2・17ウクライナ債務を無条件で帳消しに(上)加藤直樹さん発言「侵略下の社会運動と抵抗」
民衆のための支援を
【東京】2月17日正午から、東京・JR新宿駅南口で「ウクライナ債務を無条件で帳消しに 民衆のための支援を」、スタンディングをウクライナひまわり連帯行動が呼びかけて行われ、30人ほどが参加した。横断幕には英語での表記もあり、外国人たちがスマホで写真を撮ったり、連帯の合図を送ってくれたりした。
午後2時から、千石図書館2Fで「連帯集会」を開いた。
京極紀子さん(バスストップから基地ストップの会)が司会を行い、最初に会の経過を報告した。
「2月19日に開催される日本政府とウクライナ政府の共催という形で、『ウクライナ経済復興推進会議』に対しての取り組みということで実行委を作った。ウクライナ戦争はロシアが侵略戦争を始めて2年になる。それはウクライナの中で必死に抵抗している人たちがいるからだ。2年間もの戦争が継続することはケガをする人、亡くなる人がたくさん出ていることだ。世界中からこの問題をどう連帯して解決していくのかが問われている。民衆同士の連帯を阻むような形で、国対国みたいな政策が進んでいることに対してじくじたる思いがある。戦争そのものもそうだが、終わっていない戦後を見据えて、それを食い物にするような形での復興会議が、すでに昨年からヨーロッパで開かれ、今回日本で開かれる」。
「戦後復興はどういうことをやろうとしているか。ウクライナを借金漬けにして新自由主義的な改革を国民にせまる。ウクライナの人々が望んでいるものとはまったくの別の形での戦後復興が画策されている。債務という形での借金を許さない。無条件で帳消しにしろという要求がウクライナの中から上がっている。それを世界中の声に結びつけて、実際の形にすることが問われている」。
「忘れてはならないのはロシアの中でも、反戦の声を上げている人たちがたくさんいる。ロシア、ウクライナの中でのフェミニストが非常に力強いアピールをたくさん出していて、それがなかなか私たちの中に届いてこないけれども、そうした声ときちんと繋がりながらやっていきたい」。
次に、加藤直樹さんが「侵略下の社会運動と抵抗」、稲垣豊さんが「ウクライナ債務の無条件帳消しを」と題して発言し、その後質疑応答を行った。2月19日に日本で開かれる「ウクライナ経済復興推進会議」に対して、申し入れ行動を行う。
2月23日新宿駅東南口で「ロシアによる侵略を止めよう!今こそウクライナに連帯を!スタンディング」、2月26日午後6時半、東京・神保町区民館、「ウクライナ―抵抗の文化/文化の抵抗」講演会が紹介された。そして、加藤さんがウクライナの民衆が何を考え、どう行動しているのか、についてラインで報告する会を3月頃に開催したいとアナウンスした。
ロシアの軍事侵略が苛烈を極め、東部戦線では後退せざるをえない厳しい局面がある。それでも必死に持ちこたえているウクライナ民衆の戦いを支援して、繋がる行動を行っていこう。
今号は加藤さんの講演を紹介する。 (M)
加藤直樹さんの発言から
「侵略下の社会運動と抵抗」
最初に加藤さんが韓国「社会進歩連帯」と「ウクライナ連帯欧州ネットワーク」から今日の集会と19日の行動に連帯のアピールが届いたことを紹介した。
韓国のグループはカンパを呼びかけて、ウクライナの左派系グループ「社会運動」に83万円を送金している。欧州ネットワークは労働組合でおカネを集めて、車を送ったり、占領から脱した地域の人道支援のために、物資を運んだりという大規模な支援をしている。日本のウクライナ連帯民衆募金は89万円を「社会運動」グループに送金した。
ウクライナ左派の要請
「ウクライナ債務帳消しを」というスローガンはもともとウクライナの左派グループの中から、そういう声を国際的に上げてくれという要請があった。左派系の「社会運動」は戦時下でどういう状況なのかを話したい。
ウクライナについて、真っ当な情報が少ない。ロシアの宣伝をそのまま書く人もいる。ネオナチ国家であるとか、武装した右翼が徘徊しているとか。そういう図を描いて恐ろしいという人たちもいる。
『ウクライナ2014~2022』(柘植書房新社刊)という本。これはウクライナにおける社会運動の様子が彼ら自身の言葉を集めているのでとても参考になる。ウクライナの歴史を理解するのには『ウクライナ・ベラルーシ史』(中井和夫著、山川出版社)が役立つ。中公新書で『物語ウクライナの歴史』、マイダン革命以降については『ウクライナの夜』(マーシ・ショア著、慶應大学出版会)、これはそこに居た人たちの声を集めている本だ。『ウクライナ現代史』(アレクサンドラ・グージョン著、河出書房新社)、誤解を解きながら理解できる本になっている。
