投稿 安保関連3文書の閣議決定防衛費2倍化に対処するために

戦争反対のゆるぎない立場を!

 日本人の意識から「反戦」、「戦争をしない」、「戦争は悪だ」、「戦争は人類を滅ぼす」、「平和主義」が薄れ、「防衛」「自衛」「敵国認識」「悪国の撲滅」という「戦争への誘惑」が忍び寄ってきている。
 戦争はそれによって「利益を享受する階層」だけでは遂行できない。国民総体をその「甘い誘惑」の中に引きずり込まなくてはできない。戦争は「悪を打ち」日本人の「共通」の利益を守る「挙国一致」体制を必要とする。

岸田政権の異次元の強行ぶり

 岸田政権は、内閣支持率が低迷している政権としてはこれまでとは「異次元」の強行ぶりで、従来政策の変更を進めている。これに対して主要野党勢力は岸田政権の提起する方向性に対して基本的には反対せず、これまでの政策との整合性を調整する役割を演じようとしている。政権の提起する方向性に対して異議を唱える少数野党は平和を守る立場から憲法違反を指摘して立ち向かっているが、急速に進められている与野党「挙国一致」の構造に押されている。
 この闘いにおいて左派はどうすべきか。挙国一致で進められようとしているアメリカの先兵を担う対中国戦争体制構築をどう突き崩すのか。憲法違反だ!憲法を守れ!を主要主張として闘えるのか。戦争体制に突き進もうとしている勢力に対して何を対置し、国民に何を訴えなければならないのか考えなければならない。

クラウゼヴィッツ「戦争論」の悪用
 
 19世紀フランスナポレオン戦争期におけるプロイセン王国軍人であるクラウゼヴィッツが書いたのが「戦争論」であり、これは軍事学を学ぶ者たちにとって「バイブル」的古典となっている。
 この「戦争論」には、第3階級の台頭による革命―国民国家形成、国民国家での軍制改革によってつくられたフランス国民軍による近隣王権国家への戦争の中で、敗北したプロイセン軍人が、ナポレオンの国民軍を見習ってプロイセン軍の改革を志向したことが書かれている。
 「戦争論」の有名なフレーズは「戦争は他の手段をもってする政治の継続である」
 この戦争論について、かつて60年代―70年代戦後日本の平和主義がまだ大きな世論を形成していた時代、レーニンのクラウゼヴィッツ研究(「クラウゼヴィッツ・ノート」)などを参考にして、戦争の社会的・政治的性格を指摘し、また戦争、武装一般の回避感に対してプロレタリアートの武装の必要性・必然性が主張されてきたこともある。
 今この「戦争は政治の継続」というフレーズは、ウクライナ戦争を契機として突然のようにコメンテーターとして登場した防衛省防衛研究所研究員を主軸とする軍事専門教授たちによって多用されているように感じる。平和の問題は単に平和を願うことによっては解決しない。平和を守ると言うことは極めて現実的なことであり、危険に対しては現実的に対処しなければならないとしておこう。つまり作られた極東の中国封じ込めの現情勢の承認の上に成り立つ対処政策の容認である。「戦争は政治の継続」というフレーズは現下においては圧倒的に戦争体制強化の肯定として使われているのではないか。
 クラウゼヴィッツの「戦争論」はいかに戦争に勝つかのための研究であり、戦争をなくすための研究ではない。

政治の継続としての、戦争を抑制する軍備増強の「抑止論」について


 抑止論とはこれまで核抑止論としてほとんどが展開されてきたが、最近は核が付かない抑止論が盛んに強調されている。
 抑止論とは敵が攻撃した時に、攻撃対象の相手から受ける反撃がこんなにひどいので、攻撃を諦めさせるために、軍事力を強化しなければならないとする現実的平和論であるとされる。安倍元首相の唱えた「積極的平和主義」は国連関連海外派遣軍の戦争能力の充実も含めてだが、現実的に平和を守るためには日本は軍事力を高めなければならないというものでありこれに属する。
 抑止論はしかし敵に攻撃をあきらめさせるためには、敵に対抗できるぐらいの戦力水準では全く不十分である。圧倒的に軍事力の差が相手国に認識できるぐらいの戦力が必要であり、そもそも中国を敵国とみなしての抑止論は今の国力の差では到底成立しようがない。(圧倒的な差があったはずの戦前日米間でも、日本軍は真珠湾攻撃を先制してしまったことを、忘れてしまったのか)。
 敵ミサイルをすべては迎撃できないので、敵基地攻撃能力を持つというのは米軍の一部としての自衛隊にのみ成立するように見えるご都合主義の「抑止論」である。

