投稿 継続するインフレ、新たな経済成長への離陸は可能か(上)
西島 志朗
継続するインフレ、目減りする賃金
総務省統計局のデータでは、2020年からの3年間で、物価は7・1%上昇したことになっているが、スーパーマーケットで食品を買うと、実感はそんなものではない。国内の主な食品メーカー195社を対象にした帝国データバンクの調査によると、10月に値上げされた食品は4634品目。1月からの累計では3万1887品目となり、昨年1年間の品目数をすでに大きく上回っている。実際この1年間だけで、生鮮野菜が18・6%、調理食品 8・1%、乳卵類 19・2%、穀類 7・5%、生鮮果物 16・9%、肉類は4・7%上昇した(前年同月比)。
「東京23区で23年10月時点の価格は冷蔵庫が22万円と、05年同月(13万円)に比べて約7割値上がりした。全自動の洗濯機は11万円で6割上昇した。小型の乗用車は223万円で3割強の上昇率だ。パナソニックは22年、250品目以上で家電などの商品価格を引き上げた」(日経12月10日)。
インフレが実質賃金を押し下げ続けている。11月に公表された厚生労働省の「毎月勤労統計調査」では、9月の実質賃金は前年同月比で2・4%減少し、18カ月連続でマイナスとなった(全国の従業員5人以上の事業所、3万余りを対象)。基本給や残業代などをあわせた現金給与総額は平均27万9304円で1・2%増え、21カ月連続でプラスだったが、物価の上昇に追いつかず、実質賃金はマイナスの状況が続いている。
上昇する「価格転嫁率」、回復する利潤
帝国データバンクの調査(7月)によると、「コスト上昇分に対する販売価格への転嫁度合いを示す「価格転嫁率」は43・6%となった。これはコストが100円上昇した場合に43・6円しか販売価格に反映できていないことを示している。前回調査(39・9円)より3・7円転嫁が進んだが、依然として6割弱のコストを企業が負担する状態が続いている」「自社の商品・サービスのコスト上昇に対して、『多少なりとも価格転嫁ができている』企業は7割超となった。7割を下回っていた前回調査(2022年12月に実施)から5・3ポイント改善」した。
「円安」と原材料価格の値上がりが、インフレの原因であるとされている。「コストプッシュインフレ」、つまり原材料価格や労働コストが上昇すれば、それが販売価格に転嫁される。しかし、これはもちろん「自然現象」ではないし経済的な必然性もない。価格に転嫁する代わりに利益を削ることもできる。事実、「全く転嫁できていない」企業がある。転嫁できない企業は利潤が圧迫される。転嫁できればその分利潤は確保される。要するに、利潤率の回復をめざす資本の運動こそ、現在のインフレの本当の原因なのである。
「日経ヴェリタス」(11月19日)は、「営業利益率の上方修正ランキング」を掲載してこう報じている。「ランキング上位に入った外食や食品銘柄の中では、値上げが進んでいる企業の好調さが目立つ。・・・値上げは下半期以降もメーカー各社の業績押し上げ要因になりそうだ。・・・コスト増以上の好調な販売が続けばさらなる利益の上振れも見込める。「円安以上の堅調さを示している」。JPモルガン証券の西原里江チーフ株式ストラテジストは、今回の決算発表シーズンをこう総括する。為替の追い風だけでなく、値上げによる利益率の改善といった要因で業績が好調な企業が目立つためだ」。
「円安」がグローバル企業の利益を押し上げている。同時に、輸入原材料の価格上昇に乗じて「価格転嫁率」を引き上げている大企業の利潤率は回復傾向にある。
消費は減少傾向、設備投資は足踏み
「価格転嫁」は、大企業では容易だが中小企業では難しくなる。一般に「川上」は有利で「川下」は不利、独占企業では容易で、競合相手の多い業界では容易ではない。「転嫁率は化学が最も高く59・7%で製造業が上位に目立った。一方で非製造業は飲食サービスの52・3%が上位にきたが、トラック運送は全27業種中最下位で24・1%と厳しい」(日経12月8日)。「実質賃金」の減少は、小売りやサービス業を直撃する。「価格転嫁率」の平均はまだ43・6%だが、実際、足元で消費支出は減少している。
