宮古島訪問記
専守防衛から攻撃する自衛隊への変貌
ミサイル基地いらない旗を掲げて戦う宮古島の人々
尾形 淳(南西諸島への自衛隊配備に反対する大阪の会会員)
はじめに
「大阪の会」はこの6月28日から7月1日にかけて宮古島を訪問し、基地の視察だけではなく、地元の人たちのミサイル基地反対の行動にも参加した。以下はその報告である。できれば「かけはし」2020年3月23日号と3月30日号を参照していただきたい。
目の前には大量の軍用車両、ミサイル搭載車両も
私にとって、2019年12月以来の宮古島への訪問であった。驚いたのは最初の日に訪れた、千代田地区にある宮古島駐屯地の変貌だった。基地の外見が変わったわけではない。基地の敷地を埋める何十台、いや百台を超しているかもしれない軍用車の多さである。
もちろん、その車列の中には地対空ミサイルと地対艦ミサイルを搭載する重装備回収車も各々3台含まれているし、戦闘車両も含まれている。その車両群を基地の外周道路からフェンス越しに、間近に見ることができるのだ。
宮古島駐屯地の正面には、「ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会」の代表である仲里成繁さんのメロン畑と砂糖キビ畑が広がっている。仲里さんの「日々、自衛隊が専守防衛から攻撃する自衛隊に変わっていくのが感じられる」という言葉が、毎日、基地を見ながら畑仕事をしている仲里さんの実感であることが、率直に感じられる基地の光景であった。
自衛隊用のシェルターも水も食料もある、住民の分は
保良(ぼら)訓練場に向かう途中で野原(のばる)の航空自衛隊のレーダー基地を望見する。丸いドームを載せた搭状のアンテナが2基、クリーム色のコンクリート製の低い建造物、そして、鉄骨製のレーダーが5基、丘の上に連なっている。
その地下には頑丈なシェルターが設置され、食料が備蓄されているという。これは単なる噂話ではない。実際にシェルター建造に携わった人の証言だという。また低いコンクリート製の建造物は自衛隊用の地下水源の取水口を防御するための建造物とのこと。
仲里さんによれば宮古島駐屯地にも自衛隊員用の食糧と水が備蓄されているが、住民用の備蓄はないという。それ以上に問題なのは、有事の際の自衛隊員の家族の島外への避難計画はあるが、住民の避難計画は示されていないことである。自衛隊は300機の飛行機で住民を避難させると口にしているそうだが、具体的な避難計画も避難先も示してはおらず、単なる気休めを口にしているに過ぎないと仲里さんは思っている。
完成間近の保良の弾薬庫と訓練場
19年の12月に訪れた時、保良の工事現場はあたかも露天掘りの鉱山さながらであった。宮古島の広い空の下に、薄いクリーム色をむき出しにした大きな窪地が広がり、その中を何台かの工事車両がうごめいていた。
しかし、今回、あのクリーム色の窪地は弾薬庫を覆う緑の芝生と、野外訓練場と、長大なコンクリート製の射撃訓練場に変貌していた。弾薬庫は3基のうちの2基が完成、射撃訓練場も完成間近と思われた。土肌を見せているのは、もう一つの訓練場の工事現場だけであった。この基地は21年の4月に使用開始されたそうである。
私たちは保良基地の正門前の道路沿いの高みから、基地を見下ろす形で観察した。驚くことに、基地と外部を分ける境界線の緑のすぐ側に保良の集落の家々が見えるのである。弾薬庫から一番近い民家まで250メートル、集落の中心地まで4~500メートル、敵の弾薬庫攻撃を待つまでもなく、事故が起きれば住民に逃げる場所はない。
ところで、この基地の正面の門の看板には保良訓練場との記載はあるが、弾薬庫との記載はない。当初、防衛省は地元住民に弾薬庫は造らない、小銃などの小火器を入れる保管庫であると再三説明していた。しかし、東京新聞に弾薬庫であることを暴露され、渋々認めたという経緯がある。彼らは今でも弾薬庫の存在を認めたくないのかもしれない。
宮古島の人たちの戦いへの参加―スーパーの前でのスタンディング―
28日のメインの行動は、スーパー「サンエイ」前で17時30分から行われる「ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会」のスタンディングへの参加である。
午前中は軍事空港化も噂される下地島空港へ。この空港の建設時には軍事空港にはしないとの約束があったそうだが、沖縄で最長の3000メートルの滑走路を持つこの空港の軍事利用は日米の軍当局者にとって魅力的な話であるには違いない。19年に来島した時には、この空港は使用されていなかったのだが、今回の大阪発の私たちの便はこの空港に降り立った。次に、尖閣諸島監視の海上保安庁の巡視船の拠点係留港である伊良部島の長山港を訪ね、5時半を待つ。