米軍による中国封じ込め戦略の虚構性
 
 70年代初め、ベトナム民族解放独立闘争が切り開いた局面においてアメリカは中ソ対立を利用して中華人民共和国の承認に踏み切った。
 中国の経済的台頭はある意味で新自由主義の賜物である。資本主義経済の発展とともに、資本の力関係における関係秩序の維持と国内における統治形態としての自由民主主義、という見通しは根拠のない甘いものであったと気が付き、アメリカ帝国主義が路線転換をしたのはオバマ政権時代であり、それをトランプ政権は経済統制による締め付けと積極的軍事的封じ込めへと飛躍させ、バイデン政権には変更の選択肢はなかった。
 だが半世紀近くにわたる世界経済の進展は東洋と西洋の経済構造を衝撃的破壊を伴わずに分離することはできない。
 遠からず中国のGNPはアメリカを抜くと言う見通しは、中国の人口減、成長率の陰りの影響が今日指摘されているが、それを否定できる経済学者は少ない。「生産力」が東西で逆転したのは19世紀。それまで東洋が圧倒。西洋(北アメリカを含む)優位の歴史的時期はアジアの前進によって終焉を迎えるのではないか。
 グローバルサウスによる資本主義によって既に作られた現状の変更は歴史的必然であろう。第2次世界大戦とソ連の崩壊によってつくられたいわゆる「民主主義国家」による世界の「現状変更」は歴史的必然であり、それが覇権主義体制ののつくりかえ、覇権主義の交代ではなく人類全体の調和と幸福の体制へと発展させていくことが人類史の課題であると言う視点を持たなくてはならないのではないか。これまでの世界を統制してきた覇権国家の対応がこれからの歴史の推移にとって重要性を持っている。アメリカ帝国主義による中国軍事的・経済的封じ込めは強行の上に成り立っていることを明らかにしていかなければならない。

 台湾について


 アメリカは、中華民国は中華人民共和国に引き継がれたと解釈し、戦勝国(アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中国)の一員として中華人民共和国を中華民国の正当な後継国家として承認した。それ以来中華人民共和国は国連の拒否権を持つ常任理事国である。「国家」としての中華民国とは断行した。
 日本の植民地としての戦前の台湾―国語日本語。高砂族と日本人が称した諸原住民族、主力は福建人、客家人、一部広東人など清朝時代の大陸からの移住漢人。支配民族としての日本人の構成。
 戦後すぐ日本の無条件降伏により台湾は中華民国の台湾省となり、日本人の引き上げ後原住民族と大陸からすでに移住していた漢人からなる「本省人」が台湾省を構成した。
 しかし1949年、国府軍の大陸における総崩れの後、国民党政府と国府軍は台湾省に逃避。漢人もそれ以前の本省人とそれ以後国民党政府と移住した外省人の構成となり、国会「大陸の各省選出」の議員の構成、外省人の支配となる。
 しかし現住民族の比率は現在2%になっており、その人口比率は総人口2300万人のうち本省人85%、外省人13%で98%が「中華民族」であるかどうかは確かではないけれど漢民族(漢字共通、言語は中国語方言)が98%であることには違いがないようである。
  1980年代国民党による大陸反攻は事実上降ろされ、台湾民主化制に切り替え。
 台湾の現在の「民族」「何人」意識。―2020年代に入って「台湾人」65%、「台湾・中国人」29%、「中国人」3%と言われる。戦後支配階級として進駐してきた外省人も3世、4世の時代を迎え「台湾人」として自己を認識してきていると言われる(中国本土において「民主的に」世論調査が行われた場合、例えば福建省で「福建人」「福建・中国人」「中国人」と思うかまたは山東省で、または広東省で、さらに以下において。ましてチベット自治区、内モンゴル自治区、ウイグル自治区で尋ねた場合どんな結果が出るのだろうか。たいへん興味があることだが)。
 この「民族・何人」世論調査の結果は1992年調査によると「台湾人」17・6%、「台湾・中国人」46・4%、「中国人」25・5%であったと言うから30年の経済成長の間にずいぶん変化してきている。
 また現在時点における台湾の国の形についての世論調査は「台湾独立」「現状維持」「統一」の選択肢では中間の「現状維持」が大半を占める56・9%、「独立」が30・3%、統一は6・5に過ぎないという。
 現与党民主進歩党の政綱は「台湾独立」であり、その最大野党の国民党の政綱は「統一」の範疇であり、もっか各都市首長選の地方選、国会議員補選で与党民主進歩党の連続敗北中であり来年の総統選の行方が注目されている(台湾人民の自決権、中国の変革と連動した台湾革命の立場の重要性について認識しつつもその運動の実態についてほとんど知識がないのでここでは言及を差し控えたい)。