「総務省が8日発表した10月の家計調査では、物価変動の影響を除いた実質消費が前年同月比2・5%減少と8カ月連続のマイナスに沈んだ」「いま最も怖いのは消費。消費が折れると企業がこれ以上価格転嫁できなくなる(日銀関係者)」(日経12月9日)。
景気回復のカギを握る民間設備投資も伸び悩んでいる。「設備投資も弱い。7~9月期改定値は前期比0・4%減となった。速報段階よりマイナス幅は縮まったが、なお2四半期連続マイナスだ。名目ベースでは0・5%増だがインフレ率を加味するとマイナスとなるのは消費と同じ構図だ。法人企業統計によると7~9月期の経常利益は20・1%増と好調だが、稼いだお金を投資に向ける動きは力強さに欠く」(日経12月9日)。
さらなる全産業的な「価格転嫁率」の上昇のためには、一層の賃上げが必要だ。政府も日銀も資本も連合もマスコミも、声をそろえて「物価上昇を上回る賃上げ」を求めている。
賃上げによって、販売価格の全般的な引き上げが可能な社会的な雰囲気が醸成されれば、企業に「価格転嫁」の絶好の機会が提供される。一挙に「価格転嫁率」を引き上げることができれば、それは利潤率を回復させ、設備投資の拡大につながり、日本経済は持続的な経済回復局面へと向かうだろう、これが彼らのシナリオだ。
「賃上げで経済の好循環を」。はたして情勢は、彼らの筋書き通りに進展するだろうか。
過剰な貨幣供給、過熱しない需要
資金供給量(市中に出回っている現金と金融機関が日銀に預けている当座預金の合計)は、黒田日銀による大量の国債買い入れ(超低金利政策)で、12年末の138兆円からピークの22年には688兆円まで膨らんだ。国内で新たに生産される付加価値の総量を上回る貨幣の発行は、一定の条件下でインフレを惹起する。貨幣が一般的等価である限り、それはひとつの特殊な商品であり、過剰供給は相対的な価値の下落につながる。現在の日本のインフレは、資本が利潤を確保するために「価格転嫁率」を引き上げていることに主因があるが、貨幣の過剰供給が需要の過熱と結びつく時、貨幣価値は急激に下落しインフレが加速する。
需要の過熱が現時点で発生していないのは、企業の内部留保(約500兆円)が本格的な設備投資に向かわず、個人金融資産の大半が銀行預金として「遊休」し需要を構成しないからだ。政府が半導体投資に1兆7000億円もの補助金を支出するにもかかわらず、それにかかわるキオクシア、トヨタ、NECなど民間8社の投資額はわずか73億円である。日銀が公表した2023年1~3月期の資金循環統計によると、3月末の家計の金融資産は2043兆円で過去最高となった。その54%が現預金であり、大半は高齢者が所有している。それは新たな消費に向かっていない。
高度経済成長期、自動車や住宅、家電のような生活必需品と結びついた巨大な需要の塊が経済成長をリードした。今、そのような巨大な需要は存在しない。過剰資本と金融資産は生産投資に回されずに、金融商品に投資されている(株価のバブルは継続中!)。高齢化の進展と人口減少が、低迷し続ける消費を下押ししている。
グローバル化、迫られる構造変化への対応
資本のグローバル化は、国内製造業の空洞化と「低価格競争」をもたらした。中国とASEANの低賃金労働力の利用(企業の海外移転、生産工程の一部の海外移転)と、国内の雇用の劣化(低賃金、非正規雇用の拡大等)とは、メダルの表裏の関係にある。企業は「低価格競争」を余儀なくされ、労働者はグローバルな「低賃金競争」に巻き込まれた。この30年間、物価と賃金は停滞し続けた。しかし、この構造は下記3つの側面から大きく変化しつつある。
① 2010年を前後する沿岸部での労働争議の増加が、賃金を上昇させた。最低賃金は、深圳や重慶などの工業地帯で、2005年から2015年の10年間に3~4倍になった。「世界の工場」である中国での労働コストの上昇は資本財と消費財の価格上昇圧力となってきた。(ただし直近では国内需要減と在庫調整で中国の輸出品価格は低下傾向)
