チュニジア・民衆の自立的決起守り革命の完遂へ

偽りの二極化による革命の封殺は許さない
左翼と革命的勢力、統一に努力

ドミニク・ルルージュ

 アラブの春のとば口を開いたチュニジアでもエジプトに続いて、革命をイスラム体制確立へとねじ曲げようとする動きが強まっている。本紙でも既に伝えたが、今年にも行われるとされる議会選挙をにらんだイスラム主義勢力による自立した民衆運動に対する攻撃は暴力性を高め、UGTT(労働総同盟)本部も襲撃を受けた。これらに対するアンナハダ政権の対応は暗に容認を示唆するに等しいものだったが、この対応がついに、きっぱりしたアンナハダ批判者であったショクリ・ベルイードの暗殺まで引き起こした(二月六日)。そして人々は政府批判のゼネストに立ち上がった。チュニジア革命は重大な岐路にさしかかった。このような展開を前に左翼勢力の統一に向けた努力も続き、一定の成果を見せ始めた。以下はこの間の歩みを伝えている。ショクリ・ベルイードの暗殺を糾弾する二つの声明も合わせ掲載する。(「かけはし」編集部)

革命をそらすための「対立」


 二〇一二年春以来、チュニジア政治の全体的姿は、二つの大きな極の間における分極化の成長を特徴としてきた。
 すなわち第一は、イスラム主義者のアンナハダ、マルズーキー大統領の共和国会議、憲法制定会議の社会民主主義者議長のムスタファ・ベンジャファール率いるエッタカトルから構成されている(エッタカトルは現在、社会主義インターナショナルの公式チュニジアグループだ)。
 そして第二の極は、さまざまな諸勢力、特にベンアリとブルギバの諸政党の分解から現れた一七の諸政党を一体的に結集しようと努力している。それらの勢力は、「アンナハダでなければ誰でも」といった論理の中で、カイド・エッセブシ(二〇一一年の二月から一二月まで首相であったブルギバの下での傑出した閣僚)が率いるニダー・トゥネス(チュニジアの天命)に先を越されてきた。話し合いは、エッセブシの党と、ベンアリ追放直後のモハメド・ガンヌーシ政権に参加した諸勢力、たとえばPDP(進歩民主党)から現れ出た者たちやエッタジド(その起源をたどれば、旧共産党に行き着く)周辺の「近代主義者」のような勢力の間で、二〇一二年春遅く始まった。バドゥイが率いるチュニジア労働党(PTT)起源の諸潮流も加わった。エッセブシの第一目標は、RCD(打倒されたベンアリの党:訳者)の元指導者や活動家たちを結集させることだった。
 二〇一〇年一二月から二〇一一年二月にいたる革命でその活動家たちが指導的役割を果たしたチュニジアの左翼は、二〇一一年一〇月の制憲会議選挙を通じて周辺化された。「一月一四日戦線」という形で結集したさまざまな左翼とアラブ民族主義政治諸組織は、各々単独で選挙戦に臨むという選択を行った。しかしそれは、彼らが見えるものとなるための物質的手段をもっていなかった、という時点での選択だった。こうして選挙闘争に介入する彼らの能力は引き下げられた。

左翼再結集の条件は整った


 二〇一二年春、無党派個人活動家(いかなる政党にも所属していない)や他の諸政党に開かれた新たな基盤の上にある種の「一月一四日戦線」を再構築するために、諸討論が始まった。この挑戦は、新自由主義的資本主義の枠内に位置している二つの極に、共に反対する第三の政治的極を築き上げることだった。
 労働者党(元のPCOT)指導者のハマディ・ベンミムは、二〇一二年七月、上記について聞かれた際次のように説明した。「ベンアリ体制崩壊に続く日々、一月一四日戦線を形成した革命的政治諸勢力は、最初の二つの臨時政権を倒すことに大いに貢献した。次いで二〇一一年二月二七日にカイド・エッセブシが首相となった時PCOTは、彼を引きずり下ろし、労働者に奉仕する政府で彼を置き換える方を支持した。……しかし革命諸党間にこの点に関する一致はまったくなかった。実際エッセブシは、左翼諸組織に向け餌のようなものを投げ、彼らのうちのある者たちはそれにひっかった。その時一月一四日戦線は破裂した。……マルクス主義者であれ民族主義者であれ、左翼の革命的諸勢力を再度結集し失地を回復することが今や必要だ。アンナハダとエッセブシが率いる諸勢力間の分極化と闘うための革命的な新たな綱領という基礎の上で、新たな連合を建設することが必要だ」。
 「これを実現するためにわれわれは、一月一四日戦線を別の形態で生き返らせたいと思っている。エッセブシがうまく設定した枠組みに入ることに以前合意した勢力のほとんどがその教訓を学んだが故に、先のような連携に向けた諸条件は満たされている。……労働者党とLGOのトロツキスト間の討論では二つの大きな問題が出ている。第一点としてLGOは、UGTT(チュニジア労働総同盟:訳者)が戦線再建をになう方を好んでいるようだが、UGTTの方はそれを避けている。労働者党はこの戦術には反対であり、マルクス主義左翼と民族主義の政治諸組織の結集から始めるべき、と考えている。第二にLGOは、どのようなものであれ、戦線の背骨はUGTTでなければならない、と考えている。一方労働者党は、戦線創立にあたってUGTTの参加への合意を待つべきではない、と考えている。特に、UGTTが、もっとも新しい動きの中で、政権と反対派間の合意を追い求めている以上は」(注一)。

