かって
5.平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議
 新たな建議書は1972年の復帰にあたり日本政府が発表した声明の次の一節を引用し、沖縄県も日本政府も「沖縄を平和の島とする」という目標を共有していた筈だと指摘している。
 「沖縄を平和の島とし、わが国とアジア大陸、東南アジア、さらにひろく太平洋圏諸国との経済的、文化的交流の新たな舞台とすることこそ、この地に尊い生命をささげられた多くの方々の霊を慰める道であり、沖縄の祖国復帰を祝うわれわれ国民の誓いでなければならない」。
 そして、日米両政府に対する要求が次のように明記された。①屋良建議書の理念を尊重し平和で豊かな沖縄の実現に取り組む、②辺野古新基地の断念、普天間飛行場の速やかな運用停止、日米地位協定の改定など、構造的差別的な基地問題の解決を図る、③憲法が保障する民主主義や地方自治の原則を尊重する、④アジア太平洋地域において、平和的な外交・対話で緊張緩和を図る。日本政府の閣僚、国会議員、各省庁の幹部、各都道府県の行政・議会のリーダーたちは、沖縄県の復帰50年にあたっての訴えをどうか真摯に受け止めて欲しい。

『世界』4月号の河野洋平さんの提言

 「平和」は尊い。しかし、「平和」が一般的・抽象的にとどまっていては力を持たない。しばしば「平和」の名のもとに軍拡が行われ、戦争が行われるからである。「基地のない平和な沖縄」とは具体的にはどういうことかが大事だ。それは「沖縄の非軍事化」「非武装中立地帯化」である。
 『世界』4月号特集「中国とどう向き合うか」のインタビューで、河野洋平さんは「新たな軍事拠点の整備に膨大なコストを費消していくのではなく、むしろ緊張緩和のため、日本側から積極的に、南西諸島を非武装地帯としていく提案を行ってはどうか。当然、中国など関係諸国もこの地域での軍事行動や挑発を一切行わないことを約束する。そのことにより、この地域での軍事的衝突を永久に防ぐという提案です」と述べている。
 日本は中国との軍事対決のエスカレーションのレールに乗ってはならない。米国は太平洋の彼方の国だ。中国と向き合うアジアの当事国は日本なのである。日中の軍事的対立のエスカレーションを避けるために直面する課題が「尖閣領有権問題の棚上げ」であるとすれば、日中平和共存の戦略的なカギは「南西諸島の非軍事化」ではないか。軍隊のいないところに戦争は起きない。南西諸島の島々からすべての軍事施設をなくし中立地帯とすることは、これらの島々を武力対決と戦争の惨禍から守ることになると同時に、日本にとっても、アジア諸国との安定した共存に道を開くものとなる。
 沖縄の本土復帰50年にあたり、ロシアのウクライナ侵略に便乗して「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と言いかえ軍事費増大・改憲などをあおる政治家・メディアに追随するのではなく、沖縄の将来、日本の将来に対する冷静な見通しを立てることが必要である。

