基地のない平和な島への胎動
戦争の悲しみに包まれて
沖縄報告6月25日 沖縄 K・S
6月23日慰霊の日を前後する3日間の動き
6月22日(木)
6月23日慰霊の日がまためぐってきた。毎年、慰霊の日を迎えると、数日前から、沖縄戦戦没者の名前が刻まれた平和祈念公園の平和の礎には各地から遺族の方々が足を運び、刻銘された名前をなぞり、花や飲み物を供え、手を合わし涙する。中にはサンシンを奏でる方もいる。
私は6月22日に平和の礎に出かけた。24万人以上の名前が刻まれた刻銘版の各所には、すでに花や飲み物、お香が置かれていた。県下の小中高では、慰霊の日に合わせて戦争体験者の講和を聞いたり戦場となった地域のガマに入るなど、平和学習を行なっているが、この日は、各地から生徒たちを乗せたバスが次々と平和公園にやってきた。昼休みにはあちこちのモモタマナ(コバテイシ)の木の下に集まり休んでいる姿が見えた。
前号で報告したように、6月5日に沖縄戦の朝鮮人犠牲者の読み上げが行なわれたが、朝鮮半島から異国の沖縄に動員され無念の死を遂げた人々の遺族の方々はおそらく沖縄にはいない。私は花と飲み物を朝鮮人犠牲者の刻銘版の前に置き手を合わせた。
沖縄県民の被害の全容は、詳細な研究や各市町村史・地元新聞などでの証言を通じてほぼ明らかにされてきた。しかし、朝鮮人犠牲者の実態の全容はいまだ明らかになっていない。刻銘者の数は463人。軍人軍属として沖縄戦で死んだ朝鮮の人々は実際にはその数倍にのぼるであろう。また、女性の犠牲者は全く闇の中に埋もれたままだ。右の方に設置された無刻銘の刻銘版は、沖縄戦への朝鮮人男女の動員と犠牲の全容の解明がなされることを無言のうちに訴えている。
平和祈念資料館の建物の一角では、6月1日からスタートした平和の礎の全刻銘者の読み上げが淡々と行われていた。戦争は国家の犯罪の中でも最悪の犯罪だ。24万余の人々の名前を読み上げるのは長い時間を要する。それは、沖縄戦の被害の大きさと犠牲者の命の重さを示すものだ。
この日の午後5時すぎから、県庁前広場で、56万筆にのぼる辺野古新基地断念を求める国会請願署名が自民など与党の反対により国会で審議未了になったことに抗議する緊急集会が開かれ、約100人が駆け付けた。県外から郵政シルバーユニオンのメンバーらも参加した。日本政府と国会は県民の声に真摯に耳を傾けよ! 辺野古埋立工事を中止せよ!
沖縄の屈しない闘いが続く。
6月23日(金)
慰霊の日当日には例年通り、ひめゆりの塔など各学徒隊の慰霊碑や各地の慰霊塔の前で、厳かに追悼の催しが行われた。今年の沖縄全戦没者追悼式は、3年にわたるコロナによる制限が解除され一般参加の県民を含め4000人が集まった。玉城デニー知事が読み上げた平和宣言の冒頭の部分を抜粋して紹介しよう。
玉城知事の平和宣言(抜粋)
1945年、今から78年前、ここ沖縄で一般住民を巻き込んだ悲惨な地上戦が繰り広げられました。90日に及ぶ鉄の暴風は島々の山容を変え、豊かな自然と文化遺産のほとんどを破壊し、20万人余りの尊い命を奪い去りました。
沖縄県民は、地上戦だけではなく、南洋諸島からの引き揚げ船の撃沈や、学童疎開船の犠牲、10・10空襲、学徒の動員、戦争マラリアなど、想像を絶する被害を受けました。
毎年、6月23日を迎えるたびに、戦争体験者が戦争の不条理と残酷さを後世に語り継いできてくれた実相と教訓を胸に刻み、あらゆる戦争を憎み、二度と沖縄を戦場にしてはならないと、決意を新たにするものです。……
そのあと知事は、今なお米軍専用面積の7割を占め事件事故、騒音、環境汚染が後を絶たない沖縄の現実を指摘し、基地の整理縮小、日米地位協定の見直し、普天間の閉鎖・返還、辺野古新基地の断念を求めることを明らかにした。安保三文書に基づく「防衛力強化」に対しては、県民の不安が高まっているとして「対話による平和外交」を求めた。
