寄稿 袴田巖さんの再審公判の現状…異常な検察官と裁判所の対応

裁かれるべきは静岡県警と静岡地検だ

山崎俊樹(袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会 事務局長)

 1966年11月15日、静岡地裁の初公判で弟・巖は無罪を主張致しました。
 それから57年にわたって、紆余曲折、艱難辛苦がございました。
 本日再審公判で、再び私も弟巖に代わりまして、無罪を主張致します。
 長き裁判で、裁判所、並びに弁護士及び検察庁の皆様方には大変お世話になりました。
 どうぞ弟巖に、真の自由をお与え下さいますよう、お願い申し上げます。
袴田ひで子

 10月27日、袴田巖さんの再審公判が始まった。冒頭文は巖さんに代わって出廷した袴田ひで子さんが罪状認否で述べたものである。

法廷に袴田さんの姿はなかった


  「私は無実である。事件と一切関係ない」「私を犯人に仕立て上げたのは警察官と検察官である」と叫びたかったのは袴田巖さん自身であろう。法廷にいるはずの巖さんの姿はなく、補佐人として出廷した姉のひで子さんが巖さんの57年にも及ぶ叫びを代弁した。
 2014年3月、再審開始決定によって、およそ48年ぶりに釈放された袴田さんに私たちは初めて出会うことになる。何かに憑かれたように一日中家の中を歩き続け外出することもほとんどなかった。その後、外出に慣れると、一人で浜松の街中をひたすら歩き続ける生活が続いていた。雨の日も寒い日も、暑い日も、ただひたすら、何かに追われているようなそんな気分を払しょくするように、である。
 ティッシュペーパーを一枚ずつ広げてまとめて持ち、自ら触ったところを丁寧に拭く。時々頭上に両手を掲げ、指でサインを出すしぐさ、そしてかみ合わない会話。これらは“拘禁反応”といわれる言動である。私たちは、袴田さんの釈放によって死刑冤罪の現実を見せつけられたのだ。
 男性に対し、警戒し接していることも伺われた。30歳で逮捕されその後2014年3月に釈放されるまでの48年間は男たちによって自らの発言・行動を制限される続け、死刑確定以降はただひたすら死刑執行の恐怖に耐え続けていたのだ。弁護団はこのような袴田さんの現状を裁判所に伝え袴田さんの出廷免除を求めていた。
 9月末、裁判官は出廷の可否を判断するために、袴田巖さんと面会し裁判のことを尋ねたが、全く話がかみ合わなかったことが明らかになっている。袴田さんの世界では、事件など何もなかったことになっているからだ。

異常な対応を行う静岡地裁の裁判官
 
 この再審公判では、最初からまともな証拠もないまま、袴田さんを犯人に仕立て上げた静岡県警の捜査と、その捜査を追認していく検察官の実態も明らかにされるべきである。だからこそ、多くの国民に公開し冤罪・誤判の検証を行う機会を作ることは、裁判所をはじめとする司法制度に携わる者たちの責務である。その一歩として傍聴席の増設、あるいはモニターを通して傍聴席を確保することなど、裁判官の判断でやろうと思えばできることを一切行わなかった。私たちは改めて、傍聴席の増設などを要請したが、行わなかった。その理由を尋ねても「裁判体の判断です」としか答えない。
 戦後4件の死刑再審事件はいずれも戦前・戦中の旧刑事訴訟法の影響が強く残っていた1955年までの事件である。しかし、袴田さんが犯人に仕立て上げられた1966年は大阪万博につながる高度経済成長期であり旧刑事訴訟法の影響はないとされていた。にもかかわらず、“信じがたいほど酷いえん罪を生み出した”(10月27日、弁護側冒頭陳述)原因は何か、その検証を行い我が国の司法制度の闇を晴天の下にさらけ出す義務も裁判官にはあるはずだ。そのためには傍聴席を拡大し多くの国民にこの裁判に触れる機会を与えることは必要だった。

