95年秋以降の闘いの中間総括と課題 (上)

新たな展望のために――新安保体制と改悪特措法下の沖縄闘争

平井 純一

5・15―改悪特措法の下で

 五月十五日、改悪された駐留軍用地特別措置法の下で、反戦地主、一坪反戦地主の所有する沖縄米軍用地の「暫定使用」が始まった。嘉手納や伊江島の米軍基地のゲート前では、反戦地主が自分の土地の明け渡しを求める行動に立ち上がったが、ゲートは固く閉ざされたままだった。憲法違反の疑いの濃い強権的法改悪に訴えてまで、米軍基地を保持し続けようとする「安保国益」論の前に、沖縄民衆の平和への意思は踏みにじられたのである。
 六月七日には、ハワイで開催された日米防衛協力小委員会で、日米防衛協力指針(ガイドライン)見直しの中間報告がとりまとめられた。すでに本紙でも取り上げているようにこのガイドライン見直しは、アジア・太平洋全域から中東にまで及ぶアメリカの軍事戦略と一体化した自衛隊の作戦展開を保証し、「有事法制」にまで踏み込んで地域紛争介入のための動員体制を作りだそうとするものである。
 われわれは、この「新安保」体制の急速な再構築の中で九五年秋以来の沖縄反基地闘争の意味を再整理し、今後の展望を切り開いていかなければならない。

「安保再定義」戦略との対決

 沖縄の民衆は、一九九五年九月、米兵による少女への性暴力事件を契機に、沖縄の民衆は、あらためて米軍基地の存在自体が性暴力をはじめとするさまざまな人権侵害、基地被害、経済の自立的発展への阻害要因であることを確認し、「これ以上米軍基地と隣り合わせの生活はできない」という叫びを上げた。この「第三次島ぐるみ闘争」ともいうべき沖縄の反米軍基地闘争の特徴を次の四点にまとめることができる。
 第一は、この沖縄民衆の闘争が、「ポスト冷戦」期の「安保再定義」戦略と実質的に対峙する形で繰り広げられたことである。
 一九九〇~九一年の湾岸危機と湾岸戦争は、ソ連・東欧労働者国家ブロックの崩壊の中で唯一の「グローバルパワー」となったアメリカ帝国主義の戦略と、それに対応した日本帝国主義の軍事的「国際化」路線を確定していく契機となった。それまで「ソ連邦の存在」に軍事的に対抗する日米共同軍事戦略としてあった安保体制の再編成が要請されることになった。日米安保の存在意義があらためて問われる時代に入ったのである。
 米日支配体制の主流は、一九九五年二月の「東アジア戦略報告」に示されるように、「アジア・太平洋の安定要因」としての米軍十万人体制と日米安保の意義を強調し、その要である在沖米軍基地を堅持すべきことを打ち出した。その集約が昨年四月の「安保共同宣言」であった。
 しかし、アメリカの政治・軍事的オピニオンリーダーの一部には、アメリカの「国益」にとって東アジアに強大な米軍を常駐させることは必ずしも得策ではなく、海兵隊の撤退をふくむ米軍基地の大幅な縮小に踏み込むべきだという論議も存在していた。
 それは、湾岸戦争に示されたようなアメリカのヘゲモニーによる国連を看板にした「多国籍軍」型紛争介入が、その後のソマリアへの介入作戦の失敗などによって見直しを強制されたこととも関連している。
 アメリカでは、あくまでも「国益」の観点からの選択的な軍事介入に徹し、グローバルな「世界の憲兵」的役割からは手を引くべきであるという見解も根強い。しかし、日本の支配階級はあくまでアジア・太平洋の米軍十万人体制にすがりつき、日本の軍事的脅威に対するアジア諸国の警戒を「安保」を楯にすることによって回避し、「安保」を通じてアジア・太平洋に対する独自の政治的・経済的ヘゲモニーを発展させる路線に固執した。
 大田沖縄県知事の「基地返還アクションプログラム」??二〇一五年までに在沖米軍基地の段階的な全面返還を実現していく計画??は、まさに旧来的な意味での日米安保の存在意義の喪失と、その「再定義」に向けた流動的な状況に分け入ることによって、安保・基地問題についての政治的焦点を作りだしたという意味で、一定の効果を発揮したのである。
 沖縄県の「アクションプログラム」は、「安保再定義」に代表されるグローバル安保を通じた日本帝国主義の海外作戦体制の拡大、「有事立法」・改憲路線に対するトータルな批判ではなかったとしても、それが沖縄への一方的な犠牲の強要の上に成り立っていることを明確にすることを通じて、そこにクサビを打ち込む客観的役割を果たすことになった。

