ミサイルNO !南西諸島を非武装中立地帯に
日本は南西諸島に対する領土的執着を放棄せよ!
実戦のための低空飛行が墜落事故の引き金
宮古島沖を偵察飛行訓練中の陸自UH60JAヘリが墜落した。このヘリは、米国シコルスキー社とのライセンス契約に基づき25年前から三菱重工が国産化したもので、連絡及び輸送、支援任務など多用途に用いられる。ヘリは宮古島北部・池間島から伊良部島へ向けて低空での飛行中、SOSを発することなく突如墜落し、海面に激突した機体は10人の隊員もろとも水深約100mの海底に沈んでいると思われる。熊本の第8師団長ら幹部と乗員合わせて10人の陸自隊員の捜索は難航している。
防犯カメラの映像には、最低安全高度(150m)スレスレかそれ以下と思われる低空で飛行するヘリの墜落直前の姿がとらえられていた。また、池間島の高台からヘリを見たという元陸自の男性によると、「海面付近を低空飛行していた。すごい演習をしているなと見ていたが、少し目を離したすきに見えなくなった。異常な音は聞こえず、勢いよく沈んでいったのではないか」という(琉球新報2023・4・15 )。低空飛行は「航空偵察という任務飛行」(森下陸幕長)だった。今のところ事故の詳細は不明だが、沖縄の島々が戦場となることを想定した実戦のための低空飛行が墜落事故の引き金となったことは間違いないだろう。
日本政府は、南西諸島に暮らす155万人の人々は望んでいないにもかかわらず、与那国・石垣・宮古・沖縄・奄美に連なる対中ミサイル基地網の建設・部隊配備を急ピッチで進めてきた。日米同盟を最優先する日本政府が島の人々の反対や不安を押さえつけて、強権により実行してきたのだ。それによりアメリカからは賞賛の言葉を得たが、様々な準備不足やあつれきが積み重なっていたであろう。その中で、墜落事故が発生した。10人の自衛隊員は、日本政府による南西諸島ミサイル基地建設強行策の犠牲者であると言わなければならない。
南西諸島の自衛隊ミサイル基地建設を歓迎しているのは、米軍と自衛隊幹部、軍需産業と政権周辺の政治家や評論家たち、地域のボスたちである。多数の住民は反対している。にもかかわらず、ミサイル基地化が実現されていくのは、支持率が半数を割り込み30%台になろうとも強権を行使することのできる国家権力の強さ・怖さであると共に、多数の反対の意思が国の政治に反映されない議会制民主主義の欠陥である。
沖縄の島々を戦場に想定した一切の「有事」訓練を中止せよ。南西諸島の陸自ミサイル基地建設を止め、自衛隊は宮古島から撤収せよ。
沖縄県は新年度の4月1日から知事公室の下に地域外交室を立ち上げた。室長には前年度、基地対策課調査班長だった玉元宏一朗さんが就き、当面三人体制で、今年度中に今後の活動内容などを示す「地域外交方針」を策定する計画だ。全国の都道府県の行政組織で「外交」と名の付くのは他に群馬県と静岡県にあるというが、沖縄県の場合、その独自性と政治性においてはるかに特徴的だ。4月7日に県のHPに開設された地域外交室のHPから引用すると、その目的は以下の通り。
地域外交室の設置目的
沖縄は、いにしえの琉球王国時代、日本、中国、東南アジア諸国等とつながることで独自の国際ネットワークを構築し発展してきた歴史を有しています。沖縄はアジア・太平洋地域との地理的近接性や豊かな自然環境など、他の都道府県にはない優位性として活かせる様々な要素を有しており、人、モノ、資金、情報等が地球規模で行き交う現代、その優位性は、様々な分野での交流の中でこそ発揮されます。
沖縄県の地域外交室が始動
沖縄県は、「新・沖縄21世紀ビジョン基本計画」に基づき、観光、経済、環境、保健・医療、教育、文化、平和など多様な分野で築いてきた知識や経験、ネットワーク等を最大限に活用し、アジア・太平洋地域の平和構築と相互発展に向け、独自のソフトパワーを生かして積極的な役割を果たしていきたいと考えています。