イスラムvs世俗の対立を離れて

 次に二〇一二年七月、PTPD内で労働組合活動に責任を負っていたチェドリ・ガリもまた、チュニジア左翼の分裂について否定的な総括を引き出した。すなわち「左翼政治諸組織の分断は二〇一一年一〇月の選挙では破局となった。われわれは、ジュモーおよびハマ・ハマミと共に以下のように計算した。つまりわれわれが統一リストを提出したとすれば、ハマ・ハマミのPCOT、ショクリ・ベルイード(二月六日、何者かに暗殺された:訳者)のMOUPADおよびPTPDが第二位に来た可能性があった。そこにアラブ民族主義者が加われば、もっと多くの議席をもつ形で二番手を確保していたと思われる。投票日三週間前、われわれはそれでも共通リストを実現しようと挑んでいた。しかし各組織は最終的に、一番大きな分け前を得るものと考えつつ選挙戦に臨んだ」。
 二〇一二年夏ガリは、PTPD分裂の理由を次のように説明した。「アブデラザク・ハマミと政治局多数派の極めて右翼的な政治路線と絶縁することが必要となっている。その路線は特に、アンナハダ、エッセブシ、シェビあるいはエッタジドと気楽に付き合った時期に映し出されている。実際にもアブデラザク・ハマミは、大政党に近づこうと試み、急進左翼との断絶を要求した。彼は、党の過激派潮流からPTPDが革命を守る組織と受け止められることを期待した。こうして彼は、ラシェド・ガンヌーシ(アンナハダ創立者)、エッセブシ、さらにアンナハダの人権相と会見した」。
 それ故ガリは、PTPDとの分裂以降における彼の潮流の路線を、次のように明らかにした。つまり「来たる時期に向けたわれわれの焦点は以下のようなものとなる。すなわち、合同大会が八月三一日から九月二日に設定されているMOUPADとの統一過程の強化、アラブ民族主義者を含む戦線の再建だ。後者はムスリムというアイデンティティーに非常な愛着を持っている。それこそが、その一定部分を獲得しようとアンナハダが追求している理由だ。われわれは、アンナハダとエッタジドが持ち出しているイスラム――世俗論争の中に自分たちの位置を定めているわけではない」(注二)。

革命導いた諸要求の達成へ


 一方、UGTTの中学教員の主な指導者の一人であり、MOUPADの著名な活動家であるネジブ・セラミは、七月後半に次のように語った。「一人の農婦が先週私に、チュニジア革命はテーブルに載せられたスイカのようだ、と語った。実際革命は安定した状況にはない。それは動き回り、いつでも地面に落ちかねない。このイメージは私には非常に腑に落ちた。われわれは、ベンアリが掌握する形で、カルタゴの宮殿内に一つの権威主義体制を抱えていた。今日もう一つの権威主義体制が、イスラム主義者の首相、ジェバリ掌握の下でカスバに設立されようとしている。この党は二枚舌の形でことを行っている。それは民主的かつ市民的であると主張している。しかしその実践はベンアリのRCDを思い起こさせるものなのだ。それはあらゆることを決めようとし、チュニジア人は今日、宗教形態での独裁舞い戻りを恐れている」。
 「アンナハダを前にして、昔のブルギバ派と元RCDメンバーを伴ったエッセブシの回りに、一つのグループが形成された。それらには、中道主義勢力が、あるいは左翼出身者すらもが合流している。アンナハダ、米国、そしてフランスは、この二つの極間、つまりアンナハダと旧体制に起源をもつ諸政党間の選択へと、チュニジア人を押しやることを望んでいる。これらの二つの勢力には十分な構造が備わり、また多くのカネもある。しかし第三の極が、先の分極化を拒否して生じようとしている。それは左翼とアラブ民族主義者から構成されている。彼らが望んでいることは、一種の独裁体制へのどのような舞い戻りも阻止することだけではなく、人々がそのために革命を行った諸要求の充足を達成することでもある。その目標は、一月一四日戦線の名前の下に以前存在したものを回復することだ」(注三)。

