95年秋以降の闘いの中間総括と課題(下)

新たな展望のために――新安保体制と改悪特措法下の沖縄闘争

平井純一

高まる「自立・独立」論

 九五年九月以後の米軍基地に対する闘いを経て「本土復帰」二十五年を迎えた沖縄では、「独立・自立」論が、あらためて顕在化しつつある。それは戦後期の米軍政支配と結び付いた親米的な「琉球独立」論や、復帰闘争の高揚の中で、その「ヤマト同化」志向を鋭く批判した新川明らの知識人による「反国家」的反復帰論とは位相を異にしたものである。
 「自立・独立」論の新しい展開は、沖縄の「ヤマト」とは違った文化的アイデンティティーへの注目、地元経済界の「成長するアジア」に向けた経済発展の期待などが、「安保国益」の名のもとに米軍基地の重圧を沖縄に集中し続けてきた本土への不信意識の再高揚とからみあって生み出されたものであり、蓄積されてきた深い歴史的意識に根を持っている。それは決して一過性の「流行」ではない。
 本紙の書評でも紹介された元コザ(現沖縄市)市長の大山朝常氏による『沖縄独立宣言』が地元沖縄では入手困難なほどの売れ行きを見せ、その思惑がどのようなものであれ社民党の上原康助代議士が、国会で「沖縄独立の法的可能性」について質問したなどの事態は、その象徴である。
 また五月十四、十五日の両日には那覇市民会館で「日本復帰・日本再併合二十五周年 沖縄独立の可能性をめぐる激論会」がのべ一千人が参加して行われる盛況となった。フジ・産経グループの扶桑社が刊行する週刊「SPA」誌も、「沖縄独立」論の特集を組んだ。
 新崎盛暉一坪反戦地主会代表世話人・沖大教授は、この「沖縄独立」論の高揚について、それが「具体的で地道な社会的諸運動(思想運動や文化運動)と結びついてもいなければ、そうしたものに発展する兆しも見られない」と厳しい批判を投げかけた。
 彼は、「一杯飲んでいるときは、『もうこうなれば独立だ』と悲憤こう慨して怪気炎をあげながら、酔いがさめれば、高率補助に首までどっぷりつかった日常生活にいとも簡単に舞い戻ってしまう」ような「居酒屋独立論」だと、現在のムードを批判している(「沖縄タイムス」5月30日)。
 この新崎氏の態度は一貫したものである。彼は「復帰運動」の中で、新川明氏らが提起した「反復帰論」に対して、“反国家志向としての反復帰論が知識人の自己完結的な思想の営為として終わり、
国家権力に対するなんらの政治的有効性ももちえないままにとどまっている”と指摘していた(新川明『反国家の兇区』増補版、社会評論社刊)。
 また新崎氏は、近著『沖縄現代史』(岩波新書)の中でも、一九八一年の「復帰十年、沖縄自立の構想を考える講演会とシンポジウム」で示された「琉球共和国」構想を提起する「復帰運動批判」の一傾向について「大衆運動の指導者を“俗物的”とし、彼らに追従する民衆への絶望を表明することによって自己を正当化しがち」と論難している。

新崎「居酒屋独立論批判」

 新崎氏の観点は、「自立・独立」論が、民衆に根ざした具体的な政治運動、持続的な思想文化運動とはならなかった根拠をもっと真剣にえぐりだす必要があることを執拗に主張する点で、きわめて正当なものであるとわれわれは考える。
 「自立・独立」論は、その理念と政治的構想を鮮明にし、国際的関係までふくめたそのプロセスを提示する必要があるだろう。それはもちろん、「本土」におけるわれわれについても同様に提起されている課題でもある。
 沖縄民衆の「自決権」を承認することは、われわれの前提である。一六〇九年の薩摩の侵攻、明治の琉球処分と事実上の植民地的差別・同化政策、「国体(天皇制)護持」の捨て石となった沖縄戦と戦後の米軍政への売り渡し、安保・米軍基地の堅持と引き換えの「本土復帰」という、近世以後の沖縄―「ヤマト」関係史は、まさに植民地的抑圧・差別の関係史であり、「言語的・文化的同一性」から日本と沖縄の「民族的同一性」を「証明」しようとする主張は、帝国主義的同化主義・併合主義を補完するものである。
 しかしわれわれは「沖縄民衆の自決権」を支持し、連帯するということだけにとどまってはならない。「沖縄民衆の自己決定権」を支持するというのであれば、この「自己決定権」を妨げているものに対する共同の闘いを「本土」の側からどのように作りだしていこうとするのか、「本土」と沖縄の将来にわたる関係を、今日の国際的状況の中でどのように作りだしていこうとするのかが鋭く問われるのであり、無責任に「自立・独立の勧め」を語ってすますわけにはいかないからである。
 新崎氏の「居酒屋独立論」批判は、その意味で、首里王府による先島(宮古、八重山)への過酷な搾取・収奪の関係を脇におき、「本土」との対比で琉球王朝を「非武装・平和的交易国家」として美化する傾向や、前近代の「土着」性に回帰する主張への警鐘であるとともに、沖縄の「ヤマト」との文化的差異性に対するロマンチックな思い入れに基づいて、自らの思いを「ウチナー」に投影する「本土」の一部の傾向に対する批判でもある。

