投稿「ハンセン病と朝鮮人」をみて

映画「福田村事件」再考も促す

2024年高麗博物館企画展示

 2001年にオープンした高麗博物館をはじめて訪ねたのは「原子力行政を問い直す宗教者の会」(以下、会)で活動する友人との待ち合わせの場所として選んだときで、たぶんオープンから数年後のことだったろう。会は1990年代のはじめにでき、顔見知りがおおく、会主催の催しや行動に誘われていた。会の世話人をする東海林勤さんが2012年に放送されたEテレ「こころの時代/小さき者に導かれ」で紹介され、画面では私も隅っこに写る集合写真があった。
 東海林さんが高麗博物館の初代理事長に就任したことは知っていたが、まだ訪ねたことがなかったので待ち合わせ場所に選んだ。東海林さんが理事長を後任に譲り足が遠のいてしまった。東海林さんは2020年に亡くなったので訪問する機会をつくりたかったが、コロナ禍で踏み出せなかったが、昨年の企画展「関東大震災100年―隠蔽された朝鮮人虐殺」で再訪を実現させた。企画展といっても、10坪程度の展示室なので1時間程度で観賞しきってしまうので、わざわざ「上京」するには他の用事と合わせた。今回の企画展は待ち焦がれて「上京」しました。その理由は、映画『福田村事件』公式パンフレットに次のような記述があり、反発心をもったからだ。

―映画では行商人は「やや、怪しげに」描かれているように私には見えた(中略)。ハンセン病らしき人に薬を売りますが、行商のリーダーは、自分たちは被差別民だから彼らに薬を売りつけるのは仕方ないんだと言いますが、これは「二重差別構造」につながるとも思う。120年前頃から国の療養所ができていた。だから、果たして流浪のハンセン病患者いたのかという疑問も出てくる。(48頁/福田村事件追悼慰霊碑保存会代表の市川正廣。以下、発言者)

 「120年前頃から国の療養所ができていた」というのは、1907年に公布された「癩予防に関する件」により、日本のハンセン病隔離政策がはじまった「効果」を言ったのだろう。前記の発言分を読んだ瞬間、発言者は近年のハンセン病者らの裁判や差別についてひょっとして知らないのではないか。知っていればこのような発言をしない。加えて、国の隔離政策がなぜはじまったのかだ。
 「国は1996年のらい予防法廃止まで、患者を療養所に収容する隔離政策を維持してきた。2001年、回復者による国家賠償請求訴訟で熊本地裁は隔離政策を違憲と判断。差別に苦しめられた家族が16年に提訴、19年に熊本地裁が国の責任を認め賠償を命じ、家族補償法が同年施行された」(2022年東京新聞)。
 企画展示の図録4頁に「日清・日露戦争に勝利し、一等国の仲間入りを果たした日本は、外国人の慈善団体の支援を仰いだり、人目に付くところにハンセン病患者が徘徊するのを国として恥じとし、取り締まりをはじめます」とある。国は隔離政策の誤りを認めているのに、「隔離は正しかった」という発言に読めた。言い過ぎかもしれないが、発言者は笹川良一の流れを継承する「救らい思想」に毒されているのではないか。
 映画『福田村事件』の前半で描かれた加害者側の村民の性描写に対して、多くの批判が上がっている。発言者は福田村事件を「複合差別事件」と規定するが、公式パンフレットではこの性描写への批判はみられない。パンフレット製作側に削除されたのかもしれないが、発言者の規定する「複合差別」にはジェンダー的な要素は含まれていないようだ。

 昨年は関東大震災から100年目の年で、企画展も賑わった。今年は、博物館のある新大久保界隈がインバウンドなどで賑わう一方、企画展への鑑賞者の出足は鈍いようだ。今回の企画展は2020年の「ハンセン病と朝鮮人」のアンコール展として準備されたとのことだ。博物館の研究会が膨大な資料を読み込み作成されたパネルが展示されている。多くの仲間が足を運んでほしいので、図録の一文を紹介する。1916年に全生病院医長の光田健輔が全国に「特殊部落調附癩村調」を指示した理由、背景についての記述だ。

―その頃、日本に外国人が居住するようになり、街を放浪するハンセン病患者を外国人の目に触れないようにするためでした。欧米並みの文明国を目指していた日本にとって、街を放浪するハンセン病患者を、政府は「国辱」としたのです。

 企画展に多くの方が足を運んでほしい。特に、映画『福田村事件』に批判のある方々に。
(1月26日 KJ)

多磨全生園で山本春子(金昌壬)さんが着ていたチマチョゴリ

案内 ハンセン病と朝鮮人―壁をこえて―

    2024年 高麗博物館企画展示
1月10日(水)~6月30日(日)

90年近く続いたハンセン病の隔離政策は、今もハンセン病回復者やその家族に被害を及ぼしています。
戦前、国は民族浄化思想のもと、ハンセン病撲滅をスローガンに無らい県運動を呼びかけ、官民一体で患者の絶対隔離を推進しました。怖い病気というイメージは、戦後、治る病気となっても払しょくされず、基本的人権を謳った民主憲法下でも、個人の人権よりも公共の福祉が優先され、強制隔離や懲戒検束規定を伴った「らい予防法」は1996年まで存続しました。その後のハンセン病回復者たちの「人間回復」を求める裁判闘争を通じて、私たちはその差別の深刻さを知ることになります。
ハンセン病はらい菌による感染症です。感染力の弱い病気ですが、劣悪な栄養状態や衛生環境にあった人々の間では高い割合で発症したのです。植民地下で、貧しい生活を余儀なくされ、過酷な労働を強いられた在日朝鮮人の発症率は高く、療養所にも多くの朝鮮人がいました。
在日朝鮮人入所者の生活実態、植民地朝鮮の隔離政策、そして戦後、国籍を剥奪された在日朝鮮人ハンセン病患者の苦しみと闘いを考えます。さらにハンセン病と優生思想、部落差別、文学、そして菊池事件など具体的な事例を紹介します。
私たちは、2020年に「ハンセン病と朝鮮人―差別を生きぬいて」展を催したとき、新型コロナウイルスが蔓延し、「感染症と差別」の問題に直面しました。あれから4年。あらためてハンセン病をめぐる差別の壁をこえることができるのか、皆さんと考えていきたいと思います。

高麗博物館
入館料 : 一般400円、中・高生 200円
開館時間 12:00~17:00
休館日 月曜日・火曜日、年末・年始
TEL:03―5272―3510 
東京都新宿区大久保 1―12―1 第二韓国広場ビル7階(1階はァミリーマート)
【編集部から】この企画展の「案内」は、高麗博物館ホームページを参考に作成しました。
https://kouraihakubutsukan.org/

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