3・18 石垣島駐屯地への弾薬輸送抗議行動に参加して

島々を戦場にさせてはならない

午前4時からの抗議行動

 3月18日、予定されていた石垣島駐屯地への弾薬輸送に抗議する行動に参加した。本来なら島々を戦場にさせてはならないという人々の思いを阻止行動につなげていくところだが、南ぬ浜町クルーズ船ふ頭前に集まった50人あまりの人々を沖縄県警は付近に設置した柵などを利用して強制排除した。輸送は行われた。火マークの赤布を結わいて、コンテナを積んだ陸上自衛隊車両18台と、その護衛車両たちは民間道路を悠然と通り過ぎて行った。
 3月4、5日に行われた弾薬以外の車両(電源車両、ミサイル発射台車両など)を駐屯地へ運んだ時には、港の中心である離島ターミナルのすぐそばにあるヤードが搬出地点だった。今回は同じ港でありながら、少し外れのサザンゲートブリッジを入ると大きく回り込んで人工埋め立て地の先にあるふ頭から弾薬が搬入されるのではないかということが予測されていて、前日夜の搬出口付近の約2メートルの高さの仮囲い設置、深夜2時の駐屯地からの護衛車両十数台進入の報を受けて、午前4時から抗議する人々は集まってきたのであった。対岸には約十艘は配備されている海上保安庁の「尖閣」警備巡視艇(巡視というより軍艦に近い)の一部が姿を見せているが、日ごろ使用されていないこの地域の周囲は、どこまでも野原が広がっている。コロナ禍の落着を見込んでこの春からクルーズ船の停泊が本格化するとも言われていて、この埋め立て地域自体を開発する計画もあると聞いた。

「おおすみ」が弾薬を輸送

 ようやく明けようとするふ頭に午前7時近く姿を見せたのは自衛隊の輸送艦「おおすみ」だった。誰かが「戦艦ヤマトみたいのが来た」と声をあげた。ほとんど使用されない桟橋に突如現れる軍事船舶の姿は戦争のむごさが迫ってくることを予感させるものである。停泊から1時間の準備、確認らしき動きの末、コンテナを積んだ車両が次々と昇降機でヤードに下りてくる。後になって、このおおすみが呉配備の船であることを呉で活動する人から聞いて知った。輸送艦と言いながら小ぶりな空母のような外観を呈しており、ホバークラフト2艘を揚陸させる機能も有している。護衛艦を名乗って空母に改造をする船があれば、輸送艦を名乗って海兵隊のように強襲揚陸を可能とする船舶が自衛隊にはあるという事実を今更のように知る。民間港に接岸し、民間と軍事の境界をあいまいにすることは文民統制の建前を転倒させることにつながる。
 3月4、5日は沖縄県警が混乱を収拾できず、自衛隊の要員が直接抗議する人々の規制に乗り出してきたという話を聞いた後でもある。徐々に進行する事態に感覚を麻痺させられがちだが、留意したい。今回は輸送艦が登場したことは、民間輸送業者から協力を拒否された内情を知らしめたともいえるが、軍事に対して全てを従わしめようとする圧力はこれからも強くなるだろう。
 この日、抗議する人を排除した沖縄県警は、紺の乱闘服、白Yシャツの制服警官がそろってサングラス着用であったのも異様な光景だった。この人たちは辺野古の作業を休みにして総出で石垣島にも来たわけだが、警官も沖縄県内に住む人であれば、島々を戦場にするなという言葉の意味は分かるはずである。視線を合わせては強制排除を出来ないということなのだろうか。これも沖縄分断の一つの側面という風に考えることもできるのかもしれない。