ウクライナ社会がどういう背景を抱えてきたのか。
ウクライナの歴史
ウクライナが独立したのが1991年、ウクライナが独立を決めたことでソ連邦解体が決定した。これがもっと遡るとロシア帝国が次第に拡張していく中で、ウクライナという地域は16、17世紀に辺境の地だった。どこの支配かよく分からない。そういう所にロシアやポーランドから農奴たちが逃げ込んでくる。農奴たちはコサックという共同体を作った。民族を問わず誰でも参加できた。リーダーたちも民主的に決められた。コサックがだんだん力を持っていって、17世紀にポーランドに対する戦いを始めた。ポーランドには勝つがその過程でロシアのツアーリと協定を結び、宗主国と主従国との関係になる。
これがロシアに飲み込まれていって18世紀には完全にロシアの一部にされてしまう。以降ロシア帝国の中でウクライナは独立した民族ではないという扱いにされた。ウクライナ語はロシア語の方言だとも言われた。教育、演劇、出版もダメとされたが、ウクライナ民族運動はどんどん広がっていった。
1917年、ロシア革命の時に、ウクライナ人民共和国が独立を果たしたが、赤軍を含めて列強の攻撃にあい、数年でつぶされた。それからソ連の中のウクライナソビエト社会主義共和国として枠組みは出来るが、モスクワの主導下に置かれた器だけの国だった。
ウクライナの独立
それが1991年に独立した。しかし、そこから非常な困難が始まった。一つは経済的な困難。ソ連は経済的にうまくいかなかった。ウクライナもまさにそうだった。ウクライナはソ連の中では工業国だった。ロケットとか兵器を作ったりとか、電子機器を作っていた。鉄鋼も作っていた。ソ連が崩壊した後、ウクライナは大丈夫と思っていた。ところが世界市場に出てみると競争力がなかった。鉄鋼の質が悪い、製品もダメ。しかもその上、ロシアも状況は同じだった。ロシアの場合は原油や天然ガスの天然資源があった。ウクライナの工業を支えていたのはロシア地域の天然資源だった。独立したということは質の悪い工業とロシアから石油を買わないと回らない世界だった。
そこからウクライナの不幸が始まる。独立すぐにハイパーインフレになった。それを乗り越えるためにIMFから支援されなくてはいけなくなる。原油をロシアから買わなければいけないという関係がロシアがそれを利用して、何かというと原油の価格を上げるぞと言ってくる。オリガルヒが台頭してくる。オリガルヒは単なる新興財閥ではなくて、ソ連の時代に国営財産を混乱の中で、非常に悪どく手に入れた人たちだ。もともとは国営企業の番頭さんみたいな人たちがそのままごっそり企業をいただいてしまう。そんな不健康な財閥が各地にできた。ちゃんと設備を更新していくとか企業が回るような努力をあまりしない。その代わり投機をしてみたり、税金逃れで外国のタクスヘイブンにおカネを送ったりした。
古い産業の中で、オリガルヒがあぐらをかいている構図がウクライナの経済的困難の前提にある。ソ連の下でも全部、モスクワが決めるという中で生きてきた。市民が育っていない。90年代に独立を果たしても、たまたまウクライナに住んでいるというだけで、積極的に政治を変えていこうと市民がなかなか育たなかった。ウクライナの場合、社会的な多様性があった。それが幸いして、ロシアのような権威主義国家にはならなかった。とにもかくにも選挙があって、政党が争って、政権が代わった。それ以上になれなかった。経済的苦境も脱せない。そういう中でIMFに助けを借りないと先に進まない。IMFが要求してくるのは新自由主義的な改革だ。そういう中で格差も広がってくるし、ソ連時代のような福祉を得ることができなくなった。
ウクライナ左翼の役割
ウクライナの左翼の役割が出てくる。90年代、政権の側が新自由主義的な政策を進めようとした。後継のクチマ政権に対する抵抗者としてがんばっていたのが、ウクライナ共産党とか社会党だった。ウクライナ共産党はかつてのウクライナ共産党の後継政党ということだった。同じものが続いていることではなく、名を名乗って残党が続けていた。彼らも新自由主義的な流れの中で退潮していった。その後、左翼政党というよりは(ウクライナの難しいところはロシアが常に介入してくる)、ソビエト時代の方が生活はよかったというノスタルジーをロシアが取り込んでいく。ウクライナ共産党は単なる親ロ派右翼の政党になっていってしまう。東部が票田だったが、マイダン革命で倒されるヤヌコヴィッチ政権の地域党に奪われて、単なるロシア・プーチンが大好きな人々が集まる政党に転落していった。
