「帝国」ロシアとウクライナ侵略
ウクライナ民衆連帯募金が主催
池田嘉郎さん(ロシア近現代史研究)講演会
【東京】6月8日午後2時から、文京シビックセンター地下1階・学習室で「池田嘉郎さん(ロシア近現代史研究)講演会、『帝国』ロシアとウクライナ侵略が」 主催:ウクライナ民衆連帯募金で行われた。
呼びかけチラシより
池田嘉郎さんは、プーチン政権のウクライナ侵略を批判し、「ウクライナの人々の意思を尊重し、支援すべき」と語ります。
さらに、これまでの研究や議論が「帝国」としてのロシアの暴力性やウクライナの主体性を軽視してきたのではないかと問いかけてきました。
「帝国」としてのロシアという視点を踏まえ、ウクライナ侵略を歴史の中で考える池田さんの話を伺います。
池田嘉郎さん(東京大学大学院人文社会系研究科西洋史学教授)は1971年生まれ。近現代ロシア史研究。著書に『ロシア革命 破局の8か月』(岩波新書)、『革命ロシアの共和国とネイション』(山川出版社)。最新刊に『ロシアとは何ものか 過去が貫く現在』 (中公選書)。共著多数。
加藤直樹さんの発言から
主催者の加藤直樹さんが、ウクライナ民衆連帯募金運動について紹介した後、講師の
池田嘉郎さんの研究の立場とロシアのウクライナ侵略戦争批判の立場を紹介した。
池田さんになぜ来て欲しいと思っていたのか。ロシア・ウクライナ戦争が始まった後に、ロシアの研究者の方が、これはまずいことになったとロシアの侵略を認められないと発言する方が結構いた。そうでない方も結構いた。ロシアのウクライナの関係を雑に考えるのはよくないよ、ロシアの内在的論理がある、そういうことが分かっていない。ロシア嫌いなようなことが広がるのはよくない、と。
池田さんははっきりとメディアで、侵略戦争はおかしいと言っていた。ロシア研究者の中でもここまではっきり言った人は少なかった。
さらに、もう一つはこの時代を生きている人間として、この戦争はおかしいということを言うだけではなく、学問的にそこから深堀を始められた。『後期ウクライナの歴史』という本の中でも、ロシア研究で見落としがあったのではないか、これまでの研究を再検討しなければいけない、と書いている。実際に、研究の見直しを行っている。
今日のタイトル「帝国」ロシアとウクライナ侵略、帝国というのは単にレトリックとして帝国と言っているわけではない。帝国論という議論がある。中国の清朝とかオスマントルコとか、前近代から近世にかけて、いろんな帝国があった。そういった帝国論の中で、ロシアやソ連を見るという議論がロシア史にはあった。そして中国にもあった。帝国中国をどう見るかという議論は決して少数ではなかった。例えば柄谷行人さんが帝国の本を出しているが、中華帝国を必ずしも否定的に見るんではなく、寛容さとか多様さを含んでいる。そういった面から見ようではないかと議論があった。ロシアについても類推がついたが実はこの戦争が始まる前から、帝国の寛容さは分かるが一方に寛容な帝国から排除され、弾圧される人々もいる、少数民族とか。
もう一つが2月のシンポジウム、この時に池田さんがロシアの帝国性について話した。ロシアの帝国性を問題にすると同時にわれわれは日本自身の帝国性を見ていかなければいけない。大日本帝国、それに続く戦後の日本の東アジアの中での位置を指摘していた。
池田さんが非常に市民として研究者として、ロシア・ウクライナ戦争という事態に対して、正面から向き合っていこうという姿勢にすごいことだと見ていた。
続いて、池田さんの講演に移った。
講演の後に質疑応答があったが割愛した。(M)
池田嘉郎さんの講演から
ロシア史/帝国論をめぐる研究の展開について。それを踏まえた上で、ロシア=ウクライナ戦争への私やそのほかのロシア史研究者の受け止め方について。最後に展望として、今後のロシア史研究のありかたについて。
◦「帝国論」以前のロシア・ソ連史研究
◦民族と帝国をめぐる研究状況
◦あたらしい帝国論:1990年代後半~現在
◦私の帝国論
◦プーチンのロシアを私はどう見てきたか
◦ロシア=ウクライナ戦争の開始と私
◦ロシア史研究者たちの声明
◦現在までの大きな仕事