ウクライナ―ロシア、と台湾―中国の関係について

 ロシアのウクライナ侵攻によって一気に中国の台湾軍への軍事侵攻が同じように論ぜられているが。

 ロシアのウクライナ侵攻は昨年2月24日のことであるが、ロシアの侵攻が懸念されていた前年1月20日アメリカバイデン大統領の就任式があり、バイデン政権の中国政策にトランプ政策からの修正の可能性がまだ云々されていた時の3月2日アメリカの上院軍事委員会での元国家安全保障担当大統領補佐官のマクマスター発言。3月9日アメリカのデービットソン前インド・太平洋軍司令官、23日のアキリーノ現司令官の発言の報道が矢継ぎ早に世界を巡った。いずれも中国の台湾軍事侵攻が数年のうちに起こるだろうとの「予測」であった。
 それ以来ウクライナ戦争は日本において中国の台湾侵攻、尖閣諸島への侵攻の恐れと関連性のもとに語られてきた。
 クリミア半島、ウクライナ南東部。スターリン時代の民族政策によってかつての民族構成からいかに歪められた民族差別の歴史があっても、事実として移住したロシア人が多数、少数の違いがあっても在住していることは現在事実である。
 しかし現台湾において、外省人をロシア人に見立てることはかなり無理がある。
 ロシアのウクライナへの侵攻はプーチンの主張によれば、大ロシア民族主義の背景がある侵略なのだが、直接的にはウクライナ在住のロシア人がこの間ウクライナの国家政策により弾圧されこれを救済するためであるとされている。このような口実は台湾のなかに成立しようもない。
 台湾において無理やりロシア人になぞらえようとしたら、13%を占める外省人ということになる。しかし外省人をルーツとする3世、4世の「何人」は分解している。外省人がましてや台湾政府から弾圧されているわけではない。
 台湾、中国大陸の分断は、戦前においては日本帝国主義の植民地政策、戦後においては世界の冷戦状況対立によってつくられたものであって、台湾現住民族に対する問題はあっても、自治区など少数民居住地区を除いて大陸における各省がそうであるように漢民族それ自身の中にそれぞれ別の「民族」国家を形成する要因を見つけ出すことは困難であろう。