共産党の代わりに、新しい左翼が必要になってくる。それが出てくるのが2000年代。おおざっぱに言って新左翼。例えば、第四インターに近いトロツキー主義の人たちもいた。アナーキストもいた。そういった人たちが若い人たちの中から出てきた。ウクライナ共産党の青年組織も共産党を離れた。
一つは「直接行動」という名前の学生組合運動があった。大学の食堂などの関連施設を民営化する動きが起きた。それに対して学生たちが抗議して大規模な運動をやった。それを組織したのが「直接行動」だ。彼は全国的なデモをやって、ニュースでも大々的に取り上げられた。結局は文部省前に座り込んで、そして文部省に要求を認めさせ民営化を撤回させた。
「直接行動」は解散するが、そのグループの流れがアナーキストグループの潮流になった。ソリダリティ・コレクティブスとしてある。ハルキウが拠点。戦争中でもいろんな行動をしている。戦争が始まってから「直接行動」は復活して、最近も大学で活動していてウクライナの西のリビウという街で大きな運動を組織した。リビウの工科大学にいた極右の講師が授業の中で、この期に及んでもロシア語で暮らしている奴がいるのはけしからんとかアゾフ大隊の中でもロシア語でしゃべっている奴がいる。嘆かわしいという発言をしていた。これはヘイトスピーチではないかと学生たちが怒り出した。キャンパスでデモをやり、最終的に文部省がこの講師を解雇するという勝ち取った。
「直接運動」からアナーキズムという流れと別に社会主義の流れがある。ウクライナ共産党みたいな社会主義とは名ばかりのロシア派の運動ではないもの。社会主義を掲げるとソ連時代に戻りたいのかと反発を受ける。そういう中で、民主的社会主義を模索しなければならない。新しい左翼の人たちの課題になっている。そこから出てきたのが「左翼反対派」、で小さなグループがいくつかあった。一挙に一つにまとまっていくきっかけになったのが2014年のマイダン革命だ。
マイダン革命
マイダン革命は東部に拠点を持っていたヤヌコヴィッチ政権がそれまで進んでいたEU加盟に向けた協定に対する署名を2013年11月に放り投げてしまった。それに対する抗議から始まった運動。当初、EU加盟に向けた署名を放り投げたことに反対する人々はそんなに多くなかった。ところがこれが全民主的運動になったのは小さな座り込みを機動隊が一斉に排除した。内務省治安部隊の機動隊が強力なゴム弾とかガス弾とか使い激しく弾圧した。相当な重傷者もでた。これに対して人々が怒った。これまでは警察が暴力で弾圧することはなかった。これではロシアやベラルーシと同じだ。その結果翌日の集会には数十万人が独立広場に集まった。ここからいわゆるマイダン革命が始まった。
マイダンは広場という意味だ。広場にそのまま座り込んで、食事を提供するグループ、病院を開くグループ、防衛隊などネットワークを作り広場を守った。機動隊側は何度も攻撃してくる。だんだん激化してくる。そういう中から、ウクライナ左翼の新しい歴史が始まる。プーチン側からは、マイダン革命は右翼の運動だとキャンペーンがあるが、非常に素朴な汚職はいやだとか、真っ当な社会に生きたい。
政党に組織されていない人々が集まってきた。そして、大きな力を持っていたのはEUに入ることで、ヨーロッパのようになれば、暮らしが変わるというリベラルインテリの主張が強かった。
もう一つは極右。ウクライナの人々は賛成していたわけではない。ただ極右は普段からサッカーのフーリガンなどが多い。普段からけんか慣れしているので、機動隊がやってきても現場では力を持ってしまう。マイダン革命が始まった時に、左翼はちゅうちょした。EU加盟が解決だとは思っていない。オリガルヒが税金逃れをして、国の富を外国にどんどん流している。取られるべき税金が取られない。その結果として、社会福祉が滞る。IMFが求める改革によって社会福祉が枠としても削られていく。EU加盟から始まったから、当初左翼は距離を持って見ていた。ところがマイダン革命がもうこんな体制はいやなんだとなった時に、これに合流しようとなった。
