9.4中国人受難者追悼式
私たちは忘れることができない
9月4日午前10時半から、江東区大島の逆井橋下で、「王希天さん追悼」行事、午後から亀戸文化センターで、「中国人受難者追悼式」と「関東大震災中国人虐殺を考える集い」が、関東大震災中国人受難者を追悼する会の主催で行われた。
王希天さんが日本軍隊によって虐殺された逆井橋は地下鉄都営新宿線東大島駅から亀戸方向に徒歩10分ほどの旧中川にかかり、江東区と江戸川区をつないでいる。
過去となって
いない歴史
逆井橋の下に、日本軍が虐殺をする場面を描いた絵と版画が掲げられ、「悼」のポスターも置かれた。地元の下町ユニオンの組合、中国人の戦後補償を求める闘いを担ってきた人たちが参加した。
献花ののち、在日中国人活動家の林伯耀さんが「王希天さん追悼会」の最初の発言を行った。
「王希天が虐殺されて99年が経った。むごく悲しいことだ。心が震える。どんなに無念だったろう。弱く貧しい労働者同胞のために、警察と闘いながら真剣に活動していた。国内に戻り、日本軍の中国侵略に抗議する運動を作り出した。これが5・4運動にもつながっている。歴史は過去になっていない。王希天の精神を引き継いで、中国と日本の間に二度と戦争を起こさないように闘う覚悟だ」。
お孫さんから
のアピールも
次に今回の行事に来日できなかった中国の王希天のお孫さんからアピールが下町ユニオン委員長によって読み上げられた。
「ひたむきな心は太陽をも貫き 正義の為に流した血は霞となる」王旗。一部を紹介する。
(略)その後日本に戻り、中国人労働者が差別、抑圧される数々の悲惨な境遇を目の当たりし、〝心底から誠意”ならびに〝苦難も喜びともに”の精神から、〝我が国の同胞労働者の救済事業に奉仕する”ことを使命として、中国人労働者同胞のための”僑日共済会”を創設し、委員長に選出され、僑日同胞から強く推戴される指導者となりました。
1923年9月、関東大震災が発生した時、日本の極端な思想を持つ人たちが、災害を機として多くの中国人労働者を惨殺しました。受難した同胞は、温州籍の人だけでも600人余りに達し、数千人の中国人労働者が強制収容所に拘禁されました。祖父王希天は、日本軍警による中国人労働者虐殺の暴行を調査、暴露するため、そして被災した中国人労働者を訪ね慰問するために、単身大島町へ赴きました。暴行を暴き出し、公理を広め、正義を取り返そうとしていたその時、日本軍国主義分子によって秘密裏に逮捕され、9月12日早朝、ここ逆井橋のたもとで無惨にも殺害されました。享年27歳、青年期での殉難であり、また骨すら残らない死でした。なんと痛ましく悲惨なことでしょう!(一部略)
楓は赤く染まり、柏は黄色く染まる。過去のことは胸にしまい、永遠に離れた天上の人を思い、悼み悲しむ。この時にあたり、私たちは王希天烈士と温州旅日華工が、民族屈辱の時代に反帝反封建の人生を選択したことに思いを寄せ、彼らの短いながらも永遠に光り輝く生命の歴程に思いを馳せます。
それとともに、最も心しなければならないのは、彼らの勇敢に戦う革命精神と国と人々を憂う純潔な心です。
私たちが歴史の経験と教訓をしっかり銘記するのは、恨みを継続させるためではなく、善良な人々の平和への憧れとその堅持を喚起するためであります。それはまた、歴史を鑑として未来に向かうことであり、ともに平和を尊重し、平和を維持することです。
中日両国人民の友好を何世代にもわたって続けていきましょう。
世界各国人民が、平和と安寧を永遠に享受できるようにしましょう。
王希天烈士は永遠の模範!
旅日殉難華工の徳望は明らか!
中日両国人民の世々代々の友好を!
2022年9月4日
ヘイト・差別と
の闘いが重要
全国一般全国協の平賀雄次郎委員長が「関東大震災時における朝鮮人・中国人虐殺の記憶を引き継がなければならない。多民族・多文化共生の労働運動が必要だ。震災のパニックによってだけ虐殺を起こしたわけではない。日本のアジア侵略戦争、アジア人への弾圧・殺りくをやってきた。それが一般人を虐殺に加担させたのだ。現在ヘイト・差別が蔓延している。この現実を変えること、二度と戦争を起こさせない」と語った。記念撮影をして追悼行事を終えた。私は参加することができなかったが、午後、中国人受難者追悼式、関東大震災中国人虐殺を考える集いが行われた。 (M)

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