岸田内閣は大浦湾埋立工事を中止せよ!
沖縄に軍事基地はいらない!万国津梁・平和のかけはしに!
沖縄報告2月5日 沖縄 沖本裕司
2・3辺野古ゲート前集会に850人
2月3日、第一土曜日のこの日、キャンプ・シュワーブゲート前で、オール沖縄会議主催の辺野古県民大行動が開催された。座り込みテントがある国道の両側の歩道には、各地から850人が集まり、国の代執行による大浦湾埋立に反対し世界的にも貴重なサンゴの海を守るという県民の固い意志を表わした。
司会は平和運動センターの岸本喬さん。オープニングの「沖縄今こそ立ち上がろう」の歌のあと、開会あいさつに立った元参院議員の糸数慶子さんは「知事の不承認を支え辺野古の海を守っていこう」と檄を飛ばした。続いて、フィリピンの返還跡地の視察など東アジアを訪問中の玉城知事に代わり、照屋副知事が「三権分立はどこへ行ったのか。政府を擁護する裁判に対抗する運動をつくりあげなければならない。知事を支持・応援してほしい」と訴えた。
沖縄選出の国会議員の集まりであるうりずんの会の4議員がそろって前に立ち、「裏金など金権腐敗の自民党政治に終止符を打とう」(赤嶺政賢、衆院沖縄1区)、「代表質問で、裏金問題で静かな自民党は辺野古の問題になると一斉に野次を飛ばす。軟弱地盤で工事は完成しない。破綻した辺野古新基地建設を止めよう」(屋良朝博、衆院沖縄3区)、「安倍が持ち込んだ日本の軍拡とミサイル戦争の準備が止まらない。沖縄は絶対に反対だという意思を突きつけて行こう」(伊波洋一、参院)、「地方自治法は1947年、憲法と共にできた。自公政権による地方自治の破壊は許されない。政権交代を実現しよう」(高良鉄美、参院)とそれぞれ訴えた。
県議会与党議員団は14人がずらりと並び立ち、比嘉瑞己さん(那覇市区)が代表してマイクを取り、「来る6月の県議選では、与党議員団の多数を固め、玉城デニー知事をしっかりと支えていこう」と決意を述べた。県議数名がカンパ箱をもって会場を回った。

2024.2.3 キャンプ・シュワブゲート前。オール沖縄会議主催の辺野古県民大行動に850人。
スウェーデンの研究者が連帯あいさつ


そのあと、通訳の与那覇恵子さんから辺野古の闘いの調査に訪れたスウェーデンの参加者が紹介された。ヨーテボリ大学のマイケル・シュルツ教授(平和学)、マイケル・バーズ教授(国際法)、ビジョーン・ノールリンドさんの三人は1月下旬から沖縄を訪れ、普天間飛行場や嘉手納基地を見学し、辺野古の参加者にインタビューを重ねてきたという。これまでインド、カンボジア、パレスチナ、ドイツなどを訪問し権力に対する抵抗運動を続ける市民たちを取材してきた教授たちは「沖縄の運動の背景には琉球王国時代、沖縄戦、米軍占領などの何層にもわたる歴史があることが分かった。今世界のいたるところで権力が強大になっているが、長年忍耐強く継続する沖縄の運動に感銘を受けたし、ゲート前の人々のフレンドリーな態度に感動した」と語った。詳しくは沖縄タイムス(2月4日)の記事をご覧いただきたい。
ヘリ基地反対協の東恩納琢磨さん(名護市議)は「代執行は国の最後のカードだ。国にはもうカードがない。それに対し、私たちはいくつものカードを持っている。オリバー・ストーン監督はじめ世界の有識者の辺野古声明、世界のウチナーンチュの団結、沖縄の自決権、この場に結集したみなさんの力、そして、埋立を阻止し豊かな沖縄を子や孫に残すために決して諦めないというカードを持ち続けよう」とアピールした。
