3.30とめよう戦争への道 めざそうアジアへの平和 2024関西のつどい
【大阪】大阪平和人権センター/しないさせない戦争協力関西ネットワーク/戦争をさせない1000人委員会・大阪の呼びかけによる実行委員会主催の集会が3月30日エルおおさかシアターで開かれ、500人を超える市民が参加した。44団体と98名の個人が賛同した。
集会は、羽原祐輔さん(大阪教組)の司会で進められた。主催者を代表し米田彰男さん(大阪平和人権センター理事長)があいさつをし、続いて講演に入った。
清末愛沙さん(室蘭工大大学院教授、憲法学)が「ガザとアフガニスタンでおきていること・起こったこと」と題して講演をした。(要旨別掲)。
続いて城村典文さん(「戦争のための自衛隊配備に反対する奄美ネット」代表)が「世界自然遺産の奄美群島ですすむ軍事要塞化の現状」と題して講演をした。(要旨別掲)。
城村さんは最後に、町主催の瀬戸内分屯地隊員歓迎会の横断幕を前に隊員と住民が一緒にカメラに収まっている写真を見せた。城村さんたちの闘いの厳しさが伝わってきた。
集会では、パレスチナと奄美ネットへのカンパが呼びかけられた。集会後、扇町公園までデモを敢行した。 (T・T)
平和なアジアを実現しよう!とデモ(3.30大阪)
清末愛沙さん(室蘭工大大学院教授、憲法学)
「ガザとアフガニスタンでおきていること・起こったこと」
RAWAとの出会い
清末さんは始めにRAWA(1977年カブールで創設されたアフガニスタン初の独立系フェミニスト団体)との関わりについて話をした。アフガニスタンは1973年に王政が廃止され共和国憲法がつくられたが、家父長制が強く残る社会だった。RAWAはソ連侵攻の時代は拠点をパキスタンに移し活動を継続し、女性の人権と自由のために闘い、人権侵害を告発してきた。活動は、都市部の高学歴女性を中心とするエリート女性のための活動ではない。2021年8月15日ターリバーンが政権に復帰した後は、基本的には国内で、細心の注意を図りながら、声を出し続け、ニーズがあるところで活動を続けている。清末さんは、2012年から現在までRAWAに関わり、連帯してきた。
アフガニスタンは、王政、ダウード政権、共産主義政権、その後のソ連侵攻と内戦、旧ターリバーン、アフガニスタン戦争と国際復興支援時代、米軍の撤退と復活したターリバーン政権を通じた軍事力への依存の結果、人々の生活は破壊され社会は荒廃した。
ジェンダー・アパルトヘイト
ターリバーンは復権すると、女性の人権や教育・就労を守ると表明したが、実際は少し違う。ターリバーンにとっての「女性の保護と尊厳」は人権概念が食い違っているし、「男性の名誉」との表裏一体の関係がある。抗議行動をつづけている女性たちのスローガンは「パン・教育・就労・自由」だ。女性は大幅に就労が制限され、外出時はヘジャーブで目元を除き体を隠すよう強要されている(ブルカの強制まではない)。高等教育機関への通学は無期限延期されている。
しかし、ターリバーンだけに着目しても、問題の構造の理解には至らず、誤った認識に至るだけだ。しかしそのことは、ターリバーン政権を擁護することを意味しない。干ばつ・貧困等が家父長的社会規範に基づく暴力を誘発する場合もある。いろいろな要因の重なりにより重層的構造ができあがっている。ひとつのジェンダー集団が他の集団に対し、組織的な抑圧・支配を行う統治体制を背景にした非人道的行為をジェンダー・アパルトヘイトという。まさに、アフガニスタンではそのことが問題になっている。
しかし、女性たちはしたたかに抵抗する。生き延びるという抵抗、したたかさで継続を追求する抵抗だ(地下室での学習会、個人宅でのあつまり)。清末さんは、RAWAとの出会いで、心の底から悔しいと思い、共に抵抗すると自分に決めたので、これからも連帯を続けるつもりだ。彼女は、求められているのは共に闘う勇気だという。
長期占領下のガザ、封鎖状態の生活
