マンデラ後のANC──強化される新自由主義政策

カール・T・ブレッカー

 6月の総選挙で、マンデラの後継者であるタボ・ムベキ率いるANCが65%を超える得票率で圧勝した。ANCは、COSATU(南ア労組会議)とSACP(南ア共産党)の支持のもとで、新自由主義的経済政策を推し進めている。ラディカル左翼はオルタナティブ勢力として登場することができなかった。


新大統領ムベキとはだれか

 南アフリカの新大統領タボ・ムベキは、政権を取ったANC(アフリカ民族会議)を特徴づけることにになった左派的レトリックと右派的政治の折衷的ブレンドを売りにだすためのあらゆる信任状を得ている。
 南アで二度目の多人種的選挙の結果、ANCは全国議会と州議会の支配権を確保し、地方政府への支配を打ち固めたと見られている。
 選挙におけるANCの勝利は、南アにおける1994年の最初のポスト・アパルトヘイト選挙後に始まった不安定な空白期間の終焉を画し、新しい統治ブロックの下での新しい民主的国家を強固なものにした。
 マンデラ自身がこの移行の成功に中心的役割を果たしたことは疑いないことである。しかし後任大統領のタボ・ムベキは新しい時の人である。
 新しい環境は、階級的力関係のたくみな均衡を求めている。タボ・ムベキは闘争からの信任を得たブルジョア政治家である。彼はそのようなものとして、「国家を建設する」という課題と、彼がしきりに広言している「アフリカのルネッサンス」を促進するという課題にみごとに適した人物である。
 ムベキはマンデラよりもはるかにインテリである。さらに重要なことは、彼はANCの組織構造に対して疑いない支配権を有している。
 マンデラの大統領任期の最後の2年間国家を統治したムベキは、ANCの新自由主義的マクロ経済政策であるGEARの定式化によって広い信用を得た。もしブルジョアジーに懇願することが必要ならば、ムベキは依拠すべき信頼しうる軌跡の記録を保持している。
 同時にムベキの申し分のない「闘争」への信任や、彼がラディカルな政治の詳しい知識を持っていることは、組織労働者や農村の貧しい人々の間の反抗の煽動家になろうとする者をなだめすかすだけの信用を、彼に与えるものである(ムベキはモスクワのマルクス・レーニン主義研究所の卒業生で、南ア共産党の前指導者である)。

オルタナティブはなかった

 ムベキの課題は、今回の選挙が政治的中心勢力に向けて投票が劇的なシフトを示したことによって容易になっている。極右への道は閉ざされた。しかしそれは、PAC(パンアフリカニスト会議)やAZAPO(アザニア人民機構)といった以前の解放組織が選挙で成果を得る望みをも閉ざしたのである。これらの組織は、長期にわたる武装・非武装の反アパルトヘイト闘争の歴史にもかかわらず、ともに1%以上の得票を集めることができなかった。
 またこの変化は、選挙直前の時期の戦術において、選挙主義の落とし穴をほとんどつかんでいないことを示したラディカル左翼の、限りないほどの方向喪失をもたらした。
 しかし左派がこの投票行動の中央に向けた変化をどれほど嘆こうとも、ANCの選挙での成果を否定できない。全国でほぼ3分の2(66・4%)の多数を獲得したANC主導の連合は、国内9州のうち7州で65%から88%の票をかき集めた。
 クワズールー・ナタール州でのみ、ANC(39・3%)はマンゴスツ・ブテレジのインカタ自由党(41・9%)に次いで僅差の第2党にとどまった。「新」国民党の最後の拠点である西ケープ州では、ANCは最も人気のある政党として42%を獲得したが、州議会で多数派を占めることができなかった。この2つの州では、ANCは中間右派の連合政権ができるという見通しに直面している。
 民主党――リベラルな資本の声、そしてますます白人少数派の声を代弁する党になっている――は、いまや全国で9・55%の得票を獲得する公式の野党である。それは1994年の得票結果よりも大きな前進を示すものであるが、ANCに対する唯一の真のオルタナティブであるという彼らの主張が空虚なものであることをも示している。
 過去5年間の南アの政治に何が起こったかについて評価しようとするなら、「マンデラ・マジック」と、「自由の戦士」から議会の支配者へと自らを適応させたANC指導部の大きな成果とのユニークな結合を見通さなければならない。