「中国共産党は統一のための武力行使を否定していない」問題について


 1949年、国民党政府の台湾移駐以来、大陸の中華人民共和国と台湾の中華民国はそれぞれ国として戦火をまみえ、大陸と金門・馬祖島間では激しい砲撃戦が繰り返されたこともある。
 中国は武力の非力や、バンドン会議の影響もあって「武力解放」から実質的には「和平解放」に転換していたが、鄧小平の下で「改革開放」路線に入った1979年以後、正式に「平和統一」に移行した。しかし野放しの「台湾独立」に圧力をかけるという思惑もあってか「武力行使による統一」という選択肢の放棄を宣言していない。このことが中国の経済成長に伴う軍備拡大と相まって、アメリカの中国に対する軍事包囲対決の根拠の一つにされている。
 しかし本当に軍事侵攻はあり得るのだろうか。中国にとって武力統一は、そもそも軍事的に可能なのか、どのような利益があるのか、いや逆にどのような危機を生み出すのか冷静に分析をしなければならない。
 台湾経済は事実上大陸を相手として成り立っている。輸出のうち中国大陸は25%を占め、2位が中国に属する香港(中継輸出を含む)で14%を占めている。中国では目標の第一に掲げられているのは「新発展段階」における生活の向上であり武力による台湾統一は経済発展のための環境を致命的に破壊する。
 台湾に中国による軍事的統一の要因が政治的に形成されていない。すでに指摘した台湾における「統一支持」が6・5%しか占めない台湾民意の現実があるが、今年に入って行われた世論調査では、昨年8月のペロシアメリカ下院議長の強行訪台を契機としてアメリカの対中軍事強行に対する反発が高まり、中台対立に対する警戒感が増大している。これも含めて中国の武力統一に対する反発は国際、国内に還流し中国共産党の政権基盤自信を危うくする要因になっていく。
 軍事的観点からもいかに中国が拡大したからと言っても世界的覇権国であるアメリカとは相当の差があるがゆえに中国は「武力統一」を回避しなくてはならない。
 このような側面を検討した場合中国の軍事侵攻の現実性は希薄である。
 にも拘わらず、台湾有事を前提とした日本を巻き込んでの対中国軍事包囲体制強化はお互いの軍備拡大を挑発し戦争の危機を醸成する。

「敵国」の認定について


 ロシアのウクライナ侵攻になぞらえて中国の台湾侵攻を語ることはできないはずであるが、にもかかわらず日本国民がころりと騙され、増税には反対しても日本の軍備増強には反対しないでロシアの侵攻とともに賛成のーセンテージパが増えてしまう理由は何だろうか。
 平和を守る抑止論、外交論、憲法論についての議論も大切だが、それ以上に大事なのは敵国論ではないだろうか。敵国認識が存在するから防衛が出てくる。日本人の中にある敵国認識の幻想を第1に問題にし、解消しなければと思う。
 戦前日本においては「敵国」は直接領土を接するソ連を含む欧米帝国主義国であり、アジア近隣諸国は敵国というよりも「保護」対象国、兵站基地地域として認識されていたのではないか。
 現在日本国民はアメリカ、ヨーロッパの先進資本主義国家と同じ自由・民主主義国家という共通の認識、制度で結ばれているとされる。その認識が根本的に問い直される必要があるのではないか。
 戦後アメリカ軍は無条件降伏した日本本土に進駐して占領体制を築き、日本軍国主義を解体して戦争できない国に改造しようとした。しかしソ連の核実験の成功とともに大転換し・冷戦状態の中にあって、日本の仮想敵国はアメリカの戦略の下でソ連であった。したがって作られた自衛隊は北海道を重点として配備されており、西南諸島には沖縄の米軍基地以外、戦前もそうだったが基地はなかった。中国とは国交がなかったが、一部の反共勢力以外日本国民の素朴な感情として敵国認識は存在していなく、むしろ国情を超えて国民的友好心があったのではないか。それが変わったのは中国の経済的台頭であり、GDPで凌駕され、右翼の挑発で尖閣諸島騒動が起こされ、安倍内閣になって歴史修正主義風潮は一番嫌いな国「中国」を日本人の中に作り出した。
 今敵は先進欧米資本主義国家と対極をなす、中国・北朝鮮・ロシア等権威主義国家、統制国家、独裁国家と表現される。しかしこの国家の類別方法にはっきりとノーの声を上げなければならない。国家は先進資本主義、従属資本主義、後進資本主義、グローバルサウスのそれぞれの統治形態の国家としてまず認識されなければならない。
 中国もロシアも北朝鮮も日本も同じように国民本位につくりかえられなければならない国家である。
 日本は中国、ロシアとどこが違うのか。世界的視野に立てばむしろ欧米よりも中国、ロシアに近い国民だと認識されているかもしれない。日本は敗戦後は民主主義国家に生まれ変わったとこれまで教えられてきた。一人一票の普通選挙によってえらばれた政府によって行政が行われ、普通選挙によって成立した国会で法律が制定され、三権分立が保障されているとされてきた。しかし国民の日常社会生活の中にどのような民主主義が存在しているのか。
 経済・生産・労働・流通・医療・文化・交通・・・・どの国民の日常の社会生活の分野において人間・民(たみ)本位の「民主主義」ではなく、金(かね)本位の「金主主義」の社会である。一人一票の統制を受けるとされた日本の主要インフラは金主主義の下で運営される民営化という名で私有化され、今では自治体、福祉まで民営化という名前の「金主主義」の支配のもとにおかれつつある。
 その「金主主義」の日常社会に「民主主義」は陽炎(かげろう)の楼閣のように立っている。それとキリスト教と西洋近代主義とは違う、天の権威が国民の思考と行動に大きな影響力を及ぼしている。日本人が敵国とみなす「権威主義」国家との類似性を指摘しなければならない。
 敵国はない。ただ国民本位に変えられねばならない国々である。