2000年イスラエルの占領の実態を学ぶため東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区とガザ地区を訪問した。2002年当時の留学先の英国の大学院に、パレスチナの非暴力抵抗運動とアクションリサーチに関する修士論文を提出した。
ガザ情勢を理解する上で、何よりも理解しておくべきことは、ガザが占領下で長年封鎖状態に置かれてきた、アパルトヘイト下にあるという事実だ。始点は2023年10月7日のハマースによる越境攻撃ではない。歴史的文脈から「反撃」の側面を理解することが必要だ。オスロ合意(1993年)は、和平合意ではなく、重要事項(難民の帰還権・入植地問題、エルサレム帰属、国境画定)は後回しになっている。
被占領地における支配の方法は地区ごとに異なるが、分断と隔離がベースになっている、すなわちアパルトヘイトだ。日常生活のあらゆることが、占領政策により規定されている。イスラエルはジュネーブ条約の締約国であるが、第4条(文民に対する保護義務)を放棄している。パレスチナ人による独立国家の樹立と開発を不可能にしている。パレスチナ人の自由と尊厳が侵害されている。
軍事攻撃は人の目に見えやすいむき出しの暴力であるが、分断・隔離統治の暴力は可視化されにくい。そのことが国際社会の関心が向かない原因にもなっている。本日の講演で共通するのはアパルトヘイトだ。イスラエルのアパルトヘイト、ターリバーンによるジェンダー・アパルトヘイト。
ガザの場合、365平方キロメートルの広さに230万の人口。その住民の約70%は1948年のイスラエルの建国の過程で故郷を追放された難民である。ガザ地区を包囲する壁の建設は1993年に始まり、2004年イスラエル軍の大攻撃があり、2006年パレスチナ評議会選挙によってハマース主導の自治政府が誕生した。2008年、2012年、2014年にはイスラエル軍による大攻撃があった。2018年には故郷への帰還と占領終結を求めガザ住民の一斉行動(インティファーダ)があったが、2021年イスラエル軍による4度目の大攻撃があった。封鎖により、人の移動と物資の搬送が大幅に制限され、経済活動の自由も大幅に制限されている。
イスラエルの攻撃の狙い
憲法研究者のわたしにとって、ガザに入ることは、封鎖と黙認への挑戦・抵抗である。被占領地であることの法的根拠はハーグ陸戦条約でいう占領だ。ガザ北部の壊滅的破壊、人々を避難名目で南部に移動させ、人口密集地の南部で北部以上の猛攻撃と破壊。無差別の猛攻撃。しかも、病院・学校・避難所・人口密接地・大学・貯水池や貯水タンク・裁判所・公文書館・市役所・モスク・ジャーナリストが狙われている。
ガザの破壊という攻撃の意図がよく分かる。ライフラインを常に握ってきた占領者が、生死の限界を超えるレベルの攻撃をすることで、支配者であることを見せつける。根っこにあるのは、シオニズム(ユダヤ人国家をつくる建国思想)の排他性だ。ガザで行われているのは、ジェノサイド条約第2条のいうように、国民的・人種的・民族的または宗教的集団の全部または一部を破壊する意図をもって行われた行為だ。2023年12月南アフリカが国際司法裁判所へ提訴した。これは、ジェノサイド条約に依拠した提訴である。
日本政府が憲法に基づきすべきこと
日本政府は、日本国憲法の前文に基づく「全世界の国民の平和的生存権」と「ガザの人々が恐怖と欠亡から免れるための行為」、「国連パレスチナ難民救済事業機関への資金拠出」、「憲法98条2項、日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守すること」を実践しなければいけない。私たちはそれを要求する。
城村典文さん(「戦争のための自衛隊配備に反対する奄美ネット」代表)
「世界自然遺産の奄美群島ですすむ軍事要塞化の現状」
環境調査も公表されず
2014年自衛隊誘致問題が取り沙汰され、市民が「世界自然遺産候補地のアマミノクロウサギの棲む豊かな森を破壊して駐屯地を造成するとは何事か」と問うたことに、「防衛省と環境庁は棲み分けをするだろう」と前奄美市長は回答した。