対して岸田首相のあいさつは、「私たちが享受する平和と繁栄は、命を落とされた方々の尊い犠牲と、沖縄が歩んだ苦難の歴史の上にある。……今もなお、沖縄の皆様には米軍基地の集中による大きな負担を担っていただいている。政府として重く受け止める」などと、上面の美辞麗句、言葉の軽さを感じさせただけだった。
ある調査によると、沖縄戦を体験した世代はすでに一割程度に減少しているとのことだが、沖縄戦体験の継承は平和祈念資料館と平和の礎、慰霊の日前後の様々な取り組みや各地のガマでの平和学習などを通じて不断に行われていく。沖縄戦の悲劇が簡単に風化したりする訳がない。反戦反基地の県民意思は沖縄からすべての米軍基地・自衛隊基地をなくすまで闘いを止めない。
この日の追悼式に、韓国済州道から「済州4・3平和財団」の高喜範(コ・ヒボム)理事長らも参列した。6月初め済州島で開催された済州フォーラムに照屋副知事が参加したことを契機に、済州島からの沖縄訪問につながった。翌24日、県庁を訪問した高理事長は玉城デニー知事と面談し、「地域外交を通じてアジアの平和を構築していくという思いに感動した。済州と沖縄は古代から交流があり、また近代の悲劇的な歴史も共有している。交流を深めたい」と話した。玉城知事は「4・3事件は沖縄と重なる部分があり、胸が痛む。若い人たちの交流の機会を増やしていきたい」と述べた。東シナ海の島々の平和へ向けた連携が始まった。
6月24日(土)
この間、沖縄・石垣を訪問し滞在しながら基地建設の現場と抗議運動に従事する人々の取材を続けている韓国のメディア・プロジェクト「난리법석(喧々諤々)」と「공룡(恐竜)」の一行が、慰霊の日に合わせて来沖し、23日は魂魄の塔前の国際反戦集会に参加した。翌24日午前、おもろまちのなは市民協働プラザ2F会議室で、韓国と沖縄をむすぶドキュメント上映会が沖縄・韓国民衆連帯の協力で開催され、三十数人が参加した。
はじめに、訪問団のリーダー、김설해(キム・ソレ)さんがあいさつに立ち、上映する二つの映像に関して説明した。最初の映像は、『はる風キャラバン、私たちはここにいる』と題したドキュメンタリー。昨年の春、40日間をかけて、原発、送電塔、非正規、基地など、韓国各地の様々な闘争現場を訪れ、人々の生の声を記録した作品(114分)だ。今回上映されたのは、そのうち「平和練習」のパートの約30分で、基地からの汚染物質に苦しむクンサン、サード反対を続けるソンジュ、韓国中の米軍基地が集中されてきたピョンテクなどの部分だ。二番目の映像は、今年2月と3月、石垣島を訪れ、現地のメンバーの生活に密着して撮影した石垣島ミサイル基地反対運動のドキュメンタリー(12分)である。
上映ののち、トークに移った。韓国側の参加者の自己紹介のあと、沖縄側出席者の自己紹介と一言発言が行われた。途中、韓国から持参した桑の実ジュースと「石垣に平和を」「宮古に平和を」「与那国に平和を」「沖縄に平和を」「済州に平和を」と書かれた5個セットの缶バッジが参加者全員に配られ、和気あいあいの雰囲気の中、交流がすすめられた。
訪問団一行はそのあと、与那国と石垣へ旅立った。
午後は、琉球新報ホールで、シンポジウム「沖縄を平和のハブとする東アジア対話交流」(主催=同プロジェクト、共同代表=高良鉄美琉大名誉教授ら)が行なわれた。琉球新報によると、はじめに、玉城デニー知事、鳩山友紀夫元首相らがあいさつした後、第1部として、4人(山崎拓元防衛庁長官、劉江永中国精華大教授、我部政明琉大名誉教授、羽場久美子青山学院大名誉教授)による討論が行われた。それぞれ、「台湾有事に米国が介入すれば沖縄・日本が戦争に巻き込まれる。対話による解決が必要だ」(山崎さん)、「日中関係が互恵から対抗に変化している。日本の防衛力強化は戦前に似ている現象。対話による平和の道を探るべき」(劉さん)、「沖縄は民意が国に無視される政治的無人島だ。どう打開するのか」(我部さん)、「沖縄は大国と大国の境界線・ボーダーに置かれている。地域外交を発展させ、周囲と結びつくなかで平和を作っていくことが大切だ」(羽場さん)と述べた。