このような取組を推進するため、地域外交室を設置しました。
地域外交室の活躍と発展を願わずにはいられない。日本政府は「日米同盟」を金科玉条のごとく絶対視し、「自由で開かれたアジア太平洋」を守ると言いながら、実際には中国に対し開くのではなく閉じようと封じ込めに懸命になって、南西諸島の軍事基地増強に突き進んでいる。外交は政府の「専管事項」ではない。「民間外交」も「自治体外交」も存在する。沖縄が政府から独立し、平和外交の旗印を掲げて独自に交流に踏み出す意義ははかり知れなく大きい。
独自の平和人権行政をすすめる沖縄県
二期目の玉城県政は地域外交室にとどまらず、復帰50年の「建白書」実現や「反ヘイト条例」の制定など、独自の平和人権行政を積極的に進めている。
①辺野古新基地建設反対は行政の柱。沖縄防衛局の辺野古・大浦湾埋立変更申請に対する不承認処分。福岡高裁那覇支部での二つの関与取り消し訴訟での不当判決に対し、県は4月10日、最高裁に上告受理申立理由書を提出した。玉城デニー知事は「憲法が司法に託した法の番人としての矜持と責任の下、公平・中立な判断を期待したい」と述べている。裁判官たちは岸田に雇われた政府の職員ではない筈だ。玉城知事の言葉をかみしめ、自らの職責を自覚せよ。
②大浦湾の埋め立て予定海域のサンゴ移植申請に対する県の不許可処分に対し、農林水産相はまたも許可するよう「是正の指示」を行なった。埋立ができないのにサンゴ移植は必要ないし、また、移植したサンゴはほとんどが死滅していっている。サンゴの海は県民の財産。日本中どこを探しても他にはない沖縄の宝もの。県は国地方係争処理委員会への審査申し出や裁判提訴など、可能な限りの法的手段を駆使してあくまで抵抗し続けている。
③県の2022年度ジュゴン生息状況調査で、大浦湾の南西に位置する名護市久志の海岸でジュゴンのふんが見つかったことが判明した。国の特別天然記念物・ジュゴンは生きている。県内の古宇利島・屋我地島や伊良部島、西表島、黒島、来間島、池間島でもジュゴンの海草藻場のはみ跡が確認された。日本自然保護協会の安部真理子主任は県に対し「国に調査の必要性と工事の中止を求めてほしい」と訴えた。玉城知事は「国に対し、ジュゴンの生息状況の調査拡大を求めたい」と述べている。ジュゴンの生育環境を守ることと海を埋め立て軍事基地を造ることは、未来に向けた二つの価値観の非和解的な闘争だ。
④2013年に日米両政府が嘉手納以南の米軍基地の返還に合意してから10年経過したが、返還実績は6・9%にとどまる。逆に、自衛隊基地も合わせた軍事基地面積の合計は過去3年間増加している。自衛隊基地は復帰時から4・6倍に増えた。玉城知事は3月訪米に続いて、来る7月には訪中する。河野洋平元衆院議長が会長を務める日本国際貿易促進協会の訪中団に同行し、経済・文化交流を通して中国との地域平和外交を進める予定だ。日米政府が沖縄を「軍事の島」として固定化しようとすることに対し、「非軍事の島」を願う県民の意思を背景に、軍事的対立の緊張緩和と対話に基づく平和外交をアピールしていく。玉城デニー知事の活動は米中対立を和らげる緩衝材の役割を果たすだろう。
⑤沖縄防衛局は2017年から嘉手納飛行場と普天間飛行場におけるすべての米軍機を対象とした24時間体制の目視調査を行ない、離着陸時刻や機種などを記録してきた。そうした記録をもとに、米軍機による部品落下事故や騒音などに関する自治体やメディアからの問い合わせに対し、離着陸時刻や機種などを回答してきた。しかし、沖縄防衛局は3月から、離着陸時刻が分からないようデータの正確な公表を制限し始めた。米軍からの要望だという。あつかましい米軍のあからさまな基地自由使用の要求に日本政府が同調している。米軍の治外法権、日本の影の主権者は米軍であるという実態はこんなところにひょいと顔を出すのだ。県は、日米地位協定の改定によって、PFAS汚染源の解明など米軍に対する規制を強めようと努力している。