報道機関は上級国民か


 48席しかない傍聴席の半分近くを記者クラブ加盟の報道関係者だけに優先して渡し、一般傍聴人の席は指定されているのだ。空席があっても一切補充を認めない。このように、私たちやフリーのジャーナリストたちの傍聴する権利を奪った理由もまた、「裁判体の判断です」としか言わない裁判官の責任は大きい。
 そればかりか、これまで4回の公判が終わり記者クラブ加盟の報道機関の記者と一般傍聴人との対応が全く異なるのだ。
 傍聴人の座る席はあらかじめ指定されている。そして11月10日、第2回公判での出来事である。出来ごとであることである。202号法廷前で手荷物を預けた後、金属探知機での検査を受ける際、携帯電話が見つかったと言って大騒ぎになったのだ。確かに携帯電話の持ち込みを禁止(これすら根拠がはっきりしない)しているが、預ければ済むはずである。本人は正直に携帯電話を出し、預けようとしたが、傍聴を禁止されたのである。「そんなのおかしいじゃないか」「そういう規則なので」「そんなことは知らされていない」と押し問答があった。その後まもなく、裁判所は警察を要請したのだ。午前11時過ぎ、裁判所構内にパトカーが入り警察官が駆け付けたのだ。その男性は警察官に事の顛末を話したら、警察官に同情されたそうである。(詳しくはサンデー毎日12月10日号を参照のこと)
 こればかりではない。12月11日の第4回公判で味噌漬けの証拠物が出される際、裁判長が「(味噌の)匂いが出ますので、そのような匂いが不快な方は席を外すなど注意をしてください」と発言し注意した時、傍聴人の一人が「毒はないですよね」と発言したそうである。そのとたん、裁判長は血色を変えわめくように「発言は許されません。今度は退廷です」と言い廷吏に「その傍聴人の席の番号を記録して」と命じている。
 閉廷後も、傍聴人全員が退廷するまで裁判官はその席に座り続けているし、傍聴人側を向いてカメラらしきものも設置してあるが、それが何なのか一切明らかにしていない。まるで私たち支援者を含む傍聴人を監視し排除するような対応である。

袴田さんを犯人に仕立て上げる検察官


 
 一家四人が殺された事件は存在する。しかし、袴田さんが犯人であるとの証拠は何もない。そもそも、深夜外部から侵入したことをうかがわせる証拠すら何もない。単独犯かどうかもわからない。
 にもかかわらず、事件直後から袴田さんだけに目をつけ、事件から4日後に工場及び工場従業員寮の家宅捜索を行った。特に従業員寮袴田さんの部屋は念入りに捜索したが、事件に関係するものは何も発見できなかった。捜査の失敗に焦った静岡県警は、布団の上に置いてあった袴田さんのパジャマにわずかな「錆の跡か醤油のシミ」が付いているのをみて、袴田さんから任意提出を受けている。“任意提出”を受けているにもかかわらず、そのパジャマを血染めのシャツ発見と報道機関にリークし大々的な報道をさせている。当時の新聞報道には、「従業員H」とか「従業員、逮捕へ」というような報道ばかりである。
 ところが、警察は袴田さんを逮捕できなかった。パジャマから血液型など、袴田さんを犯人とする証拠を何も発見できなかったからだ。
 事件発生から49日目にあたる1966年8月18日、静岡県警・清水警察署は袴田さんを逮捕。連日“お前が犯人だ”として“自白を迫り”8月29日には “取調官4名を6名に増加” する。そして県警警本部長、清水警察署長など県警幹部が集まった検討会を開催し、“袴田の取り調べは情理だけでは自供に追い込むことは困難であるから取調官は確固たる信念をもって、犯人は袴田以外にはない、犯人は袴田に絶対間違いないという事を強く袴田に印象付けることにつとめる” と、県警自ら1968年に作成した捜査記録で自白をさせた経緯を誇らしげに語っている。だが、ただひたすらに自白を迫るだけで、証拠が何一つ示せていないことが、再審請求時に開示された録音テープからでもはっきりとわかる。

