南西諸島のミサイル基地網建設を中止せよ
日本政府は米国の中国包囲軍事政策に協力するな!
沖縄報告 6月11日 沖縄 K・S
6・4 ミサイル配備を断念させよう!うるま市民集会
6月4日(日)午後、今年度中のミサイル部隊配備が進行中の陸自勝連分屯地ゲート前で、ミサイル配備を断念させよう!うるま市民集会(主催=ミサイル配備から命を守るうるま市民の会)が行われ、炎天下、全県各地から340人が結集した。
司会は国吉亮うるま市議。はじめに主催者から、共同代表の一人・照屋寛之さんがあいさつした。照屋さんは「防衛局は住民説明会さえ開こうとしない。勝連にミサイル基地を造らせてはならない」とアピールした。
続いて発言した宮城英和事務局長は、これまでの取り組みを振り返り、「4階建て隊舎、車両整備工場など新築工事が進行している。次は弾薬庫の拡充が行われるだろう。この工事は、赤土流出、保安林、埋蔵文化財など問題だらけだ。うるま市には63の公民館がある。これまで13の公民館でミサイル展示会を開催した。運動は継続が大事だ。あきらめてはいけない。平和への道は簡単ではない。ネバーギブアップ。市内の隅々に1200枚のポスターを張りめぐらした。ミサイル配備を止めよう」と訴えた。
連帯のあいさつに立った「自衛隊の弾薬庫等建設に反対する沖縄市民の会」の島袋恵祐県議は、「私は元自衛隊員だ。ここで射撃訓練をやったこともある。沖縄を戦場にさせてはならない。ミサイル配備を止めよう」と述べた。
「ノーモア沖縄戦・命どぅ宝の会」の山城博治さんは「ここは私たちの島。平和を求める県民の島。全県組織の取り組みを実現しなければならない」と力強く述べた。与那国(田里千代基町議)、石垣(内原英聡市議)、宮古(下地茜市議)からはそれぞれ連帯メッセージが寄せられた。
激励のあいさつはまず、うりずんの会を代表して、赤嶺政賢さん(衆院沖縄1区)が行なった。赤嶺さんは「他の議員は台風で東京に足止めされ来ることができなかった。沖縄にミサイルを置く対中国軍事政策はアメリカの要求だ。軍事対軍事ではなく、平和外交が必要だ」と語った。屋良朝博さん(沖縄3区前議員)は「平和こそわれわれの未来。ワシントンにも何度か行った。抑止力はユクシ(うそ)。全国11カ所のミサイル基地のうち、4カ所が沖縄につくられる。有事を起こさせない本当の安全保障は軍事力強化ではない」とアピールした。
そのあと元小学校教師の森根嶺子さんは「自衛隊基地の周りには幼稚園や小中学校がある。ミサイル配備によりうるま市が標的になる。危険であり、憤りを覚える。必ず配備を断念させる」と決意を述べた。最後に決議文案を読み上げ、全体の拍手で確認した。
決議文は①政府は陸自勝連分屯地への地対艦ミサイル配備及び連隊本部の創設を断念すること、②沖縄防衛局は市民説明会を開催すること、③うるま市長は市民説明会を開催すること、を求めている。
フィリピンの平和活動家
ウォルデン・ベローさん講演会
6月10日(土)午後、那覇市のてぃるるホールで、フィリピンの平和活動家、ウォルデン・ベローさん(元フィリピン大教授)の講演会「沖縄とフィリピン―アメリカ新冷戦の最前線」(主催=ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会)が開催された。会場には空席も目立ったが、ざっと目算したところ約100人が参加した。ベローさんは数日前に来沖し、辺野古新基地建設に反対する現場などを回り各地で交流を重ねた。
講演でベローさんは、「アメリカが中国を押さえつけるために、日本、韓国、フィリピンといった‘準主権国家’を使って軍事包囲網を構築しようとしている。中国とアジア各国とのつながりを断ち切りたいのだ。フィリピンも、1991年に上院が新基地協定を否決し米軍が撤退したが、その後また、1998年に訪問米軍に関する地位協定を結び、駐留を再開した。さらに今年、米軍が巡回・駐留する基地が9カ所に増えた。有事になれば、沖縄だけでなく日本全体が巻き込まれることになろう。市民の連帯で米国の危険なゲームを止めなければならない」と述べた。また、中国に対しては、「米軍の攻勢に対する守り、防衛」としながらも、「南シナ海での中国の一方的な軍事的進出が結果として、米国による準主権国家を使った封じ込め推進の根拠になっている」と指摘した。