自己決定権を有する行政主体としての沖縄
琉球新報の毎週土曜日のコラム『佐藤優のウチナー評論』2023・4・15で、佐藤さんは、3月30日県議会で可決された「沖縄県差別のない社会づくり条例」を画期的だとして、次のように述べている。
筆者は沖縄の歴史的、文化的特殊性に鑑みて、沖縄がそれ以外の日本と連邦(フェデレーション)もしくは国家連合(コンフェデレーション)を形成するのが望ましいと考えている。そうなれば独自の裁判権を持つことも可能だ。それによって日本の中央政府が一方的に定めたルールに従って辺野古新基地建設を法的に強要されるという事態も回避できる。
沖縄は自己決定権を持つ主体として「基本法(憲法)」を制定する必要があるが、「沖縄県差別のない社会づくり条例」は「基本法」の人権規定の内容を先取りしている。……沖縄の自己決定権確立に向けた動きが一歩進んだ。……
「連邦もしくは国家連合」という佐藤さんの考えに賛同する。沖縄をめぐる様々な問題が噴出する中、中央政府の下に従属する沖縄県ではなく、東京の政府と対等の主権を有する沖縄の未来に向かって、県民の闘いは確実に進んでいくと思う。日本全国の人々が、沖縄の自己決定権に関する理解を広く議論し深めていただければ幸いだ。
県内市町村の中国での戦争体験記を読む(87)
日本軍による戦争の赤裸々な描写
中国侵略の日本軍には、県内各地からも多くの青年たちが動員されて命を落とし、また、戦争の実態を目撃した。県内各地の市町村史の戦争体験記録にはそうした証言が数多く掲載されている。今号で紹介する那覇市の山城さんは、1938年満州に家族で渡り瀋陽で公務についていて1945年に徴兵され、敗戦でソ連の捕虜になり三年間のシベリア抑留を体験した経過を証言している。引用は原文通り、省略は……で示した。年号を西暦で補充した。
16『那覇市史』資料篇 第3巻8「市民の戦時・戦後体験記」(1981年)
山城万清「シベリアで酷使の三年」
昭和十三(1938)年九月、私は満州国瀋陽に家族を伴って渡満し、遼陽県公署に勤めて安らかな楽しい日を送っていた。そのうちに日米戦争が勃発し、関東軍は南方に移動した。
戦局が悪化するにつれて満州国内は、戦時体制に変貌し、男子は老いも若きも坊主頭になり、そして国防色の協和服に戦闘帽、巻きキャハンという服装となった。また、女子はモンペに防空頭巾携行と定められた。……
隣組関係も強化され、物資の配給回覧やすべての連絡事項も機敏に行われ、なんとなく戦争の近づいてくるような気配がして模擬空襲警報そして消火訓練は皆真剣になってやった。
目抜き通りにはワラで作ったルーズベルトの模型人形を置き、そのそばに二人の在郷軍人の方が木銃を持って立っていた。そして夫人が通ると「奥さんちょっと待って」と呼び止め、木銃を握らせて「あの人形の腹部めがけてエイ!と大声を出して突きなさい」と強要していた。これは女子に敵愾心を煽り立てることであったろう。なんだか滑稽にも見えた。……
昭和二十(1945)年五月六日、一銭五厘のハガキを受けとった。五月十日までに平陽803部隊に入営するように書かれてあった。かねて覚悟はしていたものの胸騒ぎして落ち着かない。生死を左右する運命の分かれ道であり、後に残す家族のことが気になる。遼陽市と地方から合わせて500名ほどのOB兵がかき集められたようであった。
