南京大虐殺83年12・20映画と意見交換会 ④
かけはし 第2660号 2021年4月5日
私たちは南京・中国の人々とどのように手を結んで行くことができるのか?
報告まとめ(南京・沖縄をむすぶ会事務局長 沖本裕司)
3、戦争に動員された沖縄出身兵の証言
沖縄出身兵の戦争体験記は日本軍による戦争の実態を赤裸々に描写する。その特徴は、生い立ちから始まり、家庭、学校生活、入隊への経過、入隊検査、所属部隊、隊内生活、戦地への移動、戦闘の様子、帰還、そして沖縄戦など、非常に詳しい。ある意味、一人ひとりの沖縄青年の人生記録ともいえる内容であり、100人の証言を読むと、沖縄をめぐる壮大な歴史的パノラマのようでもある。
天皇制明治政府によってまず併合された沖縄。沖縄戦は、琉球併合によって始まった日本の朝鮮・中国・アジア侵略の長い歴史が破綻し敗北していく最後の戦場となった。
県民は幾世代かにわたってこの過程を体験した。中国での戦争体験はその一環である。残虐行為をやった、見た、というのはその一部であって、日本の戦争の実態を全体として共有することが大事ではないか。
ここでは、東風平町史と具志川市史から二人の証言を取り上げよう。
「……南京が陥落したのは確か十二月十三日頃だったと思うが雪が降っていた。南京に到着して城外に露営してしばらく休養したが、戦場の常とは言え死体のあまりの多さには驚いた。道の両側に死体を積み上げて、人の通る中央部だけが空いている状況であった。
また、一週間程経ってから南京の船着場である下関(シャークァン)港に糧秣受領に行って、又悲惨な光景を見た。中支でも十二月までは乾期で雨量は少なく、雨期と乾期では揚子江の水面の高さは四・五メートルの差があるとの事でした。当時は乾期のため、水面は低く下関船着場の岸壁から水面までの高さはそれ以上あったかと思われる。その岸壁から水面に放り込まれた死体の山は、岸壁のコンクリートの高さまで積もっており、波止場の広場は血で赤黒く染まって異臭を放っていた。多分追い詰められて逃げ場を失った敵兵は、ここで虐殺されたのであろうとの話であった。一ヶ所にこれだけの死体を見たのは、おそらく南京の大虐殺の現場ではなかったかと思う」(東風平町、知念富一)
「河南作戦というのは、中国に河南という大きな町があって、その町を占領する戦い。河南作戦は中国ではすごい激戦となった。日本軍は五~六千名ぐらいいて、全部日本が占領した。そのときの中国人の兵隊も捕虜として捕らえた。その兵隊をチュンゴピン(中国兵)といっていた。捕虜は四、五日は一緒に連れて、あとは捕虜がいっぱいになるから銃殺した。捕虜は連れていっても必要ないから四、五日に一回は全部殺す。銃剣で刺すとあとで手入れしないといけないから、具志川グスクみたいな高い山に連れていって、四~五〇名逃げられないように手を紐(ひも)でしばって崖から一回に突き落としていた。 捕虜を殺すのは日本軍の作業班がいて、私たちは直接かかわらなかった。
部隊は捕虜を連れていくと食糧もあげないといけないから、多く連れていったら自分たちの食糧に影響するから、殺さないといけない。食糧も日本軍がずっと送ったらいいんだが、占領したらこっちにあるものは全部徴発する。そこにある食べ物を全部徴発しないとこれだけの兵隊はまかなえない。自分たちも徴発をかなりやった。……」(具志川市、安慶名正信)
市町村史戦争編に掲載されたこれらの証言はいつまでも残り、世代を越えて読み継がれ、記憶される。
4、アジアを舞台とした日本の侵略と戦争(レジメ)
日本の中国侵略、南京大虐殺を長い歴史的スパンでとらえると、16世紀末にさかのぼる。
日本で「文禄の役」、朝鮮で「壬辰倭乱(イムジネェーラン)」と呼ばれる1591年の豊臣秀吉による朝鮮侵略は、一時の休戦の後、1597年にも14万人の軍隊を派遣する「慶長の役」「丁酉再乱(チョンユチェーラン)」と続けられた。朝鮮全土の破壊、掠奪、何万人という人々の耳・鼻の切り取り、文化財の強奪、陶工はじめ医者、朱子学者、活字工など数万人の拉致。
侵略の破綻→1608年、光海君との和平→江戸時代の通信使。他方、1609年、薩摩藩による琉球侵略。
1868年の天皇制明治国家の成立から対外侵略を重ね、1945年の敗戦で挫折するまでの77年間。1945年の敗戦から現在までの時期。侵略と戦争、国内の警察支配に対する国民的反省の弱いままに、米軍に従属する国家として経済復興に進んだ75年。
敗戦を挟んだ前後150年を超える歴史に対して根本的に批判し見直す歴史観のコペルニクス的転換が必要だ。
5.今後の活動に関して
なぜ南京に行くのか?
それは南京が中国侵略の代表的な現場だからだ。日本本土だけでなく、沖縄からも、日本軍に加わり侵略戦争に加わりさまざまな戦争犯罪に手を染めた現場のひとつだからである。辺野古の現場、沖縄戦の戦跡について、現場を見なければ分からないのと同じく、中国侵略の現場を訪れることが、南京の人々と手を結んでいく出発点になるに違いない。
香港の民主派を無慈悲に弾圧するような現在の中国には行きたくない、という意見もあるかもしれない。しかし、それは別問題だ。現在の政府と歴史に対する反省と学びとは別だし、政府と国民とを同一視することも誤りだろう。(おわり)
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