南京大虐殺83年12・20映画と意見交換会 ①

かけはし 第2657号 2021年3月15日

私たちは南京・中国の人々とどのように手を結んで行くことができるのか?

報告まとめ(南京・沖縄をむすぶ会事務局長 沖本裕司)

 本紙の沖縄報告では、沖縄から中国・アジア太平洋への侵略戦争に動員された兵士たちの体験記を本紙「沖縄報告」の中で紹介して、沖縄戦を日本の侵略戦争の観点から捉えようとしている。その立場から昨年12月に南京大虐殺83年・映画と意見交換会が行われた。南京・沖縄を結ぶ会の沖本さんの報告を掲載する。(編集部)

1.南京・沖縄をむすぶ会の結成と活動(略)

2.日本の中国侵略と南京大虐殺

 日本の中国侵略を歴史的にみると、四つのステージがある。①幕末の黒船という国家の危機意識の下で侵略国家・天皇制日本の成立。②1894年日清・1904年日露戦争を経て、朝鮮、中国、アジア侵略の足掛かり。新興帝国主義。③第1次世界大戦で連合国側につき、ドイツの中国での権益を奪い、列強の一角に食い込む。④政府主催の東方会議と1927年張作霖爆殺、と連なる。
 外圧をバネに国民的な結束の下、天皇を頂点とする軍事警察官僚国家のスタート台となった明治維新は、米欧の帝国主義諸国を手本に、領土拡張・対外膨張へ進んだ。はじめから対外侵略を国是とする国家だった。
 1870年代に四方への膨張が開始された。北には、北海道屯田兵、ロシアとのカラフト・千島交換条約。東には、米との小笠原諸島の帰属確認。西には、朝鮮の江華島(カンファド)攻撃と不平等条約の強制。南には、宮古島の船が遭難し台湾に漂着して、54人殺害されたことを口実に日本軍3000人派兵。さらに、1871年の琉球藩王任命から1879年沖縄県設置にいたる沖縄併合だ。
 
旅順虐殺と明成皇后暗殺

 日清戦争の中で起きた2つの事件は、天皇制明治国家に内在するアジア蔑視に基づく国家暴力の発露だった。
ひとつは、1894年11月の旅順虐殺である。大連に続き、旅順攻撃を始めた日本軍はすぐに砲台を占領し、中国の敗残兵を掃討する作戦を遂行し、兵士だけでなく民家を捜索し一般市民を殺害した。戦後旅順に立てられた追悼碑「萬忠墓」には、約2万人の犠牲者の名前が記されているという。日本国内では、旅順陥落を「大元帥陛下万歳」と、政府・軍・新聞こぞって煽り立てた。
もう一つは、1895年10月の明成皇后(ミョンソンファンフ)暗殺である。下関条約が結ばれた後、露独仏による「三国干渉」が起こった情勢で、朝鮮王朝の明成皇后が景福宮(キョンボックン)寝室で深夜、暗殺された。犯人は、三浦梧楼日本公使とその指揮のもとに朝鮮王宮に乱入した軍人を含む日本人だったが、第5師団の軍法会議も広島地裁の予審も「証拠不十分で無罪」とした。対外侵略を国是とした明治国家は、国際的な不法な犯罪を裁くどころか、容認し称える国となった。南京大虐殺は突発的な事件ではなく、明治以降の日本の侵略と暴力の歴史の延長上に位置する。

日清戦争の講和と下関条約

 日清戦争を講和する下関条約(1895年4・17)は、下関の春風楼(しゅんぷうろう)で開かれ、日本全権伊藤博文と清国全権李鴻章の間で締結された不平等条約だ。中国では馬関条約と呼ばれるが、条約の内容は簡略、以下のようなものだった。
①遼東半島、台湾、澎湖諸島の割譲。→台湾の武力抗争。大小の戦闘100余。日本軍の死傷者3万余。②2億両(テール)の賠償金。清国の税収の3年分。当時の金で約3億1100万円に相当(日本の国家予算は9千万円余)→「富国強兵」の資金、③長沙、重慶、杭州などの開市。④日本に最恵国待遇。
義和団に対する8カ国軍の侵略と辛丑(しんちゅう)条約(巨額賠償と鉄道要地の派兵駐屯)には、列強の一員として日本も加わった。列強の中国侵略の進展に応じて、当然、中国側の抵抗も激しくなっていった。1905年には孫中山による中国同盟会の結成があり、1911年中華民国の成立をみた。1914年に始まった第1次世界大戦で連合国側についた日本は、山東半島と南方のドイツ権益を奪うことに成功したが、東京や朝鮮全土での3・1万歳運動、中国での5・4運動など、朝鮮と中国での反日運動は拡大した。
日本は、国家としての満州に対する領土的野望を明らかにした。1927年6月27日から7月7日まで10日間、田中義一内閣が開催し政官軍の指導層が会した対中国政策に関する東方会議がそれである。会議は、「満蒙特殊権益の確保」のため「軍事力の使用も辞さず」を国策とした。

柳条湖事件から満州国建国宣言へ

 1931年9月、関東軍が奉天(現在の瀋陽)の南満州鉄道の線路を爆破。張学良の仕業だと偽って、軍事行動を開始。→満鉄の拠点を押さえ、満州全体を軍事制圧。日本政府は追認。1932年3月、満州国の建国宣言し、「五族協和」「王道楽土」を掲げた。特急アジア号が走った。様々な夢を抱いて大陸へ渡った青年も多くいたことだろう。
国際連盟理事会は、「日中の平和を脅かしている原因を探る」として、リットン調査団の派遣を満場一致で決議。日本も賛成した。1932年3~6月日本と中国各地で調査と聞き取りを行ない、10月に報告書を公表した。それは、「満州での中国の主権を認め、満鉄付属地以外からの日本軍の撤退を求める」との趣旨だった。1933年2月、国際連盟総会は、42:1:1で可決した。反対は日本だけ、棄権は日本の従属国シャムのみ→日本は国際連盟から脱退する道を選び、国としての理性を失って暴走して行くことになる。

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