ウクライナ現地報告会(上)

本音で話せるウクライナにびっくり

講師:谷川ひとみさん(北コーカサス歴史研究)
草の実アカデミーとチェチェン連絡会議との共催

 【東京】6月15日午後2時から、駒込地域文化創造館で、谷川ひとみさん(博士課程在学・北コーカサス歴史研究)による「ウクライナ現地報告会」が草の実アカデミーとチェチェン連絡会議との共催で行われた。
 講師の谷川ひとみさんがロシアへ初渡航したのは2011年。グルジアから北コーカサスに入った。2014年にはシリアに渡航。2014―2015年までダゲスタンの国立大学に研究生として在籍。2015年に初めてウクライナを訪れた。今回、ウクライナには2月末から4月初旬まで滞在。
ウクライナとチェチェンの関係について

 最初に、林克明さん(ジャーナリスト)が「ウクライナとチェチェンの深い関係」について解説した。
 「ウクライナ戦争を起こしたロシアの出発点はチェチェン紛争にあり、それがいまにつながっている。帝国が植民地支配をするようなメリットではなく、ロシアの内側から出てきている。帝国ロシアが残っている。1994年にロシア軍が侵攻しチェチェン戦争が起きた。チェチェン野戦司令官は『われわれはヨーロッパ、世界を守るために戦っている』と言い、『ロシアはチェチェンの次はウクライナへ向かう。その時世界はあわてふためくだろう』と語っていた」。
 「それが30年経って現実になっている。チェチェン戦争の時、ウクライナ義勇兵が入って戦った。そして、2014年のクリミア併合・東部2州の併合以後、亡命チェチェン人たちがウクライナに入り戦っている。その数は千人ぐらいと言われている」。


 次に谷川ひとみさんが講演を行った。
 谷川さんの講演を受けて常岡浩介さん(ジャーナリスト)は日本のメディアがウクライナ戦線報道が出来ていない状況の中で、生々しい現状を伝えてことを高く評価していた。そして岡田一男さん(映像作家)はウクライナ側もたいへんな状況になっているが、ロシアの状況も危機的な状況になっているとプーチン政権の閣僚交代や更迭の動きを紹介しながら説明した。
 谷川ひとみさんの報告は、われわれが知りたかった戦時下のウクライナ人の生活や徴兵制、前線での戦いについて、そしてウクライナ人とロシア人との違いなど興味深いものであり、今後のウクライナ連帯運動にとってとても有益なものであった。長い報告になるが紹介したい。  (M)

谷川ひとみさんの講演から


 最初に、北コーカサスが長かったのでそちらの話をしたい。2016年に、ウクライナに行った。2020年のコロナ前まではウクライナによく行っていた。2010年に単純に旅行でジョージアに行った。その後、チェチェンに興味を持った。ロシア語も知らなかったが一人で勉強した。初めてチェチェンに行ったのは2011年だった。北コーカサスに2~3年居た。ロシア人やロシア文化との交流はあまりしなかった。 パレスチナにも行ったことがあり、パレスチナ人はこういうひどいことがあるんだということを向こうから話してくれる。

チェチェンの置かれた立場

 チェチェン人はまったくそうした話をしてくれなかった。2009年にはチェチェン戦争は終わっていた。私を無視して話してくれない。何でと思うことが多かった。
 ジョージアにいるチェチェン人はそうではなかった。占領されていると聞いていたが、私の目にはロシア軍が街を警護しているように、見えてしまった。それが何でかと混乱した。ロシア軍に捕まった人がいた。警備しているのではなくて、「悪いやつ」を見つけるんだなと分かった。
 最初の頃はヨーロッパはおしゃれだから行くところではないと思って、ウクライナに行かなかった。
 2014年に、ダゲスタンにいて、マイダン革命が2013年から始まったが、革命はキルギスでもジョージアでも起きていたから興味を持たなかった。2014年にクリミアが併合された時、周りの人が熱に浮かされたように、すごく喜んでいて、みんな口々にその話しかしなくなった。
 私としては併合ということは歴史の本の中の言葉であって、現在起こることではないという意識があったので、併合ってどういうこと、みんなが喜んでいることに違和感があった。さらに違和感があったのは、ロシアの通貨のルーブルが半分くらいになった。半分になったということは物価が半分になるということなのでありがたかったが、それをみんな気にしていなくて、へんだなーと思った。

