7.17「日の丸・君が代」問題全国学習交流会

子ども・外国人の人権に焦点
改憲・戦争への流れに抗して

 【大阪】7月17日、第12回「日の丸・君が代」問題等全国学習・交流集会がエルおおさかで開かれ、100人が参加(他にオンライン参加者も20数人)、集会終了後には梅田までのデモもおこなわれた。この全国学習・交流集会は、毎年この時期に東京と大阪で交互に開催されるが、今回は大阪での開催となった。
 安倍元首相の殺害事件、参院選での与党の圧勝と改憲4党での議席の3分の2超えという状況をうけて、集会のサブタイトルとして掲げられたスローガン「人権侵害を許さない闘いの拡大を、改憲と戦争に向かう動きを止めよう!」がまさに焦眉の課題となる中での開催となり、冒頭の主催者あいさつでもその点が強調された。

被害当事者の
訴えがつづく
 午前10時に始まった集会では、「日の丸・君が代」強制反対大阪ネットからの主催者あいさつに続き、空野佳弘弁護士による記念講演「もっとも傷つけられやすい人権、思想・良心の自由、そして外国人の人権」がおこなわれた。空野弁護士は、大阪の「日の丸・君が代」弁護団のメンバーとして「君が代」不起立被処分者の処分撤回を求める人事委・裁判を担当し、また、外国人の人権を守る事案や訴訟にも数多くかかわり、名古屋入管の不当な扱いによって亡くなったスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんの損害賠償請求訴訟の弁護団長を務めている。講演の内容は、これまでの「日の丸・君が代」裁判の最高裁判例を振り返り、その問題点を指摘するとともに、同じような少数者の立場に置かれた外国人の人権問題について、その現状と課題を明らかにする示唆に富むものだった(講演要旨は別掲)。
 昼食休憩をはさんで、午後の部では、全国各地や地元大阪での「日の丸・君が代」強制反対の闘いの報告、市民団体などからのアピールがおこなわれた。
 東京からは、最初に、現在闘われている「君が代」第五次訴訟について、被処分者の田中さんがオンラインで報告し、東京地裁での自らの冒頭陳述を読み上げた。続いて、同じくオンラインで大能さんが、東京都教委が「君が代」不起立処分を受けた教員に対して、年金受給年齢に達すると機械的にそれ以降の再任用を拒否している問題について報告した。さらに、今年の卒業式・入学式の状況(青木さん)、杉並区長選での岸本聡子さんの勝利(渡部さん)、神奈川から、神奈川県立瀬谷西高校での菅元首相の講演会を中止に追い込んだとりくみ(外山さん)と報告が続いた。