次々と証拠ねつ造に手を染めた静岡県警

 1966年9月6日、松本久次郎をはじめとする取調官は袴田さんを自白に追い込む。勾留期限の9月9日、最終的に吉村英三検事も加わり、でっち上げの自白調書を作成し、犯行着衣はパジャマ、凶器はクリ小刀、侵入脱出経路は裏木戸として起訴したのである。
 そればかりではない、警察はさらなる証拠のねつ造に手を染めていた。袴田さん起訴の4日後の9月13日、清水郵便局で封筒にシミズケイサツショと書かれ番号部分が焼かれたお札5万700円が入っている郵便が出てきた。“ミソコーバノボクノカバンニアッタ ツミトウナ”と書かれた便せん、そして紙幣の二枚には“イワオ”と書かれていた。
 被害者宅から盗まれたとされた金額からこの焼けた紙幣の金額を引くと、事件後袴田さんが使った金額とほぼ一致するのだ。警察は同僚の女性を逮捕し、袴田から預かった金だろう、と自白を迫るが失敗する。それからおよそ一年後に味噌タンクから出てきた五点の衣類。まさにこの事件は警察のねつ造の積み重ねである。
 この再審公判で検察官は、“証拠採用された自白調書を使わない”とした。つまり、検察官の想像で袴田さんを犯人にするのに都合の良い証拠をつなぎ合わせ、袴田さんの単独犯を主張し有罪・死刑を求める、としたのだ。恐ろしい目論見である。
  “自己の名誉や評価を目的として行動することを潔しとせず、時としてこれが傷つくことをも恐れない胆力が必要である。同時に、権限行使の在り方が、独善に陥ることなく、真に国民の利益にかなうものになっているかを常に内省しつつ行動する、謙虚な姿勢を保つべきである。” という検察の理念など、単なる口先だけのごまかしの理念だということを、丸山秀和検事をはじめとする検察庁全体が表明したに等しい。
 今、検察官が着手すべきは袴田さんの有罪立証の放棄と、当時の検察官であった吉村英三を捜査し、清水警察署と静岡県警の捏造捜査を暴き出すことだろう。それを成しえない検察庁に正義を語る資格はない。

裁かれるべきは警察官、検察官である


 “この再審公判は、形式的には被告人は袴田さんですが、ここで本当に裁かれるべきは、警察であり、検察であり、さらに弁護人及び裁判官であり、ひいてはこの信じがたいほど酷いえん罪を生み出した我が国の司法制度も裁かれなければならない”と、弁護団は10月27日、第1回公判冒頭陳述で述べた。
 袴田さんは、釈放されて間もなく10年を迎えようとするが、前述した拘禁反応が癒える兆しすら、私たちはほとんど感じることができない。警察官や検察官は、逮捕・起訴そして死刑によって合法的に人の命を奪うことができる。袴田巖さんはそのすべてを経験し死刑執行の恐怖は巖さんの心を回復不能の状態に追い込んでしまった。
 すでに12月11日までに4回の公判が終了した。次の期日は12月20日と決まっている。
 来年の公判は、1月16日(火)は第6回、翌17日(水)は第7回と公判日程が決まっている。傍聴整理券は当日朝8時40分から9時10分間の間だけ配布される。この裁判の傍聴に参加し、異常な静岡地裁の対応と、正義をかなぐり捨てた検察官の主張に対し
 「裁かれるべきは、袴田巖さんの人生を奪った警察官・検察官である」という、みなさんの声を静岡地裁に届けていただきたい。(了)

第1回公判に臨む袴田ひで子さんと弁護団(23年10月27日)

第1回公判後の記者会見(23年10月27日)

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