少くない成果と、その代償

 1994年のANCの当面の目標の中には、南アにおける民主主義の確立と国民的統一の構築があった。何よりも巨大な課題だと思われたのは、アパルトヘイトの遺産の克服だった。
 ANC政権は、彼らが目指したもののうち、決して少なくない成果を達成した――アパルトヘイトに浸された市民サービスのあり方に抗して活動する、それまで議会政治の経験を持たない党として。
 最も重要な成果には、新憲法と包括的な諸権利についての法をそなえた実行力のある政府システムの構築がある。一連の進歩的法案が広範囲な課題にそって通過し、1994年の選挙にいたる交渉期間に国を荒廃させた右翼による暴力は、衝突ではなく妥協によって劇的なまでに減少した。
 そうしたことは、わが国を国民的アイデンティティーと共通の目的という新しい感覚をそなえた国民的統一にいたる道に向かわせた。それは、最も必要とされる社会的サービス――住居、教育、医療サービス、水、電気――の提供を開始し、白人少数派支配の最も憎むべきシンボルを取り除き始めた。
 しかしサービスの供給は、ANCの中核的支持者層が期待したよりもいささか低レベルにとどまっている。そして農村と都市の貧しい人びとに住居、学校、基本的公益事業を提供してきたシステムは、すべて長期的には持続不可能であることが立証されることになった。そして不規則に広がるゲットーを持ったアパルトヘイト都市を変えるためにはほとんど何もなされなかった。
 変化がなされたことには疑問の余地がない。問われるべきはその範囲であり、ANCが妥協を達成するにあたって支払った代価である。

ANCは支持を増大させた

 ANCは黒人多数派の支持を保持しただけではなく、1994年の興奮の日々になされた約束が実現できなかったにもかかわらず、支持を増大させた。
 これは南アの大衆が依然として、ANCが権力を獲得した状況の下で、他のいかなる政党もよりましなことをやれなかったと信じていることを鮮明に示すものである。黒人多数派の大部分は、アパルトヘイトの恐るべき遺産は、最善の意思にもかかわらず5年間という短い期間では克服できなかった、というANCの主張を受け入れているように見える。
 しかし問題は残されている。もしANCが地元の資本や、外国投資家や、アパルトヘイトで肥え太った連中にこれほどまでに譲歩しようとしなかったならば、ここ5年間でどれほどのものが達成されていただろうか。
 ANC政権へのあらゆる批判は、解放運動のラディカルな政策と1994年の選挙で自ら掲げて勝利を収めた「再建と開発のプログラム」からかけ離れた、政府の政策の鋭い右翼転換に集中してきた。
 この転換は、IMFと世界銀行が支持する新しいマクロ経済政策によってカプセルに入れられ、保護されている。頭文字をとってGEARとして知られているこの戦略は、「健全な資金」、輸出指向型成長、公共サービスの民営化、緊縮政策(社会支出の削減)、グローバリゼーションの影響に対する抵抗の否定(「他に対案がない」という理由で)、将来の繁栄に対する保障としての外国投資への過度の依存(服従と言う人もいる)など、ありきたりの一連の抑圧的な新自由主義政策を支持している。
 GEARは、土地再分配、ストライキとロックアウトを相殺する労働改革プログラム、資本に有利で労働者に重荷を負わせる課税政策、内需にもとづく急速な工業化政策の欠如、いかなる大規模な富の再分配の企図をも持とうとしないこと、など、極度に慎重なアプローチを伴ったものであった。左翼が政府の経済政策にきわめて批判的だったことは不思議ではない。
 しかし政府は、グローバリゼーションと国際経済危機に直面している中では無効であるとして、批判に肩をすくめている。ムベキは、状況が許すならばもっと多くのことをすると約束している。

