投稿 安倍元首相の銃撃死
ファシストと「ファシストを支持するマスコミ・民衆」が支配する国で
SМ
メディアの
報道傾向
安倍晋三元首相が7月8日・金曜日、奈良市内で街頭演説中に銃撃され死亡した。第1に、この事件をメディアはどう報道しているか。翌日7月9日・土曜日の新聞朝刊の「社説」「主張」を図書館で見て分析してみた。
各紙は「民主主義を破壊する卑劣な暴力」(『東京新聞』5面)、「戦後日本の民主政治へのゆがんだ挑戦」(『朝日新聞』1面)、「暴力によって民主主義を破壊しようとする蛮行」(『毎日新聞』5面)、「民主主義に対する悪質な挑戦」(『産経新聞』1面)、「自由な言論を暴力で封じようとする卑劣極まりない蛮行」(『読売新聞』3面)、「民主主義国家の日本で、絶対に許されない事件」(『日本経済新聞』2面)、「自由と民主主義を圧殺する暴挙」(『しんぶん赤旗』インターネット)といった具合に事件を評価している。
『神奈川新聞』は「社説」でも「主張」でもないが、論説主幹の鈴木達也さんが1面で「言論を暴力で封殺する。卑劣極まりない蛮行」と書いている。『日刊スポーツ』には「社説」「主張」やそれと似た欄はないようだ。
「昭和天皇にも戦争責任があると思う」とのべた本島等長崎市長に対する右翼による銃撃(1990年)、「公共事業への恨み」を抱いた暴力団による伊藤一長長崎市長の射殺(2007年)、右翼による浅沼稲次郎社会党委員長の刺殺(1960年)などと関連づけている新聞もあった。
この中で『産経新聞』は「計り知れぬ大きな損失」として安倍政治を大きく評価している。『読売新聞』も『産経新聞』と比べると少しひかえめだが「功績は大きい」「評価できる」としている。『東京新聞』『神奈川新聞』は、私の誤解でなければ、安倍政治に批判的だが『東京新聞』は「主張が違っても、言論で対峙(たいじ)するという民主主義の原則は共有してきた」などといっている(5面)。『神奈川新聞』は「現在の政治家の中では突出した存在だったと言うべきだろう」などと産経・読売的なこともいっている(1面)。
『日本経済新聞』『朝日新聞』は、私の見間違いでなければ、評価をさけている。『毎日新聞』は、私の印象では、『東京新聞』『神奈川新聞』と『日本経済新聞』『朝日新聞』の中間といった感じだ。
「社説」「主張」ではないが、インターネットの『しんぶん赤旗』には志位委員長の談話も載っていて、その中で志位委員長は「私は、安倍晋三氏とは、政治的立場を異にしておりましたが、同年に生まれ、当選も同期で、同時代を生きたものとして、そのご逝去は、とてもさみしく、悲しい思いです。重ねて深い哀悼の意を表するものです」などといっている。これらは、ヒロヒトの死の前後のマスコミ報道を想起させる。志位日本共産党委員長は、恥ずかしくないのか。
ヒトラーが死んだときも「私は、ヒトラー氏とは、政治的立場を異にしておりましたが、そのご逝去は、とてもさみしく、悲しい思いです。重ねて深い哀悼の意を表するものです」などという談話を発表すべきだったというのだろうか。
自公政権を支えて来たテレビは、じっくり見ていない私の印象だが、多くは『産経新聞』『読売新聞』的な感じがする。誤解だろうか。パソコンでトップに出て来るマイクロソフトのニュースも多くは右翼的な感じがする。
安倍賛美
を許すな
第2に、メディア(マスコミ)とは異なる意見も見てみよう。
浅井健治さんはインターネットの「レイバーネット日本」で「この事件を『民主主義に対する挑戦』とする大合唱には違和感を覚えざるを得ません」「民主主義に対する挑戦・嘲笑・冒とく・蹂躙の限りを尽くしてきたのは安倍晋三その人だったからです」(「『民主主義への挑戦』をし続けてきたのは誰か~安倍銃撃事件に思う」)とのべている。