4・25辺野古埋立着工5周年

 海上行動にカヌー36艇
 抗議船8隻


 5年前のこの日(2017年4月25日)、沖縄防衛局は辺野古・大浦湾の埋め立てに着手した。この5年間、辺野古側に護岸がつくられ土砂が投入され、大浦湾側にも土砂搬入のための護岸が造成されるなど、辺野古・大浦湾は無残に破壊されてきた。とはいえ、投入された埋立土砂がいまだ計画の10%にすぎないことや最深90mにおよぶ軟弱地盤の存在など、埋立工事の完成の目途は全く立っていない。
 しかし、一度決めた国策はただ遂行あるのみという頑迷・硬直が、安倍・菅・岸田内閣を通じ、国家権力を掌握する指導層を覆っている。というのは、政治家・官僚にとって、国策遂行上立ち止まって再検討することは責任を伴なうからである。先人の決めた既定の方針をつつがなく遂行していれば、責任を問われることはなく安泰だ。
 4月25日朝7時半、浜のテント2に集まった海上行動参加者は打ち合わせの後、抗議船出航と瀬嵩の浜へのカヌー搬送を行い、今にも雨が落ちて来そうな曇り空のもと、一斉に大浦湾のK9護岸へむかって漕ぎ出した。
 36艇のカヌーと8隻の抗議船、マスコミ船であふれる中、カヌーチームは数々の横断幕をフロートに取り付け、10時から海上抗議集会に備えた。
 平和丸のスピーカーが集会の開始を告げる。最初に、闘いの中で倒れた高垣さんや間島さんなど仲間達への哀悼の鐘と黙祷を行った。今回初めてカヌー参加者ほぼ全員がマイクを握って「一言アピール」を行い、「人殺しの為の軍事基地を造るな」「新基地のために私たちの税金を使うな」などと訴えた。そして決議文を読み上げたあと、約20艇はフロートを越えて臨時制限区域に突入し、海上保安庁の高速艇GBの妨害と闘いながら、埋立工事の中止を訴えた。拘束されても海保のGBの中で横断幕を掲げるメンバーもいる。カヌーチームのAさんによると、全員が瀬嵩の浜に戻って来たのは午後1時頃、青空が天高く広がっていたという。
 

4・30県民大会がオンラインで開催

基地のない平和で誇りある豊かな沖縄をめざして


 
 4月30日午後、県議会与党会派が中心となり那覇市の奥武山運動場で1万人規模の県民集会を開く予定で各地域の取り組みも進んでいたが、コロナの拡大防止の観点からオンラインに切り替えられた。集会の名称は「復帰50年・基地のない平和で誇りある豊かな沖縄をめざすオンライン県民大会」。発信会場となった那覇市の八汐荘には、六人の共同代表や県選出国会議員、県議、各団体代表が集まった。六人の共同代表はそれぞれ要旨次のように訴えた。
 元琉球政府職員の平良亀之助さん「復帰前年、屋良主席は復帰措置に関する建議書を持って上京した。しかし、国会は沖縄の声を聞くことなく返還協定と関連法案を強行採決した。建議書は今も有効だ」。
 元沖教組委員長の石川元平さん「沖縄が二度と国家権力に利用され犠牲となってはならないという屋良知事の言葉が頭から離れない。米軍の基地特権が容認されている対米従属を打破しなければならない」。
 第4次嘉手納爆音訴訟原告団長の新川秀清さん「米軍基地の爆音を止めようと裁判を起こして40年。米軍の上にヤマトがかぶさって基地の島・沖縄が固定されている」
 県女性団体連絡協議会前会長の大城喜代子さん「県民は静かで平和な暮らしができるような復帰を期待していた。インフラ整備は進んだが、子どもの貧困、教育環境の悪さが改善されない」。
 辺野古県民投票の会元代表の元山仁士郎さん「米軍基地が返還されない限り、沖縄の戦後は終わらない。県民投票の結果を尊重して政府が辺野古を断念し、普天間飛行場を県外・国外へ移すため米側と交渉すべきだ」。
 小説家のオーガニックゆうきさん「沖縄の本土復帰で、基地のない平和な沖縄が実現していればよかったのにと思う」。
 採択された大会決議は、「県民が復帰に願ったのは平和憲法のもとでの基本的人権の保障、基地のない平和な沖縄、地方自治権の確立、そして県民本位の経済開発だった。屋良建議書を実現することは今を生きる我々の責務だ」とアピールしている。

2022.4.27 琉球セメント安和桟橋入口ゲート。 手を振る車が多い

本部塩川港。土砂を運搬するダンプに訴え(4.27)
K9護岸前の海上抗議行動。カヌー36艇、抗議船8隻(4.25)
K9護岸前の海上抗議行動。カヌー36艇、抗議船8隻(4.25)

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