この召集は極秘に実施され、駅まで家族の見送りさえ許されず、死地に向かって出て行く夫の後ろ姿を家の門口で見送る妻の悲しそうな顔、可愛い子供は無邪気でニコニコと笑っている。もしやこれが最後の別れでは……と目頭を熱くしながら遼陽駅に急ぐ。午後10時奉天行きの列車がホームにすべり込んできた。列車は奉天に向かって動き出した。汽車の中は“親父様”の連中ばかりだった。奉天には夜半に着き、奉天駅からも同じ運命の人が沢山詰められ、ハルピン、牡丹江を経て平陽駅に着いたのが翌日の午前6時。そこで8時30分まで列車内に待機した後、車内から出されて整列していると9時ごろ、三人の兵をつれて将校が現われた。鵜森中尉と紹介された。その将校に引率されて営内に入り、兵舎前で次のように訓示された。
「お前たちは地方では課長、部長、店主そして社会の中心人物であると思うが、軍隊では二十歳の若いのも老年も同じ扱いをするからそう思え」と聞かされ、身ぶるいした。
……
八月十五日満州は暑い最中であり、汗を流して歩いている者の口から口へと終戦となったことが伝えられ、しかも無条件降伏だと聞いた。日本はどうなるかと心配したり、満州に残している家族はどうなるか、負けたらアメリカの勝手にされても仕方のないことだ、とさまざまな事を言いながら歩き、がっかりした表情の行列は林口近くの所で野宿することにした。やがて夜が明け、7時頃ノロノロと前の方から歩み出した。ところがその時、遠く前方からソ連兵がこちらに近づいて来た。今逃げると撃たれるからと、皆は立ち止まった。
二人のソ連兵、その後方から将校らしい肩章の金ピカに光っていかめしいのがついて来た。ロシア人を初めてはっきり見た。体格のゴツイ、いかにもずる賢い面をしている。この将校の命令通りとなった。まず一列横隊に並び、持ち物は一切地面に置かされる。銃とか剣、軍刀など。そして、両手を上に伸ばしたまま動くなと言う。
腕時計をひったくって取り、体からポケットまでさぐり、ポケットに入れてある万年筆、短いエンピツ、写真、お守り袋を取り集める。腹巻きにしている千人針、日の丸など一切合財取られてしまって、武装解除となった。着の身着のままとはこんなことをいうのであろう。二人のソ連兵に引率されてついて行った所は、林口の日本軍兵舎であった。家に閉じ込められ、粟がゆまたは高粱かゆの配給で生きねばならないことになってしまった。飯盒までも取り上げられたから食器がない。それで空き缶を拾って針金で紐を付け、腰にぶら下げて歩いた。
その集積所には毎日同じ運命の人が沢山集められ、一千人となったら、ソ連に連れ込むようであった。私たちは無蓋車に乗せられたが、終着駅名は知らない。そこから歩いてソ連領に入るのだが、足がだるく、遅くなるとブイストラ(早く歩け)と言って銃で尻を叩く。小用に立ち止まると終わるまで監視兵は待っている。歩きながらジャガイモ畑や野菜畑があると、取らねば食う物がないから大変である。野宿、昼間の大休止にはジャガイモと野菜を煮つめて食べた。……
苦しい作業を強いられながら、四季のめぐり来るのも早く、このシベリアの冬をどうして過ごすかと心配するひまもないうちに一年を経て二年も過ぎる。それでいつの間にかこの環境にも慣れて、日本の情勢はサッパリ分らぬままである。生きていればいつか日本に帰れるだろうとの明るい希望を抱いて日々は過ぎる。夏は足早に訪れて早足で去る。
シベリアの季節は冬が長いから雪解けが始まるとすぐ若草が芽を出してくる。少ない飯の補いに若草の葉を摘み取って煮つめ、飯の中に混ぜて満腹とする。毒草と知らずに食べて死んだ者もいた。……
週刊かけはし
《開封》1部:3ヶ月5,064円、6ヶ月 10,128円 ※3部以上は送料当社負担
《密封》1部:3ヶ月6,088円
《手渡》1部:1ヶ月 1,520円、3ヶ月 4,560円
《購読料・新時代社直送》
振替口座 00860-4-156009 新時代社