沖縄「復帰」50年を問う命ぬぐすーじ 舞い遊ば

天皇への献上=美らうみ文化祭2022、似非沖縄文化ではない琉球文化の本当の独自性、固有性示そう

 11月19日、茗荷谷の林野会館大ホールで、沖縄「復帰」50年を問う「命ぬぐすーじ 舞い遊ば」が沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの主催で行われた。
 以下、呼びかけ文を紹介しよう。

★命ぬぐすーじ 舞い遊ば★


 「生きていることを祝って踊り遊びましょう」という意味の沖縄語(うちなーぐち)です。沖縄のチャップリンと言われる小那覇舞天(おなはぶーてん)は、「命ぬすーじさびら(命のお祝いをしましょう)」と言いながら、壮絶な沖縄戦の傷が癒えない人々の心に笑いで癒しや希望を灯しました。
 国民文化祭は1986年にはじまり、37回目の今年、初めて沖縄で開催されます(10月22日~11月27日「美ら島おきなわ文化祭2022」)。しかし、それは「復帰」50年の節目に、琉球・沖縄の文化を、日本の国体のもとへ取り込む装置としてのイベントの側面があります。
 あらためて、琉球文化の独自性・固有性を確かめれば、天皇に献上する文化とは全く異なることがわかります。文化の国体化に抗い、「復帰」50年をしっかり「問い返し」ながら、楽しいひとときを共有できればと思います。

 プログラム

エイサー 月桃の花歌舞団&照屋三線ファミリー
琉球舞踊「四つ竹」 でいごの会
琉球舞踊「浜千鳥」 源啓美
お話「琉球・うちなぁ 抵抗のうたと踊り」 源啓美(みなもと ひろみ)
琉球舞踊「鳩間節」 でいごの会
琉球舞踊「ナークニー汀間当」 でいごの会 
琉球舞踊「前之浜」 源啓美・上原恵美子
映像2008年公演「人類館」(演劇集団創造)一部上映
唄三線 ナーグシク ヨシミツ
カチャーシー

 プログラムは、エイサー隊の迫力ある太鼓と踊りで始められた。踊りの途中に踊り手が「沖縄は軍事要塞化が進んでいる。軍事力強化で生活は守れない。武力のない、命を大切にする社会を作ろう」と語りかけた。

 琉球舞踊

 次に、沖縄舞踊が披露された。琉球舞踊は、大きくは「古典舞踊」と「雑踊(ぞううどぅい)り」と分けられる。古典舞踊は、平和外交の手段として中国からの冊封使をもてなすために、首里城内で踊られたことを契機に発展した。「雑踊り」はそれよりものちに民衆の中から生まれ、沖縄芝居の前にもよく踊られる。現在も多くの舞踊が新たに創作されている。それぞれの良さがよく表現されていた。

源啓美さんのお話


 「琉球・うちなぁ 抵抗のうたと踊り」。
 小那覇 舞天(おなは ぶーてん)さんは沖縄県出身の演劇人、歯科医師である。 私の父は技士をめざしていた。そこで渡嘉敷島踊りの指導を受けた。三線は心のふるさと。沖縄戦で避難する時、うちなんちゅは、三線だけもって逃げたと言われる。唄・三線がアイデンティティを育んできた。私は浜千鳥が好き。この唄に心を打たれた思い出があるからだ。
 40年前に、中国残留孤児が帰国し、沖縄に戻ってきた。15歳、看護師として中国に渡った。沖縄戦で全家族が死んだと聞かされて中国に残った。それから沖縄に親族がいるということを知り、40歳代で帰った。那覇空港でいとこたちが迎えにきた。ヤンバルに実家がある。浜千鳥の唄を聞いて本当に帰ってきたと実感した。
 もう一つの世界のうちなんちゅの話。ハワイ・南米に取材に行った。ハワイに行き、必ず2世、3世の話しを聞いた。浜千鳥を歌っている。番組を作りシリーズを放送した。沖縄の唄がアイデンティティになっている。
 旅に出て、たとえ草まくらで寝ようとも、親を思い出す。たとえ海を隔ててもひとつの月。親兄弟が眺めていればいやされる。
 残留孤児、親・兄弟を偲んだのだろう。

 辺野古座り込み。三線の日。うちなーの踊りをやっている。2015年から始まる。最初は三線だけだった。メインゲートの隣の工事用ゲートの所に、テントを張って、琴・三線を引いた。雨がちらついた。演奏が始まる。機動隊が出てきて、テントを移動してしまった。雨で楽器が濡れないようにテントを張っていたのに。機動隊がテントを持ち去った。しかし、古典音楽は一瞬も止まらなかった。私は鳥肌がたった。
 ゲート前で、私が踊っていると機動隊が出てきて、そのままの姿で移動させられた。山城博治さんがそれを見て号泣していた。
 コロナでこの3年行われていない。なんで踊りをやろうとしたのか。おばあの影響。私は渡嘉敷島の生まれでおばあちゃん子だった。言うことを聞かないと、唄を歌ってさとす。こんなことをしてはいけないよと。祖母、祖父は三線引きだった。25歳から習い、踊りを始めた。
 ピースキャラバンで米国にも行った。95年少女暴行事件の時、13人で米国へ。2000年の国際戦犯法廷で踊りを披露した。
 抵抗の唄はたくさんある。辺野古でも作って歌っている。(発言要旨、文責編集部)
 
戯曲『人類館』
 をめぐって
 素材となっているのは、1903年4月大阪の第5回勧業博覧会でおこった「人類館事件」である。
 人類学者が関係してつくられた「学術人類館」に、「北海のアイヌ」「朝鮮人」「台湾の先住民族」らとともに沖縄の娼妓が「琉球人」として陳列され、説明する男は鞭を手に、まるで動物を扱うかのように、「こやつは…」と侮辱的な言葉を吐きながら見世物にした、という事件だ。これに対して、当時の「琉球新報」は沖縄人が陳列されたことに対して激しい抗議のキャンペーンを繰り広げ、「琉球人」の陳列は1カ月で中止に。
 アジアにおける日本人の民族観、植民地意識、優越感を示した人類館事件は、陳列された人々に、〈日本〉という国家と自らの位置を意識させることになる。
 この事件にヒントを得て、沖縄の近現代史における差別の諸相を描いた『人類館』(作・知念正真)が誕生。1976年、演劇集団「創造」によってコザ市(「現・沖縄市)で初演される。1978年第22回岸田戯曲賞受賞。
 今回の映像は、2008年の演劇集団「創造」公演より、幕開けから15分ほどの舞台を紹介します。作/ちねんせいしん 演出/幸喜良秀 出演/上江洲朝男・花城清長・小嶺和佳子。

 ナーグシク ヨシミツさんは、「前を向いて歩こう」「沖縄に降る雪」「激烈!不屈!琉球列伝」など抵抗の唄を披露した。
 「復帰して50年、よかったか。併合されたのではないか。日本になって沖縄に雪がふる。本当に必要なものとは。人殺しの軍事基地はいらない。心の優しさでよい。私の沖縄。この島の未来に光あれ。沖縄に軍事基地はいらない」。
 琉球列伝。「1669年、薩摩の侵略。琉球の魂は失われないように。国体護持、いくさば。勝利は心の中にある。民族の魂は。瀬長亀次郎、継いでいく。奪われてなるものか。奪われてなるものか、やまと政権、米国に。不屈の魂。生きるんだ。立ち向っていく。辺野古に基地はいらない」。
 最後は全員でカチャーシーを踊った。   (M) 

源啓美さんのお話

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