投稿「働く者のための新しい平和憲法」を
西島志朗
「米中・米ロ新冷戦」といわれる状況の中で、岸田政権は「専守防衛」をかなぐり捨て、大軍拡への道を選択した。インフレが進行し、ますます貧困層が拡大している。左派の潮流はどのような闘いの方向性を打ち出せるだろうか? この投稿はひとつの試案にすぎないが、「かけはし」読者の間で綱領的な議論が活性化することを願う。
国債の償還と利払いを停止せよ
1月12日の朝日新聞は、「防衛費増額の財源をめぐり、自民党は近く政府の借金にあたる国債を安定的に返済する仕組みである「60年償還ルール」*を見直す議論を始める」と報じた。「60年」の縛りをなくして国債償還費を減らし、減額分を防衛予算に充てようという苦肉の策である。自民党内にも賛否両論あり、実際に見直すことができるかどうかは未知数だが、バイデンに約束した「防衛予算2倍化」の財源を一体どこに求めるのか。財政危機が万力のように政府を締め上げている。分裂の危機をはらんだ政府危機と議会諸政党の再編が不可避となるだろう。
*「60年償還ルール」とは、十年債の場合、償還時に5/6相当の借換債(十年債)を発行することを繰り返して、60年後に全額償還するという「ルール」。法的根拠はない。
すでに昨年6月、日経連のシンクタンクである21世紀政策研究所が、報告書「中間層復活に向けた経済財政運営の大転換」の中で、「60年償還ルール」の見直しを提言していた。「他国では、償還の期限を定めるルールがなく、国債は永続的に借り換えされ、債務残高は維持される。予算に償還費は含まれず、利払費だけが含まれる。償還費は予算外で処理されるのがグローバル・スタンダードだ。日本の予算をグローバル・スタンダードに準じる形にしてみると、償還費はなくなり、利払費のみとなる国債費の歳出に占める割合は 10・9%と、実はそれほど高くない」。
ここではさらに一歩進めて、国債は永続的に(!)借換える。政府債務を減らす「プライマリーバランス」の確保を目指すことはもう考えない。利払費だけを一般会計予算に計上する・・・。国債残高は増え続け、「それほど高くない」(!?)利払費も確実に増えていくだろう。
国債残高は1000兆円を超え、対GDP比は250%。G7諸国の中でも突出している。国民一人当たり1000万円以上の借金を抱えていることになる。22年度当初予算で償還費は16兆733億円、利払い費は8兆2660億円だった。「財政破綻不可避論」とMMT*や前記のような苦肉の策(実質的にMMTと同じ)が両極にある一方で、国民の間では、「景気が回復すればいつか返済できるだろう」という根拠のない楽観が支配しており、償還と利払いのために数十年にわたって(または永久に?)重税と低福祉を耐え忍ばねばならないことは忘れられている。
*政府が自国通貨建ての借金(国債)をいくら増やしても財政は破綻(はたん)せず、インフレもコントロールできる。したがって、借金を増やしてでも積極的に財政出動すべきだとする理論。
「プライマリーバランス」の確保を目指し、国債残高を減らすためには、一層の増税と福祉切り捨て(緊縮財政)が不可避となる。MMTにしても償還ルール見直しにしても、利払い費を増大させて重税と低福祉を永続化させ、インフレが追い打ちをかけるだろう。緊縮財政も積極財政も、「同じ一本の棒の両端」にすぎない。
われわれは、軍拡予算のためではなく福祉予算のために、「国債の償還と利払いの停止」を要求しなければならない。国債の所有者、つまり利息で稼いでいるのは、金融機関と富裕層だ。彼らの犠牲で高福祉社会を実現可能にするのか、彼らの資産と利息のために低福祉の永続化に甘んじるのか。どちらを選択すべきか、答えは明白である。
「非核中立主義」の日本を
青年層も含めて、国民諸階層全体が「保守化・右傾化」している。「戦後革新」の「平和主義」も「福祉国家」も、運動が陥没しているだけでなく、それを支えた政治意識そのものが陥没している。「北朝鮮がミサイルを発射するたびに、選挙では自民党が有利になる」という状況が作られ、「安全保障」が「天秤を右傾化させる錘」となった。
朝日新聞の世論調査(12月17日、18日)では、防衛増税に反対が66%だったが、敵基地攻撃能力の保持については賛成56%、特に青年層(18~29歳)の賛成が最も高く65%だった。ウクライナへのロシアの侵略、台湾危機、北朝鮮の核・ミサイル開発といった状況の中で、「独裁と民主主義の戦いにおいて、人類の普遍的価値である自由と民主主義のために戦う」「アメリカとともに、中国やロシアの侵略から日本の国土を防衛するのは当然だ」という政治意識が形成され、自民党の悲願である「改憲」へ向けて情勢は成熟しつつある。