ウクライナは汚職がひどい国だ。ちなみにロシアの方が汚職がひどい。世界的に見ると、フィリピンとかメキシコとかくらいだ。ソ連体制の残滓だ。オリガルヒが非常にいびつな経済構造を作ってきた。ヤヌコヴィッチ政権はそれを煮詰めたような政権だった。それまでの政権もだいたいいくつかのオリガルヒが合従連衡して政権を作る。仲間うちで利益を分配する。ところがヤヌコヴィッチ政権はヤヌコヴィッチの家族と取り巻きだけに財を集めていった。汚職構造で得をしているような層ですら、ヤヌコヴィッチに反感を持っていた。一般市民に至っては当然怒りを持っていた。民衆が無視されている社会は嫌だ。マイダン革命の基調にあるものとして出てくる。それ以降左翼も大事なことが起きていると考えた。
EU加盟への態度
EU加盟が答えではないことがウクライナの左翼の中では共通見解だったが、マイダン革命に対しては、三つの態度に分かれた。一つは数人の知識人たち。ヴォロディミール・イシュチェンコ、この人は国際的にも有名な理論家でウクライナを代表する人。マイダン革命を民衆の蜂起だと評価する。しかし、思想的にはっきりしたものがない。エリートの交代劇になってしまうだろうというような見方をした。一定の距離を見ながらいた。
もう一つのグループがボロトバ派(闘争派)という人たち。彼らはウクライナ共産党青年組織の流れだ。ほとんどの左翼はマイダン革命に合流していったがボロトバ派だけはEU加盟反対、ウクライナ民族主義右翼と同じデモなんかに行くのは嫌だ、だったら親ロ派右翼の方がましだと考えた。これはイシュチェンコの解説だが。ボロトバ派だけは反マイダン派に合流した。そのままボロトバ派は親ロ派の一部になっていって、後のドンバス戦争なんかでも分離派といっしょに戦ったり、マイダン派の活動家を襲撃したりした。ウクライナ左翼の流れから消えていった。
一番多かったのが左翼反対派を含めた多くのウクライナの新しい左翼の人たち。アナーキストも含めて。アナーキストの人たちは当初からマイダン革命に積極的に参加した。病院グループを作って、機動隊の攻撃で負傷した人を治療したりしていた。左翼反対派の人たちはマイダン広場の近くのウクライナの家、公民館みたいな施設があるがそこを占拠して、毎日問題の背景がどこにあるのかを議論したりとか、啓蒙する映画を皆で見て話し合ったりする運動を始めた。そういう中で、自分たちの視点を持ってマイダンに合流した左翼の中で結成されたのが「社会運動」というグループだ。
「社会運動」はどういう団体か
初期は イシュチェンコも顧問的な形で参加していた。「社会運動」というグループがその後どういうことをしていたか。組織規模はそんなに大きくはない。だいたい200人ぐらい。全国にメンバーがいて、西はリビウから東はクリヴィー・リフという炭鉱労働者組合までをカバーしている。クリヴィー・リフは鉄鋼の街だ。鉱山もある。ここの鉱山労働組合は昔から強力でしかもマイダン革命の時も東部ではマイダン派と反マイダン派の暴力の応酬になることもあったが、クリヴィー・リフの炭鉱労働組合は労働者の防衛隊を出して、暴力沙汰が起きないようにした。そういうように独特の位置を持っている。後は看護師とか会計関係とかにいる。年齢的には20~30代。代表は40代前半と思われる。
最近でいうと「ニーナのために」というスローガンで看護師の雇用条件の改善の運動をサポートしている。キーウの再開発の問題とかエコロジーの問題そしてフェミニズムの問題とか、いろんなことに参加している。この「社会運動」が戦争が始まった時にどうしていたかというと、2022年2月の戦争開始はショックだった。東部のドンバス戦争はロシアからの民兵が来ていたし、ロシア正規軍も入っていた。事実上ロシアの軍事介入があったわけだが、しかし公然たる介入ではない。分離主義に走る人たちにも、ロシアの完全なかいらいというわけではなく、彼らなりの思いがある。だから、「社会運動」のグループは現地に入っていって、戦場になっている地域の女性たちを繋げていって、どうにか和解の糸口を探そうとしていた。ドンバス戦争の中で、アゾフ大隊みたいな右翼民兵グループが戦地で暴力的なことをしたりした。そういったことを止めさせるために、右翼のグループは解散させるべきだということをやったりだとか、なんとか国連の介入の下で和解を実現させようというのが路線だった。
ロシアの侵略との戦い
