ウクライナ現地報告会(下)
講師:谷川ひとみさん(北コーカサス歴史研究)
草の実アカデミーとチェチェン連絡会議との共催
キーウの街の印象(4年前と比較して)
毎日のように発令される空襲警報。警報が鳴ると地上を走っている電車はストップ、地上にいた人は、地下シェルターに避難しなければならない。学校、生活や仕事が切断されてしまいたいへんだ。物価が大幅な上昇。人が居なくなっているので仕事はある。給料がすごく安い。非常に生活が苦しい。
ウクライナ語を話す人が増えた。言語的移行期にあることを強く感じた。多くの人が自分が何語をしゃべっているのか、分からないのかなという気がした。ロシア語とウクライナ語は本人の選択でしゃべっている人が多い。パソコンのキーボードにウクライナの文字がないので打てない。
取材の許可の申請をする時に、書き方が分からないので教えてほしいと言ったときに、ウクライナ語の正式なビジネスメールの仕方が分からない。人が集まってきてワーワーやっていた。24時間あいさつをする言葉がウクライナ語にはない。
国の意思が出来るかどうか分からない緊急事態にもかかわらず、秩序が保たれている。シリアに行ったときも、チェチェンに行ったときも、小さな戦闘とかあった。それに対して何か緊急事態宣言が出るとか、立ち入り禁止区域が作られるとかそういうことはなかった。空襲警報が鳴るというのは、政府がちゃんと機能している。アプリもどこに攻撃があるのか分かりやすく伝えている。解除されたら、解除したと連絡が入る。キーウの中心部の行政府は立ち入り禁止になっていた。
ロシアでは兵士に話しかけると連行されるから、話しかけてはいけないというのを学んだ。ウクライナでは聞きに行ったら親切に教えてくれた。そこでもウクライナとロシアの検問とかの違いを感じた。私の泊まっているホテルで、看板を壊すという事件があった。それを警察を呼んで対処していた。戦争が起こっている時に、チンピラが看板を壊しただけでちゃんと警察を呼んで、来てくれた。ロシアにいると、警察を呼んではいけない。賄賂を要求される。警察を呼ぶ前に、ことを片づけなければいけない。
激戦地の東部戦線
東部の前線にも取材に行った。戦場カメラマンの横田徹さんといっしょだった。ドネツク州のウクライナのコントール下にある所に行った。種まきの季節なので、種をまいてない所は枯れ草があって、種をまく所は土を掘り起こして、豊かな黒土が見えている状態だった。枯れ草が生い茂っている所があって、そこは地雷原。土が見えている所は地雷がない所。かなり地雷が埋まっている。撤去するのにどれぐらいの時間がかかるか、悲しかった。
取材の許可を取らなくてはいけない。これが全然取れない。情勢が悪いので取れなくなっている。横田カメラマンは全面侵攻以後、何回か来ているが、こんなに許可が取れないと思わなかったと言っていた。事前に調べてはいたが思ったより悪かった。1カ月ことに新しいルールが追加されていくので、取材の許可を取るのもすごく難しい。情勢が悪いのでジャーナリストがたくさん亡くなっている。訓練だったらいいが、作戦同行はできないと言われた。
3カ月前にアメリカ人のジャーナリストが死んだからいやだとか、こっちの人はドイツ人が11月に死んだからいやだ。危ないから連れて行きたくない。安全を保障できないからいやだ。許可が取れなかったドネツク州にも行った。許可待ちしている外国人記者がたくさんいた。私たちはたまたま、取材許可が出たがそれは友人がかなり尽力してくれたからだ。兵士が住んでいる家に滞在させてもらった。すごく情勢が悪いので、ストレスがたまり、心的につらいようだった。ある人は20人くらい部下がいる隊長。そのうち5人を伝令に送ってほしいと頼まれていたらしい。この状況で歩兵で前線に送ると全員は帰ってこれないのは決まっていることらしい。なのでその人にとっては20人の部下のうち、死んでいいやつを選んでみたいになってしまうので、本当にストレスだったみたい。口げんかも多いし、アル中みたいになっている兵士もいる。作戦の歩兵で前線に行って、一晩のうちに50発周りに撃ち込まれて、自分以外の周りの兵士がほとんど死んでしまった。精神的にPTSDになっていて、だいぶ辛そうだった。