弾圧はねのけ
たアピールも
 全国各地からの報告では、最初に、宮城から参加した土屋さんがギターで自作の歌の弾き語りを交えながら、今の状況が子どもたちにどのような影響を与えているか(たとえば、スマホばかりを見ている子どもたちの多くは、彫塑をしても二次元的な平面のレリーフしか作れないなど)、現在の状況とどのように向き合うのか、自らの思いも含めて発言した。
 愛知の小野さんは、前日に開催された「日の丸・君が代」強制反対全国ネットの会議について報告した。千葉の石井さんからは、千葉における「日の丸・君が代」をめぐる状況の報告があった。
 地元大阪からの報告として、「日の丸・君が代」強制と反対闘争の現状(山田さん)に続いて、6月の最高裁で勝利判決を確定させたばかりの梅原さんが再任用拒否国賠訴訟の勝利報告をおこない、大きな拍手を浴びた。梅原さんは、2012年、2014年の卒業式で「君が代」不起立だったとして、2回の戒告処分を受けた。そして、定年後の再任用にあたって、府教委の指示による校長からの「卒・入学式での国旗斉唱の際の起立斉唱の職務命令に従うかどうか」という「意向確認」を受けたが、「生徒に対して、就職試験のときに思想・良心に関わる質問には答えないようにと指導しているのに、その同じ教員がそのような質問には答えられない」と返答したことで、大阪府教委に再任用を拒否された。
 これに対して、梅原さんは国賠訴訟を提起し、大阪地裁では敗訴したものの、大阪高裁で「もっと重い処分を受けている教員が再任用されているのに梅原さんが不採用なのは、再任用に当たって平等に扱われるという法的期待に反し、裁量権の逸脱濫用にあたる」として逆転勝訴をかちとり、最高裁が府教委の上告受理申し立てを不受理としたため、勝利判決が確定したのである。
 大阪からは、そのほかに、現在進行中の「君が代」不起立処分撤回裁判(松田さん、奥野さん)、CEART(ILO/ユネスコ教職員勧告適用合同専門家委員会)から日本政府に出された再勧告(中条さん)、大阪府の学力テスト問題(志水さん)、維新による教育支配の現状(井前さん)の報告が続いておこなわれた。さらに、大阪市教委に「指導力不足教員」とされ、研修を受けさせられている現場教員からの訴え(オンライン)に続き、昨年松井大阪市長に現職校長として提言を出したことにより訓告処分を受けた久保元校長(今年3月末に定年退職)から、大阪の教育を何とかしたいというアピール(ビデオ・メッセージ)があり、参加者に強い印象を与えた。
 市民団体などからの発言では、最初に教科書採択をめぐる闘いと課題について、伊賀さんから報告があった。伊賀さんはその中で、今回の参院選で注目された参政党の神谷事務局長について、大阪市での育鵬社教科書採択を目指す動きに名を連ねていたこと、大阪で右翼的な学校作りを計画していたこと、それが失敗したあと育鵬社教科書が採択された加賀市に移住し、そこで私塾を開いて、全国から移住者を募っていたことなどを明らかにした。
 続いて、中北弁護士が、参院選の結果を受けて、憲法が戦後最大の危機を迎えており、国民投票をも見据えた改憲反対の闘いが決定的に重要であると訴えた。さらに、関生支部への弾圧攻撃に対する闘い(武さん)、「表現の不自由」展をめぐる闘い(谷弁護士)、カジノ誘致住民投票条例請求署名の成功と誘致反対運動(大垣さん)、大阪市立夜間中学校の統廃合問題(高野さん)とアピールがおこなわれた。
 集会の最後に、集会決議が採択され、行動提起と閉会あいさつで5時間半にわたる集会を終えた。その後、宣伝車を先頭に梅田までのデモ行進に移った。出発時点から、道路の向こう側の歩道を右翼グループ数名が「日の丸」を掲げて並進し、ハンドマイクでデモの妨害を試みたが、参加者は最後まで元気よくデモをおこなった。    (O)