2017年9月から奄美駐屯地と瀬戸内分屯地の造成工事が始まったが、奄美大島は世界自然遺産候補地であるという理由で、九州防衛局は周辺の環境調査を行ったが、調査結果の公表はせず、市民団体の開示請求で、貴重動物が奄美9種、瀬戸内12種棲息いていることがわかった。そのうち、アマミノクロウサギの成体16羽は駐屯地外に追いやられたという。幼体は報告書では黒塗りになっていた。
現在、山の緑を剥ぎ取って、樹海に浮かぶように駐屯地がつくられている。奄美の桜はエドヒガンで、ソメイヨシノより早く咲く。その桜の咲いた並木の下を自衛隊が完全武装で行軍した。
予防着陸という名の訓練
昨年11月屋久島沖に米軍のCV22オスプレイが墜落した。救難活動に向かう普天間基地所属のМC機が3機奄美空港に着陸した。赤黒い煙が吹き出し、隊員が機体や滑走路を拭き取る場面があったが、原因の公表はない。オスプレイの普天間配備後は、奄美群島の中心市街地上空を低空で、ひどいときは100メートル以下の低空を四機編隊で飛行するオスプレイをみかける。病院や学校上空でも関係なく轟音を上げて旋回飛行する。真夜中12時を越えるときもある。
オスプレイの民間空港への緊急着陸を、最近は「予防着陸」というようになった。18年6月、米軍オスプレイが約1ヶ月間、修理のためと称して駐機した。その間、島々を結ぶ島民の足JAC航空の格納機を占拠した。その後も奄美空港に7回、徳之島空港に5回、沖永良部島に2回。与論島に2回緊急着陸という名の着陸訓練を行っている。その都度、九州防衛局や防衛省に抗議するが、なしのつぶてだ。
住民説明会も住民投票もなく
奄美群島は、先の大戦後8年間米軍統治下にあった。その後振興開発事業の導入で、港湾や道路などのインフラは整備されたが、経済の自立にはほど遠い。2014年地域活性化、人口減対策、災害対策に、自衛隊の駐屯地誘致の話が持ち上がり、議会や商工会等が要望書をつくり、防衛省の「配備の是非を問う住民説明会」もなく、行政長の「民意は十分浸透している」の判断で誘致が決まった。そして、2019年3月、奄美駐屯地、瀬戸内分屯地が開所された。「米軍が来たら自分が反対の先頭に立つ」との首長の行動もないまま、日米軍事演習(オリエント・シールド)が始まった。
日米軍事演習所のメッカ
2020年には嘉手納から米軍のPAC3を駐屯地に運び入れ「ミサイル防護訓練」があり、2022年9月にはウクライナ戦争で稼働中の米軍高機動ミサイルシステム・ハイマースを空輸し駐屯地内で日米合同「ミサイル発射訓練」が行われた。22年11月には、徳之島で「離島奪還訓練」が行われ、水陸機動団による上陸訓練、オスプレイから降り立った米軍による襲撃訓練が行われた。
23年3月には、徳之島で2度目の日米軍事演習(キーンソード)。喜界島で始めて第1空挺団のサトウキビ畑への降下訓練が行われた。23年9月には、奄美駐屯地・瀬戸内分屯地でハイマースを使った「敵機攻撃訓練」、日米オスプレイを離発着させて傷病兵の輸送訓練が行われた。23年11月には、奄美群島で自衛隊統合訓練が行われ、徳之島空港・奄美空港ではF15爆撃機によるタッチアンドンドゴーが、民間機の離発着の間を縫って行われた。
今年の軍事訓練(アイアン・フィスト)は3月4日喜界島で行われ、米軍機から300人の降下訓練後、廃校を利用しての市街地訓練。3月10、11日沖永良部島で海からの上陸訓練、日米軍用ヘリから上陸後、その足で公営のキャンプ場を利用して両軍雄叫びを上げながらの野戦訓練が行われた。
厳しさの中のねばり強い闘い
奄美群島の島々は、米国のつくる戦争を呼び込むための「日米軍事演習所のメッカ」になりつつある。島民からは「自衛隊はもちろん、米軍も島民を守ってくれる」との声が囁かれつつある。奄美群島は南西諸島内でどこよりも政府の「台湾有事の喧伝」が浸透しつつある。
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