進む要塞化の既成事実化


 弾薬輸送の車列はサザンゲートブリッジを左に曲がり、繁華街を左に見ながら西北に進み、なたつ橋(新川公園前の交差点)で左折し79号線から東に海岸線を望みながら北進し、駐屯地通用口への搬入を10時半ごろまでに終わった。抗議者はそれぞれ駐屯地ゲート前に駆けつけて、辺野古で座り込みを続ける人を含む何人かの発言を受けながら、午後まで抗議を続けた。島々を戦場にさせてはならないという怒りに満ち満ちていた。
 こうしてそれ自体が物資集積訓練ともいえる搬入が終わり、その2日前の16日には、抗議行動をよそに駐屯地開所式が行われたため「南西諸島の空白を埋める」と日本政府が言うところの、要塞化の既成事実化が進んだかに見える。しかし基地建設は全然終わっていない。特に排水設備の大幅な遅れは明らかであり、実弾演習場周辺も見えないようにされているがクレーン数台が動いている。何より弾薬庫の爆風よけの斜面が司令部建屋を守る方向にはあるが、逆の民間住居地の方向にはないということが、軍の民間軽視の姿勢を示すものである。16日の開所式に抗議する人の前でも銃を携行した隊員たちがうろうろしていたという。
 与那国では自衛隊の広報係(情報担当ともいう)が島の住民との融和に努めてきたかを力説していたが、住民投票時には駐屯地誘致推進側がないと約束した米軍との連携を11月のキーンソード合同演習で行い、あげくミサイル基地機能を加えることまで発表してしまった。
 石垣島での駐屯地開設をめぐる緊張感には国民を守る自衛隊という建前から、あるべき軍隊として進んでいくという決意を見て取ることもできるのかもしれない。潮目は変わったというべきだろう。与那国での戦車走行は訓練であると同時に、そういった宣言の意味合いを兼ねていたかもしれないと思う。「石垣島に軍事基地を作らせない市民連絡会」とともにゲート前での抗議を続ける上原正光さんは、島に軍事を持ち込む自衛隊の論理、隊員の姿勢を問題にしているが、他にも集落にまで鳴り響く起床ラッパ放送をやめるべきだ、街灯が少ない集落で煌々と照明をつけて存在を隠さないのはおかしいのではないか、など自衛隊側に反省するよう呼びかけている。

形だけの事後説明会


 石垣市議会でも排水設備の問題は、辺野古の軟弱地盤問題よろしく、触れられている。於茂登岳は名蔵ダム、真栄里ダムなど水源を複数抱えているが、住民への安全な水供給にかかわる問題でもある。ずさんな計画を隠蔽し、地域に了解を求めないという意味では、ミサイルの長距離射程化が将来どうなっていくのかという質問も出されていた。これに対し浜田防衛相なども明確に否定していない以上、予想されることなので追及すべき問題であるには違いないが、駐屯地そのものを否定する人にとっては物足りない議会のありさまである。
 最低限住民の合意をとるべきだ、あるいは基地は否定しないが住民投票などの手続き論を主張する人も、島には残っている。しかしそういう意見の人の事さえ、日本政府は無視してきた。物資、弾薬を輸送し終わった後の22日になって住民説明会が行われるということが何よりの証拠だ。3月19日には毎週日曜日に開南十字路で抗議行動をする命と暮らしを守るオバーたちの会が定例のスタンディングを行った。数々の要請に自衛隊はおろか、石垣市も答えてこない中、形だけの説明会を行うということに怒りは収まらない。また不安は募るばかりである。22日には説明会に参加しないで、外から抗議することを確認した。
 オバーたちの会は2022年多田瑤子反権力人権賞を受賞した。会の中でも山里節子さんの存在は大きい。よわい85歳、米軍基地の通訳を務めた経歴もあるが、そのことに対する悔恨も込めて断固基地に反対するという姿勢を貫き、多くの人が敬意を払っていることは、彼女が発言を始めるときの静粛が物語っている。搬入当日もコールの音頭をとり、開南スタンディングの時も声を上げていたが、島言葉を理解しないためにいちいち聞き取れないのは悔しいところだ。ちなみに22日の石垣市民会館で行われた住民説明会は防衛省側が資料を配らず、住民の参加も閑散とし、質疑の内容はまさに軍隊は住民に対し責任を持たない、住民が関心を持っていることに無関心という姿勢を示したものだったという。