社会的決起を一体化した戦線へ

 労働者左翼同盟(LGO)指導部メンバーであるジャレル・ベンブリク・ゾグラミはこの夏、一月一四日戦線再構築の条件を次のようにまとめた。「いくつかの条件が一体的に満たされないのであれば、この戦線には意味がないことになるだろう。その条件とは第一に、現在の社会的諸決起内部での堅固な基盤。政治的左翼は今それらの社会的決起に立ち後れている。第二に、基本的な諸項目、すなわち反動的で反民主的、また女性の権利に反対するアンナハダの路線との対決、債務と帝国主義勢力との提携協定の取り消し、失業に反対し働く権利を求めるキャンペーン支持、恵まれない境遇にある人々と地域を有利にする開発システムの確立など、これらを軸とする決起と闘争の綱領の確定。第三に、アンナハダ党とそのかいらい同盟者からなるムスリム同胞団政権の、反社会的、親帝国主義かつ反民主的政策に対するはっきりした反対。そして、旧RCD派と彼らの同盟者であるナジブ・シェビの自由主義的極にまつわる諸幻想と闘うこと。第四に、現政権打倒を呼びかけ、また民衆政権の性格に関する討論を始めること。LGOにとってそれは、民衆的かつ民主的な背骨を備えた、あるいはUGTTと共にある、労働者戦線に基礎をもたなければならない。第五に、無党派の人々、特に労働組合運動、地域、女性、失業者や若者たちの闘争における指導者たちと共に活動し、そこに開かれていることだ」(同前)。

不毛な選択に民衆戦線を対置


 二〇一二年八月一三日、一二の諸政党間の始まりとなる合意が公表され、「革命の目標具体化をめざす民衆戦線」の創出が発表された。日刊紙「ル・テンプ」は、「全国政治生活の評論家たちがアンナハダとニダー・トゥネス間への分極化は不可避的……と信じているその時、左翼とアラブ民族主義諸政党を結集する戦線は、チュニジア人はアンナハダとニダー・トゥネス間での選択を強要されない、と考えている」と述べた(注四)。
 この戦線はさまざまな伝統に由来する以下の諸組織を結集している。
▼マルクス・レーニン主義者として、労働者党(ハマ・ハマミ率いる前PCOT)、ショクリ・ベルイード率いるMOUPADとPTPDのジュモー潮流の合同から生まれた統一民主愛国党、ジャメル・ラズハール率いる革命的社会主義愛国党、そしてモハメド・レバン率いる進歩闘争党(PLP)。
▼トロツキストとして労働者左翼同盟(LGO)。
▼社会主義者として、ジャロウル・ベンアズーナ率いる自由進歩人民党(PPLP)。
▼マルクス主義―汎アラブ派として、アモル・メジリ率いる民衆統一戦線。
▼ナセル主義アラブ民族主義者として、モハメド・ブラヒミ率いる人民運動―ラケト・エシャービ。
▼バース主義アラブ民族主義者として、オスマン・ベルハジャモル率いるバース運動、クヘレディン・スーアンブニ率いるアラブ民主前衛党(PAGAD)。
▼他に、アブデルカデル・ツィトウニ率いるグリーンチュニジア、社会主義民主運動、RAID(ATTACとCADTM)。
 多くの無党派活動家もこの戦線に参加している。
 二〇一二年九月の最初の全国評議会でこの民衆戦線は、一つの政治憲章案を採択し、スポークスパーソンとしてPCOTの歴史的指導者、ハマ・ハマミを選出した。
(二〇一三年一月三一日)

注一)七月一八、一九日にアラン・バロンによって行われたインタビュー、「国境なき欧州連帯」のウェブサイトに掲載された。
注二)同右
注三)同右
注四)アラン・バロンの記事中に引用されている。
▼筆者はフランスNPA並びに第四インターメンバー。(「インターナショナルビューポイント」二〇一三年二月号)

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