7.17三里塚・東峰現地行動&第3滑走路予定地現地調査

三里塚空港に反対する連絡会

 7月17日、三里塚空港に反対する連絡会は、「三里塚・東峰現地行動&第3滑走路予定地現地調査」を行い、30人が参加した。
 前段集会は旧東峰共同出荷場跡で行い、山崎宏さん(労活評)の司会で始まった。

有機農法の開
拓者亡くなる
 平野靖識さん(東峰地区/らっきょう工場)は、「最近は畑でのらっきょう作り、『三里塚歴史 考証室通信 第2号』製作で忙しかった。ただ(コロナ禍の影響で)飛行機の離発着が少なくて静かです。らっきょう作りの農家さんが減っていましたが、ようやくらっきょう作りの農家さんたちが出始めています。
 三里塚物産の創設者の1人である佐山忠さんが亡くなった(6月18日)。佐山さんは、1967年ごろ毛沢東派の日中の活動家として三里塚に入り、駒井野で活動していた。私は、戸村一作さんの紹介で佐山さんを訪ね、共に活動を行ってきた。71年、3月の第一次代執行の時、佐山さんは一坪運動用地の第5地点の松の木、通称『鳥の巣』と言われる小屋に立てこもった。クレーンで倒される時、『ふるさと』を唄っていた。この時の映像が世界にも発信され、多くの人が三里塚に共鳴することになった。その後、農家の経済を支えるために有機農法を勉強したり、三里塚物産を立ち上げた。50年をめぐる同志であったが先月亡くなった(79歳)」と報告した。
 「死んだというと安倍元首相が死んだ。私はテロは絶対にいけないことだと思っている。でも近畿財務局の赤城さんが、あのような形で死ななければならなかったか。奥さんが死んだ原因を追及したいという思いを考えざるをえない。安倍が死んで『さくらを見る会』など真相が明らかにされなくなってしまうのではないか。だから『冥福を祈る』という気持ちはありません」と述べた。
 続いて渡邊充春さん(関西三里塚闘争に連帯する会・関西三里塚相談会)からのメッセージが紹介された。
 「1月に関西の旗開き、共有運動の会の報告集会を行い、30人が参加した。司法書士さんと繋がりができ、関西でも一坪共有地の一般社団法人三里塚大地共有運動の会への登記変更を独自で取り組み始めた。現在、数名の登記変更が終了し、今後も変更を実現していきたい。
 4月10日に関西新空港反対!泉州現地集会を泉州沖に空港をつくらせない住民連絡会の主催で行い、40人が参加した。11月6日にも現地集会を行う。
 6月17日には南西諸島への自衛隊配備に反対する大阪の会の主催で『南西諸島のミサイル基地化を問う』講演集会を行い、40人が参加した。現地への派遣団を準備している。
 関西の地においても三里塚第3滑走路反対の闘いを共に作っていきます」。

プール再開の
準備を進める
 繁山達郎さん(一般社団法人三里塚大地共有運動の会)は、「4年前に一般社団法人三里塚大地共有運動の会を立ち上げ、共有地を守っていくために一坪共有地を法人に登記変更する取り組みを行っています。共有地の管理として、横堀農業研修センターの整備を行ってきた。木の根ペンションでは大森武徳さんが中心になってプール再開にむけて準備を進めている。『次の世代に結びつけていくためのプール開きに向けて協力してほしい』『国際空港のド真ん中でプールパーティーを実現したい!』(https://camp-fire.jp/projects/view/605558)と呼びかけ、クラウドファンディングへの協力を呼びかけている」とアピールした。
 集会終了後、デモに移り、空港用地内の開拓道路に向かった。
 開拓道路内で山崎さんは、「現在の空港の使用状況は、B滑走路だけでもほとんど飛行機の離発着がない。柳川さん宅はB滑走路の南側から進入してくる時、真下にあるが『静かでいいぞ』と言っていた。第3滑走路ができたら騒音が拡大する。夜間飛行の時間帯も大幅に延長される。騒音の被害を受けている横芝光町などが厳しい状況に追い込まれてしまう。多古町の有志は、第3滑走路の運用をストップしてくれという訴えを行っている。空港の使用は、武力攻撃事態法の下で民間だけでなく米軍、自衛隊の軍事使用もありうる」とアピールした。
 岡野純一さん(たんぼくらぶ)は、「おかのまめ 切り絵個展 成田の農家さんシリーズ 『大地の唄声』(8月5、6、7日/11:00~17:00/会場:源右衛門&space 24 sekki 成田市大袋427─1/京成本線「公津の杜」駅から徒歩20分)」を紹介した。
 さらに成田空港滑走路に向けて「第3滑走路建設反対!飛行制限時間緩和を許さない!空港粉砕!全国の反空港闘争と連帯して闘うぞ」とシュプレヒコールを響かせた。