日中間の敵国を作り出す構造を問題とする


 安保関連3文書の想定する日本の当面の「敵国」は中国、北朝鮮、ロシアである。そのうち主要な「敵国」としてされている中国に対する日本人の認識について検討したい。
 
 (1)、1972年田中政権の下で中国交回復が行われた当時日本人の中国に感じる感情は「親しみを感じる」が圧倒的多数であった。それから8年たった、中国が解放・改革経済政策に転換した1年後の1980年内閣府の世論調査によると「中国に親しみを感じる」が78・6%を数え、「感じないは」わずか14・7%に過ぎない。
 しかし40年たった今、その数字は全く逆転しているのである。79年調査(言論NPOによる)では「良い印象を持っている」は15・0%、「良くない印象を持っている」が84・7%になっている。
 どうしてこんなに変わってしまったのだろうか。
 
(2)、中国と日本は「一衣帯水の隣国で、同じ漢字文化圏に属し、2000年の昔から長い交流の歴史を」からに始まる日中の友好を促進しなければならないと言う言葉が、50年前の日中国交回復期には日本のマスメディアにはあふれていた。
 この言葉はまだ時々両国側からの公式的立場の文章に見受けられるが、この言葉の説得性について言えばかなり疑問が出てこよう。
 
 (3)、古代・中世・近世日中関係。
 志賀島の金印(57年)、卑弥呼魏に使い(239年)、遣隋使(607年)、白村江の戦(663年)、遣唐使の廃止(894年)
日宋貿易(1158年清盛大宰府大弐)、元寇の役(1274、1281年)、義満明から国王印書(1402年)、壬辰の乱(1592年)、幕府明救援に応ぜず(1646年)、(清長崎に商館(1689年)、日清修好条約・通商協定(1871年)
 
 まさに日中2000年に及ぶ交流の歴史。作物と種子の伝搬から始まって、文字は漢字、観念の移入、政体の模倣、近世における儒教の影響と日本が中国から受けた「文化・生産」における影響は計り知れないのだが、さてその時代時代における日本人一般の現実の中国に対する認識はどのようなものであったのか全く分からない。近世まで一般の日本人においては隣国とは列島内のことであって、中国は「もろこしの国」といういわば想像上のような国に属するものであり、ほとんど日本人の社会・政治意識に関係なかったのではないか。
 ただし中世の蒙古の侵攻は、日本の支配者階級であった武士階層に与えた影響は甚大なものであり西日本において日本国として「敵国」に対する軍事の集積が行われた。これは現代においては、中国の国名としての「元」を取って元寇と記されるが、実際には日本人の中に「敵国中国」とは認識されず、東北地方でも蒙古の碑が残り、各地に子供を叱るときに「モウコガくる」という言葉が残るように、現代の日中関係に関連させることには無理があるようである(日米戦争における「神風信仰」はいい例であろう)。

