追悼 遠藤一郎同志
生涯かけた階級的労働運動建設への献身を引き継ぐ
国際主義労働者全国協議会(NCIW)
われわれの闘い、特に労働者の闘いの先頭に常にいた遠藤一郎同志が、3月30日午前、80歳を目前に他界した。
わが潮流をはるかに超える広がりの中で労働者の闘いの組織化に尽力してきた同志だが、2010年代後半からは、幾度かの入退院を含んで、糖尿病と緑内障の進行と闘いながらの活動だった。その中で今年2月半ばからは心臓機能の低下により入院が必要と診断された。しかしその入院治療も1ヵ月強で済み、3月18日にはNCIWの事務局会議に参加、春闘の課題やウクライナ問題に積極的な提起を行うなど、活動の意欲にはいささかの衰えも見せなかった。全労協の活動家の方々とも電話で情報交換するなど、われわれを超えて活動復帰への期待が膨らんでいた矢先の急逝だった。御遺族の話によれば、想定外に肝機能が急速に悪化したのだという。
生涯をかけた階級的で大衆的な労働運動建設の追求、それを通した第4インターナショナル日本支部と労働者運動の結合に果たしたかけがえのない役割、またその中で引き受けた日本の第4インターナショナル建設における指導的任務、これらに向けた遠藤同志の献身に対し、まずNCIWとして深い敬意と感謝を込めて、同志への心からの哀悼を表明する。合わせて、同志の足跡を振り返ることで、日本革命的共産主義者同盟(JRCL)の同志や「かけはし」読者のみなさんと共に、故人を偲びたい。
遠藤同志は1942年に東京で生まれ、高校生時代に安保闘争などを経験した後、1962年に東北大学経済学部に入学した。同大では1950年代後半に日本共産党学生細胞から分岐した第4インターナショナルの学生グループが活動していたが、遠藤同志はすぐさまこの先達グループに合流、トロツキスト活動家としての歩みを始めた。
遠藤同志の場合その後のその主舞台は何と言っても労働運動であり、それは次の5点の内容として展開された。
第1は、宮城県を足場にした、企業の壁を越えた戦闘的な青年労働者運動の組織化だ。遠藤同志は、社青同宮城地本を出発点として、安保闘争敗北後の沈滞を克服する契機となった1965年の日韓条約批准阻止闘争などを通して急進的な青年労働者たちと出会い、彼らや先の先達グループと共に、青年労働者をベトナム革命勝利を掲げたベトナム反戦運動や三里塚闘争に積極的に組織することで、社会党から自立した独自の政治性をもつ青年運動を作り上げた。この運動が第4インターナショナル日本支部建設に大きな推進力を与えたことは言うまでもない。また同志は、これらの青年運動が全国反戦として全国的な運動に発展する過程でも大きな役割を果たし、ここでの活動が、後の全国一般全国協や全労協の結成でも重要な役割を果たす基礎になった。
第2は、1970年代初頭から指導的任務を引き受けた総評全国一般宮城合同労組を中心とした、「中小民間未組織」の積極果敢な組織化運動だ。そこでは先の政治的組織化に加え、官民労働者の壁を越えた地域共闘が社会性をもった運動として推進され、1974年から1975年にかけた登米連闘委やゼネスト貫徹共闘委の運動は、前述の独自の青年運動にもうひとつの基礎を与えた。
第3は、総評の解散と連合結成という形で、日本の労働組合運動が、大民間と官公労を中心に社会性を放棄し企業内取引へと引き込まれる動きに抗し、「階級的労働運動」「社会的労働運動」の構築を訴え、全国一般全国協と全国労働組合連絡協議会(全労協)を結成するという全国的な任務への参加だ。遠藤同志はここでも、全国一般全国協では書記長、全労協では常任幹事を引き受け、各組織の全国的な組織化と全国運動の具体化に奮闘すると共に、さまざまな運動体や全労連をはじめとする他の労働団体との共同推進で大きな役割を果たした。
第4は、日本経団連と自・公政権が目的意識的に追求した労働規制解体策動、に全力で立ち向かう闘いの組織化だ。遠藤同志はこの課題での全労協の中心的活動家として、派遣法、労働契約法、いわゆる「働き方改革」関連法、また解雇自由法制導入策動をめぐって、たとえば2008年末の日比谷年越し派遣村運動では全労協を代表する実行委員として現場を下支えするなど、さまざまな共同に挑みつつ2000年から2018年にかけ連続的に展開されたこの闘争の前線に常に立ち続けた。社会的闘争として労働の非正規化を打ち破る課題は今一層切実になっている。それはまさに、遠藤同志からわれわれに渡されたバトンだ。
最後に遠藤同志の活動で特筆すべきことは、闘いをさまざまな運動体との共同を通して勝利に近づけようとするどん欲な追求だ。遠藤同志の人柄も力を貸したことだと思われるが、全労協や全国一般全国協が関係する共同の場には常に遠藤同志の姿があった。先の日比谷年越し派遣村運動や労働の規制解体に反対する「安倍政権の雇用破壊に反対する共同アクション」(雇用共同アクション)など、その例には事欠かない。まさに遠藤同志は、セクト主義を排し労働者民主主義に貫かれた労働者の統一をめざす、第4インターナショナルの政治性を体現した活動家だった。
このような遠藤同志をわれわれは失った。痛手は小さくなく、喪失感も極めて大きい。しかし時代は、現下のウクライナをめぐる情勢が端的に示すように、反動への転落という深刻な危機を内包した歴史の深い転換期にあり、そのような喪失感に沈んでいることを許さない。新しい平等で民主的な社会、人々の必要と尊厳が最優先される世界、を切り開く、民衆の、特に労働者の運動を何としてもつくり出さなければならない。
アメリカの労働運動活動家に今も引き継がれている有名な言葉がある。1915年にでっち上げの罪で死刑台に消えた伝説的なIWW(世界産業労働組合)の活動家、ジョー・ヒルが残した「嘆くな、組織せよ」だ。今こそこの言葉が必要な時代だ。遠藤同志もまたそれをわれわれに要求しているはずだ。この言葉の銘記をもってあらためて遠藤同志への追悼に代える。
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