コソボ問題・NATOとコソボ問題への回答

カトリーヌ・サマリ

 アメリカの革命的社会主義組織である「ソリダリティー(連帯)」が発行する隔月刊の雑誌『アゲンスト・ザ・カレント(流れに抗して)』は、第80号(99年5・6月号)で、NATOのユーゴ空爆とミロシェビッチの民族浄化政策の双方に反対し、NATOの解散を求めて闘おう、という趣旨の「編集部からの手紙」を掲載した。これに対して同誌八一号(99年7・8月号)には、編集部見解への賛否双方の意見が掲載されている。その中にはNATO空爆への支持論(ブランカ・マガス)も含まれている。以下に訳載するのは、第四インターナショナルフランス支部の指導的メンバーで、『ユーゴの解体を解く』(柘植書房新社)の著者であるカトリーヌ・サマリの見解である。(本紙編集部)


 「現在、旧ユーゴスラビアの廃墟を覆っている軍事紛争について、最後にはっきりさせよう。ミロシェビッチのジェノサイド的ポスト・スターリニズム体制も、NATOの帝国主義も、どちらの側も支持することはできない。どちらの側も『より少ない悪』とはならない。コソボに自由を! NATOを廃止せよ!」(『アゲンスト・ザ・カレント』八〇号、「編集部からの手紙」)。
 私は、『アゲンスト・ザ・カレント』誌編集部声明の三つの次元について、全体として同意する。以下はさらなる討論のための若干のコメントである。

 (1)双方の戦争に反対するのは難しいことだが、必要なことだった。NATOの軍事介入を支持した(そしてNATOのミロシェビッチに反対するプロパガンダから自らを区別しなかった)場合でも、NATOに反対した(そして一般的に、きわめて副次的なレベルでしかミロシェビッチ体制を批判しなかった)場合でも、左翼はおおむね双方の戦争に反対するという態度を取らなかった。どちらの立場を取ることをも拒否し、NATOの戦争とミロシェビッチの戦争という二つの戦争に反対する必要性を強調した『アゲンスト・ザ・カレント』を、私がまず支持しようとしたのはそのためである。
 NATOの戦争に関しては、根本的に新しいイデオロギー的文脈の中で、われわれは二つのタイプの政治的感覚(ともに問題ぶくみの政治的声明と結びついていた)について敏感にならなければならなかった。
 「古典的」反帝国主義感情。一部の者は、もっぱら、あるいは主要に、NATOに対して反対するという傾向があった。彼らがミロシェビッチ体制を反帝国主義的だ(そしてある意味ではそうである)と考えれば考えるほど、NATOの戦争だけに反対していったことは、明白なことだった。あるケースでは、これはコソボのアルバニア人の自決に対する敵意と結びついていた。
 彼らはNATOの軍事介入に反対する中で、ミロシェビッチはヒトラーとは違って国際的な脅威ではないと主張した。また彼らは、NATOと帝国主義諸国がミロシェビッチ(ツジマンではなく)に反対するのは、ミロシェビッチが「彼らの」世界と経済システムに「属して」いないからだ、と強調した。こうした主張の中には真実が存在している。
 しかし、ミロシェビッチを反帝国主義勢力として支持すれば、その体制の反動的内容に眼を閉ざさざるをえなくなる。それは短期的かつ長期的な意味内容を持つことになる――社会主義自身の信用失墜である。私の観点からすれば、ミロシェビッチ体制とその準軍事組織が強制してきた緊急の脅威と暴力を極小化しようとすることは自殺的なものである。
 そうなれば、アルバニア人(そしてボスニア人)の間でのいかなる進歩的影響の発展をも妨げることになるだろう。それはまた、第二のタイプの反人種差別的で進歩的な潮流との完全な決裂を意味する。

 第二のグループは、おもにコソボのアルバニア人に対するセルビアの抑圧について敏感であった。彼らは、民族浄化や百万人近い人びとの追放に反応を示している。教養ある左翼を背景に持っているこの第二のグループは、次のように述べる。
 「ドグマ性を排し、具体的な世界の中でケースバイケースの判断を下そう。ファシズムに対決したアメリカの軍隊は、第二次大戦で歓迎された。NATOの戦争はファシズムに対するものであり、われわれはNATO軍の特殊な帝国主義的利害から距離を置きつつ、それを支持することができる」。
 こうした主張に対するわれわれの回答は、一般的にNATOの解散を主張する前に、鋭いミロシェビッチ批判のスローガンとNATOの戦争(そのロジックと影響)への具体的批判を提起しながら、いつわりの歴史的アナロジーを拒否するものでなければならない。反NATOの宣伝に反対する者は、最初に問わなければならない。NATOはアルバニア人の生命と権利を防衛しているのか? この戦争がユーゴスラビアとバルカン情勢にどういう影響をもたらしているのか? われわれは問題になっていることの具体的な分析を行うことができる場合にのみ、信用を得ることができる。
 もちろんそうする中で、われわれはNATOの道徳的意思なるものに対するナイーブな見解に反対する。石油資源がないのだから地政学的な利害関係など存在しないという考え方を、われわれは受け入れない。軍事予算の拡大やアメリカのNATO支配を通じて、国際的帝国主義の秩序やNATOの力の再定義といった問題を取り上げることは、副次的な事柄なのではない。
 われわれが、われわれの見方を道徳的かつ政治的次元と結びつけて示すならば、またわれわれが過去に根ざす問題の基盤について主張するだけでなく、新しい現在進行形の世界とバルカンの情勢について主張することができれば、この論争の中で第一の潮流だけではなく、第二の潮流に属する一部の人びとをも、われわれに耳を傾けさせることができるだろう。しかしわれわれが抽象的なところから議論を始めれば、そうしたことは起こらないだろう。
 コソボ問題について親NATOのわが友人諸君に答えた後で、われわれは彼らに問わなければならない。諸君は宣戦決定なき戦争を支持するのか? はっきりとした目標もなしにか? 帝国主義の意思決定と、すべての民族とその市民社会に対する攻撃は、NATOの兵士だけを守るものだった。(一部の法学者は、ユーゴスラビアの住民と経済に対するNATOの犯罪に抗議するジュネーブ会議を発足させている)。しかしこの論争は、コソボでなされたすべての犯罪に対する具体的調査と非難をわれわれが支持するする場合にのみ、意味を持つものとなる。

