県内市町村の中国での戦争体験記を読む(83)
日本軍による戦争の赤裸々な描写
中国侵略の日本軍には、県内各地からも多くの青年たちが動員されて命を落とし、また、戦争の実態を目撃した。県内各地の市町村史の戦争体験記録にはそうした証言が数多く掲載されている。今号と次号で紹介する那覇市の前原さんは、1940年、大阪で徴兵検査を受け熊本で入隊し中国大陸の北部に配属された。その後、中部、南部へと南下しながら各地で戦闘を続け、タイで終戦を迎えイギリス軍によって武装解除されるまでのいきさつを述べている。その中で日本軍の暴力の実態がリアルに描写されている。
引用は原文通り、省略は……で示した。年号を西暦で補充した。
那覇市史』資料篇 第3巻8「市民の戦時・戦後体験記」(1981年)
前原信雄「中国大陸縦断作戦に参加」(上)
昭和十五〔1940〕年四月頃大阪で徴兵検査を受け、直ちに青年学校夜間部に入学した(実際は入学させられた)。毎晩のように軍国主義教育にともなう報国心、天皇への忠誠、特に軍事訓練など三八式歩兵銃帯剣で実物使用しての特訓を受けた。……
昭和十五年十二月に熊本西部第16部隊第3中隊に入隊し短い一期の検閲を受け即製仕上げで鍛錬された。銃の手入れ、弾薬の取り扱い、被服の手入れなど、内務班で厳しい面持ちで古兵らが指導に当った。朝6時の起床ラッパが鳴ると我先に飛び起きた。フトンたたみ上げに一番遅い者はビンタを打たれた。こうして内務教育は制裁の上に鍛えられ、たたき上げられた。入隊前大阪を発つ時、それまで貯金が140円と5円の国債があったので、国債は郵便局に保管し、百円を母に、残りは通帳のまま持っていたので小遣いに困らず、酒保で大砲巻10銭を買うのは楽しみだった。……
昭和十五年十二月の末、極寒の北支那大沽に上陸し、直ちに冬第3543部隊に配属されて、山西省永済県に駐屯する第3中隊の任地に着いた。支那大陸の北部山西省は日本軍の手によって占領され、宣撫工作も行き届いて現住民の人心は案外安んじて一見平和らしく日本軍と住民との摩擦はなかったが、便衣隊や八路軍、蒋介石直系軍などと遭遇すると戦闘になった。かつて蒋介石は日本に留学した折に、兵法など勉学した秀才で、その彼が今、日本を敵にして戦うなどと当時夢にだに思っていなかっただろう。「聖戦」の大義名分をかたに支那全土を侵略戦争に陥れ略奪しようとするのは日本ではなかったか。……
山西省全域にわたる敵の残兵を一掃する、いわゆる掃討作戦だった。中原山脈の山また山の奥深くに拠点を散在させた敵は、時折り平地に出没してゲリラ戦を起こし、日本軍の和平工作に支障をきたすのでこの作戦が計画された。深山とはいえ盆地や谷間の平地にはちょっとした部落の形成があり、支那特有の土壁で周辺を囲み一城をなしていたが、その壁には“打倒日本帝国”“抗戦徹底”の文字が書き連ねてあった。部落の城壁内に立てこもる敵は、原住民を後ろ盾にあくまで抗戦した。中原会戦も後半に入り、さらに山また山と連日強行軍で進撃した足の裏はマメができ、白くはれて痛み、完全武装の背のうが肩に食い込むように痛んだ。
歩兵は、小銃弾120発、三八式歩兵銃、携帯食料と器具、被服など合わせて30キロ以上の荷物を背にしていつも強行軍に堪えていた。露営地に着くと直ちに夕食の飯盒炊さんで、夜の闇に手さぐりで水を求めてやっと炊いた飯はカエルやおたまじゃくしが入っていて驚くこともあった。翌朝見てさらに驚くことは水の近くに腐乱死体が横たわっていてその水を使っていた事だった。流れる水は行軍中の給水に欠かせないが、上流では屍がうずくまっていてまともに飲める水ではないが、それでも水筒に入れた。
作戦は捕虜になった彼らは便衣隊かスパイかの嫌疑をかけられて、露営地の裏庭に立たされ銃殺することになった。初年兵の二人が当たることになり、銃を持つ手はふるえていた。射殺と違って銃剣で刺し殺すのは、経験のない初年兵にとってはなんともいえぬ残忍行為に思えてならなかった。狙い撃ちや射撃には慣れていても、目前の彼等を一突き二突きするたびに「ウウッ」「ゲェッ」と悲壮な叫び声を発するとやり切れない。その声を聞いて手をゆるめると、側の上官が「早くやれッ」と大声で命令した。
40日間の長い掃討作戦で山なす死体は半ば腐乱化し、悪臭鼻につき、目をおおう始末だった。中原会戦もようやく終えて各部隊は駐屯地に帰隊した。その頃から古兵の満期説が広がり、四年兵、五年兵が満期除隊で内地に帰還した。我々の後に初年兵が入隊して、我々は二年兵、三年兵と古兵並みの座についたが、襟の星は相変わらず二つ星であった。初年兵の星も二つであるから、やはり年期がモノをいう軍隊であった。……
慰問袋が初めて配給され見知らぬ幼い文には泣かされた。キャラメル、仁丹、手ぬぐい等いろいろな物の中で、甘い物には飛びついて喜んだ。一年に二回ほどの肉親からの便りは嬉しかった。戦地の様子を詳しく知らせ、とあっても、返信は慎重でなければ軍の検閲にかかってボツにされてしまう。おたまじゃくしの絵をかいて(もうすぐカエル)判読してもらうといった内容で文を綴った。恩賜の煙草も1~2回あった。巻タバコの白い包みに菊の16紋章が印象に残った。……
すでに先進部隊の攻撃で桂林の要塞は陥落し、桂林城内も物静かな廃墟同然の家屋だけが残っていた。敗残兵はまだいるとの情報で警備は厳重にし、城内や部落の検索で多数の避難民が集められ廃屋になった工場内に押しこめ監禁してスパイなどあやしい者の取り調べをした。300坪くらいの工場内に2000人ほど詰め込んで二昼夜ほどの監禁で飲食物も不充分であり、その警戒や監視に当たる我々に飲食を要望し嘆願する者も多く、雨の日彼等は鉄格子窓からタオルや布切れを出して雨水を取り、しぼって飲んでいた。彼等に不審な言動や怪しい行動をとる者は射殺してよい、と上官からの命令を受けていた。婦女子や老人達の中には泣きわめく者もあって騒々しく、用便も中で済ませるようにさせていたので異臭を放っていた。桂林城外には岩山があり、その中には縦横に通路があり、兵器工場はもちろん、整備工場、食料貯蔵庫、発電所などが完備されていて、こんな岩山の中によくもこれだけの設備をしたものと、今さらこの支那事変が長期にわたる戦争を物語っている感を深くした。
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