第2部では、中国、台湾、沖縄の経済人たちが意見交換をした。
第3部は、若者が登壇しそれぞれの主張を述べた。その中で、宮古島の上原美春さん(高1)は、民族対立から大虐殺が起こり、その後和解を経て発展したルワンダを取り上げ、「非武装が夢物語ではないと根拠を与えてくれた」と語った。
上原さんは2年前、中2の時、摩文仁の追悼式で「みるく世の謳(うた)」を読み上げた。沖縄報告2021年6月27日で、「みるく世を創るのはここにいるわたし達だ」との最後の句と共に一部を紹介したので、記憶している方もいるに違いない。心に響く詩だった。そして昨年、地元宮古で、「Unarmed(非武装)」を朗読した。これら二作の詩はネットで検索することができる。
それに対し、「偽善者」「お前が戦争に行けばいい」「お前が死ねばいい」などというナイフのような言葉の数々が寄せられたという。しかし上原さんは、復帰50年のインタビューのおばあが言ったという「どちらも武器を置きなさい」という言葉の重みを受け止めて自身の考えを強くしてきたのだ。
15才の少女に芽生えた非武装の思想がさらに成長し強くなることを願う。
6.18 辺野古の浜テント座り込み7000日集会
6月18日(日)午前、辺野古の浜のテント前で、座り込み7000日集会が開かれた。
19年前の2004年4月19日の初めての座り込みテント設置からこの日で丁度7000日になる。闘いの現場は現在、辺野古ゲート前、海上、安和桟橋、本部塩川港で連日続けられている。辺野古川下流の浜の護岸にあるテント前には、ヘリ基地反対協の海上チームをはじめとして各地から約250人が集まった。
午前11時からの集会に先立ち、宜野湾出身のシンガー・ソングライターの仲宗根朝吉さんが様々な自作の歌を披露して会場を盛り上げた。集会の司会は東恩納琢磨(名護市議)さん。はじめに、海勢頭豊さんと愛さんがギターとヴァイオリンで「月桃の花」などを歌った後、ヘリ基地反対協共同代表の仲村善幸さんが「命を守る会の結成から26年。長い道のりを闘ってきた。勝つ方法はあきらめないこと。全沖縄、全日本、全世界へ広げていこう」と檄を飛ばした。
激励のあいさつは稲嶺進さん、来賓あいさつは高良鉄美さん、赤嶺政賢さん、さらに屋良朝博さんが行った。屋良さんは「今度の国会はひどかった。人権がないこの国の後進性をさらけ出した。抑止はユクシ(ウソ)。沖縄からこの国の民主主義を問い直していこう」と述べた。
県議会与党会派からは、渡久地修さん(共産党)、山内末子さん(てぃ―だ平和ネット)が発言した。リハビリを続けるまよなかしんやさんも前に立ち、「がんばろー」と声を絞り出した。団体あいさつは、平和運動センターの上里善清さん、統一連の中村司さん、平和市民連絡会の北上田毅さん、二見以北10区の会の渡具知智佳子さんが行なった。渡具知さんは「「地元の人間だけではこんなにも続けられなかった。みなさんがいるから今まで続けられた。必ず勝とう。勝利のカチャーシーを踊れる日が早く来ますように」と訴えた。
最後に、事務局長の仲本興真さんが、辺野古の長い闘いを振り返った後、アピール文を提起し、ガンバロー三唱をした。
週刊かけはし
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