東アジアの現状に対する問題意識を共有する講演会だったと言える。軍事大国アメリカの傲慢な利己的行動、米国に従属する東アジアの各国政府、軍事対立の深まりに危機感を抱く市民の連帯の必要性などが明確になった。権力者たちは東アジア全体を見ている。われわれも東アジア全体の連帯と交流に取り組まなければならない。
玉城知事がミサイル配備
回避を求める要請書提出
玉城デニー知事は6月9日、東京で防衛省・外務省を訪れ、昨年12月に閣議決定された安保3文書に関連して、敵基地攻撃能力(反撃能力)を有するミサイルを県内に配備しないことなどを求める要請書(宛先=浜田靖一防衛相・林芳正外相)を提出した。玉城知事は「抑止力の強化がかえって地域の緊張を高めることになっては決してならない」と述べた。
対中国軍事対決の最前線となるミサイル基地として沖縄が再び戦場となる危険性に対する県民の危機感は強い。2月と5月の二度にわたる平和集会には、それぞれ1600人、2100人が集まり、子ども連れの若い母親の参加が目立った。辺野古新基地反対の連日の行動に加えて、与那国、石垣、宮古、沖縄の各地では、軍拡とミサイルに反対する地域の運動が頑強に進められている。4月から地域外交室を発足させた沖縄県もまた、東アジアを舞台とした平和外交のアプローチを積極的に始めた。
沖縄県の照屋義実副知事は韓国・済州道で6月2日から開催された第18回済州フォーラムに知事の代役として出席、「持続可能な平和と繁栄のための地域外交」のセッションで講演し、翌日には4・3平和公園を訪れ焼香した。フォーラムには、地元済州道の知事や中国・海南省の常務委員らが出席し、観光・経済・交流などに関し意見交換した。照屋副知事は、「アジア・太平洋地域の平和構築と持続的な発展に貢献したい。沖縄は琉球の時代からアジアの架け橋となることをめざしてきた。21世紀の万国津梁を構築したい」と述べた。
7月には、玉城知事が日本国際貿易促進協会(河野洋平会長)に同行・訪中し中国との経済関係や文化交流の発展、地域の安定に取り組む。秋には台湾の訪問が予定されている。沖縄県の独自地域外交の取り組みに対し「無意味」「リスクがある」などと言う政治家・官僚たちの心ないコメントがある。軍事・外交は中央政府の専権・特権ではない。地域住民の命や生活に直接重大な影響を及ぼす軍事外交政策であれば、地域自治体こそがむしろ積極的に発言・行動して当然である。日本政府が米国の利益代弁者となっている現状では、なおさらそうだ。沖縄に続き、各地の自治体が中央政府の軍事政策にNON!を突きつけ、周辺各国との平和外交を求める声をあげて行こう。
日本による強制連行の歴史を想起しながら
6月5日、朝鮮人刻銘者463人を読み上げ
慰霊の日(6月23日)に向けて、平和の礎の全刻銘者24万1686人の読み上げがスタートした(主催=沖縄「平和の礎」名前読み上げる集い実行委員会。後援=沖縄県・沖縄県教委・NHK沖縄放送局ほか)。オープンセレモニーは6月1日、北谷町役場で開かれた。町遺族会の宮里会長ら約30人が集まり、北谷町の戦争犠牲者の約半数にあたる1260人の名前を読み上げた。
1995年、大田昌秀知事の時代に創られた平和の礎のコンセプトは、敵・味方に関係なくすべての戦没者を刻銘することだった。『沖縄「平和の礎」はいかにして創られたか』(高文研、2022年)を参照。沖縄県民、日本兵、米兵、台湾人さらに強制動員された朝鮮人も刻銘され、新たに分かった戦争犠牲者が年々追加刻銘され続けている。平和の礎の朝鮮人刻銘者は現在463人。沖縄戦には陸海軍の各部隊に軍人・軍属として約3500人の朝鮮人青年が動員され、そのうち半数が亡くなったと推定されており、刻銘されているのは朝鮮人犠牲者の一部に過ぎない。詳細は、沖本富貴子編著『沖縄戦に動員された朝鮮人―軍人・軍属を中心にして―』(アジェンダ・プロジェクト、2020年)を参照されたい。