 (4)、明治維新以降の日本の中国侵略と日本人の中国認識。
 1874年台湾出兵。1879年琉球を併合。1894年日清戦争。1895年1月尖閣諸島領有宣言、4月下関条約で台湾を植民地に。
 東洋の中で唯一、資本主義的生産様式に国を作り替えるための集中した政権を作れた日本は中国への侵略に取り掛かり、日清戦争を分岐点として日本人の対中国意識は「敵国」感情として初めて形成されていく。その「敵国」感情は当初民間の中には中国の「覚醒」に対する友愛的な意識も存在していたものの(形式的には残されたが)、急速にそれは侵略的ナショナリズムによる「敵国」感情に編成された。(玄洋社から→黒龍会→大日本生産党)
 
 (5)、戦争と経済。底辺階層にもつくられる「敵国」認識。
 1929年大恐慌。1931年満州事変。1933年ニューディール。1940年1月ルーズベルト参戦国防費要求。1941年12月真珠湾攻撃。アメリカ第2次大戦正式参戦。
 大恐慌が発生し、これによって日本ではまだ主要な生産現場だった農村部は未曾有な貧困に陥った。満州事変は戦時経済としての「満州景気」を、また脱出を求める貧困層(日本の大部分の庶民)の大陸への「希望」を駆り立て「左翼」民間も巻き込まれた。
 
 (6)、「五族協和」、「大東亜共栄圏」の思想。
 五族協和(5族とは和・韓・満・蒙・漢)は満州国の民族政策の標語であり、「大東亜共栄圏」は西欧帝国主義」からの「解放」を目指すアジアの連邦という位置づけである。
 その実態は後進資本主義国日本のソ連を含む西欧帝国主義に対する兵站地の形成であり、西欧帝国主義の植民地の役割と変わらなかった。
 「ちゃんころ」という中国人に対する蔑視言葉。「千人切り」にみられる人間扱いしない中国人に対する認識が日本人の一般的意識として形成された。
 
 (7)、敗戦。
 天皇制存続、アメリカの急激な対ソ戦略の変更は日本人の中国侵略贖罪意識をあいまいにした。

現在における中国「敵国」認識の問題点

 もちろん89年天安門事件等中国政治体制における「非民主」制など影響があったことは当然であるが、根本的には日本内部における閉塞状態があるのではないか。
 90年バブルが崩壊しそれ以来日本の経済は停滞の30年に入った。90年代末から2000年代にかけて北朝鮮拉致問題がクローズアップされ、「挙国一致」の救済運動の影響は日本人の民族排外意識を復活させていった。頂点を迎えたのが現在の日本人の中国「敵国」認識が形成されたのはGDPで中国に抜かれ、尖閣諸島紛争が起こされた2010年あたりである。
 日本アズナンバーワンの崩壊以後、新自由主義の自己責任の原理下で、作られた社会支配構造、格差の拡大の中で、自己責任の裏返しとして社会排外主義的感覚が醸成されてくる。戦後経済の星の日本が遅れた同情されるべき中国に追い越されると言うことは劣等感の反発として中国「敵国」認識の土壌を形成した。
 この時期戦後民主主義の意識の崩壊の中でいわゆる「歴史修正主義」思潮が日本人の中国観の中に影響を及ぼして来る。それはただ天皇制復古を伴った日本の伝統的思潮のせいだけではない。自らを中国共産党との区別を鮮明にすることを優先する日本共産党を含めて「挙党一致的」反中国の感情は今の岸田政権の対中国軍事増強に反対できない多数に表れている(昔誰かが言った「日本軍国主義と日本人民は違う」の言葉だけは大事にしたいものである)。
 安倍政権の登場は反中国の感情を加速した。言葉だけで中国との関係の大切さを言っても、最も大きな貿易高を占めている隣国のトップが何年も合わないと言うことはそれだけで国民には通じる。(つづく)(S・T)

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