ところが全面戦争が始まってしまった。そうなると抵抗するしかない。ウクライナの8割の人は抵抗を続けることを支持している。国土をどんどん奪われて、そして占領地では拷問や拉致が行われている。ウクライナ語の本は回収されている。占領地では知識人がみんな拉致されていく。殺されている。抵抗するしかないということで、ウクライナの左翼も抵抗の一環を担っている。ウクライナの場合、国軍と別に領土防衛隊という仕組みがあって、志願した市民は登録して参加したり、あるいは自分たちで作れる。半分ボランタリーな後方部隊としてある。「社会運動」の活動家たちもこの部隊に参加している。
アナーキスト抵抗委員会という名前の領土防衛隊を作って、自分たちの部隊を作り戦地に行っている。ソリダリティ・コレクティブスは占領地から解放された地域に行ったが、戦争の被害も占領の被害もあって非常にひどいことになっている。子どもたちが勉強する場所もない。爆撃が常にある所ではネットで繋いで授業することが重要だがその機材がない。占領地に入って行って、食べ物とか衣類とか必要なIT機器を持っていく。人道支援をやっている。
国際社会への発信
「社会運動」はヨーロッパのネットワークと協力して、脱占領地に人道支援を行っている。「社会運動」というグループもウクライナの総体としての抵抗の戦いの中にいる。彼ら自身のスタンスというものを放棄しているわけではない。いろんなことをこの2年間やってきている。一つは国際的な呼びかけ。ロシアの影響力が非常に強くネットなんかで展開する中で、「ウクライナが悪いから侵略されたんだ」というような議論はヨーロッパでも強かった。それは違うだろうということを英語で議論を発信することをやっていた。タラス・ビロウスなど二人は30歳代でドンバス出身だ。どういう思いで生きてきて、今ここで抵抗するしかないと思っているのか、条理を尽くして語り、連帯を求めて世界に発信している。
国際的な働きかけという意味ではもう一つの面があって、ウクライナの民族自決の問題だと言っても、アメリカ、ヨーロッパから支援を受けなけりゃいけないという状況の中で、ウクライナでもアメリカ、ヨーロッパよりの議論が多い。ところがウクライナの世界からの連帯の声が広がりにくいのは、結局アメリカやヨーロッパの手先なんだろうという、グローバル左翼からの声がある。だから「社会運動」の人たちはウクライナの内外に発信しているのは、俺たちがやっているのは植民地支配しようとするロシアに対する抵抗なんだから、そういうところでちゃんと突き詰めていけば、グローバルサウスの人々と同じ経験を通して繋がれる。そういう視点を何で持てないんだと批判をして、周縁との対話というプロジェクトをやっている。ウクライナをヨーロッパの周縁と位置付けて、同じように周縁に位置している国々の活動家とネット上で議論したり、直接来てもらって話をしている。インド共産党の女性を呼んで、キーウでイベントをやっている。ウクライナ政府とは違う視点の国際連帯を模索することをやっている。
パレスチナ連帯の動き
去年の10月から始まっているイスラエルのパレスチナに対するジェノサイドに対しても、「社会運動」という名前ではないけれど、おそらく「社会運動」が仕掛けて、ウクライナのいろんな活動家や芸術家に、400人くらいになったと思うが、連名でパレスチナと連帯する声明を発表したりしている。
もう一つは戦時下の社会運動。戒厳令が敷かれているので、建前上デモとか集会は禁止。それでもキャンパスでデモが行われたりしている。戦争が始まって半年後に、ウクライナ西部の炭鉱で山猫ストが行われた。それを支援して世界に訴えた。社会的格差がなくなるわけではない。どんどん生活が厳しくなる中で、労働者が声を上げにくい状況になっている。彼らはいろんな形を見つけて、起きている運動に繋がっている。
戦時下で起きていること、問題点を理論として提起している。債務帳消し、性暴力の問題もそうだ。戦時下でも左派に必要とされている行動をやっている。砲弾が飛び交っている場所に人道支援に行ったり、自ら防衛隊に入ったりとか、それぞれにやっている。ロシアを撤退させることを一番大事なことだけど、撤退すれば良いということではなく、その後に人間的に生きていけるウクライナという社会を作りたいという思いで活動している。ウクライナで人間らしい社会を作る人々を後押しできることが復興支援だと思う。今日の集会は私たちの復興支援、人間のための復興支援だと言える。(発言要旨、文責編集部)
ウクライナ債務帳消しを求めて新宿駅でスタンディング(2.17)
加藤直樹さんが「社会運動」を紹介した(2.17)
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