ラディカル左翼の課題とは

 選挙の結果は、他のどの政党も、政府の政策に対して一貫性のある全般的な批判を行いえなかったこと、オルタナティブ戦略の実現可能な側面を提示できなかったことを示した。民主党と新国民党は、アパルトヘイトの過去によって汚されていると見なされた。インカタ自由党は、ANCと戦争を行っているエスニックグループだと認識された。PACとAZAPOは、その闘争における信頼にもかかわらず、大衆政党としての信用がまさに欠落していた。
 またANCは、三者統治体制のパートナーである労組連合のCOSATU(南ア労組会議)と共産党からの大きな支持を得ていた。COSATUもSACP(南ア共産党)も、GEARやグローバリゼーションの影響についての選挙前の不安や疑念を飲み込んでしまい、ANCに無批判的支持を与えた。彼らは、選挙キャンペーンのための理路整然たる政治的運動員の大部隊を提供した。
 選挙でのANCの圧倒的勝利は、左翼に決定的な問題を投げかける。南アの左翼は反帝国主義の政治によく精通しており、資本主義とアパルトヘイトに反対してきた長期の経験を持ってはいるが、選挙主義の誕生に対応することができなかった。
 革命的変革を呼びかけた歴史的時期は、社会主義を課題に上せる緊急の必要にもかかわらず、もはや反響を見いだすことなく、多くの小さな左翼グループはますます周辺化した存在になった。彼らは、充満している親資本主義的コンセンサスに対する生き生きとしたオルタナティブを提示することへの無能力を示している。
 アパルトヘイトに対する闘争の「大軍」――労組と大衆的民主主義運動――は、すべて三者連合(ANC、COSATU、SACP)に代表される支配的政治陣営に移行した。
 過ぎ去った政治的時期の戦略と戦術を持つ左翼は、交渉による解決、合意の政治、新自由主義とグローバリゼーションに対するそのラディカルな反資本主義的・社会主義的批判を、その上に選挙への介入が構築されるべき生き生きとした大衆的キャンペーンに移しかえることに失敗した。
 左翼グループはANCの政治に対する批判を越えて進む必要がある。たとえば、彼らはANCが達成した、増大する、ほぼ完全ともいえるヘゲモニーについて、どのように説明するのだろうか。もしSACPの二段階理論や、ポスト・アパルトヘイト期の南アは社会主義に向けた闘争の民族民主主義段階に入ったという彼らの信条が破産しているのだとすれば、党が労働組合や他の大衆組織で影響力を発揮し続けていることは、どのように説明できるのだろうか。労働者階級の最も代表的で戦闘的な組織であるCOSATUは、政府の政策の多くの側面に厳しく不同意を表明しているにもかかわらず、なぜANCを支持し続けているのだろうか。
 ラディカル左翼は、陰謀理論や大衆がだまされているというシニカルな理論、闘争におけるANCの歴史的役割、「マンデラのマジック」を越えた説明を展開することができた場合にのみ、その基盤を獲得するだろう。
 左翼は、革命は道を外れてしまったと主張してきた。しかしそれは、民主主義的変革と選挙政治を打ち固める時期において、社会主義と社会の革命的変革のための闘争をいかにして政治的課題に据えることができるのか、という一連の問題を回避してきた。
 階級的妥協にもとづく交渉による解決に対して、革命はどのような違いを作りだすものなのだろうか。そして左翼は、ANCと勝負し、それを打ち負かすことのできる大衆的存在へと、どのようにして前進するのだろうか。選挙での挑戦を通じてか、それとも街頭を通じてか。すなわち、前進のための政治とはいったい何だろうか。
(「インターナショナルビューポイント」99年7月号)

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