本部町島ぐるみ会議の仲宗根須磨子町議と阿波根美奈子さんは、安和・塩川行動への参加を呼びかけ、「現地の行動でかなり土砂搬出を減らしている。立っているだけでも力になる。牛歩は合法的な行動、人が集まると効果大。牛歩の一歩一歩が埋立を止め、玉城知事を支える力になる。塩川ルールは立ち止まらない、ゆっくり歩くこと。けが人・逮捕者を出さない行動で闘い続ける」と訴えた。
そのあと、嘉手納爆音訴訟団の福地副団長が「嘉手納爆音訴訟の原告は3万5千人を越える。嘉手納や伊江島でのパラシュート降下訓練は危険であり許せない。周辺住民は爆音のため夜も眠れない。土地規制法に危機感を持っている。基地は沖縄発展の阻害要因だ」と述べた。PFAS汚染から命を守る連絡会の桜井国俊さんは「アメリカは汚染に対する規制を厳しくして行っているのに日本は相変わらずだ。昨年実施した387人の血中濃度検査はアメリカの基準によれば半数以上の人々から目安値を越える有害物質が検出された。軍事基地から出る有害物質を全国で根絶しなければならない」と述べた。
現地闘争部の瀬長和男さんは「辺野古ゲート前、海上のカヌー、安和・塩川、現地に集まろう。週一回、月一回でもいい。集まり続けよう。共に行動していこう」と呼びかけた。最後に高里鈴代さんが閉会あいさつとガンバロー三唱を行ない、「辺野古新基地建設NO!」「知事の不承認支持!」のボードを高く掲げた。
代執行による大浦湾埋立は政府自民党の傲慢の極致
沖縄防衛局はまるでブレーキのない車のように、辺野古新基地建設事業を進めている。昨年12月に、大浦湾の埋立関連工事について、SCP(サンドコンパクション)やSD(サンドドレーン)の砂杭2万本以上を含む4件の護岸新設工事(総計640億円余)を日本本土・沖縄の建設会社共同企業体と工事契約を結んでいることが判明した。1月10日には代執行による埋立作業に着手、ケーソンを沈めて海上作業ヤードをつくるための捨石投入を始めた。また、本部半島からの土砂を海と陸から運搬し辺野古側の埋立地に100万㎥のストックを進めている。
大浦湾の埋立が可能か?日本中探してもどこにもない生物多様性のサンゴの海を埋め立てることが良いのか? 知事をはじめ一貫した県民の意思に反して埋め立てを続けることが正しいのか? これらの本質的な問いに向き合うことなく、日米同盟と安全保障を口実とした国策強行がまかり通っている。内閣と自民党の支持率が20%前後に低迷する事態の中で継続する政府と自民党の傲慢。政府自民党が腐敗しているのは裏金だけではない。中央政府や執権党に少しでも科学的合理主義や人権感覚があれば、大浦湾埋立・新基地建設を強行することはできない筈だ。
死に体の岸田は、中国を主敵とする米軍戦略に沿った沖縄基地強化・軍事政策を止めない。米軍基地・自衛隊基地周辺の土地規制は文字通り全県に及ぶ。政府は「台湾有事」に向けた与那国・石垣・宮古各島からの12万人避難計画の検討を加速している。地対艦ミサイルの配備とミサイル連隊本部が計画されるうるま市では、新たに訓練場の新設計画が進んでいる。伊江島・嘉手納・津堅でのパラシュート降下訓練の頻度が増えている。2月25日からは、離島奪還を想定する陸自と米海兵隊との合同軍事訓練「アイアン・フィスト」が実施される。
辺野古は日本の軍事大国化を止める最前線の闘い
このまま推移すれば、日本はまもなく沖縄の島々に、さらには日本列島各地に各種ミサイルが配備され、軍事費GDP比2%、年間10兆円に達する世界有数の軍事国家になるだろう。戦争を放棄し戦力を保持しないとした日本の姿はもうない。いつの世でも、軍事の拡大は民生・福祉の縮小をともなう。歓迎するのは米国の軍需産業・政治家・軍人と、米国に繋がることで利権・特権を享受している日本の政治家・官僚・財界の権力層たちだけだ。
