「能登半島地震と原発」
3・20さようなら原発全国集会(代々木公園)
北野進さん(志賀原発を廃炉に!訴訟原告団長)の発言から
珠洲原発予定地はすさまじい地盤の隆起
二つのお礼を申し上げたくてやってきた。元日の能登半島地震、能登の風景は一変して私たちの暮らしも大きく変わってしまった。かつての珠洲(すず)原発の予定地は二カ所ある。中部電力の予定地は寺家(じけ)。ここは1m程の隆起が確認できる。原子炉予定地の前に海岸が広がっていたがそこはいま大きな岩がごつごつ現れている。そして予定地からずっと続く集落は激しい揺れに襲われて、さらに津波が襲って壊滅状態になった。幸い地域の皆さんは一目散に裏の高台に逃げて、津波の被害にあった方はいません。
しかしこのあたりは今の避難計画でいうと5㎞圏内になる。万が一原発があって、事故が起こっても救急や消防車を呼ぼうとしても来てくれない。そんな被害状況の中で、まして避難バスなんて来てくれない。避難計画の破綻が明らかだ。
もう一つの予定地関西電力の高屋、ここは2mの隆起が起きた。かつて関西電力が位置可能性調査を開始をした。それに対して私たちは30日間にわたって、阻止行動を展開した。その予定地の前の海岸、ここも大きく隆起をして、岩場がずっとずっと広がっている。そしてまた高屋の中、その周辺も含めてがけ崩れが何カ所もあり、住宅も倒壊して一時孤立してしまった。
こうした大変な所に関電も中電も原発を作ろうとしていた。改めて大変なことだと思う。もし、原発が出来ていたら、寺家、高屋だけでなく、奥能登が孤立をして、被曝にさらされていたと思う。奥能登だけではなく、中部圏、もしかしたらもっともっと広く放射能が降り注いでいたかもしれない。
珠洲の原発の計画は関西電力、中部電力、北陸電力の三電力の共同開発ということでがっちりと三電力がスクラムを組んでいた。さらに、その後ろには国や石川県、そして珠洲市が強力に後押しをしていた。地元の私たちも一生懸命反対運動をしていたが、この地元の力だけでは到底勝つことができない。そんな巨大な相手だった。この闘いの中で、全国の皆さんからのたくさんの応援があった。そして2003年、電力会社を撤退させることができた。感謝している。お礼を申し上げたい。
もし、志賀原発事故が起きていたなら
そして、今日もう一つお礼を申し上げたいのは元日の震災以降、今日に至るまで本当に全国の皆さんから、たくさんの応援をいただいている。震災翌日には災害専門チームの人たちをはじめ、たくさんの人たちが現地に入って、倒壊家屋の下敷きになった人たちの命を救ってもらった。あるいは孤立集落にも入って支援していただいている。厳しい避難所の生活の中を支えてもらっている。道路や電気・水道などインフラの復旧に向けて全国から駆け付けてくれている。奥能登を見ていると、北海道から九州まで、全国各地の車のナンバーがある。本当に全国の皆さんに支えられていることを実感している。ただただ感謝しかありません。
ただ、今日申し上げたいのはここにもし、志賀原発の事故が重なっていたら、こうした全国各地の支援はとだえてしまう。能登は孤立し、被曝にさらされる。今避難道路の復旧が進んでいるが道路の復旧すらできず、私たちは孤立無援の状況の中にいることになったかと思う。
能登半島地震の教訓は二つある。一つは地震学の限界。もう一つは避難計画、原子力災害対策指針の破綻。こうしたことで元日以降、全国各地の原発現地の皆さんはそれぞれ原発の再稼働阻止、そして廃炉に向けた闘いを力強く展開していると思う。
石川県は被災地を抱えて、志賀原発廃炉に向けた取り組み、残念ながら遅れをとっている。実は4日前、ようやく石川県内に呼びかけて志賀原発廃炉に向けた集会を取り組むことができた。これをスタートとして、何としても志賀原発を廃炉に追い込む。そのためこの次は全国の皆さんに呼びかけて震災から半年、6月~7月にかけて、全国集会をやりたい。志賀原発は能登半島地震の現地にあり、被災地にある発電所ということで、ここは全国に先駆けて何としても廃炉に追い込みたい。そんな気概を持って闘いたい。(発言要旨、文責編集部)
3.20さようなら原発デモに参加する北野進さん(右から2番目)(10.13)
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