小出裕章さんは同じ「レイバーネット日本」で「アベさんが銃撃を受けて死んだ。悲しくはない。アベさんは私が最も嫌う、少なくとも片手で数えられる5人に入る人だった」、「多くの人が『民主主義社会では許されない蛮行』と言うが、私はその意見に与しない」、「歴史と切り離して、個々の行為を評価することはもともと誤っている。そもそも日本というこの国が民主主義的であると本気で思っている人がいるとすれば、それこそ不思議である」とのべている(「アベさんにたいする銃撃について思うこと」)。
橙さんはインターネットの「反天ジャーナル」で「安倍や、安倍政権、そして安倍とその政権を忖度するメディアこそが私たちの『言論の自由』や『民主主義』を踏み躙ってきたのだ。また、暗殺事件が起こるこのような社会を作り出したのも安倍たちの政治の結果だ。『言論の自由や民主主義を暴力で踏み躙るな』とは、踏み躙られてきた側にいる者のセリフだ。メディアを含む権力の方こそ、民主的に言論の自由を守れ」とのべている(「安倍こそが言論の自由を踏み躙ってきたのに」)。
青木理(あおき・おさむ)さんは、インターネットの「AERA dot.」で「人の衝撃的な死は、時にすべてを一色に塗りつぶしてしまいかねない力を持ちます。過去は美化され、冷静な批評や批判を許さない風潮にも覆い尽くされてしまう。それもまた極めて危険なことであり、今回の事件をそういう意味での社会の曲がり角にしてもならず、安倍氏の政治姿勢や政治手法がもたらした『功罪』の『罪』がなんであったかも、あらためてきちんと見つめ直さなければならないと思います」(「安倍元首相銃撃事件でジャーナリスト・青木理氏が感じた『不気味な兆候』とは」、構成=AERA dot.編集部・作田裕史)とのべている。
私は浅井健治さん・小出裕章さん・青木理さんらの主張の方に共感を覚える。
小西誠さんは、ツイッターで「安倍の襲撃犯『政治的テロ』ではなく個人的恨みによる殺人犯。民主主義の冒涜、言論の自由とは関係のない普通の殺人事件!宗教団体の代表を殺害するのが難しくこの団体に関係する安倍氏を狙う。『山上は特定の団体に恨みがあり安倍がこの団体とつながりがあると思い込んで犯行』、『安倍は、じいさんの岸信介を引き継ぎ、統一教会の最大の支援者!』」とのべている。
生命が等しく
尊ばれる社会
マスコミはふだん「実名」「実名」というくせに、今回は警察と一体となって「宗教団体」「特定の団体」などと「統一教会」に関係した事件であることをかくそうとしてきたが、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の田中富弘会長による記者会見(「母親が宗教団体にのめり込んで破産した。安倍氏が団体を国内で広めたと思い、恨んでいた」と容疑者が供述していることについて「それ(破産)が事件の動機だと判明したら重く受け止めないといけない」とのべたという)などで、容疑者の母が旧統一教会員であることが隠しとおせなくなってきている。
最後に、私の考えもいっておこう。マスコミは「死刑囚は殺されて当然。ヒロヒトやアベは死んだら大変」という考えで、内ゲバで人が殺されても米兵に人が殺されても小さな扱いだ。だが、私はあらゆる殺人に反対する。内ゲバにも死刑にも戦争にもテロにも反対する。私が誰かに殺されても殺した人を死刑にはしないでほしい。私はファシストを殺すことにも反対するが、ファシストとたたかわずファシストを賛美することにも反対する。戦争も「その他の殺人」もない世界、みんなのいのちが等しく大切にされる世界、自由で平等で平和な世界、天皇も「それに類似した存在」もいない世界を作り出すためにたたかおう。
(2022年7月12日)
週刊かけはし
《開封》1部:3ヶ月5,064円、6ヶ月 10,128円 ※3部以上は送料当社負担
《密封》1部:3ヶ月6,088円
《手渡》1部:1ヶ月 1,520円、3ヶ月 4,560円
《購読料・新時代社直送》
振替口座 00860-4-156009 新時代社