行政主導型闘争の意義と限界

 第二は、大田知事の「代理署名拒否」に対して政府の職務執行命令訴訟が提起されることによって政府の「新安保」路線が公然と法廷の場に持ち出されるとともに、「本土」政府に対する沖縄県の「行政ぐるみ」闘争の構造が形成されていったことである。それは事実上、沖縄県当局が全面的に推進した九月の県民投票まで継続することになった。
 この「行政ぐるみ」の闘争が持っている限界については、われわれは本紙上で繰り返し指摘してきた。しかし一方でこの「行政ぐるみ」闘争が、新潟県巻町の原発に関する住民投票実施ともあいまって、「国家・国益」と「地方主権」「自治」との対立構造を浮かび上がらせる要因となったことを見逃すことはできない。
 自民党から新進党にまでいたる各政党は、新自由主義的な行政改革・規制緩和の立場から「スリムな政府」、「地方分権」を訴えている。しかしその「分権」論が、国家による社会保障や教育への「公共的責任」を切り捨てることによって膨れ上がった債務を削減し、同時に国家の役割を軍事・治安などの「危機管理」部門に集中していこうとする、権威主義的国家体制をめざしたものであることは明らかである。
 七月に予定されている地方分権推進委員会(諸井虔委員長)の第二次勧告では、現在は国の地方自治体に対する委任事務とされている米軍用地強制使用手続きを、国の直接執行事務とする方針を盛り込むことが予測されている。駐留軍用地特措法の改悪を行ったものの、都道府県収用委員会に裁決権限が残されている以上「今後、どんな不測の事態が起こるかわからない」という危機感からだ。
 「安保」という「国益」にかかわる問題については、地方自治体による異議申し立ての余地をなくし、国家の手に一切の権限を集中しないかぎり「有事」に対応できない、という考え方がそこにある。巻町の住民投票でも、沖縄の県民投票でも、読売、産経などの体制派メディアは、「国策」に対して一地域の住民が「拒否権」を発動することを激しくののしった。
 大田沖縄県知事は、八月の最高裁判決と九月の県民投票を経て、橋本首相との会談によって「公告縦覧」業務にかかわる代理署名手続きを受け入れた。このことは、決して現行の政府?自治体関係にかかわる制度的限界によって正当化されるものではないし、「行政ぐるみ」闘争、行政依存型運動の限界をも示すものである。
 しかしこの間の沖縄での県当局をふくむ闘いの経過は、「当事者」としての自治体が、広範な自立的大衆運動と結びつくことによって、「拒否権」をもふくむさまざまな形態での自己決定権を行使し、国家支配の権威主義的再編に抵抗していくことの必要性を、今後への教訓として残したのである。

新たな主体形成の可能性

 第三は、沖縄県民の闘いが全体として行政主導型運動の枠の中にありながら、反戦地主、一坪反戦地主運動の持続的抵抗を基礎にして、新たな主体が形成されていく可能性をも作りだしたことである。
 沖縄の反基地・反安保闘争が重大な政治焦点になっていった大きな要因は、昨年三月の「象のオリ」内の知花昌一さんの土地の使用期限切れと政府による「不法占拠」、今年五月の三千人の地主の土地の強制使用期限切れと重なっていたことにある。
 一九七二年の「本土復帰」以後、沖縄県の反戦地主は、政府・防衛施設局のおどし、懐柔攻撃の中で少数派に追い込まれながら、「契約拒否」の姿勢を持続してきた。反戦地主の孤立した闘争を防衛する運動として、一九八二年十二月には一坪反戦地主会が結成された。この反戦地主会・一坪反戦地主会の運動は、七二年返還以後の沖縄の民衆運動の長期的な衰退の中で、「本土復帰」闘争を継承して土地の奪還、米軍基地撤去の目標をつらぬいてきた。
 大田沖縄県知事の「代理署名拒否」の抵抗が、反戦地主の闘いを基礎にしたものであったことは言うまでもない。また反戦地主たちの闘いは、強制使用期限切れという「安保の円滑な運用の根幹にふれる事態」を引き出し、政府の危機感を増幅することになった。約百人の反戦地主、三千人の一坪反戦地主という少数派の闘いが、在沖米軍基地の本質的な不法性を暴き出したのである。
 反戦地主会、一坪反戦地主会が昨年九月の大田知事による「代理署名」受諾に対して、断固とした批判の声明を出したことは当然であり、それは行政から自立した反基地闘争の発展の基盤を防衛したのである。特措法改悪状況の中で継続する県収用委員会の公開審理をめぐる闘いは、反戦地主運動の正当性をあらためて沖縄、「本土」に浸透させ、次の闘いを準備する重要な役割を果たしつつある。
 他方、沖縄の「革新共闘」は、この間の闘いの中で最終的な分解の局面を迎えている。それは、社会党(社民党)中央の安保・自衛隊容認路線への「転換」に対して、沖縄の社民党もとりわけ特措法改悪問題については反発しながらも、結局のところ「政権与党」としての立場に縛られ続けたことを主要な理由としている。社民党の最高幹部の一人である元沖縄全軍労委員長の上原康助衆院議員は、この「与党」路線を沖縄に押しつける中心的役割を果たした。
 県連合は一九九八年の参議院選で、沖縄社大党委員長の島袋善康現参院議員に対抗し、県連合の渡久地会長を「独自候補」として擁立する方針を模索していると報道されている(「琉球新報」5月16日朝刊)。沖教組、自治労などの労働組合運動の中心的勢力の衰退、全駐労沖縄から「安保支持、基地縮小反対」を公然と掲げた沖駐労が少数分裂するなどの事態は、旧来の平和主義的反基地運動の分解の表現である。
 九五年九月以後の闘いの発展の中で、沖縄には反戦地主に続く新たな闘争のための萌芽が作り出されてきた。たとえば少女への性暴力事件を自らの問題としてとらえ、「軍隊と性暴力」「基地と人権」の問題について世論を喚起する上で主導的な役割を果たした「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の女性たちの闘いである。
 「行動する女たちの会」の女性たちは、九六年、九七年と連続して訪米団を派遣し、本土の集会へも積極的に代表を送り、「民衆にとっての安全保障」「女性の人権と本質的に相入れない軍隊と基地」などについて、広く討論を作り出している。この五月には、沖縄で「軍隊と女性」についての国際会議も開催した。
 普天間基地の代替ヘリポートとして海上基地の建設が予定されている名護市では、六月六日に、海上ヘリポート建設を問う住民投票の推進協議会が労組や市民団体を結集して発足した。
 名護市長が受け入れの姿勢を見せ、大田沖縄県政が「国と当該自治体の問題」だとして事実上容認している中で、名護市における住民投票を実現しようとする闘いは、昨年の「県民投票」を行政が全面的に支援していたのとは異なった困難さを持っている。しかし、だからこそ名護市でのヘリポート建設阻止闘争は、今後の自立的な運動の創出にとって試金石となるべき位置を持っているのだ。