昨年に続いて今年も、朝鮮人犠牲者の名前をハングルで読み上げる集いが行なわれた。今年は意見交換の結果、名前のあとに、님(ニム)を敬称として付けることになった。日本語の「さん」のようなもの。沖本富貴子さんがパワーポイントを使って、平和の礎の朝鮮人刻銘の経過などを説明し、父親である朴煕兌(パク・フィテ)さんの追加刻銘(2017年)にあたり県に提出した朴春花(パク・チュナ)さんの要請文を読み上げた。
慶尚北道尚州に暮らしていた朴煕兌さんは、1944年7月、日本軍により強制動員され、軍属として特設水上勤務隊104中隊に編入され、沖縄戦に投げ込まれた。その後、慶良間諸島を舞台とした日本軍の特攻艇作戦のため渡嘉敷島に移動、日時は不明だが、日本軍兵士により切り殺された。
父は村の里長に強制的に日本に行けと言われて徴用されました。村から8名が一緒に行き、解放後4人が生きて帰ってきて、残りの4人は現地で死亡したということを、帰ってきた方の証言で知りました。
母の話では、食べるものがなくて民家に降りて行ってサツマイモを食ベていたところ、これを発見した日本軍がその場で首をきって殺したということでした。
父が解放後になっても帰ってこないので母は再婚をし、私は母について行きました。6人子供がいたために、私は転々としながらまともに教育を受ける機会もありませんでした。母もたくさんの子供を面倒見るために大変苦労を重ねました。
父が徴用されてから今まで日本からなんの連絡もありませんし、遺骨も受け取っていません。そのために父のお墓も作れず祭祀を行うこともできません。日本沖縄船舶軍名簿を通して父の名前を確認しましたが、父は記録上行方不明になっていました。
はじめに、朝鮮民主主義人民共和国の82人を、金賢玉(キム・ヒョノク)さんが厳かに読み上げた。そのあと私も参加して、大韓民国の381人をリレーでつないで行き、最後の方を、南成珍(ナム・ソンジン)さん、許点淑(ホ・チョムスク)さんが読み上げた。6時15分から30分間、平和の礎の朝鮮人刻銘者の名前が会場全体に響き渡った。
読み上げ後の意見交換で、南さんは名前を読み上げることの意味について、金春洙(キム・チュンス)の詩「花」から、「私が名前を呼ぶ前はその人はただひとつの身振りに過ぎなかった。私がその人の名を呼んだときその人は私のそばに来て花になった」との言葉を引用しながら、「朝鮮人戦没者の名前を一人ひとり呼ぶことを通じて過去がよみがえり受け継いでいく道が開けるのではないか。来年もまた行おう」と語った。
今年、重複(2002年と2006年)を理由に、「金普煥(キム・ボファン)」さんの2002年刻銘の方が削除された。遺族の方が申請した2006年の方が残された。そのため、刻銘者が一人減ったのだ。その他にも、重複が疑われる刻銘がいくつかあるし、死亡していないにも拘らず刻銘されている名前が少なくとも一例ある。これらのことは、沖縄県の平和の礎事業の意義を損なうものではない。朝鮮人強制動員を行った日本政府が、全容解明について消極的で不充分であるばかりか正確さを欠き、現在まで放置されているためである。今後、朝鮮人動員と戦場での犠牲の実態について全容を解明し、犠牲者全員を平和の礎に刻銘する作業を前に進めることが必要だ。県の平和行政を発展させよう。
〈案内〉
季刊誌『アジェンダ』第81号特集「朝鮮・東アジアの平和のために」
私のインタビュー「沖縄の政治的自立と南西諸島の非武装中立地帯化を!」が掲載されているので、ご覧いただけたら幸いだ。
【訂正】1面写真下、「ミャンマー人・ショーさん」を「ミャンマー人・ミョーさん」に、4面「アジア連帯公開講座」の上から4段目左から10行目「ウクライナは89年には」を「ウクライナは91年8月には」に、5面コラム架橋「東京裏返し」の4段目左から6行目の「都電・荒川線」を「荒川線」に、左から11行目の「荒川線」を「都電・荒川線」に、8面韓国はいまの大見出し「性少数者の心強い後ろ盾、性少数者の会」を「性少数者の心強い後ろ盾、性少数者親会」に訂正します。
週刊かけはし
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