諸民族の権利

(2)そう、最後に、われわれはコソボの解放を支持する。しかしわれわれは自決についての討論を発展させなければならない。多民族的文脈の中で、だれが、いかにして、決定を行うのか。すべてのユーゴスラビア諸民族の平等な自決権をどのようにして認めるのか。コソボのセルビア人の人権の問題をどのように扱うのか。
 こうした問題は、今日においてさえ、(多民族的)諸国家間の連邦的つながりを通じて、バルカンのレベルでより良い進歩的な解決策を見いだすことができると、私は信じている。しかし再び問題は、だれが決定し、だれが「民族」を代表するのか、ということである。
 セルビア国家、警察、軍隊による弾圧は、独立をめざすアルバニア人の闘争に正当性を与えている。しかしUCK(コソボ解放軍)は、コソボのアルバニア人の「自決」を完全に包み込むものではない。
 二つの例が、コソボのアルバニア人社会内部での異なった展望を示している。
●イブラヒム・ルゴバ。大衆的な市民的不服従運動のリーダーで、一九九一年の非公式の住民投票でコソボ「大統領」となり、一九九八年に再選された(UCKはこうした選挙のボイコットを呼びかけた)彼は、UCKの路線とははっきりと異なった展望を持っている。
●アダム・デマチ(彼はランブイエ会談までは、UCKのスポークスパースンだった)。彼は、依然としてプリシュティナに住んでいるが、UCKのNATOへの従属に反対してきた。彼はNATOの爆撃に反対し、それを「セルビア人とアルバニア人への攻撃」と呼んだ。また彼は、反アルバニアと大セルビア主義の偏見は、ミロシェビッチ体制の基礎であると述べ、「純然たる暴力によってアルバニア人と他の民族を捕らえてきた同一のメカニズム」が百年間にわたってセルビアの民主化を妨げてきた、と指摘した。
 チトー体制の下で、「アルバニア分離主義者」のとがによりセルビアの監獄で二十八年間を過ごしたデマチは、なおセルビア人との交渉を支持している――彼は、外国の政府はコソボの将来の法規を決める権利はないと主張する。デマチは、コソボがコソボ人によって統治されるが、すべての国家が平等の法的地位を持った形でのセルビアやモンテネグロと連携する連邦制を支持している。しかし、マケドニア、アルバニア、ブルガリア、ギリシャをアルバニア人問題のバルカン的解決に統合することぬきには、安定した未来はないだろう。
 一つの問題がある。ボスニア・ヘルツェゴビナは、コソボのセルビアからの分離の後で、セルビアやクロアチアとの連邦的結びつきぬきに新しい分裂を避けることができるだろうか。
 今までのところ(もちろんそれは変化しうる)、UCKはセルビア人との交渉を行うこともできていないし、コソボのアルバニア人の間での複数主義的見解を受け入れることもできていない。UCKはNATOのユーゴスラビア爆撃を求めるという軍事主義的方針を持ってきた。したがってそれはあらゆる対話の困難性を増大させてきた。武装抵抗は正当なものであり、UCKはどのような政治討議においても代表権を与えられるべきである。
 UCKは、「和平協定」においてNATOが擁護するとは思われないコソボの独立を望んでいるため、ますますNATOと衝突するのは明らかである。だれが自らを防衛し、代表するかを決めるべきなのはコソボ人である。
 「和平協定」は、NATOが自らの戦争を「正統化」するのを許容してきた。当面NATO軍は、追放されたアルバニア人の帰還を認める存在である。二つの戦争があったため、そしてコソボのアルバニア人はミロシェビッチの戦争の犠牲者であったため、われわれはただちに(煽動的な方法で)NATO軍の撤退を要求することはできない(われわれはNATO反対の宣伝を継続するとしてもである)。もしUCKが独立した方針を持っていたならば、それを支持することは双方の戦争に反対する方法だっただろう。しかし当面UCKを支持することは、ユーゴスラビア民衆へのNATOの爆撃を支持することを意味する。
 将来、状況は変化しうる。われわれはそのために準備し、すべてのバルカン諸国、とりわけコソボとセルビアにおける左翼反対派の発展のために活動しなければならない。われわれは双方の戦争に反対し、自由コソボを求めることによってのみ、それをなしうるのである。
(米『アゲンスト・ザ・カレント』誌99年7・8月号)

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