スーパー・サンエイの前の道路を、車は絶え間なく走っている。スーパーへ行く人もほとんどが車である。スーパーの向かいの歩道に、「ミサイル基地いらない」と大書した幟旗を林立させ、横断幕も広げる。大阪の会の「宮古島・石垣島への自衛隊配備をやめろ」と記した幟旗も立てる。
「住民連絡会」の清水さんは、マイクを手に、ミサイル基地反対のスタンディングをしていた高齢の男性に、宮古島駐屯地所属隊員の関係者が暴力行為に及んだこと、この事案は検察庁に送られたが、未だに自衛隊側から被害者への謝罪は一切ないと訴えた。また、再三の抗議にもかかわらず、門衛の自衛隊員のライフル銃の携行が続いていること、そして、戦闘車両である軽装甲機動車で基地周辺をパトロールしていること等に抗議の声を上げた。
「大阪の会」の仲間も、大阪とその周辺の駅頭で毎月第3土曜日にスタンディングをし、南西諸島へのミサイル基地配備反対の訴えをしていると発言した。驚いたことは、車で通る人たちの少なくない人たちが手を振って激励してくれることであった。大阪ではとても考えられないことである。
宮古島駐屯地の門前でのスタンディング
30日は9時30分から宮古島駐屯地の前でのスタンディング。前述したように、基地の前は代表の仲里さんの畑である。したがって、住民連絡会のミサイル基地反対の赤い幟旗が終日林立し、横断幕も掲げられている。自衛隊員は朝も昼も夜も、「ミサイル基地いらない」の文字を見ながら門を出入りする。さぞかし腹立たしいことに違いない。
スタンディングには参議院選挙に全国比例で共産党から立候補している上里清美さんと、宮古市議の上里樹(たつる)さんが駆けつけてくれた。上里清美さんは大型レーダー基地がある野原の出身である。彼女は沖縄島の人でもミサイル基地のことをよく知らないし、まして、沖縄以外の人はほとんど知らない、ミサイル基地のことを全国の一人でも多くの人に知ってほしいと思って立候補した、とアピールした。
奄美大島の基地の門衛は、堂々と銃を持ったまま私たちの前に現れた。しかし、宮古島の駐屯地の門衛は銃を携帯はしているが、門の裏に隠れるようにして立っている。「住民連絡会」等の抗議や、門前の道路が空港バスの路線になっている影響もあるのだろう。
宮古島駐屯地の門前での「住民連絡会」のスタンディングは毎週木曜日の午前中、サンエイの前でのスタンディングは毎週水曜日の夕刻に行われている。また、「ミサイル・弾薬庫配備反対住民の会」の人たちは、日曜日を除く毎日、保良訓練場前でスタンディングをしているそうである。行動が終わると、木曜日は連チャンですと言って保良に向う人もいた。
地元の人たちとの交流会
30日の夜は基督教団の宮古島教会での交流会。集会室のテーブルには地元のお菓子と麦茶のペットボトルが所せましと置かれている。壁には沖縄のみならず韓国の基地闘争の写真、激励の言葉を書いた紙が壁いっぱいに張られている。
最初に、自己紹介を兼ねて大阪の会のメンバーが、基地を見た感想を述べたあと、仲里さんが政府の不誠実さについて話す。
千代田の駐屯地のある土地を買収する際、兵舎だけを造ると説明したこと、保良でも弾薬庫を造らないと説明していたこと等々である。そして、安保法制も問題だが、抱き合わせで採決した国民保護法はどうなったのか、基地の側で暮らす住民をどう保護してくれるのか、具体策は何も示してくれないと続けた。そして、なぜ南西諸島にミサイル基地を配備するのかを考えてほしい、第一列島戦への配備であり、米軍も同じ施設を使える。有事の抑止ではなく、初めから有事を想定して準備している。ここの基地は有事の際の最前線の基地であり、初動部隊なのであると締めくくった。
牧師の尾毛佳靖子(おもう かよこ)さんは7年前にこの教会に希望して赴任した。前任地は横浜であり、近くには厚木基地や横須賀基地があり、当時から基地問題には関心があったそうである。教会の塀には憲法9条の会の看板があり、「殺すな、平和、命を大切に」という言葉が記載されている。その言葉は聖書にある言葉と同じであると彼女は語り、最後に「島外からミサイル基地反対のために来てくださるととても励まされる。地元でも基地反対闘争を続けてほしい」と激励された。



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