◦ウクライナとの関わり
ロシア=ウクライナ戦争の開始と私
・戦車が国境を越えて進軍していくことの衝撃(侵攻するだろうとは思っていたが)
・Facebookでロシアの幾人かの友人が「自分はこの戦争に反対」との立場を表明(2月24日)→彼らに対して「プーチン政権の立場も分かる」とはいえなくなる(よく「ロシアの立場を内在的に考えよ」という声があるが、ロシアとプーチン政権は同一ではなく、戦争に苦しんでいるロシア人もいる。また、ロシアの内在的理解だけではなく、侵略されている側の内在的理解もなければおかしい)。
・『日本経済新聞』3月3・4日、池田インタビュー「〈ウクライナ〉相克の近現代史」上下
ロシアの行動を帝国的行動として説明(そうした説明のための準備は以前からできていた)
NATO拡大がロシアを追い詰めたと私はいわず。ロシアの独特な行動を外部からの圧力によってではなく、ロシアの内的論理によって説明。専制であれスターリニズムであれ何であれ、ロシアの歴史的個性として考える。それがロシア史研究者としての私の立場
ウクライナは国内分裂があるといわれてきたが、この侵攻を機に一体性を高めると指摘
私はウクライナについてネガティヴなことだけをいうほどの知見はない。行ったこともないし、言葉も知らない。総じて、ロシア史研究者がウクライナ語を使わずにウクライナについて語る慣行は終わるべきである。
ロシア史研究者たちの声明
・3月21日、「ウクライナ戦争を1日でも早く止めるために日本政府は何をなすべきか――憂慮する日本の歴史家の訴え――」
「ロシア軍とウクライナ軍は現在地で戦闘行動を停止し、正式に停戦会談を開始しなければならない。戦闘停止を両軍に呼びかけ、停戦交渉を仲介するのは、ロシアのアジア側の隣国、日本、中国、インドがのぞましい」。署名者:伊藤孝之、加納格、塩川伸明、富田武、藤本和貴夫、和田春樹、加藤史朗、梶浦篤、豊川浩一、長與進、西成彦、羽場久美子、毛里和子、吉田浩。
私の疑問
①ウクライナ側に戦闘行動の停止を呼びかけることは妥当か(仮に絶対的平和主義の立場からのものであれば、理解はできる。だが、5月9日付第二次声明の認識は、「米国をはじめとする支援国グループは競って、大型兵器、新鋭兵器をますます大量にウクライナに送り込んでおり」としている。ロシアが侵略戦争を起こし、継続しているという認識とは異なる認識が、ウクライナ側に戦闘停止を求める発想の背後にあるように思われる)
②アジアでの平和運動という文脈は、ウクライナの人々とは直接に無関係
③日本外務省、ロシア大使館、インド大使館との面談……ウクライナ大使館とのコンタクトの不在。ウクライナ語版声明の不在
上記の声明だけがロシア史研究者の見方ではない、と私は強調したかった(しかし、私と近い見方のロシア研究者はそんなに多くはないようである。結局のところ、自分の慣れ親しんだ枠組みを否定するのは難しい。欧米の見方という主流に対して、オルタナティヴであるロシアの見方を内在的に理解し、論じることが、私たちのアイデンティティの一部となっていたのではなかろうか)
ウクライナとの関わり
・本来私はロシア人の友達との関係が自分の判断基準、ウクライナとの関係は弱い
・開戦後ウクライナについての知識の乏しさを反省
・「国際セミナー ロシア・ウクライナ戦争 歴史の回帰」(2023年6月、東大)と「シンポジウム ウクライナ文化の挑戦――激動の時代を超えて」(2024年2月、慶應大):ウクライナ人研究者との対話
・ウクライナ語:少しだけ勉強、百科事典などの短い文書を参照すべく努力
・日本におけるウクライナ文化(とくに映画)の紹介はモスクワ経由であり過ぎたのではないか? キーウにあるDovzhenko Centre のFB(自分の知らない1930年代の映画が沢山紹介されている)
帝国論の成果を維持しつつ、ウクライナ史学などを学ぶことを通じて、自分の視点をより複合的にしていきたい。
(発言要旨・文責編集部)
「ウクライナ侵略を歴史の中で考える」と提起する池田嘉郎さん(6.8)
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