復帰後世代にも広がる基盤

 しかし最近の沖縄の「自立・独立」論について言えば、決して一部の知識人の現状批判の思いにとどまっているわけではない。復帰時に生まれ、米軍政支配や本土復帰闘争を知らない若い世代が、「先輩の話などで琉球処分とか沖縄のつらい歴史を聞き、本土に見放された瞬間というものを『象のオリ』、特措法で追体験できたと思った。そこで初めてウチナーンチュ意識、日本と沖縄の違いとは、を考えさせられた」と語っている(「琉球新報」5月15日掲載の復帰二十五年座談会における、一九七二年生まれの同紙仲村未央記者の発言)。
 ここでは、「進んだ本土」への「同化」を志向してきた復帰後世代が、この二年間の闘いの経験を通じて「日本」からの「異化」を一つの選択肢として選びとるようになった過程が語られている。戦後二つの「島ぐるみ」闘争が、過酷な米軍直接支配に対する闘いの中で「本土復帰」を現状変革の方向性として大衆的に希求することが必然性を持っていたのに対して、今回の反米軍基地闘争が米日の共同軍事体制、とりわけ「安保国益」の国民意識に支えられた日本国家に対する闘争経験であったことを考えれば、「復帰」イデオロギーから相対的に自由な若い世代の間に、「自立・独立」論が基盤を広げていく可能性を見ることができる。

国際都市構想と経済的自立

 もちろん現在の「自立・独立」論は、一義的には把握できない多様な要素をふくんでいる。
 第一に考えられるべきは、「自立」論が沖縄を中国や台湾などアジアに向けた「情報ハブ基地」として発展させようという沖縄の地元経済界の意向と密接に関係していることであり、それは大田県政の「国際都市建設構想」を支えるものとなっている。
 「復帰」後の沖縄経済は、五兆円にのぼる国からの振興開発費の投入にもかかわらず、製造業の面では見るべき発達はなされなかった。沖縄経済は、本土などの公共投資と観光と米軍基地によって支えられる構造を依然克服しえておらず、それが失業率全国最高の大きな要因になっている。
 大田県政と県経済界は、そのために沖縄に「一国二制度」的な規制緩和措置(経済特区の創設、ノービザ制度の導入)を適用することを要求し、六月十六日には「大胆な改革なしには沖縄経済の自立はありえない」として、自由貿易地域の全県への拡大を主張するにいたっている。つまり沖縄をアジアに向けた物流中継、情報発信基地とすることによって「ボーダーレス経済」の日本における先進拠点とすることにより、沖縄経済の「自立」を達成しようというのである。
 日本政府、ブルジョアジーは、昨年の大田―橋本階段にもとづいて今年度予算に五十億円の沖縄振興特別対策費を計上し、「一国二制度」的な規制緩和措置にも好意的な対応を示している。つまり、資本のグローバリゼーションと新自由主義に対応した日本資本主義の構造的再編成のモデルケースとして、「成長するアジアに開かれた沖縄」を利用しようとするもくろみである。
 沖縄から出された「経済自立」の要求は、「本土」資本のグローバル戦略にまるごと飲み込まれようとしている。われわれは、「国際都市形成構想」の中に今日の世界的な新自由主義の流れを背景に「経済的自立」を通じて、沖縄を抑圧し続けてきた「本土」から何とかして離脱を図ろうとする沖縄民衆の意思を見ることができる。この「自立」と「離脱」の企図は、「国家」の枠組みを超える資本の動きを前提に構想されたものではある。しかしこの企図は新自由主義を条件とするかぎり現実化しえないというジレンマを抱えているのである。
 沖縄大教授の吉川博也氏は、軍事的安全保障に代わる「総合、多角的安全保障」の見地から大田県政の「国際都市構想」を支持し、「基地撤去」と「自由貿易地帯」を結びつけ、撤去後の米軍基地跡地を「海外への支援、協力センター」とする方向性を提示している(『月刊フォーラム』96年12月号「米軍基地撤去と沖縄新自由貿易地域の構想」)。
 しかしわれわれはこのような形で、在沖米軍基地問題の解決が実現されるとは思わない。日米安保は、帝国主義の「北」による「南」の第三世界の収奪、不平等な経済格差の拡大を必然化する「グローバリゼーション」の秩序を防衛することをその理念としている。規制緩和、自由貿易という新自由主義の路線が、少なくとも「経済的自立」を達成するものではないことは、ブルジョア経済学者ですら認めているところである。それは環境をいっそう破壊し、貧富の差を拡大し、人間の尊厳を破壊する弱肉強食の論理を普遍化するものであり、軍事力、暴力による秩序維持を不可避的にもたらす。
 新自由主義経済の枠組みを所与のものとして沖縄経済界の一部から出ている「自立・独立」による経済発展のバラ色の未来像の幻想性を批判することが、沖縄の「自立」論の深化にとって不可欠である。むしろ新自由主義経済は、「軍事的・警察的安全保障」と親和的なものなのであり、軍隊によらない安保の成立根拠を「経済のグローバル化」に求めることの矛盾を明確に指摘することが必要なのである。