憲法9条は、交戦権を放棄し戦力保持を認めない。 しかし、戦後革新勢力の護憲運動とアメリカ帝国主義のアジア反革命戦略の狭間で、自衛隊という名の戦力は保持するが、「専守防衛」の原則を守るという「妥協」が成立した。しかしこの「妥協」は、アメリカが核戦力を含む圧倒的な軍事力をアジアに展開し、中国が「覇権国家」になりえないことを前提に成立していた。今、情勢は根本から変化した。
鄧小平の「改革開放」から50年。中国は「世界の工場」であり、経済大国であり、先端技術先進国であり、軍事大国だ。ジェトロによると、2021年の日中の貿易総額は前年比15・1%増の3914億4049万ドル。過去最高を更新した。 アメリカも同年過去最高となっており、アメリカも日本も中国なしに経済は成立しない。
「覇権国家」中国に対抗するために、もう一つの「覇権国家」アメリカと手を組むことは、日本の「安全保障」にとっても経済にとっても最悪の選択だ。米軍基地がある限り米中軍事衝突の戦場となるのは日本であり、アメリカ本国ではない。「アメリカの核の傘」で守られながら「平和憲法」を存続させるという、「本音とタテマエ」的な政治意識の構造にくさびを打ち込まねばならない。「アメリカの核の傘」を不要とする道は、「永世中立国宣言」以外にない。
ユーラシア大陸の大国、中国およびロシアと、小さな海を隔てて円弧状に隣接する日本は、その地政学的な位置からして、大国間の政治的軍事的対抗の中で、「中立国家」としての立場を明確にする以外に、未来に向けて平和を守る方法はありえない。
日本の中立化は、中国や北朝鮮の民主化にむけた大きなインパクトになるだろう。「中立国家」(米軍基地の撤去)をめざす日本の労働者の闘いと中国民主化運動が相互に刺激し合い連携する巨大な闘いのダイナミズムこそが、東アジア地域の平和と安定を保障するだろう。
格差拡大と労働運動の陥没
「中流意識」が解体し、貧困層が拡大する中で、選挙の際の最大の関心は「経済・景気・生活」であるにもかかわらず、票は立憲にも共産にも社民にも流れない。賃金も福祉も景気回復と経済成長に依存しているという意識が支配的であり、保守勢力だけでなく既成野党も連合も「賃上げ➡景気回復➡分厚い中間層の再興」という幻想をふりまいている。
1980年には所得税の最高税率は住民税と合わせて93%だった。現在のそれは55%である。1984年の法人税は43・3%、現在のそれは23・2%だ。大企業と富裕層を優遇し続けることで、日本は総所得の44・9%、総資産の57・8%を、上位10%の富裕層が占有する国になった。
30年間も賃金は横ばいのままだが、コロナ禍の中でも大企業の利益は増大し続けて、約500兆円もの「内部留保」を確保している。その一方で、「貯蓄ゼロ」世帯は30%を超え(1970年代には5%だった)、相対的貧困率は15・7%に達している。日本の人口の6人に1人、約2000万人が貧困ライン以下での生活を余儀なくされている。厚生労働省の「2018年 国民生活基礎調査」によると、相対的貧困の基準は世帯年収127万円だ。
このような格差拡大と貧困、雇用・労働条件と福祉諸政策の切り下げにもかかわらず、「貧困は自己責任」という意識が蔓延している。「社会階層と社会移動に関する全国調査2015」では、「チャンスが平等に与えられるなら、競争で貧富の差がついてもしかたがない」という設問に、貧困層でさえ44・1%が「そう思う」と答えている。「そう思わない」は21・6%。「要するに新自由主義は言説様式として支配的なものとなったのである。それは我々の多くが世界を解釈し生活し理解する常識に一体化してしまうほど、思考様式に深く浸透している」(「新自由主義」D・ハーヴェイ2003)。まさに「支配的なイデオロギーは、支配階級のイデオロギー」なのである。
「自己責任」ということは、政治や社会の責任ではないということだ。しかしその前に、社会運動(選挙も含めて)や労働運動が社会を変える可能性に対する「あきらめ」がある。内閣府の「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査2018」によると、「自国の社会に満足している」︱日本5・3%、アメリカ27・8%。「今の職場に満足している」︱日本10・0%、アメリカ51・5%。「社会をより良くするため、私は社会における問題の解決に関与したい」︱日本10・8%、アメリカ43・9%。社会にも職場にも満足していないが、自ら社会問題にかかわろうとは思わない、という大変いびつな意識構造が垣間見える。