環境・人権破壊の
空港機能強化やめろ
 デモは、旧東峰共同出荷場跡に戻り、一般社団法人三里塚大地共有運動の会と共催で「第3滑走路予定地現地調査」に向かった。
 第一調査地点は、香取郡多古町一鍬田(ひとくわだ)の一鍬山(いっしゅうざん)福泉寺。
 第3滑走路建設によって福泉寺も含めて集団移転の対象となっている。空港内関連施設なども、この地域周辺に建設しようとしている。
 すでに集団移転先について平山富子 多古町長は、「移転者や騒音地区の皆さまが多古町に残っていただけるよう、関係機関と連携を図ります。今後の開発が期待されている多古台JRバスターミナルに隣接する町有地について、NAAに移転者用地として譲渡させていただきました」と明らかにしている(4・15 日刊建設タイムズ)。
 仲間たちは、成田空港第三滑走路建設によって多古町のコミュニティが破壊されようとする現場を直視し、あらためて巨大開発の犠牲を民衆に押し付けようとする暴挙に怒りを感じた。
 第二調査地点は、B滑走路南端。かつて丹波山と呼ばれてきた地点だ。すでに滑走路整地のために砂利を堆積し、砂利山ができている。
 さらにB滑走路南端地点と第3滑走路を接続させようとしている。そのために誘導路を建設しようとしている。誘導路は横堀農業研修センターが存在するルートを通り接続させようという計画だ。
 だから空港会社は、横堀地域を整備する計画だが、当然、横堀農業研修センターは排除対象だ。すでに空港会社は、横堀地域の埋蔵文化財調査活動を終了させ、次の計画に向けて様々な策動を押し進めている。
 第三地点は、成田空港外周通りから空港使用や拡張状況を車中からチェックした。

柳川さんとの
交流を深める
 調査後、仲間たちは、柳川秀夫)さん(三里塚芝山連合空港反対同盟・代表世話人)宅(芝山町香山新田)に向かった。
 柳川さんは、農作業中だったが笑顔で迎えてくれた。
 交流会の中で柳川さんは、「おかげさまで飛行機があまり飛んでいないから静かだ。いつもだったらビニールハウスがジェット機の排気ガスによって黒く汚れているんだが、そうでもない。第3滑走路建設に向けてどんどん進めている感じでもない。ただ、出ていく人たちは土地を売るなどの準備をしている。後継者もいないし、若い人たちは便利な都会に出てしまっている。昔みたいに集落で残る人はそんなにいない。残るにしても移転を強要され、移転先さえも決められている。集団移転のケースはほとんどない。いわゆる村落共同体は、とっくにないから集団で助け合うこともない。会話だってなくてもスマフォがあればいいという感じだ」と述べ、成田空港という巨大開発によって地域コミュニティが壊されてきた現状を批判した。
 さらに、「残る農家にしても外国人労働者を雇って企業的な農業へと転換しつつある。名前としては農業だが、実態は会社経営と同じだ。家族で農業を行い、自然の中で暮らしていく考え方は、どんどんなくなってしまっている。巨大開発によって、なおさらそのような考え方が促進されてしまった。芝山町は、町民が出ていくのを止めるために住宅開発計画を作っているが、そのような計画に乗っかるような人はいない。芝山鉄道の芝山千代田駅前をビルを建てて開発する計画もたてているが、なんら財政的、人的根拠もないから絵に描いた餅になる。そもそも空港関連職員以外の人々がここまで来ることは考えられない。俺は、土地を手放すつもりはないから計画は進まないだろう」と指摘し、空港開発に便乗した歪んだ構造を明らかにした。
 とりわけ柳川さんは、「ロシアのウクライナ侵略戦争によって、じわじわと肥料価格が上がってきている。この先、深刻な事態に入っていくだろう。空港会社だって借金だけ増えていくだけだ。土地買収予算は組んでいるが、滑走路工事費など膨大な額とならざるをえない。滑走路を大きくすると言っているが、現実とあっていない」と断言した。
 さらに交流は深められ、今後の横堀地区整備、横堀農業研修センター、鉄塔や案山子亭の管理・維持などについて議論が続いた。
 調査行動は、木の根ペンションに向い一坪共有地とプールなどを視察し、終了した。 (Y)

発言する平野靖識さん(7.17)
成田空港の機能強化を批判する柳川秀夫さん(7.17)


 

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