「自立論」の「あいまいさ」

 第二は、沖縄の「自立・独立」の政治的形態をどのようにとらえていくかということである。現在、沖縄の「独立」というとき、主権沖縄国家(過渡的な存在であったとしても)の創設を意識している人々は少数であろう。むしろその「あいまいさ」が、今日の「自立・独立」論が浸透していく根拠となっているともいえる。
 それには現在的背景がある。われわれが「民族自決権」というとき、被抑圧民族の分離・独立の権利を意味していた。それは二十世紀の歴史においては、大国の中に統合されてきた被抑圧民族が、分離して独自の国家を形成することであり、また帝国主義の植民地にされてきた地域が独立主権国家を樹立することでもあった。
 「主権国民国家システム」として組織された世界の中で「自決」を達成するということは、それ以外ありようがなかったし、現在でもそうである。ソ連邦やユーゴスラビア連邦の崩壊を通した「民族自決」が、多数の主権国家の創設という形式で表現されたのはその現れであった。
 しかし、米ソ冷戦の構造の崩壊による世界の二極的対決の終焉は、同時に「主権国家システムのゆらぎ」と言われる事態をもたらしている。それは宗教的・エスニック的マイノリティーの自立、地域的分離主義運動の活発化を伴っている。
 経済のボーダーレス化や「国民経済」の福祉・社会保障機能の衰退が、事態を加速させている。沖縄の「自立・独立」論の展開が、この国際的現実と通底したものであることは間違いないであろう。それは、被抑圧民族やエスニック的マイノリティーの「自決」問題について、新しい理論的・実践的アプローチを必要とする。
 筆者が昨年の二回の本紙論文(96年3月25日号、96年6月17日号)で紹介した「キト宣言」におけるラテンアメリカ先住民族の「完全自治」論は、そうした理論的再考の一環であったし、アイヌ民族の「先住権」にかかわる問題についても「自治区」などさまざまな模索が試みられている。それは、新たな「国家」の創設を目標とせず、むしろ資本主義的「国民国家」システムを掘り崩す方向で、主権国家からの自立としての「自治」を展望しようとしている。
 自民党から新進党、民主党までが主張している「地方分権」論は、不十分ではあれ存在していた国家の社会的サービス機能を解体し、「民営化」による市場経済に委ねようとするものであり、他方では、国家の手に危機管理機能を集中して権威主義的体制を防衛しようとするものである。
 昨年の巻の住民投票や沖縄県民投票に対して、「一地方の利害を国益に対置することはできない」という圧力が、右派メディアなどを通して強力にかけられたことは、ブルジョア的「分権論」の本質がなにかを示すものであった。
 沖縄の民衆的「自立」のための闘いは、こうした「地方分権」論との先鋭な対決を通じてのみ発展する。

主体的な連帯関係のために

 それでは、沖縄の「自立・独立」論の持っている一種の「あいまいさ」は、どのような形で政治的に結晶化していくのだろうか。その点について、私は現在の時点で「分離・独立国家の形成」という形で、その「あいまいさ」を解消すべきではないと考える。「あいまいさ」は、すなわち「自立・独立」の直面する困難さの現れであり、東アジアの帝国主義体制、「本土」の労働者民衆運動の現実が強制するこの困難さをわれわれ自身が直視することぬきに、沖縄の「自立・独立」との連帯を作りだすことはできない。
 「米軍東アジア十万人体制」と「安保再定義」による在沖米軍基地の維持・強化、新ガイドライン・有事(戦争)法制に対する「本土」での主体的闘いこそ、沖縄―「本土」の共同・連帯の関係をどのように形成していくかの土台とならなければならない。
 また、われわれが再三訴えてきたように、アジア・太平洋を覆うグローバリゼーションと一体となったグローバル安保に対する闘いは、東アジア・太平洋労働者民衆の抵抗・反撃の闘いが国際的に結びつくことによってこそ、真に有効なものになっていく。
 沖縄の「自立・独立」の闘いは、そうした国際的な展望に裏打ちされてのみ、明確な政治的意思として表現されていくだろう。
 われわれはそこに向けて、政治・社会・文化などの分野における沖縄の自立的アイデンティティーを獲得する着実な歩みに学び、相互に支援・交流しながら、反安保・反基地の実践を強化していくのである。

週刊かけはし

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