県内市町村の中国での戦争体験記を読む(84)
日本軍による戦争の赤裸々な描写
中国侵略の日本軍には、県内各地からも多くの青年たちが動員されて命を落とし、また、戦争の実態を目撃した。県内各地の市町村史の戦争体験記録にはそうした証言が数多く掲載されている。前号に引き続き今号では、那覇市の前原さんの証言(下)を紹介する。前原さんは、中国大陸の北部に配属され、中部、南部へと南下しながら各地で戦闘を続け、タイで終戦を迎えイギリス軍によって武装解除された。今号では、仏軍捕虜に対する日本軍の暴力の実態が詳細に描写されている。
引用は原文通り、省略は……で示した。年号を西暦で補充した。
『那覇市史』資料篇 第3巻8「市民の戦時・戦後体験記」(1981年)
前原信雄「中国大陸縦断作戦に参加」(下)
支那と仏印国境の通過門は鎮南関であった。門の周辺には印度兵とフランス兵が警備し外部からの進入をきびしくチェックするようであった。日本軍部隊の通過を認めたのは、どんな理由か兵士の我々にはわからないが、多分タイ国への進駐ということで一時的通過を許したものと思われた。
仏印は一歩中に入ると完全舗装の立派な道路で、何千、何百里、泥道を歩いた支那大陸とは天地の差があった。フランス人の綺麗好きと文化の程度をあらためて知らされた。アスファルト平坦地道路を歩くのはもう何年振りだろうか。……
フランス軍はすでに察知し、彼等も街の歩行は見られず、陣地内で配備につき構えていたようだった。午後8時、ランソン中はいっせいに電灯が消え、これを合図に総攻撃開始となった。……
朝になってフランス軍の各陣地や兵舎はすべて日本軍の占領となり、敵の戦車、重甲車を多数押収したが、この戦闘で使用した形跡が見られなかったのは、その余裕を与えなかった電撃作戦にあったようだ。フランス軍は舌を巻いて逃げた者もいたらしい。日本軍は日本国土の何倍もある仏領印度支那を一夜にして手中に収めた。我が中隊は多数の捕虜を連行し、ある部落に駐屯して捕虜の処分を検討した。彼等はウイスキーを好んで毎日飲んでいたせいか、いつも要求され取り扱いに苦慮した。中隊にはウイスキーなどないので、アルコールなら何でも良いだろうとメチールやガソリンなど与えて一時しのぎさせていた。なかには早く出せ!釈放しろ!とわめく者、暴れる者などあり、静めるのに手こずった。中隊は次期行動を進める上に捕虜の存在がうとましく、早く処置しなければならなかった。
深い壕穴を掘って、いよいよ処分の準備を整え夜を待った。釈放すると言って監禁室から一人ずつ連れ出し、壕の前で目かくしさせ座らせた。すでに覚悟していたのか落ちついていた。指揮官が日本刀を抜き、上段に構えた。あたりは暗く異様な雰囲気に包まれ身ぶるいした。指揮官の構えた日本刀が「恨みを晴らしてやるッ!」と一声、エイッ!気合もろとも振り下ろされた。目かくしの彼の首は前に垂れて、二度目の振り刀で壕の中に胴体もろとも落ちた。また次の番に当たった捕虜は目かくしの際暴れ出して困った。手足を縛り四、五人で銃剣で突き刺した。彼はウン、ウン、ウウッ……と唸りながら壕に落ちた。次々と引き出され、いやおうなしに壕中に突き落としながら射ち殺した。13人の捕虜全員折り重なって壕の中でうめいていた。土をかぶせるにつれてそのうめき声も薄らいだ。
仏印攻略は一段落し、さらに南下した。昭和二十〔1945〕年初め頃、部隊はサイゴンに進駐しさらにプノンペンに進んだ。緑の街、小パリーといわれたサイゴンやプノンペンは実に美しい。……
陸軍情報部では、沖縄敗退など一切外部、特に一線将兵に漏らさぬよう厳重に取り締まっていたらしいが、タイ国には連合軍が捕虜収容所にいて、水筒の中に仕掛けた隠しラジオで米国、英国などいわゆる本国からのニュース情報を聞き、これを日本兵に漏らしたものであった。八月十四日夜、突然全員集合令で皆が集まった。
中隊長が「戦いは終わりました」と言葉少なく伝えた。兵士達は急に言われて信じられなかった。一体どうなっているのか、はっきりした様子は分からなかった。とにかく戦争は終わったのだ。日本は負けたのだ。敗戦したのだ。無条件降伏したのだ。ということが次第にわかって、あまりの悔しさに泣く者や、わめく者がいた。それにしても、これほどはっきり“終戦”と言われてもまだ納得できなかった。それは、我が部隊があまりにも勝ち続けてきたせいかもしれない。
終戦でホッとしたのは何よりも我が部隊がタイ国に駐留中だったことであった。もし支那大陸や仏印で終戦となれば、我が部隊の大半は処刑されたに違いない。
三八式、九九式歩兵銃の菊の紋章をハンマーで潰すよう指令があり、生死を共にした愛器と涙ながらにお別れするのであった。
イギリス兵を主力とした連合軍の命で、日本軍は武装解除させられ、身の回り、武装品、一切とり上げられた。昨日までは大日本帝国陸軍も、今日からは捕虜の身として扱われた。今まで敵の捕虜を無惨な扱い方をしてきたが、今日からその逆の立場になった。大日本帝国皇軍三千年の栄光もあの勇ましい軍靴の響きも音を立てて崩れ去った。我々には今後どのような仕打ち、どのような虐待が待っているだろうか。
日本軍は物資を求めて南方へ、大陸へと気力と体力の続く限り戦ったが、戦陣訓も作戦要務令も厳しい軍律も、大東亜聖戦目的達成に用はなさなかった。大東亜戦そのものが非聖戦だったのかもしれない。……
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