戦争は経済を悪化させた

 その後、ドンバス戦争が長引きそうで、北コーカサスでは戦争がひどくなったら前線に送られのはロシア人ではなくて自分たちだと不安が広がっていった。北コーカサスとウクライナは近いという感覚になった。
 2014年以降は経済が徐々に悪化していった。モスクワでは感じないが、北コーカサスでは出稼ぎに行かなくてよかった人が、出稼ぎに行かざるを得なくなった。ダブルワークをしなくてはいけなくなかった。行くたびに悪化していった。特にそれを感じたのがチェチェンだ。戦争が終わってから建設ラッシュが続いていた。それがかなり落ち着いてしまった。出稼ぎ労働者もいなくなった。仕事がなくなって、明らかに街から人がいなくなった。
 何で現在チェチェンの支配者・カディロフを支持するのかと不思議だと林さんが言われたが、理由の一つはガレキから再建した。2011年からも明らかにきれいになっていて、インフラが整備されるようになった。それについてはカディロフを支持していない人もロシアが嫌だという人もちゃんと電気が来るとか街がきれいになっていく、ということはうれしかったのではないか。それをやっているカディロフはすごいという空気はあった。

ウクライナとロシアとの違いに驚き 

 2016年に初めてウクライナに行った。ロシアとウクライナの言論の自由の違いに一番驚いた。キエフの電車の中で、親ロシア派と親ウクライナ派がけんかしそうになりそうなぐらいな論争をしていた。そんなことをチェチェンでも見たことがない。北コーカサスではあり得ないことだ。攻めてきているロシアをほめていいの。大丈夫なの。4人駆けの寝台列車で、聞いてみると、何が悪いのと言われた。ここウクライナでしょ、私はロシアから来たからこうした光景を見たことがないのと言うと、実は自分はドネツク出身の難民なんだけど、ドネツクの今はロシア政府の批判とかは出来なくなっている。
 ウクライナはいいんだと聞いてそれが印象に残っている。ウクライナが弱いから負けるのだ、しょうがない。ウクライナを批判する人も結構いて、もちろんロシア批判をする人も多い。いろんな意見をたくさん聞くことができた。クリミヤを併合した時に、ロシアでは同じ意見しか聞かなかった。その違いにすごくびっくりした。ウクライナとロシアって、全然違う国だと認識した。
 ロシアでは2014年以後、居心地の悪い思いをすることが増えていった。私が日本から来たと言うと、日ロ平和条約が結ばれていないから早く結ばれて、ビザなしで来れるようになるといいねと言う人が結構いた。クリミヤを併合した国に、平和条約や北方領土の話できるわけがない。なんでそんなことを言うのか不思議だった。クリミヤを併合してから言われても説得力ないと言った。
 ウクライナと日本はロシアにとって違うから、そんなこと起こらないと言われることが多かった。ウクライナは兄弟なのに、家族なのに、離れていこうとするのがいけないんだと言われた。マイダン革命についても、なんでヨーロッパに行こうとするのか、兄弟なのに、と言う。もし、あなたにベルリンに住むのとモスクワに住む選択肢があったら、どっちにする。私はベルリンに住みたいという気持ちが分かるよ。ロシア人もその気持ち分かるみたい。ロシア人は長男志向で横柄だと思った。
 ロシアに居ると余り気分がよくないことが増えていったのでその分ウクライナにいる方がいいなという気持ちが増えていった。それからウクライナに興味がわき、行きたいなとなりよく通うにようになった。2022年に、ロシアの全面侵攻が始まった時、それまでのチェチェン人に対することが分かっていたので、ロシアは何でもやるんだ、私の想像の外のことをやる。「あ、起こるんだ」と。
 キーウに何回も行っているし、その街が滅茶苦茶に攻撃されるのはすごくショックで悲しかった。

チェチェン人の集会に参加

 2月、「チェチェンイングーシ強制移住80年、チェチェン戦争勃発30年、ウクライナ全面侵攻2年」集会に参加し、日本でアジアでチェチェンを支援する人たちがいることを知ってもらうためにスピーチを行った。
 第二次チェチェン戦争の時は、孤立していて、西側が口だけで支援してくれない、そう言われた。私もいまさら来てなんだよ、と言われた。外に対して支援を期待していないという印象が強かった。支援し支える人たちがいると伝えたかった。
 チェチェン代表団。いっしょに行った欧州各地の代表は50人ほど。滞在は4泊だったが、その間在ウクライナ義勇兵と代表団の交流が盛んに行われた。亡命したチェチェン政府はウクライナとは軍事的連盟を結んでいるという立場。大小様々なチェチェン人部隊があり、総数は流動的で分からないということだった。ウクライナ国籍のチェチェン人も結構いる。そういう人がウクライナ軍に志願して入ってもいる。   (つづく)

ウクライナ現地報告をする北川ひとみさん(6.15)

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