大浦湾埋立に反対するのかどうか!辺野古新基地に反対するのかどうか!ということを政治焦点として、日本の未来を左右する熾烈な攻防が始まっている。この攻防は階級闘争だ。明治維新以後の天皇制国家の延長線上に戦後政権を掌握し続けた自民党の国家体制を解体するために、国政選挙で自公を少数派にすること、主権者たる国民が自覚をもって自公を政権の座から引きずり下ろすことが、積もり積もった諸問題の改革のスタートとなる。
那覇で南京全国連絡会運営委員会総会
金賢玉さんがペ・ポンギさんについて講演
2月1日午後1時から、那覇市新都心のなは市民協働プラザで、南京全国連絡会運営委員会総会の第1部として、金賢玉(キム・ヒョノク)さんの「裴奉奇(ペ・ポンギ)さんとの出会い」をテーマにした講演会が開かれた。
ぺ・ポンギさんの生まれは、1914年、忠清南道礼山郡。1943年、29歳の時に、「金が稼げる。寝ていてもバナナが落ちてくる」と、慰安婦募集業者にそそのかされて、釜山、門司、鹿児島を経て沖縄に連れてこられた。日本軍は米軍との戦争に備えて1944年、渡嘉敷島・座間味島・阿嘉島に特攻艇部隊・基地隊を置くと共に日本軍慰安所をつくり、各島に7人ずつ強制連行した朝鮮人女性を配置した。ぺ・ポンギさんは渡嘉敷島の「赤瓦の家」に連れてこられ「アキコ」という名前で「慰安婦」生活を強いられた。
沖縄戦を辛くも生き延びたぺさんは、戦後、米軍政下で各地を放浪したのち、佐敷町のきび畑の一角にある、ガスも水道もない狭い納屋で暮らしていた。1972年5月15日、沖縄の施政権が返還されると、日本政府は、1945年8月15日以前から日本に在住している在沖縄朝鮮人に特別在留許可を与えるとした(申告期間は3年、その後は強制送還)。1975年、ペ・ポンギさんの特別在留が許可されたことで、日本軍「慰安婦」として連行され戦後も沖縄で暮らしたことが広く知られることとなった。
身も心も疲弊したペ・ポンギさんのもとに足しげく通い、話し相手となり、根気強く生活を立て直す手助けをしていったのが、金賢玉・金洙燮(スソプ)さん夫妻だった。夫妻との往来が活発になり、ぺさんは那覇市に引っ越し生活保護を受けることができるようになった。1991年、ぺさんが亡くなるまで夫妻との交流が続いた。
金賢玉さんは「ペ・ポンギさんは眠るように亡くなった」と話し、出会いから16年間続いた交流について様々なエピソードを交えながら次のように語った。
「私たち朝鮮総連は日本の植民地政策による同胞の沖縄への連行を調査した。ぺ・ポンギさんとの出会いは胸が痛かった。長い間の行き来を通じて心が通じ合った。はじめは、『これが自分の運命』とばかり言っていたのがのちには、勉強会にも出て、朝鮮語も話すようになり、キムチや料理も作るようになった。また、問題意識をもっていろいろ質問しよく話すようになった。日本政府は植民地政策を清算してほしい、とも言っていた。ぺさんは魂を取り戻して亡くなった」
ペ・ポンギさんが亡くなった同じ年、韓国ソウルで、金学順(キム・ハクスン)さんが日本軍「慰安婦」であったことを明らかにし、日本政府に対する闘いの扉が開いたのである。

2024.2.1 南京全国連絡会運営委員会総会。金賢玉さんによるぺ・ポンギさん講演集会。
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