② 資本のグローバル化の過程で、生産工程そのものが細分化され国際的な水平分業の網の目が形成された。しかし、水平分業における「付加価値の分配構造」は大きく変化しつつある。中国は、「世界の工場」として、最も付加価値の低い組立加工の分野に特化してきた状況から脱却しつつあり、「付加価値の国内留保率」を急速に高めている。
③ 「地政学的理由」で、生産の本国回帰の傾向が強まっている。半導体等の戦略物資のサプライチェーンの確保とパンデミックや戦争での供給網寸断への対応が求められている。半導体だけではない。蓄電池、医薬品、重要鉱物等でも、アメリカも日本も対中輸出規制を強化しながら、国内でサプライチェーンを確立しようとしている。
これらの構造的変化がさらにどこまで進むのか予測は困難だが、中国に限らずグローバルサウス全体との関係で進行する不可避的な変化である。この趨勢は、利潤率を低下させる要因であり、政府と資本は対応を迫られてきた。
法人減税、補助金の大盤振る舞い
12月12日の朝日新聞は「国内投資促進のための二つの税制の創設案が分かった。EV(電気自動車)1台あたり40万円など、戦略物資の生産や販売量に比例して10年間減税されるといった内容だ・・・来年度税制改正大綱に反映させる」と報じた。「二つの税制」とは半導体国内生産などを促進する「戦略分野国内生産促進税制」と、特許権やAIプログラムの著作権を対象に法人税を7%減税する「イノベーションボックス税制」。すでに実施している「賃上げ減税」も「賃上げ率7%以上で、賃金増加分の最大35%法人税を減額」へ拡充する(賃上げの一部を税金で!)。
経団連の十倉は昨年の「国内投資拡大のための官民連携フォーラム」で、「政府経済見通しの2022年度・2023年度の民間設備投資額見通しを踏まえ、変化の胎動の継続を前提に、政策の後押し(2022年度第2次補正予算案とGX投資による押し上げ効果)を加えた場合の設備投資の値を試算した」として、民間設備投資が2027年度には115兆円(2022年の約1・2倍)に増える見通しを示した。
新たな投資の対象として、有力とされているのは「グリーン投資」(GX)と「デジタル投資」(DX)である。十倉が「フォーラム」で提示した資料は、「継続的かつ巨額な支援」を求めている。
「研究開発・設備投資に対する財政支援(含、GI基金やGX経済移行債による支援)や税制措置(国・地方)の拡充」「革新炉の開発・建設の具体化と必要な事業・投資環境整備、核融合の実用化に向けた国家戦略の推進」「水素・アンモニア普及・実装の推進(生産、輸送、貯蔵、利用の各段階におけるインフラ整備等)」「半導体(先端ロジックほか強みを有する分野)のサプライチェーン強靭化・競争力強化に向けた継続的かつ巨額な支援(各国と同等規模の補助金・税制措置等)」「人工知能、量子、光・通信、ブロックチェーン等のキーテクノロジーの研究開発や、ルール整備・規制改革、人材育成の促進」。
核融合など実用化が不可能なものも含めて補助金と減税のオンパレードだ。特に半導体については、3年間で4兆円もの莫大な補助金である。
「気候変動対策」と「経済安全保障」、「生産性の向上」を口実にして、資本とその政府が実行し始めた「成長戦略」は、財政支援と優遇税制なしには成り立たない。つまり、税金を投入し、法人減税を行わなければ、期待する利潤を確保できないということだ。巨額の財政支援と優遇税制のツケは、労働者に転嫁されるだろう。
資本にとって必要なことは、「一層の価格転嫁」「さらなる法人減税」「設備投資や研究開発への補助金の大盤振る舞い」である。資本と政府は、利潤率の回復へ向かって突き進んでいるのであり、その財源確保のためには消費税の引き上げが避けて通れないだろう。実際、経団連は「2024年度税制改正に関する提言」等で、一貫して消費税の増税を求めている(法人税減税とセットで!)。
(つづく)
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