政治焦点化した沖縄と安保

 第四の特徴は、「本土」世論が全体として安保やPKO派兵を承認する流れの中で、この二年間におよぶ沖縄の闘いがあらためて、「安保・沖縄」問題を政治化させたことである。
 政府にとっては、「安保再定義」の中でいかに沖縄問題を地域的なレベルに押し込めていくかがねらいだった。しかし大田沖縄県政の「代理署名」拒否訴訟や、「象のオリ」の「不法占拠」問題は、本土政府がいかに沖縄に犠牲を強要し、基地の段階的縮小という「口約束」を反故(ほご)にしてきたかを明るみに出し、たとえ口先だけのものであっても「謝罪」や「沖縄の心を受け止める」などのリップサービスを政府首脳の口から吐かせるよう強制したのである。
 もちろん政府の本音は、米軍規模の縮小を米政府に要求しないという橋本内閣の姿勢に鮮明であり、駐留軍特措法改悪の強行にもはっきりと示された。政府はこの特措法改悪にあたって新進党の賛成をとりつけた。そのため衆院においては九割、参院においても八割の賛成という「翼賛国会」状況が現出した。
 特措法国会を通じて、各政党は政権の一角にありつくための再度の政党再編に走り回り、「保保連合」への胎動が始まった。これは沖縄民衆の闘いが突き出した安保の是非についての問いかけが、共産党や新社会党を除く「総与党化」の中では、あえて論議する余地のない、結束して防衛しなければならない「国益」にふれる課題だったからである。
 岡本恵徳琉球大教授は五月十五日の「沖縄タイムス」紙上でこう主張している。
 「一時期、『特措法』の改正で抵抗の手段を奪われた沖縄は『チルダイ(気抜け)』状態に陥るのでは、と言われたりしたが、そのことがかえって、復帰運動の先頭にたった大山朝常氏が『独立論』を展開するなど『自治論』『独立論』に活気を与えるようになったのは皮肉なことに思える」。さらに岡本氏は、「日本の政治が衆目にさらされることになって……国の足許をみすかしてしまったという気分が醸成されたような節さえある」と述べている。
 この「足許をみすかしてしまった」という気分は、昨年秋以後一時はやった「チルダイ」現象とは異なり、もっと「したたかな」気分を示すものである。しかしそれ自身としては「本土」への心情的離反ないし優位性を示すものではあっても、直接に闘争へと発展する積極的意識を代表するものではない。
 だがこの「みすかした」気分は長期的に見て、沖縄の「本土」からの「自立」意識の基盤に転化する可能性を秘めている。
 その意味で、特措法改悪は「有事立法」や憲法改悪と連動した重大な攻撃ではあるが、「安保・沖縄」をめぐる対立の構造を、沖縄民衆に対しても、そして「本土」の意識的な労働者民衆に対しても鮮明にしたという「逆効果」を持ったのである。われわれは、この特措法改悪を通じた対立の発展を、沖縄民衆の闘いとむすびつけながら「本土」労働者民衆の自覚的な運動にしていかなければならない。

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