歴史は見事に連続している

 石垣島だけでも500人を超える自衛隊員に対し、あるいは無関心な「本土」に対し、どういう働きかけが可能だろうか。今回石垣島にわたるに際し、大矢英代さん著の「沖縄『戦争マラリア』─強制疎開死3600人の真相に迫る」(あけび書房)を預かって読んだが、石垣島、波照間島などでかつての戦争マラリア被害を引き起こした構造が今回の駐屯地設置に大いに関係あるということが重要だろう。歴史は見事なまでに連続している。
 その麓に駐屯地を開いた於茂登岳というところは、かつて石垣島の住民を日本軍が強制的に移住させた1944~45年当時のマラリア有病地(山間地はその傾向が強かった)であった。そうして山間地に地元住民を押し込め、住民監視拠点と最終迎撃拠点とを確保しながら、軍全体は住民がいなくなった沿岸などのマラリア無病地に展開して作戦行動に専念したのである。もちろん住民からの食糧確保(強奪)の目的もかねていた。
 大矢さんの平易な文章は、ジャーナリストになるきっかけである戦争マラリア問題との出会い、数カ月滞在した波照間島のオバー、オジーとの交流、その人たちとの別れを通して、陸軍中野学校出身者を含む日本軍関係者が系統的な殺人行為を示す資料の存在に突き当る。これは三上智恵さんと制作した映画「沖縄スパイ戦史」の製作意図とも通ずる。住民保護という美名に相反して、沖縄島で繰り返されたごとく、住民を潜在的なスパイとして扱うということに軍隊の本質があることを、被害にあった人の生活の中から共感性豊かに理解することが必要である。
 大矢さんの文章でも何度かふれられているが、戦争マラリアについて石原昌家、石垣島の戦争史については太田静男、といった人の先行研究は詳細をきわめ、大変貴重である。南西諸島に配備された駐屯地を考えるとき、配属先の島の人の理解を得るといって、軍服を脱いで殊勝な言動につとめる自衛隊員と会っても、軍隊の本質に沿って行動しているだけなのか警戒するのが当然だと言える。
 国民保護という言い回しの欺瞞につなげて言うならば、3月17日に沖縄県庁で住民避難の図上訓練が沖縄県庁他で行われたことも、あまりにタイムリーだったので付記しなければならない。要する期間は6日間だという。竹富島、与那国島、多良間島といった比較的小さい島から石垣島、宮古島へ移動させ、そういった島から九州へという流れを確認しあったということに図上訓練の意義はあったということだ。
 しかし避難という目的が軍事目的でなかったとしても、これこそ絵に描いた餅というべきで、トラブル発生時の想定、空港職員の負担、輸送にかかわる要員の増員の必要など課題山積である。そしてその課題を実現するより、偶発を装った戦争開始が先だってしまうかもしれないということの深刻さは計り知れない。テレビの取材にこたえた、とある島の公民館の館長は最初は言葉を選びながら、避難計画の実施がむつかしいということを話していたが、最後には「この計画は無理ですよ」と吐きすてるように断言していたのが印象に残る。

国策事業のしわ寄せは常に住民に


 上原さんは、宮古島でも言われているように、配備されたからといって自衛隊に好きにさせないということを銘じながら、議会開催中の石垣市役所でもアピール情宣を行っている。あまりにずさんな駐屯地設置の矛盾のせいか、人知れず応援の声を届けに来る人もいる。中山市長は市議会での質問に対し、自衛隊のことは国の専権事項だとして、まともに取り合うことはない。健全な島の経済を作ると言ったことをどう考えるんだ、あなたにも子どもはいるだろう、異動を繰り返す自衛隊員にしてもその家族はどうなるんだ、宮古島で心中を図った自衛隊員家族の事件(2021年2月)を知っているか、どう思うのかと迫る上原さんの問いかけは、時に声を詰まらせながら切々たるものだった。
 中山義隆市長は2010年に市長に就任するや否や玉津教育長を起用し、「つくる会」系教科書採択のために手段を問わなかった人物である。同時にスキャンダル報道にもたびたび見舞われているがポピュリスト的手法を尽くして政治家として延命している人物でもある。そういった人が首長をつとめているという観点でしか石垣島を見てこなかった面がヤマトにいる人間としてあったとも思うが、上原さんは丁寧に、生活者の視点から議論のずさんさ、展望のなさを知らしめ、必然的に戦争を否定するしかないだろうということを説いている。
 駐屯地では工期の設定に間に合わせようとしたせいか、2022年12月には重機転倒事故も報告されている。それは氷山の一角に過ぎないと言われている。日本政府、防衛省は今すぐ工事をやめて、駐屯地を解散し、住民の声をきかなければならない。工事強行もそうだが、国策事業のしわ寄せは、常に住民がかぶることになっている。軍事拠点の構築はその最たるものだ。
(海田 昇)

駐屯地ゲート前で抗議する上原さん(3月21日)

輸送艦おおすみに抗議する人たち(3月18日)

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