読書案内「陰謀論」
秦正樹著/中公新書/2022年/860円+税
民主主義を揺るがすメカニズム
著者の秦正樹は1988年生れ、今年で35歳の若手の政治学者であり、学部生の時代は「ネトウヨ」(ネット時代の右翼青年)だったそうだ。「ただ日本を愛するだけの普通の日本人なのになぜ『ネトウヨ』などと揶揄されるのだ、と強い反感を覚えることもあった」という。学生のころから現在に至るまで、著者はおそらく「左翼」は言うまでもなく「護憲派」だったことすらなかったのだろう。
私も、日々の報道や人びととの会話などで、差別意識まるだしで語られるさまざまな出来事の評価にいらだつことも少なくない。しかし気の弱い私としては相手にもよるがせいぜいイライラして不機嫌な顔をするぐらいで終わってしまう。
「大学院に進学し、実証歴史学を学ぶ過程で、そうした大きく偏った政治的考えは完全に霧消し、当初の『崇高』な信念は、単なる『黒歴史』に変わってしまったわけだが……」と著者は語っている。しかし彼の正直なところは、自分が右翼から左翼に単純に変わったわけではない、ということにあり、そうであるがゆえの独自の歴史分析の方法も随所に見られる。
本著では、私のように、「反近代天皇制史観」に取りつかれた側の活動家にとっては、著者の論述について「かゆいところに手が届かない」といったいらだちを感じることも多いのだが、そこはむしろ「反天皇制主義者」ではないがための「異なった分析・批判のしかた」として前向きに受け止めていきたい、と思う。
著者の危機感は、今や歴史の分析、あるいは現実政治の分析が「悪」の代表としての「中国、韓国、朝鮮、ロシア」などの「陰謀」によって動かされていると主張する人びとが増えており、冷静な政治判断がそれによって不可能にされている、というところにある。そして改憲・軍拡に向かう急速な政治の展開に対峙し、押し返すためには、何が必要なのか、という問題意識が、そこに浮かび上がっている。
2020年の米国大統領選で再選をねらったトランプが大統領選で負けたのは、「Qアノン」と呼ばれる「謎の秘密結社」による陰謀だと主張する人びとによる、選挙結果に抗議する暴動が起きた。こうした荒唐無稽な主張が「民主主義の国」とされたアメリカで起きたことは、「現代民主主義」にとって極めて深刻であり、それは「社会主義=スターリニズム」に勝利したはずの資本主義の政治システムにとって民主主義の理念を根本から揺るがす事態に他ならない。
欧州や日本での「議会制民主主義」は米国とは違う、とタカをくくることはできないはずなのだ。
本書は全体として6章構成でできている。第1章「『陰謀論』の定義――検証可能性の視点から」、第2章「陰謀論とソーシャルメディア」、第3章「『保守』の陰謀論――『普通の日本人』というレトリック」、第4章「『リベラル』の陰謀論」、第5章「『政治に詳しい人』と陰謀論」、終章「民主主義は『陰謀論』に耐えられるのか」である。
以下、記述に沿って紹介することは余りにも煩瑣な作業になってしまうので、とりあえず目次だけにとどめたい。
ただし著者による終章に掲載された幾つかの「結論」に関しては紹介しておきたい。
「……政治的関心・政治的知識が中程度以上の、より知識レベルの高い人ほど、COVID19の発生源について、武漢ウイルス研究所起源説や中国政府関与説といった真偽不明な説を信じていることがわかった」。
「これらの知見を総合すると、政治的関心・政治的知識のいずれにおいても、それらの程度が高いほど、つまり政治的に洗練されている人のほうが、むしろ陰謀論を受容しやすい傾向にあることが明らかになった」。
「本書の分析結果を敷衍すると、ネット右翼やオンライン排外主義者に近い意見を持つ、『普通』意識を持つ人、リベラル左派が多くを占める野党、あるいは、政治に関心が高かったり知識が高かったりする人も、みな、『自分の信念に沿う』陰謀論を信じる傾向にある」。
「より重要なポイントは『誰が信じるか』、よりも、『自分の正しさを支えてくれるから信じる』という陰謀論受容のメカニズムのほうにあると考えている。右派でも左派でも、特定の政党を支持する人でも、政治的洗練性の高い人でも、一定の政治的信念や『自分は政治に詳しい』という自己認識を持つはずである。こうした信念と自己認識を持つほど、自身の理解と同じ方向性の言説に飛びつきやすくなってしまうという性質を、我々はよく理解しておく必要がある。陰謀論が、自分の信念や認識の正しさを肯定してくれる『良き友人』となりうる点にこそ、大きな問題が潜んでいる」と言えるだろう」。
著者は、「自分自身を『普通』だと考えている人」(普通自認層)であればあるほど、「ネット右翼やオンライン排外主義者がしばしば主張する陰謀論をより強く受容しやすい傾向にあること」、「特徴的に陰謀論を信じやすい傾向にあること」、さらに「普通の日本人」という認識を持つ人々こそ「陰謀論」蔓延の源泉の一つになっている、と分析している。
それでは「陰謀」論による社会の分断、少数者への差別・孤立化・排除に抗してどう闘うべきか。「正しい解決策はない」ということが著者の「回答」のようである。
「自分だけの正しさを過剰に求めすぎない」ということを著者は強調している。しかし私たちは少数者への差別と孤立化をさせないという原則をベースに、「共に助け合う」というあたり前の関係をつくり出していくための挑戦をないがしろにしてはならない。
(K)

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