空野佳弘弁護士講演「もっとも傷つけられやすい人権、思想・良心の自由、そして外国人の人権」

 思想・良心の自由は、独立の条文としては書かれていない国が多い。それは、内心の自由は自明のものであり、表現の自由を規定しておけば良いという考えからだが、日本の場合、戦前の思想弾圧などの事例があり、GHQが憲法を制定する際に明文化された。精神的自由は、人間の尊厳を支える基本的条件、その人がその人であることを決定づけるものであり、精神的自由権は、その人がその人であることを保障するとともに、民主制の基礎でもある。思想・良心の自由の保障には、国家権力による特定の「思想」の強制の禁止、「思想」を理由とする不利益取り扱いの禁止、「思想」についての沈黙の自由(告白•推知の禁止)が含まれる。
 日の丸・君が代訴訟の最高裁判決としては、まず2007年2月27日のいわゆるピアノ判決がある。思想・良心の自由の問題は各個人の人格の問題であり、その人に即して判断すべきであるのに、その判決では「一般的には」と多数者の視点で判断しているという誤りがある。憲法19条については判断せずに、思想・良心の自由の問題であることを隠してしまっている。それに対する藤田裁判官の反対意見は、まさにその点をついたものだった。
 続いて、2011年5月30日の判決は、君が代起立斉唱は「一般的客観的に見て」「慣例上の儀礼的な所作としての性質を有する」「そのような所作として外部からも認識される」ものであるとして、問題をずらしてしまった。藤田意見を無視できずに、起立斉唱行為は「思想・良心の自由についての間接的な制約」であることを認めたが、厳密な憲法審査基準を適用せず、「職務命令を許容しうる程度の必要性及び合理性」があるかどうかを「総合的に考量」して、何かつながりがありさえすれば間接的な制約は許容されるとした。思想・良心の自由を侵害されるのは常に少数者であるのに、裁判所が多数者の立場に立つと、少数者に救いがなくなる。裁判所はその役割を放棄している。
 韓国の良心的兵役拒否者に対して、2018年に憲法裁判所が示した判決は画期的なもので、銃を持たない、軍事訓練を伴わない代替服務を認めた。「自由民主主義は多数決の原則に基づき運営されるが、少数者に対する寛容と包括を前提とする時にのみ正当性を確保することができる」(同判決)。
 日本でもエホバの証人の生徒が剣道実技を拒否して、レポート等での代替を求めたのにそれを拒否して原級留置、退学処分をおこなった神戸市立高専の処分を取り消す判決がある。政治的な忖度のないところでは、こういう判決を出している。
 日の丸・君が代訴訟においても、日本の最高裁は、思想・良心の自由の重要性に鑑み、これを制約する、やむにやまれぬ公共的利益がどこに存在するか、制約する側がそれを立証しているか、厳しい審査で臨むべきだった。梅原さんの勝訴判決は素晴らしい成果だが、本来なら神戸市立高専の判例にそのまま当てはめて、思想差別による再任用拒否であったことが導かれるべきものだ。日の丸・君が代不起立に対する、教員の制裁・排除が大阪の教育の劣化を招いている。
 何が日本と韓国の司法の違いをもたらしているのは、社会全体のあり方、民主主義に向けた闘いの違い、運動の違いだろう。司法は社会の後を進むが、社会が進めば司法も進まざるを得ない。日本でも今も闘いが続いている。闘い続けることには大きな意味がある。ある意味では、ここで頑張っているから、社会全体で日の丸・君が代のような思想統制が広がっていないとは言える。民主主義と人権の拡大の方向にしか社会の未来はない。独裁は戦争をもたらす。
 外国人の人権について考えると、常に少数者であること、ひどい状況に置かれていることなど、その意味では日の丸・君が代に反対する人々と同じ状況に置かれている。1978年のマクリーン最高裁大法廷判決で、外国人にも憲法の基本的人権の保障は適用されるが、その範囲は外国人在留制度の枠内で与えられたものとされた。これは、権利の行使が在留期間の更新において不利益に働くことを許容するものであり、権利を行使すると不利益に判断されるのであれば、それは権利とは言い難い。外国人の人権問題は、裁判所ではすべてこの最高裁判決のもとで判断されているため、非常に厳しい状況にある。

 外国人は在留資格を失うと、身体の自由は保障されない。強制収容はすべて入管によって決められ、退去強制令書が発布されれば送還するまで無期限に収容できる。仮放免を認めるかも入管の裁量である。仮放免の場合、仕事はできず、生活保護を受けられず、医療費も全額自己負担となる。未送還者を減らせという通達によって、ますます仮放免が許可されにくくなっている。
 それに対してハンストなどが続発したため、重罰化によって対処しようとする入管法改訂案が、ウクライナ難民の保護を口実として再上程されようとしている。そこでは、送還忌避罪の新設や難民申請を3回以上すれば送還可能とすること、監理措置制度の新設などが盛り込まれている。外国人は在留資格の面でも、収容の面でも無権利状態にあり、人間としての尊厳を保障されていない。
 ウィシュマさんは、スリランカで英語の教師をしていて、日本の子供たちに英語を教えたいと考えていた。名古屋入管は、ウィシュマさんが飢餓状態にあることを見逃し、一人では起き上がれず、食事もトイレもできないのに救命措置を取らなかった。日本の入管は拷問施設と化しつつある。
 思想・良心の自由のための闘いと外国人の権利のための闘いは、どちらも少数派であり、抑圧する側が日本国家である点で、日本の民主主義と人権保障にとって結びついている。日本国憲法では「すべて国民は個人として尊重される」と書かれているが、これはドイツ憲法の「人間の尊厳は不可侵である」と同じ意味のはずである。(講演要旨)

「日の丸・君が代」強制に反対してデモ(7.17)

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