湯川順夫さんを偲ぶ
寺本 勉
湯川順夫さんが亡くなったとの知らせを聞いたとき、私の頭の中では「あまりに突然な」という驚きと「ついにそのときが来たか」という半ば予期していた感情が交互に湧き上がってきた。というのは、湯川さん本人から病気のことや圧迫骨折で動けないことを聞いていたからであり、しかしその一方では、最後の入院の前にも電話で次の翻訳について簡単な打ち合わせをしていて、まだまだ元気そうな声に安心していたからだった。
湯川さんとは、1970年代前半に関西でともに活動していた頃からのつきあいだった。彼は「宮本明」というペンネームで、当時の日本支部関西地方委の不定期機関紙に論文を書いていた。集会などでは、その飄々とした物腰と、少し前かがみの姿勢で笑顔を浮かべる姿が印象的だった。その後、彼が東京に行ったことでほとんど会う機会は失われたが、彼の精力的な翻訳活動(湯川さんの名前がクレジットされた本は、アマゾンで調べただけでも20冊にのぼっている)はもちろん知っていたし、ときおり学習会で話したレジュメや雑誌に寄稿した文章などを送ってもらっていた。
湯川さんとの間でひんぱんにやり取りをするようになったのは、2016年から翌年にかけて、ジルベール・アシュカル『アラブ革命の展望を考える 「アラブの春」の後の中東はどこへ?』の翻訳を2人の共同作業でおこなってからだと思う。そもそも共訳することになったのは、2016年の夏、湯川さんがこの本の序章部分「革命のサイクルと季節」についてある学習会で報告したとき、私のところにアシュカルの原著を持ってきて「一緒に翻訳しないか」と誘われたのがきっかけだった。彼はすでに第一章のシリアに関する部分を訳し終えていて、エジプトについて書かれた第二章の翻訳を依頼されたのだった。湯川さんとの共訳は、2014年に出版された區龍宇『台頭する中国 その強靭性と脆弱性』で経験済みだったが、その際は4人による共訳であり、川出勝さん(故人)が編集を担当していて、内容のチェックもしてくれていたため、湯川さんとお互いの翻訳内容についてやりとりするということはなかった。
『アラブ革命の展望を考える』の翻訳作業は、湯川さんと私が何回も原稿を交換して、お互いの翻訳部分をチェックし、疑問点を出し合って、お互いの翻訳を遠慮なく修正し合うという形で進められた。その中で、湯川さんは翻訳初心者の私に対して何度もアドバイスを送ってくれた。そのような翻訳の共同作業は1年以上にわたって続けられた。その結果として、2018年1月に出版された同書の訳者あとがきには、2人の翻訳分担は書かれていない。
その後、私はミシェル・レヴィ『エコロジー社会主義』の翻訳にとりかかった。その際、原稿のチェック、校正を引き受けてくれたのが湯川さんだった。翻訳は英語版からの訳出だったが、原著はフランス語で書かれていたため、人名、地名、参考書名をはじめ湯川さんのフランス語の語学力なしには原稿を完成させられなかったと思う。
しかし、昨年翻訳・出版した區龍宇『香港の反乱2019 抵抗運動のゆくえと中国』では、「体調が良くないので、申し訳ないが原稿チェックは無理」とのことだった。しかし、この本が出版されて、昨年12月に朝日新聞で書評に取り上げられたとき、一番喜んでくれたのは湯川さんだった。
初めて絵本の翻訳を手がけたディディエ・デニンクス『父さんはどうしてヒトラーに投票したの?』(2019年、解放出版社)が、「私の翻訳した本では珍しく版を重ねたんだよ」と喜んでいたこと、生前最後の翻訳書となったエンツォ・トラヴェルソ『ポピュリズムとファシズム 21世紀の全体主義のゆくえ』の翻訳に着手し出した際、その一部を翻訳した雑誌記事のコピーを送ってもらったことなどが今でも印象に残る思い出となっている。
湯川さんには、自身の病気が進行する中で、これが最後の翻訳と思い定めて進めていた企画があった。彼が傾倒していたダニエル・ベンサイドのインタビュー集『記録された断章(仮題)』である。この本は、2010年に亡くなったダニエル・ベンサイドのインタビュー(2007年と翌年にパリのコミュニティFM放送局で放送)を集めたもので、20世紀の12の歴史的事件が起こった日付をとりあげ、ベンサイドがそれについて語るという内容となっている。昨年秋頃だっただろうか、湯川さんから電話があり、「自分では完成させられないと思うから、翻訳を引きついでくれないか」という依頼だった。湯川さんはベンサイドのインタビュー部分はすでに仮訳をつけていたが、オリヴィエ・ブザンスノーをはじめ何人かが寄稿した「解説」部分の翻訳がまだだった。「仮訳の部分もだいぶ怪しいので、全部見直してほしい」とのことだった。そのときは、私は王凡西『毛沢東思想論稿』(今年9月、柘植書房新社から出版予定)をグレガー・ベントンの英訳版から翻訳し始めていたときだったので、それが一段落したら本格的に着手しますから、と答え、湯川さんも「いつでもいいから」と言ってくれていた。それでも、折を見て少しずつ翻訳にとりかかり、ほぼ全文の仮訳をつけ終わったときに、湯川さんの訃報に接したのだった。
湯川さんのやり残した最後の仕事である『記録された断章(仮題)』の日本語訳と出版は、まさに彼から私への「遺言」と考えて、彼からいろいろと教えてもらったことへの「恩返し」も含めて、なんとか実現させたいと思う。最後に、湯川さんの訃報をアシュカルに伝えた際の彼の追悼の言葉を記して、この追悼文を終えることにする。彼は湯川さんの病気のことをとても心配していて、「ぜひ克服してくれることを願っている」と言っていた。「本当に悲しむべき知らせで、ショックを受けている。彼が苦しまないで亡くなったことを願わずにはいられない。この大きな喪失に対して、私は心からの追悼の言葉を送る。彼の妻と娘たちのご健康とご長寿を祈る。連帯を込めて。ジルベール・アシュカル」。
週刊かけはし
《開封》1部:3ヶ月5,064円、6ヶ月 10,128円 ※3部以上は送料当社負担
《密封》1部:3ヶ月6,088円
《手渡》1部:1ヶ月 1,520円、3ヶ月 4,560円
《購読料・新時代社直送》
振替口座 00860-4-156009 新時代社