1960~70年代の技術革新と「熟練の解体」による組合職場組織の弱体化、それに続くQC・ZD運動などの生産性向上をめざす小集団活動と大民間労働組合の経営との一体化、民間製造現場での極限的な労働強化を背景にした80年代以降の「新自由主義」による官公労(公務員)への攻撃と公共部門の民営化、非正規雇用の拡大、「過労死水準」の長時間労働とサービス残業の常態化。「階級意識」の基盤である労働過程の自己決定権は「マニュアル労働」に解体され、職場の仲間意識、同じ境遇にあると感じる連帯感、働く者が社会を支えているという自負に基づく権利意識は希薄化した。労働運動・社会運動の低迷・陥没はこれらの結果であり、原因でもある。
生活賃金を求める新しい
賃金運動を
しかし相変わらず連合は、春季闘争方針の中で「それぞれの企業・個人が短期的な自己利益を追求していけば、スタグフレーション(不況下の物価高)に陥りかねない。社会全体で中期的・マクロ的な視点から問題意識を共有し、GDPも賃金も物価も安定的に上昇する経済へとステージを転換し望ましい未来をつくっていくことが必要だ」などと主張している。今春闘で締結をめざす「企業内最低賃金協定」は「時給1150円以上」。「有期・短時間・契約等で働く者の賃金」の「昇給ルールの導入」にも取り組むが、その水準は「勤続17年相当で時給1750円・月給 28万8500円以上」だ。正職員と非正規の格差を固定するこのような方針を公然と掲げる組織に、労働組合を名乗る資格はない。
「ワーキングプア」の増大が社会問題になり、2000万人が「相対的貧困」の状態であるにもかかわらず、コロナ禍の中で、「エッセンシャルワーカー」に光が当てられ、企業と社会を支えているのは社長や富裕層ではないことが明白になったにもかかわらず、そしてインフレが貧困層の家計を直撃しているにもかかわらず、既成野党と労働組合は、「GDPも賃金も物価も安定的に上昇する経済」を目指している。このような予定調和的で牧歌的な幻想に期待できるのは、富裕層と大企業の正社員だけだ。結局、労働者には「経済成長」以外に、選択肢が示されていない。賃上げは経済成長のために必要であるが、やりすぎてはいけない。「短期的な自己利益を追求」してはならない!?
かつて、フランクリン・ルーズベルトはこう述べた。「私は就任演説で、この国では誰一人飢えに苦しんではならないという単純な目標を宣言した。それは私には明白に次のことと同義と思われる。つまり、労働者に生活賃金を払わないことで成り立っているビジネスは、この国では事業を継続する権利がないということだ。『ビジネス』には、すべての工業と同様に商業も含まれる。労働者とは、作業着を着た者だけでなくホワイトカラーを含む労働者全般を意味する。そして生活賃金とは、生活ができるギリギリの水準ではなく、満足のいく生活ができる賃金である」(1933年)。
生活賃金を求めることは、「短期的な自己利益」ではない。連合の指導部は、ルーズベルトの1933年の声明を読み返すべきだ。「子供の貧困」が問題になっているが、本当の問題は「ギリギリの水準」から上がらない親の賃金だ。「ひとり親世帯」でも「満足のいく生活ができる賃金」を最低賃金の基準にしなければならない。そしてわれわれは労働者に訴えねばならない。資本の利益を犠牲にしなければ、「生活賃金」を勝ちとることはできないということを。
インフレが進行する中で、最低賃金は2000円を要求すべきだろう。連合や野党が要求している1500円では、ひとり親世帯の生計費をまかなうには足りない。連合の「2021リビングウエッジ報告書」でさえ、「成人一人、中学生と小学生の子供二人」の世帯で、生活賃金は2241円(さいたま市モデル)となっている。最低賃金をひとり親世帯の生活賃金として要求する新しい賃金運動が必要だ。
最低賃金2000円(月収にして32万)を中心にして、非正規の正社員化、安価な公営住宅、ベーシックインカム、ケアワーカーへの特別手当、自治体での「生活賃金条例」の制定などを求める。「財源」は大企業の「内部留保」の下請け中小企業と労働者への還元、国債の償還と利払い停止、富裕層への大増税などで十分確保できるはずだ。問題は景気回復や経済成長ではない。問題は「分配」であり、社会的富の分配構造を根本的に変えることだ。
これから100年の新しい時代へ向けて
「改憲反対」ではなく「働く者のための新しい平和憲法」をめざす。そこには、「非核中立の日本」(外国軍基地の撤去)と「近隣諸国との恒久的な平和外交」(日中・日ロ平和友好条約)を明記した憲法9条に代わる新たな条文が必要だ。それは、9条の平和主義の精神を明確に具体化するものとなる。さらに現憲法25条の第3項として、雇用者に対する「生活賃金支払い義務」を追加するべきだ。明治維新150年、敗戦75年。これから100年の新しい時代へ向けて、国の在り方そのものを抜本的に変革すべき時が来た。
(2023年1月17日)
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