本当は歩兵の取材をしたかったが、私たちが滞在している時に、部隊がものすごい損害を被ったらしくて、この状況では申請は下りない。ドローン部隊に申請をし直して、ドローン部隊に行った。偵察だけで後方部隊で安全だと思われがちだが、ドローンの進化がすさまじく今はかなり前線まで行って、爆弾を積んで落とすとか、医療物資を積んで落としたり、活動が多岐に渡っている。歩兵よりましだがそんなに安全だという状態ではない。
行くときも一回目は私も行かせてもらって、二回目は機械をたくさん持って行かなければいけないから、席がない、車を2台出すと撃たれるから1台しかだせないと言われた。戦車に乗って取材に行くと百パーセント撃たれるからダメと言われた。
夜は途切れなく爆撃が続いている状態だった。アウディーカから帰ってきた兵士と話すことができた。向こうは10倍もの兵器を持っていて、こちらは撃つものがなくなってどうしようもなくて帰ってきた。ずーっと撃ってきているのもおそらくロシアからだろう。どっちから撃ってるか分からないので、ロシアから撃ってきていると思うと恐ろしい数の爆弾がバンバン降っている。
夜間作戦に行ったが、表現するなら花火大会で、最後にバンバンと花火が上がる。クライマックスで一番盛り上がるところがあると思うが、あれは上から降って来るからその反対バージョンぐらい、絶え間なく撃ってくる。かなり前線の状況は厳しいなと思った。
クラマトルスクはウクライナ軍が奪還した後、1年ちょっと前くらいに、電車が通るようになって、キーウから電車に乗って来れるようになった。兵士の家族が会いに来たりとか、ある程度活気がある。スーパーも開いていて電気も通っていた。クレジットカードのタッチ清算もできた。VIZAカードも使え、ロシアよりも便利だった。
立ち会った人々について
戦争に関わりたがわない人はたくさんいる。ウクライナには駐車違反の切符を切るみたいに、徴兵対象になっているか確認する警察みたいな人がいて、それに見つかって徴兵対象と確認されても、前線に送られるということではないので、そんなに恐れる必要はない。仕事も選べるし、みんながみんな前線に行くわけではない。やっぱりいやだと思って、家に引きこもりになってしまう男性がかなり多くいる。停戦を欲しがっている人が3割いると調査で出てくるとニュースで聞いたこともある。私が話が出来る人は外国人に訴えたいという人だ。そこはバイアスがあると思うが、徴兵されたくなくて引きこもりはかなり多いらしくて、停戦を求めているわけではなくて、戦争を考えたくない。知りたくない、聞きたくないという方らしい。
大学生と交流する機会があった。大学生たちがチェチェン人みたいに猜疑心に溢れていて、西側は自分たちをいいように肉の壁にしている。戦争が終わらず自分たちの人生はダメだ。言ったってムダだ。ロシアと最後まで戦うという気持ちはあるという。それについて西側の支援を求めない。国際社会の一員であろうとする意識が欠けてしまう。今ウクライナはちゃんとルールを守って国際社会の一員ということで、ロシアとの違いを出そうとしている印象をすごく受けた。
西側の支援なんかいらないという世代が増えてしまうと「いまさら来てなんだ」というチェチェン人みたいな人が増えてしまうと思って、ウクライナに対するメッセージを届けていかなけばいけない。こういう若者が多くなってきてしまう。20歳代の人は10歳の時から戦争をしている。戦争の中で育ってきている。彼らは基本的には男性は国外に留学したり旅行に行ったりする外国と交流する機会も奪われている。そうした人を減らしていってほしい。
ロシアの友人の話。ロシアの親戚たちはウクライナを責めるのではなく、ウクライナでひどいことが起こっていると認識していない。ほとんどのウクライナ人がロシアをいやだとなっている。それを知らない。
全体的な印象
戦争は長期化する。キーウは安全と言われるが戦時下にあるウクライナに住む人々のストレスは大きい。チェチェンはウクライナの今後を示している。他の日本人の存在がとても大きな助けになった。直接的な関わりを持つことの重要性。国際社会の一員であろうとするウクライナを支えていくことが重要だ。(発言要旨、文責編集部)
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